第46話 本当の戦い
王城には、政務を行う大広間とは別に、限られた者しか立ち入ることの許されない王の私設書斎、所謂キャビネットがある。
私たちは王が一人になったタイミングを見計らって、キャビネットへと押し入った。他の貴族や衛兵らに、今この国に起きている事態を無暗に聞かせるのはまずいと考えたからだ。魔力を持つ者にのみ感染する病が蔓延っていると知れれば、未曽有のパニックが起こるだろう。無計画に混乱を招くわけにはいかない。
「これは、何のつもりだ」
王は静かな声で言った。
しかしそこには、突如現れた無礼な侵入者への怒りが込められている。
ダルトン・フォン・セルベルク。セルベルク王国の現国王であり、かつては税制改革や魔法技術の発展に貢献したことから「賢王」として称えられた人物だ。けれど王妃であるヨハンナが病に伏してからは、公の場に姿を現すことが少なくなっていた。
部屋に居るのは、ダルトン王を除けば三人。私とウォーレン、それからアイザックだ。セオドアは「知らないおじさんの前に立つとか絶対に吐く」と言ってついてこなかった。ウォーレンは王城が見慣れないのか落ち着かない様子で辺りを見回している。
「アイザック。それに、エルフェドールの娘か。……許可なく我が私室に立ち入るとは、何たる不敬か」
「……父上」
「申し開きがあるのなら今すぐに弁解せよ。さもなければ、謀反の咎により即刻貴様らの首を斬り捨てるぞ……!」
ダルトン王は声を張り上げ、衛兵を呼んだ。
しかし返ってくるのは静寂ばかりだ。外からの反応は一切ない。
それもそのはず、この部屋には魔法によって結界が張られているのだ。だから外には声が届かないし、部屋を出ることもできない。この結界はセオドアが作ったものである。彼は対人恐怖症で性格にも難があるが、仕事だけはできるのだ。
部屋に武器になりそうなものはない。王は丸腰だ。魔法を使うにしても、アイザックの方が速度も腕前も上。ダルトン王が私たちに危害を加えることはできない。勿論油断はせず、神経は研ぎ澄ませておくが。
私たちが本気で謀反を起こそうとしていることを悟ったのだろう。王は敵を見るような憎々しい視線を私たちに向けた。
「このような愚行、断じて許されるものではないぞ……!」
「愚行、ね。それはあなたに返ってくる言葉なんじゃないかしら?」
「何?」
「魔法生物の創造。そしてその研究により生み出された、人に害をなす変異体の隠蔽。地下研究所のマルファン所長から聞いたわ。全てはあなたの主導の下に行われたことだそうね」
「……知らぬ。そのような流言で余を貶めようと言うのか」
「──嘘つき」
眼鏡を外したウォーレンが、王を指さして言う。
これは最終確認だ。王は嘘をついている。彼は紛れもない黒幕だ。
王の瞼がひくりと痙攣した。
するとアイザックが一歩前に出て、「……父上」と呟く。
「もう、お止めになってください。調べればすぐに明らかになることです。このようなことをして、一体何のためになるというのですか」
「……黙れ」
「このままでは、この国は滅びの時を迎える! 罪のない民たちが無惨に命を奪われることとなる! それなのにどうして、父上は過ちを犯し続けるのですか!」
「黙れと言っておるだろうが!!」
ダルトン王は感情を剥き出しにして、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。彼は顔を覆い隠し、アイザックに掴みかかるような勢いで言う。
「あれは……あの研究は……! 我が妻を救える、唯一の望みなのだぞ……!!」
アイザックが瞠目する。
それはダルトン王が初めて発した、嘘偽りのない言葉だった。
「ヨハンナはっ、もう長くない……! 他ならぬお前たちのせいで、我が妻は魔力を失ったのだ……! そのせいで彼女は眠りについたまま、衰弱する一方だった……!」
──人に寄生し、宿主を覚醒状態へと導く魔法生物。
それは確かに兵器としても転用できる代物だ。覚醒した魔法士を安定して量産できれば、国は素晴らしい軍力を得ることができるだろう。
しかしながら、ダルトン王の目的はそこにはなかった。
彼はただ、妻の命を救いたかった。
魔力欠乏症により日を追うごとに弱っていく彼女を生かすために、魔力を増幅させる作用を持つ生物の研究を命じていたのだ。
確かにそれは彼にとって、妻を救う唯一の方法だったのかもしれない。魔力欠乏症には回復魔法など効かず、魔力の施しも受けられず、有効な薬も存在していない。そんな状況で彼女の病を治すには、禁忌に手を染めるしか残されていなかったのだろう。
「今研究が滞っては意味がないのだ! 彼女の命はあともって数年なのだぞ!? ここで全てが白紙に戻れば、我が妻は命を落とす!」
唾を飛ばして叫ぶ彼を、私は真正面から見据えた。
