第28話 あなたにあげる
前置きを書いている時間はない。どころか、この手紙が届く頃にはもう手遅れかもしれない。
でも、君なら何とかできるだろ。多分。
手短に説明する。
君がこれまでのループで経験してきた発狂には、きっと他に要因がある。侯爵による陰謀は、あくまで引き金に過ぎないんだ。多分、もっと根本的な部分に何かがある。
そしてそれは、君と居る時間が長くなるほど酷くなる。
でもそれは、君に原因があるわけじゃない。いや、むしろ逆だ。
思うに──君だけが正常でいられるからこそ、引き起こるものなんだ。
そう考えると、辻褄の合う仮説が一つ思いつく。
──これは、君だけがかからない病気のようなものなんじゃないか?
それも、魔力を介する類のものだろうと推測する。君の傍に居ても、ウォーレンに変化がなかったのは、彼の魔力量がゼロに等しいくらい乏しかったからじゃないか。
この病気は精神に作用する類のもので、中でもそれに耐性を持つ君を排除しようと働くのかもしれない。
だとしたらまずい。放置していれば、いつ症状が悪化するか分からない。
──いや、多分もう、事態は取り返しのつかない所まで進んでいる。
だから僕はこの手紙を書いたんだ。僕が正気を失う前にと思って。
絶対言いたくなかったんだけど、仕方がないから言う。
実の所、君に顔を見せなくなったのは、僕が君に好意を抱き始めていたからだ。
勘違いするなよ。僕が本当に好きなのはレイシアだけだ。
それなのに、君に会えば会うほど、僕はおかしくなっていって……だから距離を取った。
今思えば、これは初期症状みたいなものなんだろう。
多分、君と一緒に居ると、魔力持ちは君に好意を抱くようになってるんだ。それで、その好意が殺意へと悪化していく。そういう病が蔓延してるんだ。
でも今の僕は、君と会っていないにも関わらず、正気を失いかけている。
僕は引きこもってるから、外の様子がどうなってるのかは分からない。でも多分、国中で殺し合いが起こっているはずだ。
僕ももう、多分だめだ。じきに、狂気に呑み込まれるだろう。
その前に、君に手紙を書き残しておく。
そうだ。僕は、今から君に残酷なことを言う。いつか、僕のことを殴ってくれたっていい。でも、お願いだ。
ミコト。
どうか、あとは頼んだ。
君なら何とかできる。絶対。
さようなら、僕の友達。
× × ×
手紙を最後まで読んで、私はその紙を閉じた。
「──馬鹿」
その言葉が誰に向けたものなのか、自分にも分からない。セオドアに対するものなのかもしれないし、私に向けたものなのかもしれない。
君なら何とかできる、だなんて、よくも簡単に言ってくれたものだ。
ああそうだ。彼の言う通り、その言葉は私にとって耐え難いくらいに残酷なものだ。
もうこの世界は、取り返しがつかないほどに壊れてしまった。失った命も、失わせてしまった命も、数え切れないほどにある。
けれど私には、その全てをひっくり返すことができる。──私の命と、引き換えに。
「そんな頼み、友達にする? 普通」
私は眉間に皺を寄せて呟いた。
しかし私の心の内に、セオドアに対する負の感情はない。むしろ清々しく爽やかな風さえ吹き込んでいた。
彼にも彼なりの葛藤はあったのだろう。その証拠に、手紙の文字が酷く歪んでいる。お陰で読むのも一苦労だった。それくらいに、彼もまた迷っていたのだ。
それが分かるから、身体の中が呆れと親愛で満ちていく。
私は手紙を丁寧に折りたたみ、大事に大事にポケットの中にしまった。そうしてウォーレンの頬の表面だけを撫でる。
──私の行動原理は、いつだって単純だ。
格好悪いことをしたくない。格好いいと思われたい。私の大好きな人たちが、笑顔で自慢できるような人間でありたい。
でも私は、そんな自分の規範に反することをしてしまった。手を血で汚してしまった。その染みはきっと、時間を巻き戻したって消えないだろう。
だから身体から力が抜けて、下を向きかけた。
けれど、思う。
格好つけたいとか、完璧でありたいとか、そういう私のアイデンティティとは別の所に、大事な場所ができてしまったのだ。
ウォーレン。私はあなたと過ごせて楽しかった。あなたと暮らせて幸せだった。もっといっぱい一緒にやりたいことがあったし、見たい景色が山ほどあった。
最後まで私を守ろうとしてくれて嬉しかった。
あなたと一緒に、陽の当たる所を歩きたい。
