第42話 因縁
王都の大市場は、肌が焼けるほどの活気に満ちている。
色彩豊かな天幕を掲げた露店が所狭しと並んでいて、肉の焼ける匂いやスパイスの香りが辺り一面に立ち込めていた。
広場の中心には巨大な石造りの噴水がある。
その前には、思わず幻かと疑ってしまうほどに美しい少女が腕を組んで立っている。
「私をデートに誘うなんて、中々に気が利くじゃない。ええ、褒めてあげる。褒めてあげるわ」
白いワンピースに身を包んだ彼女は、「満更でもない」と言わんばかりに景気よく頬を赤らめて胸を張っていた。
この世界で金色の髪は珍しくない。が、彼女のそれは、まるで太陽の寵愛を受けているように一際光り輝いている。そのため周囲の視線は、天からの遣いのような彼女へと一直線に向かっていた。
レイシア・エルフェドール──の身体に入ったマユズミ・ミコトは、そんな熱視線を難なく受け流し、ウォーレンの右腕へ木登りするように抱き着いた。
普通、これだけの美少女の身体に入ってしまったら、無遠慮に向けられる注目に耐え切れず俯いてしまうものだろう。
しかしミコトは一切臆することなく、それが当然であると言わんばかりの堂に入った振る舞いを見せている。レイシアとして生きることに慣れ切っているのかもしれないし、もしかすると転生前から似たような環境に置かれていたのかもしれない。
そんなことを考えていると、上の空であったことがバレてしまったのだろう、ミコトに腕をグイグイと引っ張られた。
「ねえ。ウォーレン。聞いてるの?」
「……あ。ごめん」
「全く、浮かれるのも程々になさい。それに折角おしゃれして来たのだから、褒めの一つくらい欲しいものだわ」
「え、えと……かわいい。いつもの制服もいいけど、私服もすげー似合ってる」
「──」
「ど、どういう顔?」
彼女に促されるまま、思った通りのことを口にすると、何故か彼女は照れながら眉間に皺を寄せるという奇怪な反応を見せた。これは「褒められるのは嬉しいが、それはそうとこの容姿はレイシアのものなのでちょっとムッとする」という乙女心であったが、そんな宇宙の成り立ちより難解なものをウォーレンが理解できるわけがなかった。
「……ま、まあいいわ。及第点ね」
ミコトは咳払いをして、街に並ぶ露店の列を指さした。
「今日は四半期に一度の大市祭の日よ。西方の砂漠を越えてきたキャラバンや北方の極寒地から馬車を走らせてきた商使たちが、自国の自慢の品を売っているの」
買い物が好きなのか、彼女はきらきらと目を輝かせている。
確かにここには独特の織物や工芸品など、普段は手に入らないようなものが多く並んでいる。公爵家令嬢たる彼女の財力にかかれば、目についた品を片っ端から買い込むことも可能だろう。
「さあ! 何でも好きなものを買うといいわ! 財布は私に任せなさい!」
「いや待て待て待て!」
「?」
そうして大きく腕を広げたミコトを、ウォーレンは慌てて制止した。
「何かしら、ウォーレン」
「オレが暇なら街に遊びに行こうって誘ったんだぜ!? なのにオレが奢られるとか格好つかねえだろ!」
「なに、そんな小さなことを気にしているの? いい、ウォーレン。私は好きなことにお金を使うのが趣味なの。つまりは今、あなたに物凄く色んなものを買ってあげたい!」
と、ミコトが胸を張って堂々と宣言する。
「ほら、見て。この青染めの絹布なんて、あなたの瞳の色と同じでよく似合うと思わない? うちのお抱えの針子に頼んで、あなた用の外套を仕立ててもらいましょう」
西方の上質な布を抱き上げた彼女は、ご機嫌な様子で口の端を可憐に上げた。
「こっちのドラゴンの牙から作られた装飾品も素敵だわ。日の光を当てると淡く緑色に光るのよ。きっとあなたの輝きを引き立てることね」
