第12話 初めてのデート
「テンチョー。締め作業終わりましたよ」
「ああ、ありがとね。帳簿はいつもの所に置いといて」
「ッス」
ウォーレンはペンを置き、今日の売上を書き込んだ帳簿を事務机の引き出しの中に入れた。
雑貨屋でのバイトである。
ウォーレンは平民生まれの平民育ち、おまけに訳あって両親ともほぼ絶縁状態にある。故に、他の学園の生徒のように、実家からの援助など期待できるはずもなく、生活費を賄うため、こうして放課後や休日には何本ものバイトを掛け持ちしているわけだ。
店内の商品に布をかけ、エプロンを脱いでいると、店の奥から店長に声を掛けられる。
「グレッグくんさ」
「はい」
「仕事の手伝い、いくつも掛け持ちしてるんだろう? その……ちゃんと自分の時間は持てているのかい? 勉強したり、友達と遊びに行ったりする暇も必要だろう?」
店長は心配そうな目をウォーレンに向けた。
ウォーレンは彼に対して「親切な人だなあ」と思う。それから眼鏡を外し、眉間を押さえ、そして元気よくピースを掲げて「もちッスよ!」と言った。
「ちゃ~んと両立できてますって! オレ要領良いんで!」
「そうかい?」
「ッス。も~、毎日楽しくて仕方ね~って感じッスよ! 恋に学業に大忙しで!」
「おっ。好きな子が居るのかい」
「居る居る。も~、スッゲェかわいい子スよ。今度デートすることにもなったし!」
「あら~良かったね」
まあ、ウォーレンが一方的にデートと言い張っているだけなのだが。
すると店主のおじちゃんは、「それなら贈り物の一つでも用意しとかないとねえ」と微笑ましそうな表情を浮かべて言った。
それに対し、ウォーレンはボケッとした顔をして「おくりもの」と呟く。
「折角のデートなんだから、男見せてバシッと決めちゃおうよ」
「そ……ういう、モンなんスかねえ」
「そうだよぉ」
店長のおじちゃんは、ウォーレンの背中を軽く二度叩いた。
ウォーレンは「オレみたいなのがンなことしてもキモいだけじゃね?」と思ったが、しかしその一方で、頭の中には彼女の綻ぶ顔も浮かんでいた。
いつも鋭い顔をしたあの子が、自分が渡した何かで喜んでくれたら、どんなに嬉しいだろう。
ウォーレンは腕を組み、首を右に傾け、左に傾け、うんうんと唸ってから、「よし!」と叫んで膝を叩いた。
「なら、この店にある一番高いの……。……。オレが買える範囲のモンで一番高くて綺麗なの、ください!」
「……割引しておくよ」
「えマジスか!?」
──レイシアという女は、一目見た瞬間に目を離せなくなるような少女だった。
それは勿論、彼女が天使のように美しい顔をしていたというのも理由の一つだが──何より、あの目が印象的だった。
注意深く周囲を睨みつけ、人の温もりを拒みながらも、決して折れない強さを持ったあの目が。
あの真っ赤な目を見た瞬間、頭の中に稲妻が走ったのだ。
それは、「このまま彼女を放っておいてはいけない」という直感だった。
よく分からない。何も知らない。彼女のことを見るのはあれが初めてだった。けれど、声を掛けずにはいられなかった。
助けてと、そう言われた気がしたからだ。
勘だ。ただの直感でしかない。
けれど、ウォーレンの勘はよく当たる。子供の頃から、嘘をついている人間を百発百中で見分けることができたほどだ。そういう才能を、生まれ落ちた時に神様に与えられたのだ。
まあ、その体質で得をした経験など、ただの一度もなかったが──。
とにかく、その直感の通り、レイシアという少女は、その氷細工のような顔の裏側に、とんでもない秘密を隠し持っていた。
正直に言えば、彼女が見聞きしたことの全てを理解しているとは言い難い。それほどまでに彼女の話は突拍子もないものだった。
しかし、ウォーレンには分かるのだ。
彼女は嘘をついていない。
なら、それだけで十分だろう。どうせ自分は頭が足りないのだから、余計なことに気を回すだけ無駄だ。彼女の話を信じられる。それが、ロクな取り得のない自分に与えられた、唯一の長所なのだと思う。
「街へ降りるのは久しぶりね……」
「──」
「……? 何よ、その顔は。私、どこか変?」
「いんや。私服のレイシアも最高にキュートで見惚れちまってただけだ。正しく天使だぜ。オレの」
「あなたのじゃないわよ。バカ」
レイシアは腕を組み、ツンと顔を反らした。
その細い身体は、普段の制服姿とは異なり、白いシャツと深い赤色のコルセットスカートに包まれている。目深に帽子を被り、キョロキョロと辺りを見回すその姿は、常日頃とはまた違った魅力を存分に放っていた。
「ちょっと。何をボケッと突っ立っているのよ」
するとレイシアに肘で小突かれ、睨みつけられてしまった。
「あなたが私を誘ったんでしょう。部屋に閉じこもっていても気が滅入るだけ、それに街へ降りれば何か新しいことが分かるかもしれない──って」
「そうそう。そういやァそうだったな~」
「全く、しっかりしなさいね」
この通り、彼女を外へと連れ出したのはウォーレンだ。
極力人と関わるのを避け、誰とも話さないようにと外との交流を絶っていたレイシアを、何とか説得して街へと誘い出したのだ。
それは彼女への純粋な心配が五割、そしてこの機会に彼女とどこかへ遊びに行きたいという下心が五割である。
「そこまで言うなら、今日は私のストレス解消に存分に付き合ってもらうわよ」
「そりゃ、どこまでも。荷物持ちなら任せとけって」
と、ウォーレンはヘラヘラと笑いながら言ったが──実の所、その軽薄そうな身体の内側にある心臓は、バクン、バクン、と爆音を鳴らして鼓動していた。
──用意したプレゼントは、どのタイミングで渡すのが最適解なのだろうか。
というか何と言って渡せばいいのだろうか。
もしかして会った直後に渡すべきだったか?