もう一度、あなたと話がしたい。
──私はそんな気持ちを、私の身体を動かす理由にしたい。
「ん、しょ」
彼の身体は、嫌になるくらい軽かった。
いっそのこと、鉛みたいに重くあってくれたなら良かったのにと思う。そうすれば、「ああ、本当に居なくなってしまったんだな」なんて、思わずに済んだのに。
「……大丈夫よ、ウォーレン」
死体を踏みつけてしまわないように、下を見ながら歩く。
ごめんなさい。いつか、必ず助けるから。殺してしまった責任を取るから。だから今は、彼を特別扱いさせて。
「静かで、落ち着ける、場所に」
なかったことに、なるのかもしれない。
それでも、せめて彼を弔いたい。消えてしまう世界なのかもしれないけれど、それでも彼の終わりを綺麗なものにしたい。
「どこが、いいかな」
誰も居ない所がいい。できれば、美しい場所がいい。そんなことを考えながら、私は彼を背負って歩いた。
「……苦しいわよ、あなた」
彼の身体が冷たくなって、硬くなっていく。そのせいで、後ろから首を絞められているように感じる。苦しいけれど、でも、まるで抱きしめられているみたいで、ちょっとだけ心が軽くなった。
「……そうだ。海。海は、どう?」
私は思いつき、彼に話しかける。
「昔、三人で遊びに行ったでしょ。あなた、すっごいはしゃいでたわよね。あの時行った海は……ちょっと遠いから、無理かもしれないけど。この近くにも、海はあるわ」
私は目的を持って歩き始めた。
彼を背負い、海を目指して、ひたすら歩く。
「ほら。どう? まあ、中々悪くないんじゃない?」
目の前に広がる青い海を見て、私は呟いた。
靴を脱いで、服を着たまま、一歩波の中へと踏み出す。素足に冷たい水がかかって、私は目を細める。
少しずつ、水の深い所へと進んでいく。
水を吸った服は重たい。まるで下へ下へと引っ張られているみたいだ。
私はこれまでに四度、死を経験してきたが──自分から命を絶つのは、これが初めてだ。
今から私は、この海の中で溺れて死ぬ。
それはとても恐ろしいことのはずだ。けれど、私の心を満たしていたのは、恐怖ではなく。
「……死ねば、私の時間は巻き戻るけど」
水が、胸の下までせり上がってくる。
「それでも、今のあなたには、もう二度と会えない」
人の心を形作るものとは、一体何なのだろうか。
きっとその答えは人によって変わるだろう。私も、はっきりと答えを絞ることはできない。
けれど私は、その答えの一つこそが「記憶」なのだと思う。
私はきっと、今から四年前に戻る。1432年4月3日、学園に入学する日の朝に。
その先には彼が居て、でもそれは私の知る彼ではない。この四年間、彼と過ごした記憶は、巻き戻った先に居る彼の中にはないのだ。
もう、この世界の彼には、二度と会うことがない。
だから──。
「今の私の全部は、あなたにあげる」
長生きしろと、彼は最期に言った。
その思いを踏み躙る、とんでもない裏切りだと思う。
でも仕方ないだろう。私はいつだって私の意思を尊重する。だって私はそういう人間なのだ。あなただって、そういう女だと分かって惚れたんでしょうと、私を抱きしめる彼に言う。
「私は、あなたじゃないあなたを救いに行く。この世界で奪ってしまった命を救う」
全てを、救ってみせる。
私はそう決めた。
きっと、途方もない時間がかかるだろう。気の遠くなるような苦痛を味わうことになるかもしれない。諦めたくなる。膝をつきたくなる日が、きっと何度も訪れるだろう。
けれど──。
「友達に、頼まれちゃったの」
意地っ張りで偏屈で天邪鬼で、滅多に人を頼らない友人に、あとは頼んだと言われてしまったのだ。
君ならできると、そう言われてしまった。
「……また、あなたと一緒に、あたたかい所を、歩きたいの」
私は自分勝手だから、私のやりたいことを一番に優先する。
私は──あなたを助けたいから、世界を救う。
私の我儘に、私はこの世界を振り回す。あなたの隣に立って、心の底から笑えるように。
足が、ふわりと浮いた。
身体が沈む。空が引っくり返る。
「だから、いま、は──ぁ」
ごぼ、と身体の奥の方から音が聞こえる。
まるで胸の中が燃えているようだ。水を吸えば吸うほど、深くに沈んでいく。息ができない。苦しい。でも、怖くはない。傍には彼が居る。
深い、深い、海の底へと落ちていく。
私は首に回された彼の手を、そっと握りしめ、目を閉じた。




