第39話 マユズミ・ミコト
そりゃあもう見事なまでの金髪美少女である。
私は彼女の姿を遠慮なく上から下まで眺めて、「こりゃ周りの皆がデレデレするのも当然だわ」と思った。
レイシア・エルフェドール。私が長い間成り代わっていた少女だ。彼女は電車の中で立ち上がり、食い入るように私を見つめていた。見慣れているはずの顔なのに、こうして対面すると改めて見惚れてしまう。それほどまでに可憐な少女だった。
「さて、そろそろ降りましょうか」
「……ぁ、え?」
電車の扉が音を立てて開く。私は駅のホームに降り立ち、そこから車内の彼女に向けて手招きをした。彼女は狐につままれたような顔をして辺りを見回し、それから恐る恐るといった様子で電車を降りる。
私は思い切り伸びをしてから、自分の肩にかかった髪を払う。
「この場所はね、私が元の世界で暮らしていた所なの」
「……え?」
「ここは私の精神世界だから、私が一番馴染み深いと思っている場所が再現されているのかもね。ここでは私も元の姿に戻るみたいだし」
私は自分の髪の先端をつまんで見つめた。緩く波打った金髪ではなく、針金が入っているのかと思うほどのストレートの黒髪だ。電車の窓に映っていた容姿も、レイシアのものではなく“黛ミコト”のものだった。
懐かしい風景を見回しながら、私は目を細めて言う。
「折角だから、私のいつもの散歩道をあなたに案内するわ」
「……な」
「この辺り、よく妹と一緒に歩いていたのよ」
私はそう告げて、彼女の数歩前を歩き始めた。「ここのパン屋が美味しい」だとか、「春になるとこの道には桜が咲いて綺麗」だとか、そういう私の小さなお気に入りについてゆったりと話しながら。
レイシアからの返答はない。しかし時々後ろを振り返ると、彼女は口を閉じたまま私の後ろをついてきている。
彼女は時折顔を上げ、唇を噛みしめながら私をじっと見つめる。それは、私に何か言いたいことがあるのに、それを上手く言葉に出来ない、というような顔だった。
彼女が自然と口を開くまで、私はその緩やかな散歩を続けた。
「……どうして?」
しばらくの散策の後、彼女はやっと声を上げた。
誰も居ない公園のベンチに腰掛けた彼女の髪は、少しだけ温かい風に揺らされている。私は彼女の隣に拳一つ分だけ隙間を開けて座り、雲のない空を見上げた。
「どうして、わたしが目を覚ましているの?」
彼女の視線は不安定に揺れていた。
自分が置かれている状況を理解できていないからだろう。私は彼女に形ある納得を与えるべく、胸を反らしながら話し始めた。
「精霊術──いえ。呼び出しているのは精霊ではないのだから、召喚術と呼んだ方が良いわね。その召喚術を応用したの」
「召喚、術……」
「媒介体とは、異なる世界への接続と干渉を可能にするモノ。隔てた世界に存在するものを呼び寄せる体質のこと。私はそれに少し細工をして、この身体の奥に閉じ込められたあなたの“意識”を呼び出したの」
「──!」
彼女とて自分の体質には当然詳しいだろう。故に私の話を円滑に理解できるはずだ。
「通常、一つの身体を二つの魂が動かすことはできないわ。必ずどちらか片方は肉体の奥深くに閉じ込められる。そういう構造になっているの」
「……」
「だからあなたの魂を無理に起こすような無茶はしないで、あなたの意識だけを、私の精神世界に呼び出し続けているの。そうすれば、魂の摩耗が起こらずに済むのよ。そうね……この身体を二人で操縦するのは無理だから、私だけが主導権を握って、あなたの声だけを身体の奥から聞いている、という感じよ」
今は彼女との対話に集中するため、外界との接続を断っている。つまりここは夢の中のようなものだ。
するとレイシアはしばらく考え込んで、それからふと、口元を緩めた。
それは面白いから笑っているというよりも、納得のあまり心の奥から溢れ出た、という感じの笑みだった。
「──そっか」
レイシアは目を柔らかく細め、それからようやく、私へ真正面から向き合った。
「……あなた、復讐のために、わたしを呼び出したんだね」
そう呟く彼女の顔は、何故か少し安堵しているようでもあった。
それはきっと、自分なりに理解が済んだからだろう。訳の分からないものはそれだけで恐ろしいが、正体を暴いた瞬間に恐怖が霧散する。それと同じで、私の意図を理解できたと思ったから、途端に胸を撫で下ろしたのだ。
「恨まれて、当然だよね。だってわたし、それだけのことをあなたにしたんだもの」
彼女は緩やかに息をつく。
隠していた自分の罪が暴かれて、それでようやく心の底から落ち着けたみたいに。
