第50話 頑張れ戦友
数度ノックをしてから扉を開ける。
分厚い鉄の塊のような扉の奥にはベッドがあって、その手前には銀髪の青年が座っている。
私はその背中に向けて声をかけた。
「ここに居たのね、アイザック」
「……ミコトさん」
少し肩を揺らしてから、アイザックは振り向いた。
ここは王城のとある一部屋、国王妃の寝室である。つまりベッドで眠っているのはヨハンナ王妃であり、アイザックの母に当たる女性だ。
彼女は静かに目を閉じ、死んだように動かない。アイザックはそんな彼女を見下ろしている。
私は彼に「……何をしているの?」と尋ねた。すると彼は、目を伏せて答える。
「目を。背けては、いけないと思ってね。切り捨てると決めたのならば、その罪を見つめ続けなければ」
「……そう」
「しかし……母上の顔を見るのは、一体何年ぶりだろうか」
「そんなに会っていなかったの?」
「ああ。僕は母上に近づくことを許されていなかったからね」
アイザックは王妃の顔に触れかけて、けれど手を止め、それから自分にはそんな権利などないのだとでも言うように身を引いた。
「……母上は、僕を恨んでいるだろうか」
そうして彼はぽつりと呟いた。
それからすぐに顔を上げ、首を横に振る。まるでその言葉を口にすること自体が、許されざる罪であるとでも思っているように。
「すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ」
「『母上は僕を恨んでいるだろうか』って言ってたことを?」
「ミコトさん!?」
アイザックが顔を青くして私を見る。
私は彼の言葉を真正面から無視して、それから彼の背を軽く叩いた。
「さあ。そんなの、本人に聞かない限りは分からないでしょう」
「……ああ。そう、だね」
「聞けばいいわ」
「──え?」
「今は無理でしょうけど、いつか必ず」
「……ぁ」
アイザックの喉から掠れた音が漏れる。目を見開いて固まる彼の前で、私は腕を組んで言った。
「時間はたっぷりあるのよ。ならその間に、あなたは父親の尻拭いをする傍らで、自分の好きなことをすればいいじゃない」
「……な」
「別に、彼女を助けちゃいけない理由なんてないでしょう。千人救うのも、千人と一人救うのも大して変わらないわ。私たちが、王妃様の病気を治すための記憶も持って行ってあげる」
私たちはループという一種の反則技を使って、無理に技術革新を起こそうとしているのだ。本来ならば何百年とかけて進めるはずの技術の針を、強制的に回すつもりでいる。ならばその間に、不治とされていたはずの病の治療法を見つけることだって、別に非現実的ではないだろう。
国王の犯した罪は、決して許されないことだろう。だが彼の望みまで恨んでいるわけじゃない。彼女だけ救わないというのも、後味の悪い話ではないか。
するとアイザックは、陸に打ち上げられた魚のように何度も唇を動かして、それから両手で顔を覆った。
「……本当に。本当に、君は。君という、人は……」
「私のこと好きになっちゃいそう?」
「やめてくれ……洒落にならない……」
彼は手の甲で強く目元を擦った。そして顔を上に向け、数回に分けて深く息を吐く。
彼の呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、私は彼に尋ねた。
「それで、計画は進んでる?」
「……ああ。完璧、とは言い難いのが現状だけどね」
計画、とは一体何なのか。
それは、私が「やり直した」後についての話だ。
私が死んだあと、この世界がどうなるかは誰にも分からない。私が過去に遡る度に並行世界が生まれ、私の死後も世界はそのまま続いていくのかもしれない。
その可能性がある限り、タイムリミットを過ぎたあとのことも考慮する必要があるのだ。
──私が死んだ後、それでも世界が続いていた場合には、その時点で魔力を持つ全ての人間を、アイザックの手によってコールドスリープする予定となっている。
そうしなければ最悪の殺し合いが起きるのだ。事実、レイシアはこの国で虐殺が起こり、内乱によって滅んでいく様を見た。
この国で魔力を持つ者は、そのほとんどが貴族だ。というよりも、魔力を持って生まれてくる一族が貴族として力を持つようになった、というのが正しい。
つまり四年後、この国の機能は停止する。
身分の制度はなくなり、魔法士が居なくなることで国力は激減する。
そんなことになれば、当然国は大混乱だ。アイザックは、その混乱をできる限り最小限に抑えるために動いている。
魔力を持たない優秀な人材を集めて教育を行い、貴族なしでも国を存続できる制度と法を整備。エドガーによる近隣諸国との同盟の締結。物流の確保と財産の分配。残される民たちの暮らしを守るために、やるべきことはあまりにも多い。
「そうして最後は僕もまた、自分の魔法で眠りにつく。……それまでに、次世代へと背負わせてしまう負債をできる限り減らすことが、僕の責務だ」
コールドスリープという道を選んだのは、これから何世代も先の未来で、変異体Xを根絶する研究が大成する可能性を殺さないためだ。私たちのループとは違う方法で時間を稼ぎ、治療法を見つける。未来に希望を託すという意味では、私たちがやっていることと相違ない。
これが最善なのかは分からない。きっとどんな選択をしようとも、被害が生じることは免れない。どれだけ懸命に抗おうとも混乱は避けられないだろうし、国は傾いていくだろう。
それでもその先で、残された人たちが立ち上がれるように、アイザックは自分にできることを積み重ねている。
「アイザック。手を前に出しなさい」
「? こうかい?」
「それでグーにして」
「グー?」
「拳を握りしめるの」
「……? はい」
私は彼の拳に自分の拳を軽くぶつけた。
アイザックが目を丸くする。そして「これはどういう意味だい?」と自分の手を見つめながら言った。
「頑張れ戦友、って意味」
私がそう答えると、しばし間を置いてから、アイザックは顔をくしゃくしゃにして子供みたいに微笑んだ。