彼女は頬を桜色に染め、繊細な装飾の施された指輪を摘まみ上げる。ウォーレンはその前に立てかけられていた値札を見て、あまりの桁の多さにその場でひっくり返ってしまった。
「それからこっちのものも──」
「ミコトちゃんってば!」
ウォーレンは彼女の服の袖を掴んだ。ミコトは「もう、何?」と言って、聞き分けのない子供を見るような目をウォーレンへ向ける。
ウォーレンは自分のこめかみに爪を立て、下唇を強く噛んでから言った。
「あんさ。そういうのはナシにしようぜ」
「そういうの?」
ミコトは全く要領を得ない、とでも言いたげに瞬きをする。
ウォーレンは両手の人差し指同士をくっつけて、彼女の顔を見つめた。
「だってさ。そんなに沢山高ぇもん貰っても、オレちっとも返せねーよ」
「だから言ってるじゃない。お返しなんて望んでないわ。これはただ私がやりたくてやってるだけ」
「その気持ちは、有難いんだけどさ……」
どう伝えれば、彼女のその純粋な好意を引っ込めてもらえるのだろう。ウォーレンは頭を悩ませ、首を捻り、眉間の皺を親指で押さえた。
「……対等じゃねーじゃん、そういうのは」
「む」
「や、はなからオレとミコトちゃんは同じ土俵には立ってねーけどさ? それにしたって、こうやって一方的に施される、みたいなのは、何か違う気ィするんだ」
「むむ……」
別に彼女が同情で動いているわけじゃないことは知っている。
これは彼女なりの、純度百の愛情表現なのだろう。
だがしかし、一方的に尽くされるのはどうしても性に合わないのだ。
これまで生きてきて「与えられる側」に立ったことなど一度もなかったから、献身されるとどんなふうに目を合わせればいいのか分からなくなる。彼女の顔をまともに見られなくなる。
そう伝えると、彼女は拗ねたように唇を尖らせて、でも納得した様子でため息をついた。
「……そうね。私とあなたじゃ、多分金銭感覚が大きく違うもの」
「そだね」
「価値観の違いを失念していたわ。私にとっては軽い気持ちでも、あなたにとってはそれが苦しい重荷になるのね。学習したわ」
ミコトは自身の丸い頬を両手で軽く叩き、それから踵を浮かせてウォーレンの顔を見上げた。
「でもこの指輪はもう買ったから、あなたにあげる。私の指には大きすぎて合わないし」
「……いいの?」
「ええ。これは施しじゃなくて贈り物。それを見る度私のことを思い出してほしいという、可愛い打算よ」
彼女は片目を瞑りつつ、ウォーレンの指にその飾りを付けた。
ウォーレンはそのきらきらとした石を光に透かし、ただじっと見つめる。「ほら、やっぱり似合ってる」と隣から言われ、どういう表情を作るべきか分からなくなった。なんだか胸がちくちくとむず痒い。
「あ、ああ。じゃあ」
そんな奇妙な感覚を追い払うために、ウォーレンは右手を挙げながら言った。
その視線の先には、ミコトが立ち止まっていた所よりもかなりお手頃な、庶民向けの品を集めた露店がある。
ウォーレンは自分の財布の中身を彼女に見えない所で確認してから、その店の中で一番彼女に似合うと思ったものを手に取った。
「これください」
と店主に言って、その黒いリボンを買う。
そしてミコトにそれを渡した。
ウォーレンは頬を掻いて、「あー、その」と視線を揺らしながら言う。
「あんまりさ、高いものはあげられなくて、申し訳ないんだけど……。ささやかながら、オレからのお返し、デス」
「……私に、くれるの?」
「め、いわくだったら、全然。オレに突き返してくれて、いいんだけど」
「……ぁ」
「ミコトちゃん?」
