第41話 恋愛相談
(……ねえ、ミコト)
「なぁに」
(ミコトは、あの眼鏡の人のどこが好きなの?)
自室のベッドに横たわりながら頭の中でレイシアと話していると、不意にそんなことを聞かれた。
彼女の眼差しは、甘酸っぱい恋バナに励む乙女というよりも、事件を調査する刑事のそれに近い。
私はベッドの上で寝返りを打って、唇に手の甲を当てた。
「好きな所……そうね」
私は彼の顔を思い浮かべる。
「……彼は、とにかく調子が軽くて、サボり癖があって、卑屈で、しつこくて……」
(……本当に好きなの?)
指折り彼の欠点を数えていると、レイシアが私に懐疑の目を向ける。私はそれに、笑って答えた。
「ええ。好きよ」
(……)
「そういうダメな所も、とても愛おしく思えるの」
彼を美化しているわけじゃない。
人間らしい欠点がいくつもあることは知っている。その上で、その全てを好ましいと思う。
「嘘が下手な所も。嫌われるのが怖くて、それなら初めから嫌われてた方がマシだなんて思う不器用な所も。料理が上手で、お人好しな所もね」
(……)
「それに、私を好きだって言ってくれる所も」
私と居ると不幸になるかもしれないと伝えても、それでも好きと言ってくれた。
そんな、所が……。
「……ぁ」
──でもそれは、かつての話。
私を好きだと言ってくれたウォーレンは、今はもう居ない。
勿論、この世界の彼のことだって好きだ。大切だ。大事に思っている。
でもやっぱり、私の心の一かけらは、確かにあの世界で生きて、あの世界で死んでいった彼が持って行ったのだと思う。
それは、もしかするとある種の「失恋」だったのかもしれない。
そして私は多分これからも、その失恋を星の数ほど積み上げていくのだろう。
(……そっか)
レイシアが目を伏せ、か細い息を吐く。
(そんなに、大事に思ってるんだね)
「ええ」
(……うん。そっか)
「──あッ。ちょ、ちょっと、もしかしてあなたも彼に惹かれてるというの? いや、人が人を好きになるのは自由だわ。でもその場合は、私も徹底的に戦う覚悟を決めるわけで。たとえあなたが金髪赤眼超絶美少女だからと言って、私は負けないわよ……!」
(全然そんなことにはならないから大丈夫)
レイシアは凄まじい速度で頭を左右に振った。
決死の覚悟で作ったファイティングポーズが空振りに終わる。拍子抜けである。
「ホントに? ホントのホントに? でも彼の魅力ってスルメ系っていうか。噛みしめる度にじわじわ広がっていくタイプというか」
(あ、うん。本当にそういうのじゃないから。むしろ──)
「むしろ?」
(……ううん、なんでもない)
「ちょ、ちょっと。何でそこを濁すのよ。気になるでしょ!」
一番続きが気になる所で話を切り上げたレイシアに、私は頭の中で猛抗議をした。むしろ、何だと言うんだ。
私は彼女に言葉の続きを要求したが、彼女は何だか少し寂しそうな顔をして首を横に振るだけだった。
諦めて私はため息をつき、それからふと思う。
「……あれ? そういえば、今のウォーレンって、私のこと好きなの?」
私は思い返してみた。
今回のループでのウォーレンは、前ループの彼と違って私への好意を滅多に口にしない。
滅多にというか、一度も口にしない。
彼が私に自分から近づいてきたのは、入学式当日のあの最初の一度きりだ。
それでも私は「今回の彼は随分とシャイなのね」と、心の底から前向きにとらえていたが。
「もしかして、今の彼って別に私のこと好きじゃない……!?」
と、今頃やっと気が付いた。
彼が私に好意を持ってくれている状況が当たり前すぎて、今回も当然同じ道を辿るのだと信じ込んでいたのだ。
何ということだろう。私の思いは一方通行だったのだ。
そういえば本当に初めの頃、私はウォーレンの距離感の近さに辟易していた。「好きでもない人にベタベタされるのは嫌いだ」と鬱陶しがっていた。それが今ブーメランの形を取って、自分の胸へ突き刺さっている。
「ど、どうしようレイシアっ……! 私、どうやったらウォーレンに好かれるのかしら!?」
