第32話 答え合わせの時間
図書館の目録作成室にて、セオドアは目を泳がせ、指先を震わせた。私は必要最低限外していたボタンを一つずつ留めていく。隣ではウォーレンが気まずそうに目を逸らしている。
「あ、ありえない……時間遡行なんて。そんな、こと。いや、でも、確かにこの魔法式は、僕が作ったものだ……」
「これで納得してくれた?」
「……君の話を、鵜呑みにするのは。き、危険だと、思うけど。君に……というかレイシアに、この魔法をかけたのが、僕だっていうのは、間違いない」
「そう。ま、今はそれだけ分かってくれたなら十分だわ」
簡単に信じられないのは当然のことだろう。こればっかりは、また一から地道に信用を積み重ねていくしかない。
「……あの」
すると今までずっと口を噤んでいた──私の右斜め前に座るアイザックが、居心地の悪そうな顔をして右手を挙げる。
彼はその煌びやかな美貌を「どうすればいいのか分からない」とでも言いたげに陰らせながら、恐る恐る顔を上げた。
「その、さっきから全く、話についていけてないんだけど……」
「……は、はぁ。い、今の話に、分からない所なんてあった? 別に、この得体の知れない彼女の味方をする、とかじゃない、けどさ。普通に、一回聞いたら理解できる、よね?」
「えっ。あ。ご、ごめんなさい……」
「え? なんで謝るの……?」
セオドアが悪意なく毒を吐き、それにアイザックは傷ついた様子で背を丸くした。
ディスコミュニケーションである。そうだった。私はもう慣れていたけど、セオドアという男はとにかく対人能力が低いのだ。私が彼の耳を引っ張ると、セオドアは「訳が分からない」とでも言いたげに顔を顰める。私はアイザックに向けて微笑んだ。
「別に気にしなくていいのよアイザック。セオドアに悪意はないの。ただ口が悪いけど、性格もそこそこ悪くて、態度が悪くて、あと人当たりが悪いだけだから」
「は、はあ……?」
「あ、あのさ……君の方こそ本物のレイシアとは比べ物にならないくらい良い性格してるよね。かわいげが全くないっていうかさ」
「別にあなたに可愛いと思われなくても構いませ~ん。私の可愛い所はウォーレンだけが知っていればいいのよ」
「オレ!?」
ウォーレンは、急に会話が被弾したことに驚いた様子で自分の顔を指さした。一体何を部外者みたいな顔をしているのか。私は首を傾げながら、定位置である彼の膝の上に座り直す。
「えっ。オレの膝の上に乗るの……!?」
「もう一度、ここまでのループで突き止めたことについて説明するわ」
「あっ。このまま……?」
私は頷き、人差し指を立てた。
「まず、ルール1。私が死ぬと、時間が巻き戻る。具体的には星暦1432年4月3日の朝に戻るの。──これは、かつてセオドアが、私がこの身体に入る前にかけた魔法だと推測しているわ」
まだ私がこの世界に呼び出される前。
私の魂がこの身体に入る前に、恐らく初めの悲劇が起こった。その惨事によりレイシアを失ったセオドアが、彼女を取り戻すためにかけた魔法。それが、ループの原因であると推定している。
そして私を呼び出したのは、恐らく真レイシアだ。
その理由は大体想像がつくが、まあ、本人に真意を聞いてみないことには、何とも言えないだろう。
「そして、ルール2。私は、その周回で一番仲良くなった人……というか、一番長く傍に居た人に殺される」
私は二本目の指を立てた。
後ろに居るウォーレンの身体が強張ったのが分かる。
「もっと正確に言うと、“魔力を多く持っている人ほど、私の傍に居ると発狂してしまう”の」
発狂の起こりやすさと魔力量には因果関係があるのだ。
だから前回のループで、一番長く時間を過ごしたはずのウォーレンは、四年目を迎えるまで発狂しなかった。
二度目のループで、アイザックが早期におかしくなってしまったのはこのためだろう。