分からない。とりあえず当たり障りない話題で間を持たせよう。そう思って隣を見ると、レイシアの姿が忽然と消えていた。
「あれっ?」と思って正面を向くと、彼女は既に露店の前に移動していた。
ウォーレンは慌てて小走りでレイシアに駆け寄り、彼女の隣に並ぶ。
「あら。これ綺麗ね」
彼女は露店に並んでいた指輪を手に取った。
店主は「おッ。美人さん、お目が高いね」と嬉しそうに言う。しかしウォーレンはその指輪と、それにつけられた値札を見て、内心で「ゲッ」と思った。
その値札に書かれていた数字が、自分が用意したプレゼントの値段を優に超えていたからだ。
折角バイト先で見繕ったプレゼントではあるが、流石に高級品の後には霞んで見えるだろう。店長のおじちゃんも頭の中で汗をかいている。
「い、いやァ~、どうだろうな? レイシアにはもっと似合う別のものがある気がするけどな~?」
「そう? でも気に入ったから買うわ。これください」
制止も虚しく、彼女は全く躊躇なく指輪をお買い上げになった。ウォーレンは心の中で「レイシアーッ!」と叫びながらも……迷いない彼女の足取りを止めることはできない。
それからもレイシアは、きびきびと街を探索して、気に入ったものを次々と買っていく。
更には、
「ねえ。これなんてあなたに似合うんじゃない?」
と言って、いつの間にか買っていた黒くてかっこいい帽子を、ウォーレンの頭の上にのせてしまった。
さっぱりとしたその態度には、全く不自然さがない。思わずウォーレンは乙女のように照れてモジモジしてしまって、それから「それはオレがやりたかったやつ!」と内心で悔しく思った。完全に形無しだ。
「ふふん。やっぱり時々自分にご褒美をあげるのは大事ね」
流行りの装飾品や服などを買い込んだレイシアは、つやつやとした満足げな表情を浮かべ、鼻歌混じりにスキップをしている。楽しそうで何よりだが、ウォーレンは完全にプレゼントを渡すタイミングを見失ってしまった。
そもそも彼女は、欲しいものは何だって自分で買えるのだ。そんな相手に、自分ごときが一体何を贈れるというのか。
何だか、自分の足元に黒い穴が空いたような心地になる。
するとその時、レイシアが「あっ」と声を上げた。
つられてウォーレンも顔を上げる。
彼女の視線の先には教会があって、その前で──あれは一体何だろうか? 市民を集めた催し物らしき何かが行われていた。
目を凝らして見つめると、その行列の先には、銀髪に青い目をした青年の姿がある。
「……アイザックね」
と彼女は呟いた。
その目の奥には、酷く複雑な感情の色が滲んでいる。
「ありゃあ、何してんだ? 炊き出し?」
「いいえ。あれは──魔力を施しているのよ」
「魔力を?」
レイシアは目を伏せ、「ええ」と呟いた。
「魔力というのは、生命力の塊でもあるの。物凄く強力で、特殊なエネルギーだと思って。だから魔力を分け与えることで、不健康を治せたり寿命を伸ばしたりできるのよ」
「へえ……ンな便利なモンなら、もっと色んな人が分けてやりゃァいいのに」
「普通はできないのよ。拒絶反応が出ちゃうから。物凄く細かい血液型みたいな……と言っても通じないか。とにかく、アイザックの魔力は特別。誰の身体にも適合できるの」
「……詳しいな」
「そりゃあ、まあね。この光景はもう何度も見てるもの」
彼女は昔を懐かしむように言った。
詳しいのは当然だ。話によれば、彼女はもう四度も学園での三年間を繰り返しているらしい。その間、アイザックとは特に交流が多かったとも聞いている。
アイザック。この国の第二王子。
レイシアを二度、殺したらしい男。
ウォーレンは、「怒るべきなのだろうか」と思った。
それは今の彼にとっては、何の謂れもない言いがかりだ。実際証拠はないし、彼が凶行に走ったという事実すらない。
それでも、レイシアの言葉に嘘はなかった。
それなら、たとえ「なかったこと」になったのだとしても、彼女が受けた痛みまでが減るわけじゃない。
けれど、彼女の目を見る限り、そこにアイザックへの怨恨は見当たらなかった。
むしろ──。
「優しい人、ではあったのよ」
