第45話 変異体
「っ、な、……なんの、ことで、しょうか」
褐色髪の男──地下研究所の所長であるマルファンが、肘を摩りながら答える。
その額には多量の脂汗が浮かんでいて、浮かべている笑顔も口角にテープを貼って作っているみたいにぎこちないものだった。
誰が見ても、彼が隠し事をしていることは明らかだ。しかし一応、私はウォーレンに視線を向け、真偽の確認をしておく。ウォーレンは顔の前で指を交差させ、小さくバツを作った。やはりマルファンは嘘をついている、ということだ。
白を切る彼を見つめながら、私はかつてのループで経験したことを思い返した。
「あなたには身に覚えのないことでしょうけど。私が媒介体という体質であることが明らかになった時、あなたは研究所の中でも特にそのことに強い関心を寄せていたわ」
「っ、……は、ぁ?」
意味が分からない、という顔で、マルファンが私を凝視する。
それは確か、前回のループの序盤のことだった。
媒介体であるということが判明したのち、彼は私に研究に協力してくれるよう熱心に頼み込んできたわけだが。
「あの時は、ただ私の体質が珍しいから興味を持っているのだと思っていたのだけど……本当は、蔓延してしまった魔法生物への対処法を見つけたかったのね」
「な、何を……。媒介体? それは、まさか……。いや……」
マルファンははっとした様子で俯き、しかし首を横に振る。
彼の心の中には並々ならぬ葛藤が満ちているのだろう。
私は懐から魔銅鏡を取り出し、それをマルファンの前で開く。鏡の中にはアイザックが映っていて、マルファンは椅子を後ろに倒すような勢いで立ち上がった。
「ッ、あ、アイザック、殿下っ……」
『──やあ、マルファン。久しぶりだね』
「お、お久しゅう、ございます……」
マルファンの顔から更に汗が滴り落ちる。公爵令嬢と王子に挟まれては、顔色が悪くなるのも致し方ないことなのかもしれないが。
『僕があなたに伝えたいことも、彼女と同じだ。どうか、真実を打ち明けてほしい』
「い、いえ、私は……」
『……言えない理由は、我が父にあるのかい?』
ビクリ、とマルファンの肩が震える。
彼の青い唇が動く。その隙間から、「そん、な、」と掠れた声が漏れる。
アイザックは眉を下げた。そうして彼はどこか落胆したような、それでいて納得したような表情を浮かべた。
『父上に、何か言われているのかな。例えば──真実を誰かに漏らせば、あなたの家族が無事ではいられない、だとか』
「ッ!」
マルファンの息が荒くなる。彼はこめかみに銃を突きつけられているような顔をしていた。
アイザックは、『ああ、そうか』と呟いた。
そして彼は目を伏せ、強く拳を握りしめた。それから目を見開き、迷いのない声で言う。
『僕は、この国の王子だ。いずれこの国を統べる、その可能性を持っている。つまりは権力を持つ人間だ』
「っ」
『だから、我が父が何を言おうが……あなたのことも、あなたの家族も、必ず僕が守る』
「っ、ぁ」
『いや、違う。──僕は、この国の民全てを守りたい。そうだ。守りたいんだ、この国を……!』
彼は、『だから!』と叫んだ。
『このままでは、何の罪もない民が大勢死ぬのだろう!? あなたはそれを知っていて、その原因が何かも分かっている!』
「ッ……!」
『僕たちは、いずれ起こり得るその悲劇を防ぎたい! そのためには、あなたたちの協力が必要だ!』
「ッ、ぁ、ぁ……!」
『だから、だから──お願いします』
鏡の中、アイザックが頭を下げる。
『僕たちに、この国を救わせてください。あなたたちを、民を、守るために』
マルファンの目から涙が流れる。
彼はまるで魂を抜かれたように椅子に座り、そして自身の顔を両手で覆った。
「……研究所の、職員たちは。何も、知らない」
自らの罪を懺悔するかのように、彼は少しずつ語り始めた。
「真実を知っているのは、一部の上役だけだ。……私たちは、国王からの命令によって、とある魔法生物の研究を行っていた」
彼の指先はかたかたと震えていた。
「人と共生し、そしてその人間の魔力を増幅させる性質を持つ、そんな生物を探していたんだ。その目的が何かは、知らない。もしかしたら、この研究を兵器として使うつもりなのだろうかと、考えたこともあったが。王からの命令に、逆らうことなどできなかった」
彼は語った。
