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第26話 私の救い




「んギッ」


 お手洗いのために一旦席を外し、帰ってきてみれば、ウォーレンが知らない令嬢に声を掛けられていた。

 ウォーレンは壁にもたれかかり、本当にどうすればいいのか分からないという顔で腕を背中側に回している。女の子に声を掛けられた経験が浅いからだろう。これはいけない。すごくいけない。私は尖ったハイヒールを物ともせずに走った。あまりに早く駆けたもので、私が傍を通り抜けても誰も振り返ることがなかった。


「だめだめだめだめ!」


 私はウォーレンの傍に張り付いて、彼の顔目当てで寄ってこようとする令嬢たちを追い払った。

 全く、油断も隙もない。少し目を離したらこうだ。私は振り返り、ウォーレンをキッと睨みつける。

 しかし彼は迷子になった子供のような目をしていて、他に頼れる者など居ないのだとでも言わんばかりに、私を見てほっと頬を緩めた。


「良かったぁ。緊張したぜ。何話せば良いか分かんなくて……」


 彼はため息をつき、額に浮いた汗を拭う。

 ……別に鼻の下を伸ばしている様子はない。照れているというより、純粋に困っていたようだ。恐らく、自分に自信がなさすぎるためだろう。自己肯定感が異様に低いから、何故自分が声を掛けられているのか分からないのだ。

 ふとこれまでを思い返してみれば、話しかけてくるのはいつも彼の方からだった。どうやら自分が距離を詰めるのはいいが、距離を詰められると途端に困惑してしまう性質らしい。こういう形のコミュニケーション下手もあるのか、と私は彼についての認識を深めた。


「セオも来ればよかったのに」


 ウォーレンは会場を見回し、影も形も見えない友人の名を挙げて苦笑した。私もつられてあのボサボサの白髪と眠そうな眼差しを思い浮かべる。


「そういえばあの男、どのループでもプロムに居なかったわね。まあこういう行事のこと心底嫌ってそうだから仕方ないんだけど……」

「でも三人で踊りたかったなー」

「そうね」


 きっとそうしたら、もっと賑やかな夜になっただろうに。多分それを直接伝えても、彼は「や、やるわけないでしょ? 馬鹿なのかな……」と毒を吐いて拒絶するだけだろうが。

 私は壁に背を預け、辺りを見回した。

 銀髪の美青年が目の前を横切る。アイザックだ。彼は綺麗な令嬢の手を優雅に引いてエスコートしている。ライアンも。クラリナも。パートナーと共に、この華々しい夜をめいいっぱいに楽しんでいる。

