第49話 絶対に忘れない
「よっ」
「!」
陽が沈み、空が黒く染まり、そろそろベッドに潜って身体を休めようかと考えていた頃のことだ。
誰かに窓ガラスを叩かれた。そして窓へと視線を向けると、そこにはウォーレンの姿がある。
私は慌てて飛び上がり、まずは風神のごとく部屋を飛び出し、洗面所の鏡の前に立った。そして前髪を直し、アホ毛がないことを確認して、水玉パジャマから脱出し綺麗めワンピースへと着替える。360度パーフェクト美少女であることを確認してから、雷神のごとく部屋へと舞い戻った。
窓を開けると、ウォーレンは軽く右手を挙げて、「遊びに来たよ」と言った。
「夜遅くにごめんね。もう寝る所だった?」
「全然これっぽっちも眠くないけれど!?」
「そ、そう?」
「目が閉じられなさ過ぎて怖いくらいだけど? 私無寝論者だから人生で一度も眠くなったことない」
「すげー勢いで嘘つくね」
窓枠に手をついて喋るウォーレンの服を掴み、ぐいぐいと部屋側へ引っ張る。しかしウォーレンは「あででで」と言うばかりで、中々部屋へと入ってこない。
「ミコトちゃん、オレの図体じゃこのちっこい窓は通れねえよ」
「むっ……」
「それにあんま夜中に男を部屋へ上げようとすんのは良くねえんじゃないかな。いや来たオレが言うのも何だけどさ」
「安心なさい。UNOとかを一晩中してから無事に返してあげるわ」
「んん、オレのこと何だと思ってんだ……?」
私は彼の服の袖から手を離した。
ちなみにここはアイザックに用意してもらった仮宿で、貴族が暮らすような都市からは離れた場所に位置している。これまでのように学園の寮に住むわけにはいかないので、この仮宿と研究所を往復する生活を送っているのだ。
私は唇を尖らせ、「それじゃあ何をする気で来たのよ」と彼に尋ねた。
「……散歩のお誘い?」
「こんな時間に?」
「二人で話せる静かな場所に行きたくて。夜ならこの辺りはどこも人が少ないだろうし」
「……いいわ。付き合ってあげる」
私は頷いた。それから頭の中でレイシアに「少し二人きりにしてくれる?」と声をかける。すると彼女は首を縦に振って、意識の奥の方へと引っ込んでいった。
私は家の外へ出て、ウォーレンの隣へと並んだ。
妙な緊張が胸を占拠する。これまで人との会話に困ったことなんてなかったのに、何故か今は言葉が上手く出てこない。折角二人の時間ができたのだから、楽しい話をしたいのに。
しばらくの間、沈黙が続く。
私たちは口を閉じたまま、二人で並んで川沿いを歩いた。他に人の姿はなく、辺りはしんと静まり返っている。
「──ミコトちゃん」
すると突然、ウォーレンが私の名前を呼んだ。私は驚き、その場で立ち止まる。
ウォーレンは私の一歩先で止まった。そして私に背を向けたまま、「ミコトちゃんはさ」と呟く。
「どうやって、この世界に来たの?」
それは想定外の質問だった。何故突然そんなことを尋ねるのかと不思議に思いつつも、私は答える。
「どうやって、って。前にも話したでしょ? レイシアに呼ばれたのよ」
「そうじゃなくてさ」
ウォーレンは首を横に振った。
「この世界に来る前……元の世界に居た時の、最後の話」
「……え」
「レイシアちゃんは、死んだ直後の人間の魂をこっちの世界に呼んだんだろ。じゃあさ、ミコトちゃんは元の世界で、どうして死んじゃったの」
そう尋ねられて、私は言葉に詰まった。
それは私にとって、既に遠い昔の記憶だ。思い返してみた所で、今更痛くも痒くもない。それに、別に後ろ暗いことなんてないはずだ。むしろ世間一般的には立派と言われるはず。なのに、心臓が縮こまった感じがする。
「……事故に巻き込まれたの。運悪くね」
「それだけ?」
「そ。れだけ、よ」
ウォーレンが振り返る。そして彼は、小さな声で「嘘つき」と言った。
彼には嘘が見える。それを忘れていたわけではないのに、無意識に誤魔化そうとしてしまった。ますます胸の辺りがきゅっとなる。
「……子供を」
「うん」
「子供を、突き飛ばしたの。上から、大きな看板が落ちてきて。その下に居たら、潰れてしまうと思ったから」
「それで、代わりに死んだの?」
「……だって、手の届く所に、居たから……」
助けられる所に居たのだから、助けないわけにはいかなかった。理由はたったそれだけで、それってきっとおかしいことじゃない。
だから私は胸を張っていればいいはずだ。堂々としていればいい。
なのに。何故。
「やっぱり、そっか」
ウォーレンが呟く。