「その結果起きた事故で、多くの民が命を奪われることになっても? それにこのままでは結局、王妃も同じように死ぬわよ?」
「違う……! 違う、違う! この研究を続けさえすれば! 毒も必ず薬に変わる! その方法を見つけられるはずなのだ!」
「ならそれが見つからなかった時には!? 変異体の毒性を消すことが叶わず、何も知らない貴族たちが寄生を拡散し続けてしまった時には! 民も、あなたも、あなたが救いたかった王妃様も! 命を落とすことになるのよ!?」
「──我が妻を失うというのなら、結果は同じことだ!」
確かに、彼は心の底から妻を愛していたのかもしれない。
国と妻の命を天秤にかけて、迷いなく後者を選べるほどに。
彼にとっては、妻を救うことこそが全てだったのだ。たとえ国が滅びようが滅びまいが、妻を亡くすことになるのなら同じだった。
彼の愛はそれほどまでのものだった。
ふと、肌寒さを感じる。
私は身体を震わせ、二の腕を摩った。吐く息はいつの間にか白く染まり、吸い込んだ空気の冷たさに肺を刺される。
「……な、ぁっ」
ダルトン王は目を見開いた。
彼の身体が足元から凍り付いていく。徐々に氷に包まれた部分が広がっていくその様子は、まるで氷像になる呪いをかけられたかのようだった。
「何を、なにをするのだ……アイザックッ!!」
王は息子の名を叫んだ。
そんな彼を、アイザックは冬の湖畔のような青い瞳で見つめていた。冷気が彼の身体から迸り、雪のような銀色の髪が舞い上がる。
彼の目に浮かんでいるのは怒り、ではなかった。どちらかと言えば憐みや、諦念に近い感情だろうか。彼の瞳孔は揺れることも縮むこともなく、ただ真っ直ぐに自分の父親を見据えていた。
膨大な魔力による災害のような氷漬けは、久しぶりに見る彼のもっとも得意とする魔法だった。
「こうでもしないと、もうあなたは止まれないのでしょうから」
アイザックは掠れた声で呟いた。
王は凍結から逃れようと藻掻くが、しかしもう既に下半身が氷に呑まれ、ほとんど身動きが取れないようだった。
「きッ、貴様……ッ! 実の! 実の母を! 見殺しにするつもりなのかッ!!」
「──」
「貴様なんぞを産んだせいで、ヨハンナは病に伏したというのに! どこまで不孝を重ねれば気が済むのだ……!」
王はアイザックを罵った。
そこに、親が子に向ける愛情は見当たらない。彼はきっと、妻のことは一心に愛していたけれど、その妻が生んだ子を愛することはできなかったのだ。彼は一人の男ではあったが、一人の父にはなれなかった。
けれど、だからと言って、子が無条件に親を慕う気持ちが消えるわけではない。きっと、アイザックもそうだったのだ。狂気に呑み込まれた時、彼が発するのはいつも「自分だけを見てほしい」という言葉だった。あれだって確かに、彼の抱えていた本音の一つではあったのだろう。
しかしアイザックは、父親からの罵倒に顔を歪めることもなく、ただそっと眉を下げて言った。
「はい。──僕は、この国一番の、親不孝者になります」
「……っ、な」
「僕はずっと、誰かに認められたかった。あなたに、息子として見てもらいたかった。そのために何かを成し遂げたくて、でも僕より優秀な人なんていくらでも居るから、それも諦めて……。ただひたすらに、善良であることを演じてきました。僕にできることは、それくらいしかないからと」
そして、彼が叫ぶ。
「でも今、そんなことはどうだっていい!」
王に掴みかかるような勢いで、彼が言う。
「愛する一人のために、その他全てを犠牲にできる! それは確かに、人間としては称賛されるべきことなのかもしれません! 自分を産んでくれた人を、全てを切り捨てて救うことのできない僕よりも!」
「な、らっ」
「けれど! 愛する一人のために民を殺す者は、断じて王などとは呼べない!!」
ダルトン王は言葉を失った。
アイザックは、「父上」と言った。
「あなたは王でなく、ただの人間だったのです」
「……ぁ」
「ですから、もう終わりにしましょう。あなたに王冠を戴く資格はない。……その責務は、僕が継ぎます」
彼の足取りに迷いはなく、彼の言葉に後悔はない。
「僕より優れた人なんて、いくらでも居るだろう。でも、この覚悟だけは、誰にも劣らないものだと誓える」
「アイ、ザック」
「僕は──民のために命をかける王となりたい」
つまりアイザックという人間は、この国と、この国に生きる民たちを愛していたのだ。
劣等感でできた蓋を開けてみれば、彼という箱の中には王としての資質が詰まっていた。この国で暮らす人々への愛と、その幸福を願うひたむきな献身精神が。
そんな自分の内面に、彼は今やっと向き合えたのだ。
すると私の頭の中で、薔薇色の頬を持つ金色の乙女が小さな手を小さく挙げた。