「……酷いこと、されたんだろ?」
「……そうね。私の記憶の中ではね」
「恨んじゃいねーのか?」
「恨むには、彼のことを知り過ぎたから」
「それってどんなこと?」
「……そうね。あなたには情報を共有しておきましょう。何か解決の糸口が見つかるかも」
ウォーレンは完全に私情──好きな子の心に残った男の足跡の調査のため──により尋ねたのだが、レイシアはそれを真剣に受け取って返答した。
「彼はアイザック・フォン・セルベルク。この国の第二王子様で、エドガーという双子の兄が居るわ。あなた、この世界の双子が時折持って生まれる『共感覚』は知っているわよね?」
「あー、聞いたことある」
「双子の魂は繋がっていて、お互いの感情や記憶が時折共有されるの。で、エドガーは今他国に留学中なんだけど、この人がもう凄まじい完璧超人でね……」
「あー……」
「そんな人の記憶が流れ込んでくるものだから、かなり、何というか、自己肯定感の低い人に育っちゃったのよ。その上、王妃様は身体が弱くて、王は彼女にかかりきり。両親と関わる機会も少なくて──」
「……」
「それで彼は、せめて誰より善良であろうと必死に努力していたんだけど……」
「……なあ」
「なに?」
「も、もしかして、なんだけど」
「? ええ」
「アイツのこと、まだ、好き?」
ウォーレンは歯切れ悪く彼女に尋ねた。
彼女が一度目、二度目のループでアイザックと恋人関係にあったことは、曖昧にではあるが聞いている。
もしや、彼女はまだ未練があるのだろうか。
殺されても尚、彼を庇い立てしたいと思うほどに心を委ねているのだろうか。
そうだとしたら、何だかこう、胸の奥が……胸の奥が、キリキリする!
けれどレイシアは、ポカン、という感じで目を丸くして、それから顔の前で小さく手を振った。
「あのね。自分を殺した相手をずっと好きでいられるほど、私はお人好しじゃないわよ」
「……そ、そっか」
「でも……アイザックだけじゃなくて。今まで私を殺した人たちが。私が、友達だと思った人たちが……私を殺すに至った理由を知りたいの」
レイシアは穏やかな声で言った。
「それで、その理由を完膚なきまでに打ちのめして──殺すとか殺されるとか、そういう物騒なこと全部なしの関係を築きたい。それが、今の私の最終目標よ」
彼女は笑って言った。
そこに、絶望だとか、失意だとか、そういう後ろ向きな感情はない。
彼女はどこまでも真っ直ぐで、自分を殺した相手とすら、もう一度明るい話をしたいと思っている。
ウォーレンには、それがどれほど凄いことなのか、真の意味では分からない。だって殺されたことなんて今までの人生で一度もないし、「痛そうだな」とか「怖かっただろうな」とか、そういう薄っぺらい上辺だけの共感と想像しかできないからだ。
だから、彼女の気持ちに、本当の意味で寄り添うことは、きっと永遠に不可能だ。
それが歯痒くて、苦しくて、痛い。
「……さて。素敵なものも沢山買えたことだし、そろそろ学園に戻りましょうか」
「……うん」
「と、その前に」
するとレイシアが振り返る。
彼女に顔を覗き込まれ、ウォーレンは驚いて足を一歩後ろに下げた。
「あなた、私に渡したいものがあるんでしょ?」
彼女は腰に手を当てて言った。
ウォーレンは目を見開いた。まさか先に言われてしまうとは思っていなかった。どうしてバレているんだ。
そういう動揺を、彼女は高らかに笑い飛ばした。
「だってあなた、今日はずっとその胸ポケットをソワソワしながら見てたでしょ。何か隠してるんだなって、嫌でも分かるわよ」
「ゔ」と、喉の奥から枯れた声が漏れる。
そうだ。彼女の言う通り──でももう、渡す気はとっくに潰れてしまっていた。
だって、彼女は自分の好きなものを何でも自分で手に入れられるのだ。それも、ウォーレンが一生かけても贈ってあげられないような宝物を。
彼女は本来、住む世界の違う人間だ。
そんな彼女に、自分のような人間が、一体何を渡せようか。
「あ……いや」
ウォーレンは、頭の後ろを掻きながら笑った。
その卑屈な笑みは、ウォーレンにとっては、自分を守る鎧みたいなものだ。