「……謝っても遅いし、やったことは消えない。だから、代わりにわたしを好きにして」
彼女が私に向けて、祈るように両手を差し出す。
「痛めつけるでも、拷問するでも、何でもいい。あなたの気が済むまで、わたしに罰を与えて」
「……?」
「……何?」
「ねえ。何だか話が食い違ってないかしら?」
「え?」
「私、別にあなたのことを恨んじゃいないわよ?」
「……はっ?」
何を言われたのかよく聞き取れなかった、とでも言うように、レイシアは深紅の目を丸くする。
私は首を横に振り、腕を組んで言った。
「あなたに復讐するつもりなんてないし、その理由もないわ」
「……は、ぁっ?」
レイシアは華奢な声を上擦らせ、私に真っ白な指先を向ける。
「う、嘘。ウソよ!」と、彼女は瞼を震わせながら言った。
「だって、わたしがあなたに何をしたか、もう分かってるんでしょ!?」
彼女はまるで怒っているみたいに叫んだ。それは、自分の感情を制御する方法を忘れてしまったような様相だった。
「わたしは! あなたに自分の苦痛を押し付けたの! あなたを身代わりに! 犠牲にしたの!」
「──」
「何の罪もないあなたを、わたしの苦しみに巻き込んだ!」
金色の髪を指にひっかけ、頭を掻き毟りながら彼女は言う。
「それが何故か分かるッ!?」
レイシアは蹲り、それから私を見上げた。
彼女は歪な形の笑みを顔に貼り付ける。
「──あなたが、羨ましかったから!」
彼女はそう呟いた。
その赤い星のような瞳は、ありったけの憎悪と、今にも泣き出してしまうのではないかと思うほどの嫉妬に包まれている。
「……誰かのために命をかけられる、そんなあなたが妬ましかった。わたしもそうでありたかった。あなたみたいになりたかった」
「──」
「そんなくだらない理由で、わたしはあなたを地獄へ突き落としたの」
レイシアが、ぽつり、ぽつり、と自分の心情を吐露する。彼女のその声色は、自己嫌悪と自分への嘲笑で満ちていた。
「あなたを呼び出してから、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。でも、きっとあなたも長い苦痛を味わったはず」
それは……彼女の言う通りかもしれない。
私は私に責任のない殺意を何度も向けられた。過ごした時間はなかったことにされて、積み上げてきたものは音を立てて崩れていった。
「その全部が、わたしのせい。わたしの身勝手が、あなたを殺したんだ」
「──」
「だから、わたしを──」
そう呟く彼女の顔は、まるで怒られるのを待っている子供のようだった。彼女の望むままに、私が怒りの炎を燃やし、彼女に恨みをぶつけ、報いを受けろと罵れば、きっと彼女の心は安らかになるのだろう。彼女の抱えている罪の意識は報われる。
けれど私は、そんな言葉は吐いてやらない。
だって、そんなことは少しもしたくないからだ。
「もう一度言うわ。私は、あなたを恨んでなんかいない」
レイシアが、信じられないものを見たように目を見開く。彼女の唇が震え、その隙間から疑念と否定が飛び出そうとする。けれどそれよりも先に、私は彼女に向かって指を突きつけた。
「そもそも、あなたは嘘をついているわ!」
「っ、は、ぁっ?」
レイシアの顔が歪む。彼女は拳を硬く握りしめ、それを地面に叩きつけた。
「嘘、なんか!」
「いいえ! あなたは自分の心に嘘をついた! それも無自覚なままにね!」
「何、を……」
「あなたが私を選んだのは、私が妬ましかったからでも、羨ましかったからでもない!」
私は当然のように言い切った。
「──私に、助けてほしかったからよ!」
レイシアは愕然と、口を大きく開いた。
胸を張って断言した私を、彼女は点のような目で見つめて、それからすぐに目尻を吊り上げ、針のように鋭く睨みつける。
「……な、何が! あなたに、わたしの何が、分かるっていうの!」
「分からないわよそんなの」
「っ……、はぁッ?」
「あなたの気持ちなんて分からない。他人なんだから理解できない。当然でしょ、そんなこと」
「な、なっ……」
「その上で私は、あなたの気持ちを自分の都合のいいように解釈しているの」
そもそも、人の気持ちなんて一言で表せるものじゃないだろう。
「悲しい」と「嬉しい」が同時に湧き上がることだってあるし、正反対の感情が一気に襲い掛かってくることだってある。人間はいつだって矛盾を抱えて生きているのだ。
それなら、彼女が私に「助けてほしい」と思っていた可能性だって、少しも否定できないだろう。
