第25話 大団円
「お美しいですお嬢様ぁ……!」
プロムの日、実家の更衣室にて、侍女頭のアンナは号泣していた。
目の前にある大きな姿見には、めいいっぱいに飾り付けられた私の全身が映っている。深青緑のドレスは光沢のある生地で作られた本物そっくりの薔薇で彩られていて、布自体がほんのりと輝いており、身体を動かす度に光の粒がひらひらと舞った。
そんな私の晴れ姿を作り上げたアンナは、まるで結婚式前の母親のように滂沱の涙を流している。
流石はレイシアの美貌だ。これまでのループでも様々なドレスを着こなしてきたが、今回もまた一級の仕上がりである。
これにはウォーレンもデレデレと頬を緩め、見惚れざるを得ないだろう。──なんだろう、それはそれでちょっとムカつく。前はレイシアの美貌を褒められても「まあそうでしょうね」としか思わなかったのに。なんでだろう。無性にムカつく。
綺麗に着飾った姿を褒められたいのに、褒められるとモヤモヤする。そんな矛盾に襲われつつ、私はウォーレンがやってくるのを待つ。
彼が居るのは、壁一枚隔てたすぐ隣の部屋だ。そこで彼はうちの使用人たちに囲まれ、かれこれ三時間ほど着せ替え人形にされている。
どうしてそんなことになっているのかと言えば、
『プロムでは彼と踊るの。だから彼を完璧に仕上げて頂戴』
と言って、私が彼を実家に強制連行したからだ。
何も聞かされないまま実家に連れてこられたウォーレンは、その瞬間に両脇を屈強な使用人たちに掴まれた。ウォーレンは『え? 何これ? オレ処刑されるんですか!?』と叫び、そして抵抗する暇もなく屋敷の奥へと引きずられていった、という次第だ。
壁の向こうからは「お嬢様の隣に立つのですからもっと完璧に!」だとか「誰より目立つように!」だとかの、使用人らの熱烈な叫びが聞こえてくる。私が直々に頼んだということもあって、彼らのやる気に火をつけてしまったらしい。ウォーレンは何時間も同じ姿勢に固定されることに慣れていないので、今頃多分死んだ魚のような目をしていることだろう。
「できたわよミランダ!」
「できましたね……えっいい仕事じゃないですかこれ!?」
「傑作! 傑作だよこれ!」
「うむ。お嬢様のエスコートという至上の名誉を賜るのだから、やはりこのくらい洗練されていなければ……お前たちよくやった! 昇給だ!」
どうやら完成したらしい。
しかも会心の出来らしい。
私は頭の中におちゃらけた彼の顔を思い浮かべ、それから「一体どんな仕上がりに……!?」と壁の向こうへの興味を膨らませた。いや整った顔立ちの男ではあるのだが、どうにも彼は「格好いい」より「胡散臭い」が前に来るタイプなので、イメージがしにくい。
そんなわけで、私はそわそわしながら彼の訪問を待った。すると数分後、部屋の扉が外から叩かれる。
さあ、どうなってるのか見てやろうじゃないの。という審査員のような気持ちで、私は開いていく扉の先を見つめた。
「れ、レイシア……」
そうして現れたのは、思わず「誰?」と言いたくなるような美青年だった。
不安げに動く視線には彼の自信の無さが表れているが、後ろへ流された髪も、刺繡の入った黒のタキシードもよく似合っている。
普段かけている眼鏡は外され、代わりに薄く目元に化粧が施されていた。そのお陰で普段よりも目尻が柔らかくなり、しかし目力だけは一層強まって見える。
誰だ、この男は。
私の知っているウォーレンじゃない。彼はもっと怪しくて、野暮ったくて、軟派な感じの男なのに……!
「──」
「近い近い近い」
思わず私は彼に詰め寄り、その顔を爪先立ちになって真下から凝視してしまった。
くっ、うちの使用人たちは何ていい働きをするのだろう。彼の素材を最大限に生かし、これほどまでに仕上げるとは。全く見事だ。見事だが──しかし、これはやりすぎではないだろうか? いや、確かに頼んだのは私だけど、ここまで完成されるとは聞いていない。これでは他の令嬢たちが彼の良さに気付いてしまうのではないか?