「前回のループで、セオドアが立てた仮説によれば──それは、魔力を介する病気が原因なんじゃないか、って」
「……つまり、魔力を媒介とする病がこの国に蔓延していて、それが原因で精神崩壊が起こるって?」
セオドアが言う。私は頷いた。
ウォーレンは頭を掻きながら、「そんな病気があんのか……?」と不可思議そうに言う。
それにセオドアは答えた。
「か、可能性はある。元々、精神と魔力は密接に関係してるんだ。その病が魔力を乱す類のものなら、かかった人に幻覚を見せたりだとか、あるいは──自分の都合のいいように操ることも、可能だと思う」
「そ、そんなことが、起こり得るのかい?」
「病気ってもっと、熱が出たりとか、喉が痛くなったりとかするもんじゃねーの?」
この世界にも、私が元居た世界にあったような病は存在する。
しかし対処法は全く別だ。元居た世界では薬を使って菌を殺したり、ワクチンを使って予防したりと、科学的に病の仕組みを解き明かし、治療をしていた。
けれどこの世界では、「治癒魔法」によって病を治す。
これは強化魔法の一種で、つまりは自然治癒力にブーストをかけることによって病気を治療するのだ。
つまりは、「何が病気の原因か」を考える必要がない。
どんな不具合だろうが、治癒魔法を使えばあっという間に完治してしまうのだ。だからこそ医学が発展していない。むしろ宗教と強く結びついていて、「身体に不具合が出るのは神が悪事に罰を与えているのだ」だとか「病とは創世神様がお与えになった試練なのだ」だとか、そういう方向で受け止められている。要するに、そもそも菌だとかウイルスだとかの概念が存在しないのだ。
ともあれそうすると、思い当たるのは──。
「──宿主操作!」
私は手を合わせて立ち上がった。
ウォーレンは首を傾げ、「やどぬし?」と子供のような声で呟く。
「ええ。例えば、私の故郷にはハリガネムシという生き物が居るんだけど」
「うん」
「その生き物は、カマキリという虫に寄生して育つのね?」
「え」
「それで、カマキリの中で十分大きく育ったら、宿主を操って水の中に飛び込ませるの。ハリガネムシは水の中で繁殖するから」
「えっ」
「そうやって自分が繁殖するために、寄生先の宿主の行動を操作することを宿主操作と言うのだけど……」
私が例を出して説明すると、ウォーレンとアイザックの顔がみるみると引き攣っていく。
セオドアはその反対に、どんどん興味深そうに前のめりになった。
「──あ。ああ。分かった。成程。そういうことか」
「えっ。何、どういうことだい?」
「え。置いて行かないで」
「つまり。そうか。君は、アレだ。“天敵”なんだな?」
私は頷いた。
天敵か。確かにそれは、言い得て妙かもしれない。
「な、何? どういう意味?」
「私は……というか、レイシアの身体は、ちょっと特異な体質なの」
「特異?」
「媒介体、という体質でね。この身体はこことは異なる世界、特に精霊の住む世界に繋がりやすいの。だからこの身体の中には、常に微精霊が満ちていて……」
「ごめん、オレのこと五歳だと思って言って」
「私の身体の中、ちっちゃい精霊さんがいっぱい住んでる」
「すげー!」
ウォーレンは手を叩いて感嘆した。そうして、「……それだと、どうなんの?」と何一つピンと来ていないらしい可愛い顔で言う。
私はその質問に柔らかい答えを返した。
「そのちっちゃい精霊さんはね、ちっちゃいけど強いから、私の身体の中に入ってくる悪いものを、勝手にやっつけてくれるのよ」
「へえ……、ぁ?」
「それでね。さっき言ったハリガネムシみたいに、魔力を餌にして育つ“何か”が、皆の身体に住み着いていたとしてね。私の身体に住んでるちっちゃい精霊さんは、私の身体に入ってきたその何かを倒してくれるの」
「……あ」
「そう。倒せるの。だとしたら──」
「──その“何か”にとっては、レイシアは真っ先に排除すべき天敵だ」
