第47話 ここではない未来の今
広い会議室には長机と椅子が大量に置かれていて、私はその中でも一番目立つ席に腰掛けていた。
ここは都市部から離れた土地に急拵えで新設した研究所だ。建物自体は少し古いが、設備は最新のものを取り揃えてある。
ここに集められたのは、ほとんどが魔力を持たない研究者や学者たちだ。
媒介体である私の傍に魔力持ちが長く居ると発狂までの期間が短くなってしまうため、召集したのは魔力を持たない故に魔法社会では異端とされてきた天才たちである。
貧民街で発生した奇病を、感染者の行動パターンを数値化することによって感染経路を特定し、衛生管理と害獣駆除により高コストな回復魔法に頼らず根絶した経歴を持つ、この世界で初めて疫学という概念を提唱したへヴィン・ドットアストロン医。
驚異的な記憶能力と暗算能力を持ち、魔力を持たないながらもその有用さにより国の財務省に登用。一度見た数字を脳内に永久保存し、数値の動きを正確に予測することで行政を支えてきたジンジャ・シャイゴール専門統計官。
人体への並々ならぬ興味から処刑場の執行人としての立場を悪用し、処刑した死体を地下室に運び込み夜な夜な解剖とスケッチを続けた「死体殺しの悪魔」と呼ばれる大罪人。この世界にたった一人しか存在しない、人体を熟知した解剖学者、エンジー・エンジャリン元王都処刑場筆頭執行人。
隣国の軍事研究所で魔力を一切用いない兵器の開発を行い、魔力なしで魔法現象の再現に成功。しかし実験の過程で隣国の都市を爆破し追放された、「魔無しの魔女」の異名を持つジェーン・ドゥ・アルマギカ元隣国軍事技術研究所主任開発官。
媒介体として精霊を召喚し、精霊が発する微細な振動を精霊言語として体系化した言語学の天才。自らの喉を改造することで精霊言語に必要な発声器官を得、その代償として人間としての声を永久に失った奇人、サイド・サイキック翻訳官。
などなど、協調性はないが個性と癖と才能だけは飛び抜けてある厄介者たちが一堂に会したわけだ。
それを取りまとめるのが、魔法生物学の権威であり、既存の魔法生物の交配に留まらず魔法を用いて生物の身体構造を組み替える研究を行っていたマルファン・モドラート王立魔法士養成学園地下研究所所長である。
彼は圧の強い面々を前にして、額に浮いた汗をハンカチで拭っている。
「──さて、先日調査を任された……我々が便宜上『変異体X』と呼んでいるあの突然変異生命体についてだが」
へヴィン医師は机の上に並べた資料を眺めながら、銛のごとく尖った鼻の上に皺を寄せ、銀縁の丸眼鏡を押し上げた。
「あれの感染経路は空気だな。正確に言えば、大気中に含まれている魔力だ。魔力持ちには大気中の魔力を取り込み、それを体内で自身の肉体に馴染む魔力へと変換する器官が備わっているが……」
「その魔力が変異体Xを運んでるっての? それじゃ、今どこまで変異体Xの寄生は広まってるわけ?」
「発生時期と感染速度を考慮すると、数年前には既に王国全土へ拡大していたと見ていい」
「それは絶望的だな!」
ショッキングピンクの長い髪を靡かせた美女、ジェーンが手を叩きながら言う。
「変異体Xの性質につきましては」
マルファンはびっしりと手書きの文字が書き込まれた紙を机上に広げた。その紙を皆で集まって覗き込む。
「宿主の魔力を餌に分裂、増殖いたします。そして更に宿主の魔力を爆発的に増加させ、強制的に覚醒状態へと至らせます。しかしその代償に、宿主の精神は強烈な錯乱状態に陥るのです」
マルファンは紙の上を指でなぞり、「更に」と言った。
「変異体Xは、媒介体である人間に強い拒否反応を示します。これは媒介体の体内に存在する精霊が、変異体Xにとっての天敵であるからだと考えられます。よって変異体Xに寄生された人間と媒介体が長時間接触した場合、変異体Xによる精神汚染が急速に進むのです」
「俺の考察を付け加えてもいいかな。マルファン所長」
そう言って、青みがかった黒髪の青年が手を挙げる。くるんと飛び跳ねた毛先たちを揺らしながら、エンジーは底のない黒色の瞳を細めた。
「人間の脳には、感情を生み出す部分があるんだ。で、媒介体と接触した変異体Xは、その部分への刺激が活発になる。初期症状は好意の増幅。そしてそれは次第に憎悪と殺意へと変化していくんだ。ね、ミコトさん」
「ヒッ、いつの間に隣に……」
気付かない内に彼が私の真隣に立って肩に手を置いていた。彼は天使みたいな笑顔を浮かべていたが、しかし目に光が一切ないので不気味である。
「普通に接しているだけなのに無意味に好意を抱かれたことはある? 周りの皆が不思議と君に恋をしたことは? 愛されて愛されて仕方がなかったんじゃない? その正体はね、殺意の幼体だったんだ。皆は君を殺す準備のために愛していただけ。どう? ガッカリした?」
「私が最高に可愛くて素敵だから皆夢中になっちゃうんだと思ってた……」
「うーん。全然落ち込まないな。ミコトさんの中身はどうなってるんだろうね。いつか見てみたいな」
私は彼を檻から出すよう命じたことを若干後悔しつつ、更に言葉を付け加えた。
「変異体Xによる寄生の進行速度は、宿主の持つ魔力量に比例するわ。魔力を持たない人が私と居ても何ともないけれど、魔力を沢山持っている人だと精神に悪影響が出やすい。どのくらいの相関関係があるのかは今実験中よ」