私は顔を青くして脳内のレイシアに問いかけた。
すると彼女は少し間を置いてから、
(……ミコトなら大丈夫だよ。あなたはとても、魅力的だから)
と、完璧な笑顔を浮かべて答えた。
× × ×
ウォーレンは自室のベッドで寝息を立てていた。
学園寮の一室は、大貴族の子息たちからすれば些か質素なものなのだろうが、ウォーレンにとっては天国みたいに豪奢な部屋だ。雨風が凌げ、野犬に噛み殺される恐れもない。素晴らしき学生生活である。
さてしかしウォーレンは、そんな安眠をぶつ切りにして瞼を持ち上げた。
部屋の中に、何か空気の揺らぎのようなものを感じたからだ。それは風もないのにカーテンが揺れているような、そんな少し不気味な感覚だった。
だからぼんやりと目を開けた。
そしてウォーレンは叫んだ。
「ッ、うぉわあああ!」
本当にこの世のものなのか疑うほどに美しい少女が、じっ……と枕元に立って自分を見下ろしていたからだ。
白い肌も金色の髪も、暗闇の中で淡く発光しているようだった。むしろ、光の粒が寄り集まって女の形をしているようにも見えた。
あまりにも度を越えた美しさというものは、一周回って恐怖に等しくなるのだということを、その時ウォーレンは初めて知った。
「なッ、なに、何何」
「──」
彼女は何も言わず、ただ悍ましいくらいに美しい無表情でウォーレンを見つめていた。
腕利きの人形師が命を削って作り上げたような顔が、月の光に冷たく照らされている。
皆が寝静まった夜更け過ぎ、とんでもない美少女がこっそり自分の部屋に忍び込んでくる──と言えば男の夢想そのものに思えるが、しかしウォーレンの身体は猛獣と対峙した時のような寒気に襲われていた。
顔を青くして自分の身体に毛布を巻き付けていたウォーレンは、しばらく彼女と目を合わせ、それからふと気が付いた。
「……あ」
「──」
「あんた、もしかしてミコトちゃんじゃなくてレイシアちゃんか?」
すると彼女は絹のような睫毛を伏せ、桜色の唇を僅かに開いた。
「……そう。どうして分かったの?」
「雰囲気でなんとなく」
ウォーレンは正直に答えた。
どうやら彼女は、いつもウォーレンへ親しげに話しかけてくる少女──ではなく、その身体の持ち主であるレイシアその人らしい。
「つか、ミコトちゃんはどうしたんだ? なんかあったのか?」
「ううん。今は眠っているだけ。彼女が眠っている間、わたしはこうして自由に表へ出て来られる」
「そっか。なら良かった」
もしや彼女の身に何かの問題が起こり、意識を失って浮上できなくなったのではと思ったが、睡眠中は魂の主導権が交代するというだけの話らしい。それを聞いて、ウォーレンは胸を撫で下ろした。
しかし──別にミコトの話を疑っていたわけではないが、その身体の中にもう一つの魂が収まっているというのは真実らしい。
これまでは、ミコトがレイシアの声を聞き、その言葉を再現する、という形でレイシアと意思の疎通を図っていた。だがこうして直接レイシア本人と対面すると、その再現には大いにミコトの脚色、というか愛嬌が含まれていたのだと分かる。
本物のレイシアは、ミコトが再現したものよりも随分と淡白で、無機質で、硬質的だった。彼女は幼い少女のような容姿でありながら、長い間冷たい雨と風に晒され続け、感情の一切を削ぎ落とした老木のような雰囲気を纏っていた。太陽のような溌溂さが消え、その穴を近寄りがたい神秘が埋めているような印象だ。
姿形は同じなのに、魂が代わるとこうも別人に見えるのか。と、ウォーレンは内心で驚いた。
「それで、レイシアちゃんは何しに来たんだ? あ。もしかして夜這いか?」
「──」
「ごめんごめん違うに決まってるよな冗談冗談」
軽口を叩いた瞬間、心臓を一突きするような殺気が飛んできて、ウォーレンは慌てて正座の姿勢を作って謝った。「馬鹿なこと言わないで」と怒られるより、色のない真顔で見つめられた時の方が数百倍恐ろしいのだ。
レイシアは数拍置いて、殺気を身体の内に仕舞った。そして深く息を吐き、ウォーレンへと一歩近づく。