研究所では秘密裏に、魔法生物の創造を行っていたのだと。
それは、この世界では禁忌とされている行為である。けれどこの地下研究所ではそんな研究が行われていて、しかしほとんどの研究員はそれを知らず、ただ利用されていただけだったのだと。
「──そうして、研究していた生物に変異が起こった」
それは、突然のことだったのだと言う。
「それは、偶発的に生まれた変異体だった。本来では有り得ないほど増殖力が高く、そして宿主への強い攻撃性を持っていた……」
その生物を、魔力を多く持つ特殊なネズミに寄生させた所、宿主となったネズミは高い魔力を得る代わりに激しく凶暴化したのだと。
そしてその凶暴化は、他の魔力を持つ生物たちにも広がっていったのだと。
「私は、酷く恐怖した。もしやこの変異体は、同じ空間内に居るだけで、他の生物にも寄生できるのではないかと。それならば、既にこの研究所内は……いや、研究所外にまで、変異体の寄生は広まっているのではないかと」
マルファンは、強く唇を噛みしめた。
「私は、王に伝えた。今すぐに研究を取り止めて、何としてでもこの変異体に対処せねばならないと。まだ寄生の及んでいない魔力持ちを隔離し、これ以上の侵食を防がねば、と……」
マルファンは、全ての責任を取る覚悟だった。
禁忌の研究に携わっていたとして、重い罪に問われ、裁かれるかもしれない。けれどこの状況を隠蔽し、被害を広げる方がずっと恐ろしかったのだ。
「けれど、王は。……王は、“研究を止めることは許さない”と、そう仰った」
王は言った。
事実を明らかにすることを禁じると。
そんなことをすれば、魔法生物の研究が滞る。それどころか、この違法な行為が王の命により行われたものだと知られれば、王の権威は失墜し、この地下研究所も失われるだろう、と。
「だから、この真実が広まらないように、ごく少数の者で対処に当たれ、と。でも、そんなのは、到底無理な話だ……!」
本来ならば、国中の才ある研究者を集め、潤沢な資材を用いて対策を講じなければいけないはずだったのだ。
けれどそれを許されず、マルファンは口止めのために家族を人質に取られた。
「事実を口外すれば、私の妻と娘を罪に問い、処刑すると、そう言われた……! だから、わ、私は、私は……!」
酷く悍ましい行為に加担してしまった。だがそれを表沙汰にすることもできず、ひた隠しにせねばならない。
その罪の意識にずっと苛まれていたのだろう。彼はしゃくりあげながら自らの罪を告白し、そうしてその場で膝を折った。
彼はいわば、悲劇を招いた元凶の一人だ。けれど同時に被害者でもあり、だから私は彼を責める気にはならなかった。
「ほッ、本当にッ。申し訳っ、ないっ、ことをッ。あ、謝って、済むようなことではッ、ないとっ、分かっては、いるのっ、ですがッ」
「……そうね」
私は身を屈め、「あなたが頭を下げても、何の解決にもならないわ」と言った。
「お、おっしゃる、とおり、で」
「だから、もっと生産的なことをしましょう」
「……ぇ?」
私は彼と目を合わせた。
「あなたが優秀な研究者であることは知っているわ。私たちは今ね、優れた人材を喉から手が出るほど求めているの」
「っ、は」
「何とかして対処法を見つけなければならない。そのために、国内外問わず実力のある研究者を片っ端から集めている最中なの。できれば魔力を持っていない者が望ましいけれど、あなたくらい優秀なら魔力持ちでも余儀なく参加してもらうしかないわね」
「っ、ぁ、な」
「魔法生物に関してあなた以上に知識を蓄えている人間は居ないでしょう? それならあなたが指揮を取りなさい。有能な人材には癖がつきものよ。それをまとめるのは骨が折れるでしょうね」
「……わ、私、を」
「?」
「私を、裁かない、のです、か。許されないことを、した、私を。保身のために、王に従うことしかできなかった、私を……」
「それを決めるのは私じゃない。私にとって大事なのは、これから起こる悲劇を止めることだけ。あなたはそのために必要よ」
私は腰を上げ、彼の前で腕を組む。
「立ち上がりなさい。泣いている暇なんてないわ」
「っ、ぁ、あ……!」
「罪滅ぼしなんて、これからいくらでもできるんだから」
笑ってそう言うと、マルファンは最後にもう一度ぼろりと涙を落として、それから立ち上がり、深く頭を下げた。