ちなみに私が異世界からレイシアに召喚されてきたことや、何度も死を繰り返していることは既に共有してある。この前提を伝えておかなければ、これからの議論が円滑に進まないからだ。
「──四年後、か」
紙に書かれた数字を見て、誰かがぽつりと呟く。
その数字は、変異体Xが更なる変異を遂げ、寄生された者の症状が劇症化するまでのタイムリミットだ。
「この数字はどこから?」
「それに関しては完全に……何というか、私たちの経験則。見てきたから、としか言いようがないわ」
頭の中でレイシアもコクコクと頷く。
何百回と死を繰り返してきたレイシアも同じ意見だ。今から四年後、変異体Xに寄生された者たちは、魔力量の大小に関係なく一斉に狂化する。
これはほぼ未来予知のようなものだ。何せ実際にその光景を見てきたのだから。
けれど目に見える証拠がないので信用されないかもしれない、と危惧したのだが、皆思っていたよりもあっさりとその話を飲み込んだ。
「突然変異で生まれた生命体だ。これから更なる変異を遂げても全く不自然ではない」
「これだけの情報を短期間にたった一人で集めるのは不可能だぜ。死んで何度も同じ時間を繰り返してた、ってのは案外説得力がある。そうでもしなきゃここまで辿り着けないだろ」
「その変異はどうにか止められないの?」
「難しい、と思われます。変異体Xは魔力を喰らう。魔法による干渉はむしろ逆効果です。となると魔法に頼らない手段を講じるしかありませんが……」
「それであたしたちが呼ばれたってわけか。しかしまあ、目に見えないデカさの敵を相手にするのは初めてのことだ。未知数すぎてこのままじゃお手上げだぜ?」
「──そのことなんだけど」
そこで私は手を挙げた。
皆の視線が一気に私の元へと集まる。
「私に一つ考えがあるわ」
私は服の袖を捲り、自分の腕を見せた。
「精霊を使って変異体Xを死滅させる、というのはどうかしら」
私は自分の胸に手を当てた。
「媒介体である人間に変異体Xが寄生することは不可能よ。体内の微精霊が変異体Xを食い尽くすから。毒物が効かないのと同じ原理ね」
「だから他の人間の身体にも精霊をブチ込もうって? そんなことして平気なのか?」
すると、この中で唯一私と同じ媒介体──精霊術師のサイドが首を横に振る。
彼は紙に文字を書いて、それを皆に見せた。
『無理。普通の人間の身体に精霊は適合しない』
私は頷いた。
彼の言う通りだ。精霊を体内に巡らせる、というのは、媒介体の身体が常人とは違う造りをしているからこそ可能なことだ。この世界に存在しないものを媒介できる。故に私たちは媒介体と呼ばれているのであって、一般人に同じ芸当は不可能だ。
つまり普通の人間の肉体は精霊の負荷に耐え切れない。ウイルスを殺すために強い毒を使えば、確かにウイルスは死滅するけれど、そもそも宿主ごと死ぬ、というような話だ。
そこで、だ。
確かに精霊は普通の人間の肉体にとって毒となる。
それならば、毒とならない精霊を作ってしまえばいい。
「私の身体から微精霊を取り出して、それを改造、もしくは参考にして、人間には害のない“人工精霊”を作りましょう」
つまりは、この世界で初めてとなる“抗生物質”を作るのだ。
医療技術が発展していないこの世界においては、全くもって馴染みのないもの。
けれど治癒魔法では太刀打ちできない変異体Xを根絶するためには、この方法しかないだろうと思う。
「無害な、人工精霊を……」
「人の手で新たな精霊を生み出す?」
沈黙が流れる。
皆俯いて黙り込み、各々が私の意見を噛み砕き、飲み込み、頭の中で自分の知識と照らし合わせる。
そしてその中の一人が手を挙げ、言った。
「それ、数百年くらいかかるんじゃないか?」
──その通りだ、と思った。
分かっている。私は元々ただの女子高生なのだ。頭はそれなりに悪くないけれど、専門的な知識なんて持ち合わせていない。知っているのは日本の一般的な学校教育で習うことくらいだ。それでも科学の発展していない異世界においては十分に現代知識チートと呼べるものなのだろうが、しかしまだ足りない。
例えば、ゲノム編集、という技術がある。確かそれは、生物の持つ遺伝情報を書き換え、生物の性質を変化させる技術のことだ。
けれど私は、その具体的なやり方を知らない。そういう技術がある、ということを知っているだけで、何をどうすればいいのかなんて分からない。私が生物学者や研究者だったのならもっと上手く事を運べたのだろうけれど、現実はそう思い通りにはいかないものだ。
もしも一般人が万能細胞を一から作るとなったなら、完成までに一体どれほどの年月がかかることだろう。私たちがやろうとしていることは、それに近しい行いなのだ。
「四年後にはもう全部手遅れになっちゃうんだろう? なら現実的じゃないよ、それ」
もっともなことを、エンジーが言う。
私たちに与えられた猶予は、わずか四年なのだ。そんな短期間で人工精霊を一から作るなど、土台無理な話だ。
けれど私は、決して希望的観測に縋っているわけではない。この四年の間に奇跡が起きるはずだ、なんて甘いことを考えているわけじゃない。
ならどうするのか?
