第30話 6
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「──ぁ」
目を覚ました時に、まず私の視界に飛び込んできたのは、見知らぬ部屋の内装だった。
白い壁と光の差し込む窓。私は椅子に腰掛けていて、目の前には勉強机がある。
私は立ち上がり、窓に映った自分の姿を見つめた。
背まで届く淡い金髪は、記憶にある頃よりも少し短い。それにいつも髪を高い所で一つ結びにしていたので、こうして下ろしている姿が新鮮に感じられる。
心なしか丸くなった輪郭を撫で、壁にかけられたカレンダーを見る。そこに書かれているのは、星暦1432年4月という数字だ。
間違いない。私は四年前に戻ってきた。
つまり──六度目のループが、始まった。
「失礼します、お嬢様」
ノックと共に扉の外から聞こえてきたのは、使用人のアンナの声だ。
これも、もう何度も繰り返してきた流れである。私は拳を硬く握りしめ、それから大きく息を吸って、吐いた。
部屋へと入ってきたアンナは、礼儀正しく私に頭を下げる。
「お嬢様。そろそろ……」
「アイザックが迎えに来る時間、よね」
「……? はい」
「大丈夫。準備はもう出来ているわ」
以前までのループで感じていた、アイザックに対する拒否感や嫌悪感、恐怖の類は、もう既に私の中から消えていた。
何故なら彼もまた、きっと被害者の一人だからだ。
彼に悪意や責任があるわけじゃない。それが分かっているから、彼に殺された記憶を水に流す。まあ私の心はもうたった一人に預けてしまっているので、出会った当初のようにどうこうなる可能性は全くないが──そういうものは抜きに、対等な友人関係を築きたいものだ。
「おはよう、レイシア」
私を迎えにきたアイザックは、完璧な笑顔を浮かべて右手を挙げた。
宝石をほぐして紡いだ糸のような銀髪と、冬の湖のような碧眼を煌めかせる彼のその姿は、御伽噺の中から間違えて現実の世界に抜け出してきてしまったみたいに浮世離れしている。
私は彼に向け、礼儀正しくカーテンシーで挨拶を返した。
「ええ。おはよう、アイザック」
「体調はどうだい? 今日は学園の入学式があるけど、緊張してはいないかな」
「全くもって、ね。何故なら私の辞書に“失敗”の文字はないからよ。あったとしても、黒で上から塗り潰してやるわ」
「……何だか、今日の君はいつもよりハキハキしてるね?」
「ええ。そうでしょうね」
私は頷いた。
アイザックは不思議そうに首を傾げている。
「そのことも含めて、あなたに話があるの」
「話……?」
「入学式に遅れるといけないから、馬車の中で話しましょう」
そう耳打ちすると、彼は釈然としない様子で目を瞬かせながらも、私と共に馬車に乗り込んだ。
「……それで、どうしたんだい? もしかして、僕に何か相談したいことでもあるのかな?」
僕にできることなら何でも言ってくれ、と彼は親身になって言う。
そんな彼に、私は正面から向き合った。
「……今からする話は、とても信じられないことよ」
「うん? うん」
「あなたもきっと、私の頭がおかしくなったと思うわ。でも全て本当のことなの。その証拠は学園についてから提示するわ」
「うん……?」
「でも、とにかくまずは……」
「まずは?」
彼が目を瞬かせる。
私は深く息を吸ってから、彼の顔を真剣に見上げた。
「街の人たちに魔力を分け与えちゃダメ。絶対。絶対よ!」
と、唖然とする彼に向けて断言したのだった。
× × ×
「暗唱だ……」
「暗唱していらっしゃる……」
「流石はエルフェドール家の御令嬢様ね……」
というような感心した声が檀下から聞こえてくる。
入学式での代表挨拶である。私は何も見ずに空で式辞を読み上げ終え、壇上で折り目正しく礼をした。
私以外の誰も知らないだろうが、もうこれで六度目のスピーチだ。暗記するのも当然なわけで、むしろ感嘆の眼差しがちょっとむず痒い。
「素晴らしい式辞でした。新入生の皆さんも、今の大変見事な言葉をしっかりと胸に刻み、互いに切磋琢磨しながら、実りある学園生活を送るように──」
そんな学園長からの称賛を受け、私は拍手を浴びながら階段を下りた。
入学式はつつがなく終わり、各自が割り当てられた教室へと戻る。担任教師からの挨拶と自己紹介を経て、自由時間が挟まれる。
そうなると──。
「なァなァ。レイシアちゃん、だっけ?」
黒に近い緑色の髪をボサボサに乱し、分厚い黒縁の眼鏡をかけた青年が、肩に手をのせてくる。
その笑みは良く言えば友好的、悪く言えば軽薄なもので、とにかく人に「軽そう」という印象を抱かせる男だ。