私の言葉を引き継いで、セオドアがそう呟いた。
「君と長く居れば居るほど発狂しやすくなるというのは、その“何か”が君の体質に反応しているからだろう。天敵である君を排除するために、宿主を操って君を攻撃させるんだ」
ルール2の正体は、恐らくこれだ。
どのループでも、私が殺意を向けられる理由。私と長く共に居た人がおかしくなる理由に検討がついた。
話し合えばどうにかなる、なんてものじゃなかったのだ。
人とコミュニケーションを取れば取るほど、私の──レイシアの人生は死に向かうようにできていた。
するとアイザックが、顔を雪のように真っ白にして、硬く握りしめた拳を震わせる。
「……そう、だとして。僕たちは、君とどのくらい共に過ごすと、君に敵意を向けるようになるんだ?」
「正確な期間は分からない。けど魔力の多い人なら、毎日数時間一緒に過ごして、大体一年半で発狂が起こるわ」
「い、一緒に、っていうのは、どのくらいの距離感を指すの?」
「これまで繰り返してきた中の体感だと、こうして普通に会話をしているくらいの距離感でも悪影響が生じると思う」
「い、一度や二度の会話くらいなら、問題ない?」
「恐らくは」
「……なら、どうしても必要な時以外は、顔を合わせずにやりとりするべき、だろうね」
私とセオドアは頷き合った。
するとそこで、ウォーレンが右手を挙げる。
「な、なあ……。そんなら、オレもミコトちゃんに近づかない方がいいんじゃねえの? オレも一応、ちょっとは魔力持ってるわけだしさ」
「……あなたくらいの魔力量なら、私と長く一緒に居てもあまり影響を受けないみたい。実際、前回のループで私はあなたと四年間ほぼ行動を共にしていたけれど、他の人みたいに短期間で影響が出ることはなかったし」
「あ……そなの」
「それでもまあ、本当なら、あまり私に近づくべきではないんでしょうけど」
私の傍に居ることでどのくらい精神に悪影響が及ぶのか、精密に把握はできていないのだ。これまでの経験則が崩れることだって考えられるし、本来ならウォーレンとも距離を置くべきなのだろう。
「でも私、あなたの傍に居たいの。あなたの顔を見て話してると、もっと頑張ろうってやる気が出るから」
つまりこれは、私の我儘だ。
彼からすればいい迷惑だろう。でも前の彼が、私に「頼っていい」と言ったのだ。「おかしくなったら止めてくれたらいいから」と。
「……あなたが嫌なら、私を避けて。でも嫌じゃないなら、一緒に居てほしい」
「い。嫌、とかじゃ、ない、けど……」
「そう!? それなら私と存分に手を繋ぎ、頭を撫でなさい! 勿論ハグも可、よ!」
私は胸を張り、彼に向けて威勢よく両手を伸ばした。
口を開けたまま硬直しているウォーレンの袖を、セオドアが引っ張って小声で囁く。
「き、君。何したらそこまでベタ惚れされるの……?」
「凄いなあ。よほど以前の君が彼女の支えになったんだね」
「いや全然心当たりがねーんだけど!? オレ何したんだよ!?」
ウォーレンは不可解そうな顔をして、頭を激しく左右に振った。
私は伸ばした手が一向に取られないことを不服に思いつつ、ウォーレンの膝の上に座り直す。
──そして、ルール3。
私は前回のループまで、タイムリミットはプロムの日だと思い込んでいた。
実際、プロムの日に殺される理由も突き止めた。ヴァージル侯爵という貴族の立てた陰謀により、魔力を乱して精神を壊す毒が、プロムで振る舞われる酒に盛られていたのだ。
けれどそれは、あくまで「引き金」に過ぎなかった。
要するに、だ。
「その毒自体が発狂の原因じゃなかった。その毒を摂取してしまうことによって、皆の体内に居た“何か”が活性化してしまったのよ」
侯爵すらも予想していなかったのだろうが、その毒が“何か”の侵食を促進する役割を果たしてしまったのだ。毒を摂取した時点で、強制的に著しい発狂が誘発されるようになっていた。