「……ミコトのことを聞きに来た、だけ」
「ミコトちゃんのこと?」
はて、彼女について何か答えられることがあっただろうか。ウォーレンはそう思って首を傾げる。
ウォーレンは彼女のことを詳しく知らない。確かに彼女の過去話は一通り聞かされた。けれど、それで知り得たのは彼女の表面的な部分だけだ。彼女がどういう性格をしていて、どんな思考回路を持っているのか、そこまでには理解が及んでいない。
だから的を得た答えは返せそうにない、と思っていたのだが、レイシアの質問は、ウォーレンが思っていた方向性とは異なっていた。
「──あなたは、ミコトのことをどう思っているの?」
と、彼女は言った。
ウォーレンは目を瞬かせた。
「どう……って。すげぇ、変わった子だなぁ、って思うけど」
「それだけ?」
「あ、明るい子だなぁ、とも」
「それだけ?」
「せ、精神的に、強い人だな~、って」
「それだけ?」
「すっ、素敵な方だと思います! とても!」
まるで圧迫面接を受けているようだった。
そうして捻り出した回答に一応は納得したのか、彼女はウォーレンに近づけていた顔を引き、深く頷いた。
「そうだね。わたしも、そう思う」
「う、うん……」
「──なのに、どうしてあなたはミコトから距離を取るの?」
彼女の巨大な目が、ぐりん、と音を立ててウォーレンの方へと向いた。
彼女が浮かべているのは全くの無表情である。にも関わらずウォーレンは、彼女に酷く鋭く睨まれているような気分になった。
「どうして、って……」
「あなたは彼女から意図的に距離を置いている。彼女の好意に困っているように見える。彼女が嫌いなわけじゃないでしょ?」
「そりゃ、まあ」
「なのに、何故?」
「……そっちこそ、なんでそんなことを聞きに?」
尋ねると、レイシアは少し間を置いてから、自分の胸に手を当てた。
「……わたしは、彼女に恩がある」
彼女は真剣な眼差しでウォーレンを見つめた。
「わたしは彼女を、本来なら無関係だったはずの悲劇に巻き込んだ。なのに彼女は、そんなわたしを恨むでもなく、助けたいと言ってくれた」
彼女は拳を硬く握りしめる。
「──嬉しかった」
「……」
「だから、わたしはミコトを幸せにしたい。ミコトの幸せのためなら何だってできる。それで、わたしのやったことが許されるだなんて思っていないけど──せめてもの、罪滅ぼしと恩返しをしたい」
彼女はそう言った。
それはまるで、恋をしている少女のような顔だった。
「ミコトは、あなたのことが好きだ」
「──」
「あなたは以前のループで、ミコトの心の支えになったと聞いた。それは、とても価値のあることなの。……加害者のわたしじゃ、あなたの代わりにはなれないから」
「……だからオレに、同じようにミコトちゃんを支えてほしいって?」
「この身体が本来はミコトのものではないから、という理由で遠慮しているのなら、気にしなくていい。わたしはミコトが望むなら、わたしの身体を完全に譲渡したいと思ってる。だから、彼女が望むならこの身体を抱いたっていい」
「ッ、げほっ。な、なッ……!」
ウォーレンは動揺のあまりむせ返った。
一体何を言い出すのだろうか。年頃の女の子がそんなことを男に言うものじゃない。
けれど彼女は至って真剣で、そこに冗談の色は一つもなかった。
「だから、何も問題はない。あなたが身を引く必要もない」
「いや、その……問題は、オレの気持ちの方にあるっていうか?」
「あなたの気持ちに?」
レイシアの目が一筋の糸のように細くなる。
ウォーレンは獅子に睨みつけられたような心地になりつつも、頭の後ろを掻きながら言った。
「あんさ。考えてみてほしいんだけど。すげー可愛くてタイプど真ん中の女の子がさ。何故か初対面の時から好感度マックスでオレに迫ってくるのってさ。……普通にめっちゃ怖くね?」
そう。普通にめっちゃ怖いのである。
そりゃあ、本や演劇の中の話ならいいだろう。ある日突然自分に思いを寄せる美少女が現れるなんて、夢のような展開だ。
けれど、これは現実の話だ。