「そうであってほしいな、って、私が思うの」
「──ぁ」
「だって、“身代わりにするために呼び出した”って言われるより、“助けてほしくて頼った”って言われた方が、ずっと頑張ろうって思えるでしょ?」
私は人に頼られるのが好きだ。期待されればその分やる気が出るし、困っている人がいたら助けたいと思う。
彼女の赤い瞳が陽炎のように揺れる。
私は腰に手を当て、彼女の前で胸を張った。
「勿論、これからはあなたにも死ぬ気で働いてもらうわ。文字通りの二人三脚、というやつね」
これも乗りかかった舟だ。
レイシアに身体を返して、私は一人で眠りにつく、ということもできるけれど、そんな薄情な真似はしない。最早私にとって、レイシアの悲劇は他人事ではないのだ。最後まで手を離さない覚悟はとっくにできている。
しかしレイシアは、首を大きく横に振って、「そんなことできない」と呟いた。
私は「諦めるにはまだ早い」と言おうとしたが、彼女の目を見てそれをやめる。
彼女の瞳が、止めどない恐怖で塗り潰されていると分かったからだ。
「む、無理よ。だってわたし、殺されたの。何度も、何度も!」
「──」
「皆のことが大嫌い。顔も見たくない。……し、死んじゃえって、何度も思った……!」
懺悔をするみたいに彼女が言う。
「も、もう、誰にも、会いたくない。会えないよ……!」
怖いものから自分を隠すように、レイシアはぎゅっと身体を丸めた。彼女の言いたいことは分かる。その気持ちは当然のものだ。自分を殺した相手を好きでいられるはずがない。憎んで当然だ。助けたい、だなんて思えるわけがないだろう。
でも、私は知っている。
「私、あなたの身体に入った時に、あなたの頭に残っていた記憶を見たの」
レイシアに転生した瞬間に見た記憶。あれはきっと、彼女の思い出の残滓だ。
私の魂が身体に入っても尚、消えなかったものがあった。
「それはどれも、綺麗な思い出ばかりだったわ」
恐らくレイシアは、途方もない時間を繰り返している。
その長い長い時間のほとんどが、彼女にとって苦しいものだったはずだ。けれど、それなら彼女の身体に入った瞬間、彼女が経験した苦痛の日々を見るのが普通だろう。
でも私が見た記憶は、死とも苦しみとも程遠いものだった。
それこそ私が「ここは穏やかなゲームの世界なのだろうか」と勘違いしてしまうほどに。
「それは、何故?」
「……ぁ」
「沢山辛いことがあったでしょうに、それでも楽しい記憶ばかりを残していたのは、どうして?」
私はレイシアに尋ねた。
彼女は自分の手のひらを見る。「わたし、わたしは……」と、自分自身に問いかける。
私は静かに彼女の答えを待った。
彼女はやがて、自分でも気づいていなかった自分の気持ちと向き合うように、呟いた。
「……綺麗なことだけ、覚えていたかったの」
「ええ」
「……皆のこと、好きだったの」
「ええ」
「ほんとに、本当に、大好きだったの」
「……ええ」
「だ、だから。これ以上、嫌いになりたくなかった。好きなままでいたかった。皆がわたしを殺すところなんて、見たくなかったの……!」
レイシアという少女は、何十、何百回と死を繰り返しても、それでもただの一度も殺された記憶を残しておけないような、そんな人間だったのだ。
「私も同じよ」
「……え?」
「私だって、この世界に好きな人ができた。守りたい人がいるの」
レイシアは目を瞬かせる。
私は照れ臭くなって、腕を後ろに回して笑った。
──彼女が私を呼び出したのは、この行き詰まりの地獄から連れ出してほしかったからなのではないか。
これ以上誰かを嫌いになる前に、救ってほしかったのではないか。
ただ助けてほしかったから、私に手を伸ばしたのではないか。
そうなのだとしたら、私は彼女の手を握り返したい。
だって私も、もう彼女と同じなのだ。彼女と同じように、この世界に生きる人を愛してしまっている。
「私はあなたに力を貸すわ。だから、あなたも私に力を貸して」
「……ぁ」
これから先には、きっと一人では耐えられない苦難が待ち受けている。
けれど私たちは、その辛苦を半分ずつに分けられる。
何故なら彼女は、幸運にもこの私という当たりくじを引き当てたのだから。
私は空に向かって腕を突き上げ、堂々たる勢いで人差し指を立てた。
「聞きなさい、レイシア・エルフェドール!」
その指を、涙を零す彼女へと向ける。
「私の名前はマユズミ・ミコト!」
私は向かう所敵なしの笑みを浮かべ、彼女へ向かって叫んだ。
「──あなたの呼びかけに応じ、異邦の果てから、あなたを助けにやってきたわ!」