だから侯爵の陰謀を未然に阻止することで、プロムの夜に起こる悲劇は回避することができたわけだ。
だが、それだけでは駄目だった。
侯爵の計画を防いだとしても、それはタイムリミットを先送りにしただけに過ぎないのだ。
「ルール3。本当のタイムリミットは、今から四年後」
「──え?」
「四年が経つと、その“何か”が一斉に暴走し始めるの」
私は頭の中に思い浮かべた。街の人たちが私を取り囲み、本来ならば使えるはずのない魔法を私に向けてきたあの光景を。ウォーレンですらも正気を失い、私に殺意を向けたあの姿を。
「私との接触に関係なく、“何か”に寄生されている人たちの症状が劇症化するわ」
「……ミコトちゃんは、その光景を見たのか?」
「……ええ」
私は頷き、拳を硬く握りしめた。
「タイムリミットを迎えると、魔力量の差に関わらず発狂が起こるの。少しでも魔力を持っていた時点でダメ」
「……だから、なのか?」
アイザックは額に汗を浮かべ、俯きながら言った。その顔は、真冬に冷たい水を浴びてしまったみたいに白い。
「だから君は僕に、街の人々に魔力を分け与えるなと。そう、言ったのかい?」
「……ええ」
「それ、は。それは。つまり」
アイザックの首筋を、一筋の汗が伝う。
──一度分け与えた魔力は、魔法を使うことによって発散しなければ減ることはない。とはいえいくら魔力を得たとしても、普段から扱い慣れていない者が突然魔法を使えるようになることはない。それにアイザックが分け与えていたのは、ほんの少量の魔力だ。弱っていた身体が元気になったり、健康になったりするだけのはずなのだ。本来ならば。
つまりあの時──。
「ぼ、僕が。僕が、原因、で」
「……それは違うわ」
あくまで、諸悪の根源はその“何か”だ。
彼の善意は本物だった。その善意にのっかった“何か”が悪いのだ。
それに彼が魔力の施しを始めるのは、いつも学園に入学した後だった。だから、まだ大丈夫だ。街の人々への感染は未然に防げている。
私は深く息を吸い込み、顔を上げた。
「だから私は、私たちは──今から四年後までに、その“何か”を取り除かなければならないの」
私の勘が告げている。
恐らくは、これが本当のゴールラインだと。
私の最終目的は、その“何か”を根絶することにあるのだと。
「……ち、父上に」
するとアイザックは、爪が肉に食い込むほど強く拳を握りしめながら言った。
「早急に、父上に伝えなければ。それが真実ならば、国を揺るがす一大事じゃないか。今すぐ父上にお伝えして、調査と対策を──」
「待って!」
私は焦る彼を引き留めた。
彼は振り返り、くしゃくしゃの顔で私を見つめた。
「どうして止めるんだ!? 君の話が本当なら、今すぐにでも手を打たないと……!」
「それは分かってるわ」
「なら……!」
「でも、それより先にしなくちゃいけないことがあるの」
「……先、に?」
「ええ。──答え合わせよ」
私は自分の胸に手を当てた。
「今から私は、真レイシア……この身体の、元の持ち主を呼び起こすわ」
「え?」
「今から?」
その場に居た私以外の全員が、虚を突かれた様子で目を丸くする。
私は頷き、「ええ。今からよ」と言った。
「え……できんの?」
「ええ。できるわ、多分」
「なッ。なっ。はぁっ……?」
セオドアが私を指さして、酸素を求めて水面に顔を出した魚のように口を動かす。
私は腰に手を当て、鼻を高くして言った。
「私ね。前回のループの最後で、精霊術のコツを完ッ全に掴んだの」
「は、はあ……?」
要領を得ないという様子で、ウォーレンが相槌を打つ。
とどのつまりは、だ。
「今の私なら、この身体の底で眠る真レイシアを起こすことも可能よ!」
六度目のループにしてやっと、私を呼び出したであろう真レイシアとの対面が叶う、というわけだ。