レイシアである。彼女は天に向かってカールした睫毛を蝶が翅を閉じるように揺らし、皺ひとつない宝石のような唇を丸く開いた。
(……あのね。ミコト)
「? どうしたの」
(あのね。わたしね。今言うべきかどうか、分からないんだけど……)
彼女は人差し指同士を突き合わせ、もじもじとこちらを伺っている。その姿は咲き始めの花のようにいじらしい。
彼女は少々緊張した様子で私を見上げ、祈るように両手の指を絡めて手を組み。
(あの王様のこと普通にすごく許せないから、もっと痛い目見てほしい……)
と、夢見る乙女のような顔をして言うのだった。
しかしそれも当然のことだ。ダルトン王の行いのために、レイシアは文字通り無限の苦痛を味わったのだ。彼の行動の裏にどんな事情があったとしても、彼女が受けた傷が癒えることはない。
それは私にとっても同じだ。私だって彼が引き起こしたパンデミックのせいで、どれほど苦汁を舐めさせられたことか。
「どうする? 身体の主導権を交替しましょうか?」
(ううん。ミコトがわたしの分もやり返して。ミコトのカッコいい所、いっぱい見たいから)
「そう? じゃあ遠慮なく」
私は袖を捲り、それからアイザックの肩を叩いた。
「アイザック。ちょっと止まって」
「? どうしたんだい?」
「そこで一旦凍らせるのを止めて頂戴。そうそう、顔だけ凍らせないままにして」
アイザックは首を傾げながらも、私の言う通りに魔法を止めた。
私は腕を真上に伸ばし、指を広げて、閉じて、それを繰り返す。そしてグッと拳を握りしめ、「ミコト、殴ります!」と大きな声で宣言した。
ウォーレンは驚いた様子で「えっ殴るの!?」と言ったが、すぐに「いや全然いいか、むしろ当然の権利だわな」と納得して頷いていた。アイザックも目を丸くしていたが、それから「顔……だけでいいの、かな? 他の部位も解凍しようかい?」と魚市場の人みたいなことを言った。
「ま、待て、何をするっ」
「とりあえず、今は一発でいいかしら?」
(うん。これから先、他にもやり返す機会はあるだろうし)
「なら強めのヤツをお見舞いしておくわね」
「まッ、待つのだ、余に、余に近づくなっ」
「舌噛むと死ぬわよ」
私は王の顔面に強めのストレートを食らわせた。
魔力操作に精霊の加護を合わせた、とっておきの一撃だ。王は「おゴっ」と潰れた悲鳴を上げ、気を失った。折れた前歯が床の上を転がっていく。
その光景を前に、レイシアは清々しい笑みを浮かべていた。彼女はもう何百回と死を繰り返しているので、バイオレンスに耐性がつきすぎてしまっているのだ。まあ私たちにとってこの男は何度も命を奪ってきた凶悪犯そのものなので、これくらいは当然の権利だろう。
失神した王をアイザックは揺らぎのない瞳で見つめ、そして完全に氷漬けにした。その視線に実の親への情がないわけではなかったが、それは彼の覚悟を鈍らせる理由にはならないようだった。
「まずは、兄に連絡を取るよ」
アイザックは目を閉じ、こめかみを押さえながら言った。
「エドガー兄さんは隣国に居るから、まだ変異体の影響下には居ないと思う。それは不幸中の幸いだ。とにかく今すぐに我が国の現状を連絡する。僕の『共感覚』を使えば、どれだけ離れていても意思疎通が可能だ」
「ダルトン王はどうするの?」
「氷の中で眠らせたまま、王城に幽閉するつもりだ。国内外には、急病のために政務の継続が難しくなったと知らせるよ。内政の指揮は僕が取る。兄さんには隣国含めた周辺諸国で後ろ盾を作ってもらう。無茶振りだけど……まああの人ならできるだろ。兄さんだし」
彼はよどみなくこれからの計画を話した。私はその横顔を見て、覚悟を決めると人間の顔つきはこんなにも変わるものなのか、と思う。これまでの彼は優しく柔和な顔をしていたが、今の彼はちょっとやそっと押しても倒れないだろうと思わせる覇気を纏っていた。それはきっと、王の風格と呼ぶべきものなのだろう。
アイザックは長く息を吐き続け、それから私の方へと身体を向けた。そして直角に腰を折り、銀髪を床に向けて垂らす。
「言うのが遅れてすまなかった」
彼が顔を上げる。
「レイシア・エルフェドール。そして、マユズミ・ミコト。君たちには我が父の起こした愚挙のために、大変な迷惑をかけてしまった。君たちもまた、守られるべき民の一人だというのに。本当に、本当に申し訳ない……!」
そうして彼は、私たちに向けて手を差し出した。
「……君たちには、償っても償い切れない。だが、それでも僕は、君たちに頼みたい。頼まねばならない!」
彼が言う。
「この国を救うため、どうか力を貸してほしい……!」
私は彼の手をパチン、と音が鳴るほど強く掴んだ。
「当然よ」
(うん。勿論)
私とレイシアは同時に言った。
いよいよ始まるのだ。この国を救うための、私たちの本当の戦いが。




