第40話 いつかの話
「というわけで、新しく私の仲間に加わったレイシア・エルフェドールよ」
(……)
「緊張しているのか終始無言だけど、おいおい打ち解けていきましょう。よろしくね」
私は手元の魔銅鏡に向けて微笑んだ。
その鏡の中には、ポカンとした様子で口を開けたまま固まるセオドアやアイザックの顔がある。
この魔銅鏡はセオドアが作ったもので、現代で言う所の「テレビ電話」みたいなものだ。この魔銅鏡を使えば離れた所に居る相手とも会話をすることができる。
魔力を持つ者が私の傍に長く居すぎると気が触れてしまうので、こうして距離を保ちつつ連絡を取っているのだ。ちなみにウォーレンだけは、魔銅鏡を使わせずに私の隣に配置している。魔銅鏡を使うと手を繋ぐことができないからだ。
私の頭の中に、何とも気まずそうに顔を背けるレイシアの姿が映る。レイシアの意識を呼び出し続けていることで、常に私の脳内に彼女の姿が浮かぶようになったのだ。テレビ番組のワイプ、をイメージしてもらうと分かりやすいだろうか。
「(……よ、よろ、しく)」
レイシアは深く俯きつつも、か細い声で確かにそう呟いた。
ちなみに彼女と周囲との会話を成立させるために、私は聞こえてきた彼女の声をシャドーイングのように即座に模倣して読み上げている。レイシアの声は私にしか聞こえないので、彼女の意思を伝えるにはこうする必要があるのだ。
他人の目には、私が突然二重人格を患ったようにしか見えないだろう。
魔銅鏡からは、重みのある沈黙が流れてくる。レイシアに何と声を掛けるべきか測りかねているのだろう。
そんな静けさを破ったのはウォーレンだった。
彼はきょとんとした様子で頭の後ろをぽりぽり掻きつつ、首を傾げながら言った。
「ええと、本物のレイシアちゃんがそこに居る……ってことで合ってるんだよな?」
「ええ。この身体の中で、ちゃんと目覚めているわ」
「……ミコトちゃんとも知り合ったばっかりだってのに、その中にまた別の人間が居るって言われても、全然ピンと来ねえな……」
それはそうだろう。今の彼からすれば、私ともレイシアともほぼ初対面なのだ。セオドアやアイザックが受けている衝撃と比べれば、彼のそれは何とも微妙であるに違いない。
するとレイシアは、ちらりとウォーレンを一瞥して、ちょっと気まずそうな顔で会釈をした。
「(あ……隣の席の、……眼鏡の人)」
「オレの印象うッす! えっ!? レイシアちゃんって何度も学園生活を繰り返してたんだよな!? なのにそんだけ!?」
「(……だって、ほとんど関わったことないし……)」
レイシアは自分の髪の束をつまみながら、友達の友達と二人きりになってしまった時のような目を彼に向ける。
(彼はいつも居眠りしてたし、話しかけられることもなかったから)
「そうなの?」
(うん。だから、彼がここに居るのが不思議。ミコトは、彼と仲が良いの?)
レイシアにそう尋ねられる。
私たちは記憶を共有しているわけじゃない。そんなことをすれば人格が混ざり合って自我が破損してしまう。だから私は彼女の歩んできた茨の道の色を知らないし、彼女もまた私が過ごした日々を知らない。
そんな彼女に、私は自分の積み上げてきたものを誇るように宣言した。
「ええ。だって私の好きな人だもの」
(え゙ッ)
するとレイシアは目を見開き、ぎょっとした様子で固まった。脳の大事な所が故障したような顔だった。
彼女は髪の端を弄りつつ、(へ、へえ……)や(あ、そう……)と言って、頬を引き攣らせている。
「? レイシア?」
(いやまあ、別にいいんだけど……そうなんだ……この人が……)
それはどこかいじけたような、拗ねた子供のような声色だった。私は首を傾げる。どうして彼女は少し面白くなさそうな顔をしているのだろうか。
そんな私たちの前で、ウォーレンは眼鏡のズレを直し、それから小さく右手を振る。
「なあ。何の話?」
「私があなたをとても好きという話よ」
私は彼の手のひらを両手で包み込むように握りしめた。彼はひっきりなしに汗をかいて、目を縦横無尽に泳がせる。照れているのだろうか。愛い男だ。
それにしても、である。
私はウォーレンの顔をじっと見つめた。彼は「な、なに?」と躓いたみたいな声で言う。
──レイシアには、悪い話だが。
私の記憶の中にあるウォーレンは、いつも初対面からグイグイと遠慮なく距離を詰めてきていた。けれどレイシアにとっては、彼は「ほとんど関わりのない相手」だという。
それはつまり、彼はこの容姿に惹かれていたのではなくて、本気で私という人間の本質に惚れていたということになる。