「ぐぬぬ……」
「そ、それはどういう顔なの? やっぱこれ似合ってねーんじゃ……」
「最高に似合っているわ!」
私は間髪入れずに断言した。ウォーレンは「あ、そう……」と呟き、顔の下半分を手で覆う。
「でもね、あくまでちょっと私が見惚れた程度なんだから、くれぐれも自惚れないように!」
私は彼に指を突きつけながら言った。自分を卑下するのは彼の悪い癖だが、かと言って自信を持ちすぎて他の女性に粉をかけられても困るのだ。ウォーレンは「見惚れたんだ……」と小さな声で呟いたのち、「普段からこの格好にしようかな」と言った。私は絶対に阻止しようと決めた。
「……レイシアは」
するとウォーレンがぱっと顔を上げ、瞬きと共にこちらを見る。私は複雑な気持ちで彼の感想を待った。
すると彼は、
「そのドレス、すげー似合ってる。綺麗なだけじゃなくて、中身のカッコよさにぴったり合ってるよ」
と言った。
パーフェクトコミュニケーションである。
私は途端に雲一つない晴れた空のような気分になって、その通りと言わんばかりに胸を張った。よく分かってるじゃないか、と頷きながら。
こうして支度を済ませた私たちは、馬車に乗って学園へと向かった。
門を抜け、校舎の中へと入る。プロムの会場となっているのは、この廊下の先にある大広間だ。
その扉の前に立つ。
この光景を見るのは、これで五回目だ。
青く、美しく彩られた学園の姿は、きっと皆にとっては目新しいものなのだろう。私はもうとっくに見慣れてしまったが。
──見慣れて、しまった。
この光景を見ると、まるで脳裏に直接植え付けられたみたいに、血の赤色を思い浮かべるようになってしまった。
「……レイシア」
ふと、名前を呼ばれた。
ウォーレンに顔を覗き込まれる。
「緊張してる?」
そんなことを言われた。
緊張? 何を馬鹿な。この私が。
そう返したかったけれど、彼の前で虚勢を張ったって無駄だ。図星を突かれたなら、諦めて大人しく認めるしかない。
私は「そうね」と答えた。
「緊張、してるのかも」
「──」
「頑張ったけど、結局何も変わってなくて。また、誰かがおかしくなってしまったら、って──」
そんなことを、考えてしまう。
もしかしたら、が拭えない。だってもう四度も同じことを繰り返してきたのだ。実はもっと大事な何かを見落としていて、結局今回も同じ悲劇が起こってしまったら、と思わずにはいられなかった。
後ろ向きなんて、私らしくないと分かっているのに。
「……?」
すると、腹回りに何かが触れた。
下を向いて見ると、それはウォーレンの両手だった。私が瞬きしている間に、彼は私を軽々と持ち上げる。
「きゃああーっ」
そしてそのまま、グルグルと四回転をした。
彼はまるで父親が子供と遊ぶ時のように私の身体を浮かして、それから丁寧に床の上へと置く。
私は呆然として、そして彼をキッと睨みつけた。
「なっ、何するのよ!」
「暗い顔してたから何となく……」
どうやら彼なりの励まし方だったらしい。しかし令嬢相手にこれはいかがなものなのか。もう二言くらい文句を言ってやろうと、私は爪先立ちになって彼に顔を近づける。
けれど私が何か言うよりも先に、私の両手は彼に柔らかく握りしめられた。
「大丈夫だよ。お前はきっと、ダンスが始まったら、オレに足を踏まれないか心配で、他のことを考えてる暇なんかなくなっちまう」
私は彼の顔を見上げ、それから深くため息をつく。
彼の不器用な気遣いのお陰で、張り詰めていた心の糸が緩んだのだ。私は冗談と分かるように舌を出してから、
「失敗したら許さない」
と彼に言った。
「三回までならステップ間違えてもセーフにしてね」
彼はそう答えて、私の両手を離した。そうして改めて、私は彼の手に自分の左手をのせる。
彼が大広間の扉を開けた。
──その瞬間、万雷の拍手に包まれる。
床も壁も青く染められたその空間の中で聞こえるそれは、まるで爽やかな大雨のようだった。
ウォーレンはその音に圧倒され、及び腰になりかけて、うちの使用人たちによる教育を思い出したのか慌てて背筋を伸ばす。「行こう」と彼が呟き、私たちは会場の中央を目指して歩く。
辺りを見回す。微笑んで手を叩く人々の中には、私を殺した者たちの姿がある。アイザック、ライアン、クラリナも。彼らは皆取り乱すことも、剣を振るうことも、魔法を放つこともなく、穏やかな顔をしてプロムを楽しんでいた。
ここは最早、悲劇の舞台ではない。
広間の端に並んだ音楽団が動く。
そうして流れてきたのは、緩やかで美しい旋律だ。元の世界で言えばメヌエットに近いだろうか。
この学園のプロムでは、その年で最も華々しい活躍を示した生徒がファーストダンスを飾ると決まっている。要するに学年首席が代表の挨拶をする、みたいなものだ。そんな名誉を私たちは預かり、こうして今大勢の前に立っている。
「──」
踊る。
彼の右手が背に触れる。薄い布越しに熱が伝わってくる。
眩い音楽も、揺れるドレスも、手のひらの温度も、何もかもが夢みたい。少しでも目を閉じたら、その瞬間に全部が真っ暗になって消えてしまいそうで、私は瞬きの一つすらできなかった。
今はただ、この景色をずっと見ていたい。この一曲が、ずっと終わりませんように。
けれどそんな祈りも虚しく、演奏は寂しいくらいの大団円を迎えた。曲が終わり、一瞬の静寂が訪れる。それからすぐに耳が痛くなるほどの拍手に包まれて、私は顔を上げた。
ウォーレンはいたく真剣な顔をしている。そこに普段の軽薄な笑顔はない。真面目な面持ちでいさえすれば、中々に凛々しい顔立ちだと分かる。
そんな彼は、まるで告白をする時のような声色で私に問いかけた。
「……オレ何回ステップ間違えた?」
「五回」
私は答えた。
ウォーレンは静かに息を吸って、拳銃を向けられた強盗犯のように両手を挙げた。
「……ならギリセーフか……」
「アウトよアウト」
そう言ってから、私は彼の腕の中に飛び込んだ。そうして彼の胸元に頬を寄せ、声を出して笑う。それは自分でもびっくりするくらい、子供みたいに明るい声だった。