 ──よかった。

 本当に、よかった。

 こんなに穏やかな顔で誰かの手を引ける人たちが、誰かを手にかけるようなことがなくて、本当に。


 唇を噛んで、上を向く。

 泣かない。泣いたら前が見えなくなって躓くかもしれないから。そんな格好の悪い姿は見せられない。

 すると、ウォーレンが「なあ」と呟く。


「卒業したらさ。……今より、会うのは難しくなるよな」


 彼は俯いて、自分の靴の先をじっと見つめている。


「公爵令嬢と平民だもんなぁ。今こうやって普通に並んで喋ってる方が例外っつーか。普通に考えたら、有り得ないことっつーか……」


 彼の語気がどんどんと弱まっていく。

 彼は上を向き、腕を伸ばして「あーあ!」と心を投げ出すように叫んだ。


「それも今日で終わりかぁ。ま、オレにしちゃ贅沢すぎるくらい贅沢な毎日だったぜ。ホント」


 私は何か言ってやろうと思って、しかし開きかけた口を閉じる。とりあえず、彼の話を最後まで聞こうと思った。


「……寂しくなるなぁ」

「──」

「いっそのこと、オレと街のどっかで一緒に暮らす? そしたら毎日会えるし、美味い飯も食わせてやれるぜ?」

「いいわよ」


 ウォーレンは「な~んてな!」と頭の後ろを掻きながら言った。

 それから目を見開いて固まり、ぎこちなく首を動かして私を見る。


「……なんて?」

「だから、いいわよ、って言ったの」

「いやいいわけなくねーか!?」


 ウォーレンは顔を真っ青にして叫んだ。

 私は眉間に皺を寄せる。そっちから言い出したことなのに、了承すると途端に焦り出すとは、どういう了見なのだろうか。


「いやっ、い、いや、何考えてんだお前……!」

「何よ。あなたが言い出しっぺでしょうに」

「いや、そ、それは、断られると思ってたから、言えただけで。だ、大体! 家はっ。家のことはどーすんだよ!」

「一番血縁の近い親族の男が継ぐことになるでしょうね。従兄弟に優秀な人が居るのよ。その男が適任でしょう」

「な……」

「大体、私はまだ真レイシアにこの身体を返せていないのよ? その状態で家督を継いでいいものなの……?」

「た、確かに……! 責任重大すぎる……!」


 私たちは小声で囁き合って頷いた。私にはまだ解決すべき問題が残っているのだ。その状態でエルフェドール家の責任を背負ってしまうのもいかがなものか、という思いもある。


「で、でも……! お、オレは、平民だしっ」

「だから何なのよ」

「平民と令嬢が一緒に暮らすとか……!」

「私がそうしたいと言えばそうなるのよ」

「お、お前んちが許してくれるわけ……!」

「くれるわよ。あの人たち私に物凄く甘いもの」

「……お、オレなんかと、一緒に居ても。別に、良いことなんて……」

「は?」


 この男は一体何を言っているのだろう。そんな気持ちが声に出てしまった。

 彼が壁と私の間で押し潰されるほど、私はウォーレンに激しく詰め寄る。彼のおでこに指を突きつける。


「あっ、あなた、まさか私があなたに対して何とも思ってないと思ってるわけ……!?」

「……?」

「あなた私のこと、何とも思ってない相手にここまでしてもらうような薄情な女だと思ってるわけ!?」


 そんなわけがないだろう。

 何とも思っていない相手をここまで私の問題事に巻き込んで、それで解決できたらハイおしまいだなんて、そんな極悪非道な仕打ちをするような女に見えているのだろうか。

 都合よく利用するだけ利用して、それが終わったら関係を切るだなんて、そんなダサい真似をするはずがないだろう。

 大事に思っていない相手を頼るだなんて、そんなことをこの私がするわけない。


「いい!?」

「は、はい……」


 私は彼の額を指でグリグリと強く押した。彼は私に気圧されたらしく、委縮した様子で首を振る。


「私は国王からの褒美で何でも貰える立場にあるの! 街の外れにイイ感じの広さの家を一軒頂くくらい訳ないわ!」

「は、はい」

「稼ぎに関しても問題ないわ。私、このループの間にコツコツと魔法具の開発に手を付けていたの。現代知識との組み合わせが大ヒットしてもうバカ売れよ!」

「は、はい……!」

「要するに私がバリバリ働いて稼いでくるから、あなたは家でご飯を作ったり掃除をしたりして私の帰りを待つ日々を送ればいいわ」

「流石にヒモすぎる……!」

「ヒモすぎると思うなら、街のカフェなどで働きなさい。週三日くらいで」


 将来設計は完璧である。その間に真レイシアの救出に励み、──その後どうするかは、真レイシアとの相談次第だろう。私も、できればどうにかして元の姿に戻りたいものだ。元の私にそっくり似せた人形を作って、そこに私の魂を移す、なんてことはできないだろうか。

 するとウォーレンは、服の端を握りしめ、目線を忙しなく左右に揺らした。


「……い、いいの、かな」

「なにがよ」

「だって。オレなんかに、こんな、都合のいいことばっかりおきて……」


 ウォーレンは、まるで怖い夢を見て飛び起きた子供のように、酷く具合の悪そうな汗をかいていた。

 私には、どうして彼がそこまで後ろばかりを見ているのかが分からない。だから彼の頬を両手で挟んで、上を向かせた。


「──あなたと出会った初めの頃は、私はあなたをとても苦手だと思った。距離感がおかしいし、ウザ絡みばっかりしてくるし」

「ゔ」

「……でも、あなたがそうやって鬱陶しいくらいに声をかけてこなければ、私は今も一人で全部を何とかしようとして、それで行き詰っていたかもしれない」


 この世界に来てから自覚したことだが、私はどうやら他人を頼ることが苦手らしい。自分で言うのも何だが、日本ではほぼ全てのことを自分一人の力で難なくこなせてきたのだ。だから人を頼った経験がほとんどなくて、人を頼るという発想自体がなかった。

 そうやって無自覚に作っていた壁を、他でもない彼が壊してくれた。

 私を無条件に信じてくれた。頼ってもいいのだと言ってくれた。ずっと傍に居てくれた。

 それは、私にとって確かに救いだった。


「これがあなたにとっての“都合のいいこと”だと言うのなら、私はあなたの頑張りに報いることができているわけね」

「あ……」


 私は、私のために頑張ってくれる人が好きだ。

 当然だろう。努力できる人は無条件に好ましいが、その努力の先が私に向けられているとなれば、何としてでもその献身に報いたくなる。頑張ってくれてありがとうと、抱きしめて言わずにはいられない。


「私はあなたがいい。あなたといたい」

「──」

「私を助けた責任を取りなさい!」


 私のために頑張っておいて、今更私から離れられると思わない方がいい。私は受けた恩をきっちり百倍にして返すタイプなのだ。そうしないと気が済まないのだ。

 だから、彼の手をこそ取りたい。

 一番私が辛かった時に、手を差し伸べてくれたのが彼だったから。


 すると彼は顔を皺くちゃにして、俯いて何も言わなくなってしまった。

 それからず、と鼻を啜る音が聞こえて、私は黙ったまま彼の手の端の方を握りしめたのだった。





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