なるほど。なるほどなるほど。へえへえそうなの。一途なのは悪くない。うん。ちっとも悪くない。
「ウォーレン。私という人間の内面を重んじたこと、褒めて遣わすわ。褒美として、私の頭を撫でる権利を与えます。さあ、存分に私を愛でなさい」
「いや何のことか全然分かんねーし、レイシアちゃんが見てるのにそんなことしねーって」
「くっ……」
至極真っ当なことを言われてしまい、私は下唇を噛む羽目になった。今回のループのウォーレンは、妙に常識的な距離感を保ってくる。どうしてだ。
すると魔銅鏡の右半分に映ったアイザックが、長い睫毛を伏せながら言った。
『……レイシアが。僕の知っているレイシアが、そこに、居るんだね』
「突然立て続けにこんな話をされて、信じられないのも無理はないと思うわ」
『……いや。君から悪意は感じられないし、そもそもこんな複雑な嘘をつく理由がない。僕は君たちの話を信じるよ』
「……そう」
『だから、つまり……僕は。君たちに、なんてことを』
彼が両手で顔を覆う。その指の隙間から、彼は冬の雨のような声を零した。
『償っても、償い切れないことを、したんだろう。その罪を、僕は覚えておくことすらできていない』
彼にとっては、何一つ身に覚えのない話のはずだ。未来で彼がどんな凶行を起こしていたとしても、今の彼にその責任はない。
けれどそれを背負い込まずにはいられないのが、アイザックという人間だ。
彼は鏡に映らなくなるほど深く頭を下げた。
そうして『本当に、申し訳ないことをした』と、震えた声で彼は言う。
『覚えていないとは言え、やったことが消えるはずはない。たとえ未来のことと言えども、僕のしたことは、僕の罪だ。君たちの心が晴れるまで、どんな罰でも受けよう』
実の所、私は別に彼に対して恨みを抱いていない。アイザックに対しても、その他に私を殺した人たちに対しても。
そりゃあ、彼らが理不尽な悪意によって私を手にかけたというのなら相応の怒りを感じるだろうけれど、彼らもまた何かに操られていた被害者なのだ。だとしたら、私が怒りを向けるべき相手は、もっと別の所に居る。それを理解しているから、彼に対してむしろ同情心すら込み上げてくる。
しかし、レイシアはどうだろうか。
彼女は私よりもずっと多く悲劇を繰り返している。彼女が心に受けた傷は、私のそれよりもずっと深くて凄惨なはずだ。
彼女が本当は、誰よりも皆を愛していることは知っている。けれど、かと言って自分を殺した相手への恐怖と憎悪は、そう簡単になかったことにはできないだろう。
魔銅鏡を使った遠隔での対話を提案したのには、レイシアが直接彼らに会うことを避けるためという意味合いも含まれていた。レイシアにとって彼らは悪夢そのものなのだ。そんな彼らと目覚めてすぐに顔を合わせるというのは、彼女にとって酷だろうという配慮である。
「(……ミコトと違って、わたしには謝られる資格なんてない)」
けれど彼女は下を向き、静かに首を振って言った。
「(わたしだって、同じくらい酷いことをした。ううん。自分の意思でやった分、わたしの方がずっと悪い)」
……もしかして、私の話をしているのだろうか。私は別に気にしていないと言っているのに、本当に生真面目な娘だ。
するとアイザックは顎を弾かれたように顔を上げ、目を見開き、歯を食いしばる。もしかするとこの二人は、随分な似た者同士なのかもしれない。自責の念が強すぎる所などが、特に。
『そんな、ことは……』
「(……アイザックはわたしのこと、守らなきゃいけない妹みたいな女の子、だと思ってるんだろうけど、それって大間違い。わたしはね、もうあなたよりずっとずっとずっと長く生きてきたんだ)」
『……レイシア』
「(いつかの世界では、魔女なんて呼ばれてたこともあるんだよ)」
私の頭の中で、レイシアが少しだけ寂しそうに笑う。それは幼い顔つきには似合わない、悲しいほどに老成した笑い方だった。
「(だから、わたしには謝らないで。あなたに頭を下げられると、わたしの方が苦しくなる)」
『……そう、なんだ、ね』
アイザックは唇を震わせ、それ以上は何も言わなかった。二人の会話からは喉に引っかかるような苦みが滲んでいたが、そこに敵意はなかった。それだけでも、彼らにとっては十分だったのだろう。
次に口を開いたのはセオドアだった。
人の顔を見るのが苦手な彼らしく、ほとんど自分の身体を鏡に映さないようにして、セオドアは開口一番に『ごめん』と言った。
そんな彼に、レイシアは少し腹立たしげに、「(だから、謝らないでって)」と答える。
けれどセオドアは首を横に振り、彼女の制止を振り切って呟いた。
『いや。僕だけは、何があっても言わないといけない。だって、君を延々と続く苦痛の日々に閉じ込めたのは、紛れもなく僕なんだから』