周囲は騒めき、ヒソヒソと小声で何かを囁き合っている。名のある貴族でもない青年が、公爵令嬢たる私に対して無遠慮に声をかけたからだろう。周りの生徒たちは「恐れ多い」とばかりに遠巻きに私を見つめていて、だからその空気を一切読まず話しかけに行った彼に、呆れと侮蔑の目を向けていた。
しかしそんな居心地の悪さを物ともせず──もしくは不快の目で見つめられることに慣れ切っているのか──彼は私にグイグイと喋りかけてくる。
「すげ~カワイイから一発で名前覚えちまったぜ。いやァ、隣の席になれて超ラッキ~!」
「……」
「あ。オレの名前分かる? オレは──」
「──ウォーレン」
私は彼の言葉を遮るように答えた。
ウォーレン。ウォーレン・グレッグ。忘れるはずのないその名前を、私は頭の中で何度も反響させる。
するとウォーレンは、面食らった様子で顔全体を痙攣させた。
「……あ。ああ。そうそう。なんだ、わざわざ覚えてくれてんの?」
そう言って目を逸らす彼は、どことなくバツが悪そうだ。腕を摩りながら俯き、彼は次にかけるべき言葉を見失っているようだった。
心臓が、どくん、と音を立てる。
目の奥が熱くなって、心の底から温かい何かが湧き出してくる。彼のその表情が、眼差しが、声が、生きて動いてくれているということが、私の中身を激しく揺らす。
出鼻を挫かれたという様子で目を泳がせていたウォーレンは、少し息を吸ってから持ち直し、元通りの不真面目な笑顔を浮かべた。
「な~んだ。なら改めて自己紹介する必要はね~な。つか何? もしかしてオレのこと、一目で気に入っちゃったとか?」
「そうね」
「──え?」
彼の顔から笑顔が消える。その表情は、理解不能な超常現象を目の前にした時のそれによく似ていた。
質問を投げかけておいて、それに是で返すと途端に呆気に取られるのは、彼の悪い癖だと思う。まあ、そんな所も愛おしいのだが。
私は立ち上がり、自分の胸に手を当てた。
「いえ。気に入った、というのは、正確な表現ではないわね」
「……え? あ……」
「正しくは“大好き”、もしくは“愛してる”と言うべきだわ」
「……はっ?」
ウォーレンの目がこれでもかと言わんばかりに丸くなる。そのまま下を向けば目玉が落っこちてしまうのではないかと思うほどだ。
賑やかだった周囲が、まるで時間が止まったかのように静かになる。皆顎が外れそうなほどに口を開き、石化したみたいに固まっていた。
レイシアの身体を使って言うのも何だが、まあ致し方あるまい。真レイシアには申し訳ないが、私は言いたいことを言いたい時に言うと決めているのだ。
だってそうしないと、自分の気持ちを伝え切れないまま別れてしまった時に、死んでも死に切れないじゃないか。
「他に名乗りたい名はある。けど、今はそれを後回しにするわ」
「は、ぁ?」
「大事なのは、私があなたを超絶世界一愛してるということだからよ!」
私は胸を張って言い切った。
五度目の世界で、私は──今際の際に後悔したのだ。
もっとちゃんと、大好きを伝えればよかった。もっと素直に、全身を使って愛情表現をしておけば良かったのだと。
彼を目の前で失ってからというもの、殊更に愛おしさが込み上げてくる。
「ウォーレン・グレッグ!」
「っあ、あ。はいっ」
私は彼に向けて勢いよく指をさした。それに驚いたのか、ウォーレンはピンと一直線に背筋を伸ばす。
「私はっ」
「っ? は、はい?」
「私は!」
私は声を張り上げて言った。
「もう一度、あなたと手を繋ぐために戻ってきたの!」
たとえ、あなたが何も覚えていなくたっていい。
だって私は、あなたにしてもらったことを覚えている。隣に居てくれたことを覚えている。私を好きでいてくれたことを覚えている。
だから私は、あなたと一緒に居たいのだ。
「な……」
ウォーレンは一歩後ろに下がって、背中を机にぶつけた。その衝撃で、彼の顔から眼鏡がずり落ちる。
彼の目にはきっと、私の言葉に一滴の偽りもないことが見えているだろう。それは行幸だ。私の愛情を真正面から全力で受け止めるといい。
そうして私は目を瞑り、手を差し伸べ、繋がれ待ちをした。
けれど一向に手が温もりに包まれない。私の予定だと、ここで彼が感涙しながら両手で握り返してくるはずだったのだが、一体どうしたのだろうか。
私は首を傾げながら、片目を開いた。
するとそこには。
「──え、えっ。何、なん、怖……」
何故か顔色と唇を青くして、ライオンに睨まれたウサギのような目を私に向けるウォーレンの姿があった。
……なんだその顔は。
私は釈然としない気持ちになって彼に詰め寄り、無理矢理両手で彼の手を握りしめたのだった。