だからこそ怖い。あまりにも自分に都合が良すぎて、まるで詐欺に遭っているような気分になる。
身に覚えのない好意に、どんな顔をして相対すればいいのか分からない。
「……確かに、今のあなたにとっては身に覚えのないことかもしれない」
レイシアが言う。
「けれど、ミコトにとっては違う。彼女があなたを好意的に思っているのは、これまでのループのあなたの言動があったからこそだ」
「……だとしてもだ」
ウォーレンは呟いた。
「今のオレは、あの子に好かれるようなことを何もしてない。あの子が好きなのは、オレじゃない」
「──」
「そもそも、オレなんかが本当にあの子の助けになってたのか? ……あの子の話を信じてないわけじゃねーよ。嘘ついてねーのは分かるし」
「──」
「でも、オレはクズの嘘つきだ。人に嫌われるようなことしかできねーロクデナシだぜ。そんなクソ野郎が、何をどうすればあの子にあんなに好かれることになるんだよ」
「──」
「あの子は、何か勘違いしてんじゃねえか? それか、その前のループとやらのオレに騙されて、丸め込まれてるとか」
彼女に裏表のない信頼を向けられる度、その不相応さに首を絞められる。
彼女が語る「前のループの自分」とやらが、自分自身だとは到底思えない。だって自分はそんな大層な人間ではないのだ。頭も悪く、大して強くもなく、人より秀でた所なんて何一つない。
そんな自分が、あんなに眩しい女の子の特別になんかなれるわけがない。
彼女は一体、誰のことを見ているのだろう。
ウォーレンがそうぼやくと、レイシアはため息をつき、「……聞いてた通りだね」と呟いた。
「あなたはとんでもなく卑屈で、臆病で、不器用だ」
「誰が言ったか知らねーが、そいつはオレのことをよく分かってるぜ。そーだよ。オレはそういう、どうしようもねえ野郎なんだ。ミコトちゃんも、早くそれに気づくべきだね」
「──。」
「な、何? その目。オレ変なこと言った?」
一刻も早く彼女の目を覚まし、現実を見せた方が良いと思ったが故の発言だったのだが、何故だかレイシアに「コイツは本当に……」とでも言いたげな眼差しを向けられてしまった。
「……ウォーレンくん」
「な、なに?」
「ミコトは本当に、あなたのことを大切に思ってる。そこに誤解とか、裏なんてない。彼女の態度は、彼女の気持ちそのもの。だから、どうか逃げないでほしい。──わたしに、こんなことをお願いする権利なんて、ないんだけど」
彼女は真っ直ぐにウォーレンの目を見た。
「ミコトを、よろしくね」
ウォーレンは困ってしまった。
そんなことを言われたって、自分にできることなんてない。彼女が自分に何を期待しているのかも分からないし、分かった所でそれに応えることもできないだろう。
けれどレイシアは、自分の中で一応の結論を出せたみたいに一人で頷いて、部屋の扉に手をのせた。こんな夜に男の部屋から出て行く所を誰かに見られてしまったら、彼女の評判に傷がつくのではないか。それとも彼女は、自分の気配を消す技術でも取得しているのだろうか。恐らくは、後者だろう。
「ああ。そうだ」
すると部屋の扉を開ける直前に、彼女はウォーレンの方へと振り返った。今更だが、彼女は随分と中性的な喋り方をするな、とウォーレンは思った。長い時間をかけて作った氷のように透明な雰囲気を纏っている。
「今度、ミコトのことを街へ遊びに誘って。きっと喜ぶ」
「えっ」
「わたしの意識は身体の奥へと引っ込めておくから、わたしのことは気にしなくていい」
「え、いや……」
「誘って」
「は、ハイ」
ウォーレンは慌てて首を縦に振った。頷かなければいけない、と本能が訴えかけてきたからだ。
レイシアは満足そうに目を眇めて、部屋の外へと軽い足取りで出て行った。
残されたウォーレンは、「どうすっかなあ……」と呟きながら、胡坐を掻いて首を捻る。
約束してしまった以上、どうするもこうするもなく、彼女を街へと誘うしかないのだが。
ミコトの期待を満たせるようなデートができるとも思えず、ウォーレンは不安と憂慮で胃を傷めたのだった。