彼はなんだか、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「ミコトちゃんは、見ず知らずの誰かのために、自分の命を投げ出してしまえる人なんだな」
どうして、こんなにも責められているような気持ちになるのだろう。
まるで私が、取り返しのつかないくらい悪いことをした極悪人みたいだ。そんな目を向けられる理由なんてないだろう。ない。ない、はずだ。
「……な。何よ。その、言い方」
声が震える。腹の底が熱くなって、心臓がうるさく鳴る。
「だ。だって。助けられる人を見捨てるなんて、気分が悪いでしょっ?」
「じゃあ、それでミコトちゃんに死なれた人たちの気持ちはどうなんの? 残された家族は?」
「っ。それならっ、あなたは! 目の前で死ぬかもしれない人が居てもっ、それを見殺しにしろって言うの!?」
「そう言ってんだよ!!」
彼に肩を掴まれる。彼の言葉に、心を不安定に揺さぶられる。
「オレは! オレならっ。顔も知らない誰かのことなんて見捨ててでも、ミコトちゃんに死んでほしくないと思う!」
耳を塞いでしまいたかった。
どうしてそんなことを思うのだろう。そう考えて、私はその理由に思い当たる。
だって彼の言っていることは、私が今まで見ないように目を背けていた部分に突き刺さるのだ。
私はいつでも完璧な自分で居たい。他人に誇れないようなことはしたくない。
けれど、それが誰かを傷つけているのだとしたら?
元の世界で、私の家族は、私が死んだことにどれほどショックを受けただろう。私が死んだことを、本当に「立派な行いだった」と思うだろうか?
もしも私が残される側だったとしたら。例えば私の妹が、見知らぬ誰かを助けて死んでしまったとしたら。私はきっと、「どうして」と思う。泣いて、喚いて、恨むだろう。
自己犠牲とは、あまりに身勝手で醜悪なものなのだ。
それを分かっていたから、私は予防線を引いていた。これは、自分のためだけにやったことだ。誰かのためじゃなく、自分がそうしたいからやっただけなのだ、と。だってそう思わなければ、自分が周りに残した傷の重さに圧し潰されてしまうから。直視をすれば、身動きが取れなくなってしまうから。
でも、なら、どうすればいいと言うのだ。
「わ、私だって! 死なずに済むなら、初めからそうしてる! そんな方法があるのなら、そっちを選ぶに決まってるでしょ!?」
好き好んで自分の命を投げ出したいわけがない。でも仕方がないじゃないか。それ以外に道がないのだから。
「時間が足りない! 間に合わない! 今逃げた所で、どうせいつかは振り出しに戻る! それなのに、他に方法があるっていうの!?」
「アイザックの魔法があんだろうが!!」
ウォーレンがそう叫ぶ。
私は固まった。アイザックの魔法。──コールドスリープ。
彼の魔法は、対象を凍死させることもできれば、命を奪わないまま対象の時間ごと凍結させることもできる。氷の中で眠りについた者は、外部からの攻撃でもない限り、永遠に死ぬことがない。
それは私にとって、私たちにとって、逃げ道とでも言うような。
「他にも、オレより頭のいいヤツらなら考え付くだろうよ。ずっと死なせないまま眠らせ続けるような、そんな方法を」
「そ、んなこと、したって! 何も、解決しない、ままで……!」
「少なくとも、オレの気持ちは今よりずっと楽になる!」
俯きながら、彼は呟いた。
「……みんな、おかしいよ。なあ。このままだと、お前はこの先、何度も何度も死に続けるんだろ? なのに何で皆、それを当たり前みたいに受け入れてんだよ」
「……ウォー、レン」
「なんで誰も、おかしいって言ってやらねえんだよ。こんな、ただの女の子に、何で平気でそんな苦痛を背負わせられるんだよ……!」
「違う、違うの、」
「何が違うってんだ!?」
「私は!!」
私は髪を掻き毟って言った。
「私は、人を、殺したことが、あるの」
言いたくなかった。言えなかった。綺麗な部分だけ見て欲しかったから、口を噤んでいた。けれど確かにずっと心の奥に刺さっていた罪の意識を、彼の前で吐き出す。
「前の、ループの時に。あなたを、目の前で殺されて。私は、それが許せなくて。許せなくて。大勢、殺した」
「──」
「でも、その人たちだって、ただの被害者だった!」
なのに殺してしまった。
そんな自分を、私は許せない。
だから救わねばならない。たとえ何度死ぬことになろうとも、私は奪ってしまった命の責任を果たさねばならない。
そうしなければ、罪滅ぼしができない。
なのに──。
「そんなこと、オレはどうだっていい」