「──実は、たまたま安く買えた髪飾りがあってさ。サラッとプレゼントもできるオレ、って感じで、レイシアのハートをガッツリキャッチ♪ お礼としてキスの一つでも強請っちゃお~かな、なんて考えてたわけよ?」
「ふぅん?」
「でもまっ、そんな気分じゃなくなったっつ~か?」
そう言うと、彼女は釈然としない様子で首を傾げる。
ウォーレンは俯き、指を突き合わせながら言った。
「だから、まぁ。そもそも全然、本気のヤツじゃね~し……」
予防線を、何本も自分の前に引いておく。そうすれば、いざという時に傷つかない。怒られても、罵られても、平気になる。
するとレイシアは、少し考える素振りを見せたあとに、その細い指先をウォーレンの鼻に突きつけた。
「いい? ウォーレン」
「え」
「私はね。あなたから何を貰ったって、全然、ちっとも、嬉しくないんだから」
その瞬間、彼女の身体から黒い靄のようなものが溢れた、ように見えた。
──嘘だ。
彼女は嘘をついている。
レイシアは舌を出して、「そう。嘘よ」と子供みたいに言った。
「あなたね。土壇場になって気後れしてるんじゃないわよ。もっと胸を張りなさい」
「え……」
「言っておくけど、私は人に気を使わないわよ。欲しいものはすぐに手に入れるし、誰にどう思われようがしたいことをするわ」
彼女は胸を張って言った。
「贈り物は好きよ。私のことを考えて選んでくれたその時間は、何にも代えられないくらい尊いものでしょう」
「──」
「勿論、その物自体も大切にするわよ?」
レイシアは、当然のように手のひらをウォーレンへと向けた。
その気迫に圧倒され、思わずポケットから小さな包みを取り出してしまう。それをおずおずと彼女の小さな手の上にのせれば、彼女は迷いなく包みを開けて、黒いリボンを取り出した。
そうして彼女は帽子を脱ぎ、星のように綺麗な長い金髪を高い位置でまとめ、リボンでキュッと一つに結ぶ。
彼女は髪を手で梳いて、それから「どう?」と問いかけた。
「世界一かわいい?」
それにウォーレンが頷くと、彼女は「当然」という顔をして、より胸を張った。
彼女の顔を見つめながら、ウォーレンはぼんやりと、「ああ」と思った。
ああ、この人は、本当に強い人なんだろう。
自分に自信があって、その自信を裏付けるだけの努力を日々積み重ねている。だから他人からの好意を臆することなく受け取れる。
……ウォーレンは、彼女から聞いたループの話を思い返した。複数回の繰り返しの中、彼女と出会った自分は大抵彼女にしつこく付き纏っていたらしい。
それを聞いて、ウォーレンは「ウワッ」と思った。
この「ウワッ」は、「ウワッ、やりそう」のウワッ、だ。
好きな子と一言でも話してみたくて、でも焦って空回って余計なことばかり言って、それで案の定嫌われて──それに多分、安堵したのだろうと思う。
一度嫌われてしまえば、もう「嫌われる」ことに怯える必要がない。期待されなければ失望されることもない。それにほっとして、もう怖気づく理由がないと──相手の迷惑も考えず、好き勝手ベラベラ喋って付き纏うその自己中心さが、特に自分らしい。
本当にどうしようもない野郎だ。
本来ならば、レイシアのような人間が、笑顔を向けることなど有り得ない人間なのだ。
彼女が未知の悪意に襲われて、誰にも信じてもらえないような苦境に立たされている今でなければ。
「思ったんだけど」
「……うん?」
「あなたって、人の嘘を見破るのは得意なのに、自分が嘘をつくのは下手よね」
レイシアが、肩を竦めながら不思議そうに言う。
──嘘をつくのが、下手。
そんなこと今まで、言われたことも。
だって。
オレは。
「……そう?」
「そうよ」
「……レイシアが言うなら、そうかも」
学園への帰り道。
緩やかに沈んでいくオレンジ色の夕日を見つめながら、スキップと共に揺れる彼女のポニーテールを眺めながら、ウォーレンはぼんやりと思った。
もし、彼女が抱えている悩みや困難が解決して、全部何とかなった後でも、ちょっとくらいはオレと話してくれたらいいな、と。