「(……え?)」
『死ぬ度に時間を巻き戻す魔法。それを君にかけたのは、一番初めの世界の僕だ』
セオドアは独白した。
レイシアは頭を強く殴られたような顔をして、深紅の瞳を丸くする。
『きっと僕は、君を自分の手で殺しておいて、その事実に耐えられなくなったんだろう。だから君の魂を過去に送る術式を、君の身体に刻んだんだ』
(……)
『君を苦しめ続けた元凶の一つが、僕だ』
今にも消えてしまいそうな声で、セオドアはそう呟いた。
生きる意味とすら言い切るほどに大切に思っていた少女を、自分の手で永遠に等しいほど長い苦悶の日々に突き落としたのが自分だと理解して、彼は一体どれほどの後悔に苛まれたのだろう。それを彼女に告白するという行為にも、自分の首を掻き切るほどの勇気が必要だったはずだ。
私は柄にもなく不安な気分になって、レイシアの様子を伺った。彼女は一体、セオドアに対して何を思うのだろう。
するとレイシアは、不意に大人びた笑みを消して、そしてまっさらな表情を浮かべる。
「(……ひとつだけ、聞きたいことがあるの)」
私は彼女の声を追いかけるように復唱する。
彼女はセオドアに向けて、今にも泣きそうな声で言った。
「(あの時、わたしのこと、嫌いだった?)」
それは、今のセオドアには分かり得ないことだ。
彼女を殺し、彼女に祈りのような呪いをかけたセオドアと、今のセオドアは違う。きっとレイシアも、そんなことははなから理解しているだろう。
けれど彼女は、きっと彼の口から、その答えを聞きたかったのだ。
その疑念が、疑問が、呪いのような懐疑心が、ずっと彼女の心に雨を降らせていたから。
セオドアは、深い深い深呼吸のような間を置いてから、彼女の問いかけにこう答えた。
『──君は、きっと覚えてないだろうけど。僕は昔、君に救われたことがあるんだ』
彼は言う。
『一番苦しかった時、地獄みたいな日々の中で、僕は君に手を差し伸べられた。君にとっては当然の善意が、僕の人生を日の差す方へと引っ張ってくれたんだ』
彼は言う。
『だから──君のことを嫌いになんて、なるはずがないんだ』
彼は言い切った。
一切の淀みも迷いもなく、言葉を詰まらせることもなく、ただ自分の心の形をありのままになぞるように。
『僕は、君のことが好きだ。君に、幸せになってほしいと思う。僕の中にあるのは、ただそれだけだ。君が初めに会ったという僕も、絶対にそれは変わらない』
私は魔銅鏡ではなく、部屋の扉に視線を向けた。
少し前から気が付いていた。きっとセオドアが、その扉のすぐ後ろに立っているということに。
けれど彼は、部屋の中には入ってこなかった。私に、否、レイシアに直接会おうとはしなかった。
「──もしも君が許してくれるなら、いつか僕は、また君と会って話がしたい」
(……ぁ)
「今は無理でも……いつか」
いつか、きっと必ずその日は来る。
何たって私がついているのだ。そんな日を何としてでも掴み取ってみせる。掴み取るまで諦めない。
レイシアの白い頬に、透き通った雫が伝う。
私は小さく息を吐き出してから、細い腰に手を当て、背を曲げ、魔銅鏡を覗き込んだ。
「ねえ、セオドア」
「……な、何?」
「このループの魔法を解除する方法、どうにかして見つけてくれるわよね?」
私は可愛い顔をこてんと傾け、彼に無理難題を吹っかけた。
頭の中でレイシアが目を見開き、それがどれだけ難しいことなのか微塵も理解していないウォーレンは、「ほ?」という顔をして瞼を上下させている。
かつてセオドアは、この魔法を解くことは不可能に近いと言った。何せ、魔法をかけたセオドアは既に「存在しない」のだ。故にこのループの魔法は解けることのない呪いと化している。
この呪いがある限り、私もレイシアも死んでも死ねない。たとえどんなハッピーエンドを迎えても、いずれはまた初めからやり直しになる。
私一人ならそれでもいいかと思ったけれど、レイシアを無限の生から解放するためにも、ループの破棄は必要不可欠だろう。
だから、私はセオドアにこう告げた。
「──どれだけ時間がかかってもいいわ」
その一言だけで、彼は私の考えの一端を察したようだった。
そうして彼は身体が縮んでしまうのではないかと思うほどに深いため息をつき、「ああ、分かったよ!」と鋭い声で叫んだ。
「や、やってやるよ! た、多分、僕にしかできないし。レイシアのためだし……!」
「任せたわよ、なるべく早くに見つけなさい」
「か、簡単に言ってくれるなあ……!」
「あら? あなた天才でしょ?」
私はそう言って、口を押さえて笑った。




