幕間 黛ミコト
幼い頃から、姉はあらゆる面で完璧な人だった。勉強も運動も得意で、習い事のピアノではいつもコンクールで表彰台の一番高い位置に立っていた。負けん気も強く、曲がったことが嫌いな人で、何学年も上の意地悪な男の子に平気で食ってかかるような人だった。
そんな姉の名前は、黛ミコトという。
彼女の妹である──黛マコトは、幼い頃、いつもベッドから姉の姿をじっと見ていた。
マコトは生まれつき身体が弱く、幼少期は身体を壊さないよう部屋に閉じこもりきりだった。
多彩で完璧な姉と、病弱な妹。
血を分けた姉妹だけれど、二人はあまり似ていなかった。けれど、マコトは姉のことが大好きだった。
「マコト。ほら見て。星の砂よ」
「わ……きれい……」
「ふふ。あなたに見せたくて取ってきたの」
あまり外へ遊びに行けないマコトに、姉は沢山の美しいものを見せてくれた。姉が見聞きした知らないものの話を聞くことが、マコトにとっての何よりの楽しみだったのだ。
姉はいつも優しかった。
そんな姉のことが大好きだった。
──けれど、ある日から、どうしてか姉はすっかり活気を失ってしまった。
勉強でも運動でも、目立った成績を残さなくなった。何をやらせても一番を取っていた彼女は、どうしてか人前に立つことを避けるようになってしまった。
話を聞いても、「何でもないのよ」の一点張り。
けれど、きっと何か原因があるのだ。落ち込むようなことがあったはずなのだ。マコトはそう思って、姉の友人たちから話を聞いた。
すると分かった。──姉に、心無い言葉をかけた人たちが居たのだ。
彼女たちは姉を妬み、学校で陰口を叩いていたのだという。それは姉を貶めるため、婉曲にマコトを利用した──「身体の弱い妹に遠慮もしないで無神経」「比べられる妹が可哀想」といったものだった。
姉は、自分に向けられた悪意については全く気に留めない。「言わせておけばいいのよ」と言って、格好よく鼻で笑う。しかし、妹のことになれば、話は別だった。
マコトはその事実を知り、頭に血が上るのを感じた。身体の中の血液が湧きたつような心地だった。そんなことは少しもないのだと、陰口を叩いた連中に言い返してやりたい。
でも、それより先にやるべきことがあった。
「──お姉ちゃん!」
マコトは全速力で姉へと駆け寄った。滅多に走ることなんてないので、動悸と息切れが止まらなかったが、そんなことは些事だ。
姉は、肩を揺らしてその場にしゃがみ込むマコトを見て目を開き、焦った様子でその背を摩った。
「ど、どうしたのマコト。あんまり走っちゃだめよ」
長い黒髪を耳にかけ、心配そうに眉を下げて姉が言う。
マコトは、今にも爆発しそうな心臓を服の上から押さえて、姉に向かって声を張り上げた。
「お姉ちゃんっ。わたし、わたしね……!」
姉はマコトと目の高さを合わせ、優しく穏やかに相槌を打つ。
マコトは大きく息を吸い込み、震えた声で言った。
「お姉ちゃんのこと、羨ましいって思ったことないって、そう言えば、嘘になるよ……!」
羨ましいと、思わないわけがないだろう。
自分は身体が弱く、自由に外に出られない。力いっぱい走り回ることもできないし、学校だって休んでばっかりだ。
なのに姉は、どこに行っても優等生と褒められる。何をやったって一等賞で、友達だって多い。才能があって、華があって、人望がある。
どうして自分は姉のようになれないのだろうと、そう思ったことだってある。
でも、それ以上に──。
「格好いいお姉ちゃんが、好きなの」
何に対しても手を抜かない姉が好きだ。
自分に自信のある姉が好きだ。その自信に見合うだけの努力を欠かさない姉が好きだ。
常に完璧であろうとする姉が好きだ。誰に対しても誇れる自分で在ろうとする姉が好きだ。
困っている人が居れば、手を伸ばさずにはいられない姉が好きだ。
羨ましいと思う。妬ましいとも、思う。でもそれ以上に、彼女はマコトの憧れであり、誇りなのだ。
「わたしに遠慮なんてしないでよ。何でも一番でいてよ」
「マコト……」
「わたしのお姉ちゃんは最強なんだって、皆に自慢させてよ……!」
何があっても折れない姉でいてほしい。眩い人でいてほしい。
彼女はマコトにとって、輝ける星なのだ。
彼女の存在が、その背中が、どれほどマコトを支えてきたことか。
縋りつくようにそう叫ぶと、姉は「……そうね」と温もりに満ちた声で呟いた。
「……私が何かをすることで、あなたを傷つけているのではないかと恐ろしくなったのだけど。──私が、大馬鹿だったわ」
彼女は立ち上がり、そして大きく胸を反らした。
「私は、世界で一番かっこいい、マコトのお姉ちゃんだもの。下を向くなんて似合わないわ!」
そう言ってのけた彼女の笑顔は、世界一眩しくて格好良かった。
それから大きくなるにつれて、マコトの病弱な体質は徐々に改善されていった。
しかしインドア気質は変わらないまま。本を読むのが好きな文学少女に育ち、更には。
「──あ、アンドレア様(乙女ゲーム攻略キャラクターの名前)……!」
どっぷりとオタク趣味に浸かり、乙女ゲームと恋愛小説をこよなく愛するようになった。
我を忘れるほど熱中できる趣味を見つけてから、姉と共にゲームをして遊ぶようにもなった。姉は基本的に何でもそつなくこなせる人だが、ゲームに関しては少々苦手らしく、よくバッドコミュニケーションの選択肢を選んでは「どうして私が殺されるのよ~ッ!?」とバッドエンドを前にコントローラーを連打しながら嘆いていた。
珍しく姉が頼ってくれるのが嬉しくて、ついつい攻略難易度の高いゲームを勧めてしまうのは内緒である。
「ふふ。また新しいの買っちゃった」
気になっていた新作ゲームのパッケージを眺めながら、マコトはくすくすと小さく笑う。
「お姉ちゃん……早く帰ってこないかなぁ」
いつもより帰りの遅い姉に、軽やかな祈りを投げかけながら、マコトはソファに座ってそわそわと足を揺らすのだった。