ウォーレンは、簡単に言い切った。
私に失望するでも、落胆するでもなく、本気で「私」以外は知ったことかとでも言うように。
「たとえお前が、本当は人殺しでも、どんなに悪いヤツだったとしても、オレには関係ねーんだよ」
「……な、」
「なあ! オレのこと好きだって言うんなら、オレのために生きてよ!」
彼の頬に雨みたいな涙が伝う。
「お前を犠牲にしないと救われないものなんて、どうにでもなっちまえばいいじゃねえか!」
私が死ななければ、皆を助けられない。
でもウォーレンは、私が死なないと助けられないものなど、助けなくたっていいのだと言う。
本当に? 本当に、そうなのだろうか。
でも私だって、もし私と彼の立場が逆だったなら、きっと同じことを思うだろう。あなたの苦痛の上に成り立つ救いに、一体何の価値があるのかと。
私には皆を救う義務があると思っていた。けれど、もしもそれがないとするならば。
私は。
──それでも、私は。
「……ウォーレン」
私は、彼を見上げた。
「私ね。すごく、見栄っ張りなの」
彼に向けて言う。
「すごいねって。かっこいいねって、思われたいの。弱い所を見せたくなくて、怖いものなんてないみたいに振る舞ってるの。今までずっと、そうやって生きてきたから」
「──」
「でも。でも本当は、怖い」
手のひらが震える。心臓が喉のすぐ傍までせり上がってくる。痛いのも、苦しいのも嫌だと、心の奥底に封じ込めていた自分が泣き喚く。
「死ぬのが、こわい。しにたくない。私のこと、忘れないでほしい……!」
それは、私が今まで誰にも零したことのない本音だった。
一度弱い所を見せたら、今まで作り上げてきた理想の自分が跡形もなく壊れて、もう走れなくなるんじゃないかと怯えていた。だから強がって、立ち止まらないようにして、私は「何があっても折れない人」なのだと、自分に言い聞かせ続けてきた。
けれどそんなプライドを捨てて、自分の弱味を曝け出して、形作ってきた理想の自分を壊して、そうすることでしか気付けないこともある。
そうだ。私は、ただ。
「──それでも、あなたのことが好きだから」
ただ、あなたのことを、愛しているから。
だから、諦められない。
立ち止まれない。
立ち止まらない。
「もし他の誰かが同じことをできるとしても、私はきっと手を挙げる。だって私、好きな人のために頑張りたいから」
見栄を張りたい。格好つけたい。それだけならば、きっと私はどこかで折れてしまっていただろう。
けれど、今の私はそれだけじゃない。
私は、あなたに恋をしているので。
「……それで、お前を大事に思ってる誰かが、傷つくとしても?」
「だとしても」
「オレはそんなこと、望んでないのに?」
「ええ。それでも」
私は、酷く自分勝手なことを言った。
するとウォーレンは唇を噛みしめて、それから眉を下げて笑う。
「……オレのこと、あんなに好きだって言ったくせに。オレを置いて、どっか行くんだ」
「う」
「お前が死んだ先に居るオレは、今のオレじゃないのに」
「……どの世界に居るあなたも、同じくらいに好きだから」
「そりゃ酷いぜ」
ウォーレンは肩を竦めた。
酷いことを言っている自覚はある。今この時間を生きている彼のためだけには生きられないと、私はそう突きつけたのだ。
怒られるのも、責められるのも仕方がない。
そう思っていたのに、ウォーレンは私の腕を引いて、そうして抱きしめた。
「──なら、覚えていてくれ。お前が誰かを救おうとする度、傷つく人間が居るってことを」
彼の言葉が胸に染み込んでいく。
「そうして、自分の命の重さを忘れないでくれ」
「──」
「自分が死ぬことを、仕方のないことだなんて思わないで」
これから先、私はきっと彼を傷つけ続ける。私が死ぬ度に、私を大切に思ってくれている人が悲しむ。
私はそれを、絶対に忘れない。
忘れない限り、私が自分の死に慣れることはないだろう。自分の命を安く見積もることはない。
それはきっと、これからの私の人生にとって何よりも必要なことだ。
彼の腕の中、私はそっと頷いた。しばらくは顔を上げたくなくて、彼の胸辺りに額をぐりぐりと押し付ける。
するとウォーレンは、「もひとつ約束して」と呟いた。
「ちゃんと、最後までオレの傍に居て。死ぬ時にオレの見えない所に行かないで」
「……それは」
「見せたくないとか思うなよ。オレも覚悟決めてんだから」
「……いいの?」
「うん。だから、見送らせて」
私は目を閉じて、ただ彼の心臓の音を聞いた。
それは波のように穏やかで、泣きたくなるほど優しい音だった。