彼女はそのリボンを見つめ、そしてくしゃり、と顔を歪めた。その反応にウォーレンはぎょっとする。自分は何か間違ったことをしてしまっただろうか、という焦燥が胸に広がる。
「──違うの」
けれど彼女は首を横に振り、下唇を噛みしめた。
「違うのよ」
彼女は俯いたまま、長い金髪を一つにまとめ、黒いリボンで結ぶ。
それから彼女は顔を上げ、胸の辺りをぎゅっと押さえた。
その髪型は彼女によく似合っている。似合い過ぎて恐ろしいくらいだ。何故だか少し懐かしい気分になるほどに。
「迷惑だなんて、思うわけがない」
「……そう?」
「ええ。とても嬉しかった。ありがとう」
「そ、っか。それなら、うん。良かった」
「──ねえ」
「?」
「私、世界一かわいい?」
彼女が真剣な表情を浮かべて尋ねてくる。誰でも頷くような簡単な質問を、一世一代の告白のように。
ウォーレンが首を縦に振ると、彼女は夏のお日様みたいに笑った。それから堪え切れなかったように眉間に皺を寄せ、顔の上半分を腕で隠す。
「っ、泣、」
「泣いてないわ!!」
「すげぇ勢いで否定すんじゃん……」
「これは、あれよ! 目にすごく大きいゴミが入ったの! もうね、岩みたいなのが!」
「そ、そう……?」
「す、少し時間をおけば、治ると思うわ。だからあなたは……そう! あそこにあるお店で飲み物を買ってきてちょうだい!」
彼女は右腕で目元を覆いながら、少し離れた場所にある店の看板を指さした。
ここから見てもかなりの列が形成されていると分かる。客の手に渡されているあれは、最近この国で流行っている、爽やかなジュースの上にミルクで作った氷菓をのせた飲み物だろう。
ミコトは顔を隠しながら、人差し指を立てて「いい?」と言う。
「当然、あなたが買ってくるべきなのは恋人用よ。ハートのストローが刺さったものだから、間違えないように!」
「あ……ウン……」
そんな浮かれた注文を一旦聞き流し、ウォーレンは彼女に頼まれるがまま列へと並んだ。
そして長いため息をつく。身体の奥底から、どっと疲労のような何かが押し寄せてくる。けれどそれは決して不快ではないもので、せわしなく心臓をつついてくる針のような形をしていた。
彼女はこんな自分と居て、ちゃんと街歩きを楽しめているのだろうか。気の利いた言葉一つもかけられないし、さっきなんかは泣かせそうになってしまった。というか泣いていた。
どういう行動をすれば、彼女がどう思うのか。それが全く分からない。……分かりたい、と思う。まずは、それが一番大切だろう。
彼女がこんな自分なんかに好意を寄せてくれる意味を、ちゃんと理解したい。
しばらく経って、ウォーレンは二人分の飲み物を買った。恋人用のものはあまりにも見た目が浮かれすぎていたため、心の中で彼女に謝りつつ注文を断念した。ウォーレンには難易度が高すぎたのだ。
そうして飲み物を受け取り、ミコトの元へと帰ろうとした時のことだった。
「──あ?」
不意に、低い声が聞こえた。
それにウォーレンは足を止めて、振り返ってしまった。
「……なんで、お前がここに居る?」
そう言ってウォーレンを指さしているのは、赤髪の、やたらと華美な服装に身を包んだ男だ。男の傍には身なりのいい女たちが張り付いていて、いかにもな貴族という感じである。
その顔には見覚えがあった。
ウォーレンは、自分の身体から血の気が引いていくのを感じた。足の先から血管を通じて冷気が広がっていくような、そんな心地だ。
何故ならその男は──かつて故郷でウォーレンに盗難の罪を着せた領主の息子、ロザール・フランギスであったのだから。
「お前、死んだはずじゃなかったのか?」
ロザールは不愉快そうに唇を曲げて言う。