四年しか時間がないのなら、どうすればいい?
答えは、簡単だ。
「──時間切れになった時点で、私はその時までの全ての研究結果を記憶して、四年前に戻るわ」
四年が経過した時点で、巻き戻せばいい。
一人でも犠牲者が出た時点でループする。私はそう決めていた。
偉業を成すためには途方もない時間が必要だ。そして、私は途方もない時間を生きることができる。時間的制約を踏み倒せるのだから、不可能を可能に変えられるのだ。
すると金色の目を光らせて、ジンジャが「それはつまり」と呟いた。
「君は、何度も自ら命を絶ちながら、四年間を繰り返し続けるつもりなのか?」
私は肩を竦めた。そう直接的に言われると、あまりにハードでげんなりしてしまう。
「私とレイシアの記憶力頼りになってはしまうけど、そうすれば研究を引き継ぐことができるでしょう?」
「……」
「ちょっと、やめてよその目」
皆が私を異常なものを前にしたような目で見つめてくる。
自分でも、この選択がどんなに苦難に満ちたものなのかは分かっている。常軌を逸している、と思われるのも仕方がないだろう。
それでもやるしかない。私はもう覚悟を決めている。
「……結局、私はどれだけ長く生きたとしても、死んでしまえば過去に戻る。だとするなら、老いて記憶力が衰える前に研究結果を持ち越したいの。それに、四年後にきっと国は崩壊する。その後今みたいな環境で研究が続けられるとも思えないし」
これほどの人材と、潤沢な資金と、研究資源が揃った場所はそうないだろう。ならばこれからの四年間を繰り返し続けることこそが、現状打破への最短ルートなのではなかろうか。
それに、だ。
「自分に責任のない殺人を犯すだなんて、そんなのあんまりでしょう?」
私が死んだあとの世界がどうなるのかは分からない。
でももしその世界が「なかったことになる」のなら、それ以上の不幸は生まれないということになる。罪なき人に罪を負わせずに済むのだ。
「……そうじゃない場合があるってことも、勿論分かってる。私が死んだ後も、この世界は続いていくのかも。それなら私のやろうとしていることは、この世界を見捨てることと何ら変わりないのかもしれない」
私が死んだ後も、私とは無関係に世界が続いていくのなら。
私は取り返しのつかなくなった世界から一人だけ抜け出して、次の世界へと逃げ出していく薄情者になるのだろう。
どちらにせよ私は、今この時間を生きている人たちのことを救えない。
それは、決して目を背けてはいけない事実だ。
「この時間軸に生きている人たちを、救うことはできない。多分、これから先も」
何度も何度も何度も何度も、私は、私たちは、きっと救えなかった世界を手放し続ける。
だからこれは、途方もなく残酷なお願いだ。
「それでも、どうか。遥か先の、この世界のために、一緒に戦ってください」
ここではない未来の今のために、力を貸してほしい。
「どうか──お願いします」
私は深く頭を下げた。
しばしの間、重い沈黙が流れる。背中の上におもりが乗っかっているような、そんな気分になる。
するとジェーンが立ち上がり、私の顎をぐっと掴んだ。
彼女は私の目を覗き込み、そしてサメのように尖った歯を剥き出しにして笑う。
「こんなに愛らしいお嬢さんの頼みを断るヤツが居るとしたら、そいつはとんでもない甲斐性ナシだぜ」
「期限に縛られないというのなら願ってもない話だ。最も、だからと言って無意味に時間を浪費する愚か者は、ここには居ないと願いたいが」
「沢山死ぬなんてそんなの可哀想だから、なるべく早く終わらせてあげたいね。俺もいっぱい頑張るよ」
「記憶の容量にも限界があるだろう。覚えるべき事柄をできる限り最小限にまとめなければ」
『精霊についてなら、僕より詳しい人間は居ない』
「皆一気にワッと喋るわね……」
全員が全員の話を聞かず一斉に話し始めたので、誰が何を言っているのか全く分からなかった。
けれど皆思っていたよりも前向きで、意欲的であることだけは伝わってくる。ちょっと振り返ってみると、マルファン所長の目に涙が浮かんでいた。
「自分には関係のない未来のために何かできるって、何だかすごくワクワクするね」
エンジーは笑って言った。
その顔はどう見ても「生きたまま人間の皮を丸剥ぎにしてその悲鳴を集めて曲を作っている殺人鬼の笑顔」だったが、私は冷や汗をかきつつも頷いたのだった。