もう既に死んでいる、と思われていたことに不思議はない。十歳の子供が一人で村を飛び出したのだ。どこかで餓死しているか、あるいは凍死や野犬に襲われて死んでいるのが普通である。ウォーレンが今生きているのは、ただ純粋に運が良かったからに他ならない。
自分に生きていてほしい、と願ってくれるような人はあそこには居なかったし、死んでくれていた方が何かと好都合だったのだろう。ウォーレンはそう結論付けながら、彼らから一歩距離を取る。あまり、この男の顔を長く見ていたくはない。
けれどそんなウォーレンを睨みつけながら、ロザールは大通り中に響くような大声で言った。
「なあ、おい。“大法螺吹きのクソウォーレン”だろ、お前。何でお前みたいなゴミクズが、こんな王都に居る?」
「……。生憎、オレにはそんな品のない蔑称を付けてくるような知り合いはいないもんで。人違いじゃないですか?」
「……身分を弁えないその減らず口は変わってないみたいだな。ああ?」
ウォーレンはたまらなく憂鬱な気分になった。
そっちの方こそどうして王都に居るんだ、と言ってやりたい。
まあ恐らくは、父親の仕事にでもついてきたのだろう。それで自分は女連れで遊興に繰り出した、という所だろうか。
自然と周囲の視線が集まってくる。ロザールと腕を組んだ女たちは、「なに~?」「こわ~い」と言って、ウォーレンを蔑んで笑っている。そんな彼女たちに向け、ロザールは浮いて見えるほど白い歯を見せて言った。
「この男はな。俺の領地で盗みを働き逃げ出した、ロクでもないクズの犯罪者だ!」
そんなことはやっていない。
と言っても、信じる者なんて誰も居ないのだろう。事実、今もロザールの追及を聞いた周囲の人間が、ウォーレンに冷え切った眼差しを向け始めている。身なりのいい貴族と平凡な見目をした平民ならば、どちらの言葉が信じられるかなんて火を見るよりも明らかだ。
逃げてしまえ、と頭の中で声がする。これは自分の心の声だ。どうせ弁明したって誰も聞いてくれないんだから、背を向けて走るしかないのだと頭の端の方が言う。
ロザールは「ちょうどいい」とでも言わんばかりに笑みを深め、ウォーレンの顔に指先を向けた。
「こんな盗人、放っておいたら王都の金品が盗られかねないぞ!」
「やだぁ。こわぁい」
「キモ~っ」
「大丈夫だ。安心してくれ、お前たち。今度こそ捕らえて、牢の中にぶち込んでやる!」
ロザールは「誰かー! 衛兵を呼んできてくれー! ここに盗人が居るぞー!」と叫んだ。
ウォーレンは、自分の周りだけ空気が薄くなっていくような感覚を覚えた。きっと捕まってしまったら、誰も自分の言い分なんて聞いてくれない。この男のことだ。衛兵に少しの金でも握らせて、ウォーレンの罪を捏造することだろう。
しばらく忘れていた、足元が勝手に崩れていく心地。
ミコトという少女と出会ってから、自分の人生が変わり始めたような気分でいたのだ。
彼女に浅ましい期待をしていた。このつまらなくて重苦しい不幸ばかりの人生を、一変させる魔法をかけてくれないかと。だから彼女に好意的に接されるのが怖かった。これ以上醜い期待の押し付けをしたくなかったから。
けれどそれも杞憂だ。だって、そんな都合のいいことが起きるわけがないのだから。
確かにウォーレンは村の金なんて盗んでいない。けれど糾弾された時に逃げてしまったのは事実だし、親の宝石ならかっぱらった。本当に身の潔白を証明したいなら、逃げずに立ち向かうべきだったのかもしれないのに。
嫌われたくないな、と思った。
あの少女に、自分の昔話を聞かれたくない。
逃げ出した過去なんて知られたくなかった。
「──何をしているの」
その瞬間に、声が聞こえた。




