第9話 5
× 5 ×
「──はぁッ、はぁッ、はぁッ……!」
また、戻ってきた。
この感覚を味わうのは、これで五回目のことになる。
私はまた、入学式の朝に戻ったのだ。
実家の私室の中で、私は拳で机を何度も叩き、血が滲むほどに強く唇を噛みしめる。
死んだ。また死んだ。また殺された。
友達だと思っていた。女の子が相手なら、仲良くなってもああはならないんじゃないかと思った。
でも駄目だった。全部希望的観測だった。
「……あ、あ……」
足がもつれる。ベッドに倒れ込む。
四度も繰り返せば、流石に悟る。これは、誰が悪いだとか、誰に責任があるだとか、そういう個人間の話ではない。
きっと、もっと大きな力が働いているのだ。その真っ黒な力が私の周りを取り巻いていて、凄惨な結末へのレールを勝手に敷いているのだ。
あれは、隠されていた本性が露になった、なんてものじゃない。
発狂、と呼んだ方が良いだろう。
狂ってしまうのだ。私に関わった者は皆、きっとおかしくなってしまうのだ。
それまでの人格の一切を塗り潰すような狂気に呑み込まれるのだ。そうして他人を害するようになってしまうのだ。
──いっそのこと、あの学園に行くこと自体をやめてしまおうか。
入学を取りやめて、この家に引きこもる。そうして、誰にも会わないように外界との接触を断つのはどうだろうか。
公爵令嬢としての名誉に傷がつくだろうが、殺されるよりはまだましなのかもしれない。
私はそう考えて──けれど、やっぱりそれはできないと思った。
両親も使用人も、私に何かあったのかと心配するだろう。私は彼らに迷惑も心配もかけたくない。
それに家に閉じこもるということは、この家の人たちとの関わりを増やすということだ。
もしも家族やアンナまでもが、アイザックやライアンみたいに豹変してしまったら。私へ刃を向け、身勝手な理論で私に殺意を振りかざしてしまったら。それは、酷く耐え難い。
そう思うと、やはり私はあの学園に向かうしかないのだろう。
アンナに呼ばれ、アイザックの迎えを待ちながら、私は一つの覚悟を決めた。
──今生では、誰とも関わらない。
誰とも親密にならない。誰にも心を許さない。誰にも心を許されない。友人を作らず、孤独を貫く。一人で何もかもを終わらせる。
少しでも仲を深めれば、これまでのループのように、その相手が豹変してしまうかもしれない。
だから誰にも友好的にならない。
一人で……一人で、生きていこう。
大丈夫。私には、前世の思い出がある。家族や友達と幸せに生きた記憶がある。
それに、この世界でレイシアとなってからも、楽しいことは沢山あった。いつも最後は苦しくて怖くて冷たい理不尽に襲われたけれど、決してそれだけがこの世界の全てじゃなかったのだ。
だから、そんな綺麗な記憶をよすがに、誰とも関わらずに生きていく。
笑顔を消す。声から温かさを消す。人間味を消す。表情筋を動かさないようにして、必要最低限の会話しか行わない。
冷たく、恐ろしく、無愛想な、鉄のような女として振る舞おう。
そうしなければ、私はきっとまた誰かを化け物に変えてしまうから。
× × ×
「あッ、あのっ! エルフェドール嬢!」
「……」
廊下を歩いていると、誰かに呼び止められた。
振り返って、私に声を掛けてきた男の顔を確認する。彼は確か、一年上の白魔法研究部の青年だったか。
こんな人目のつく所で呼び止めるなんて、どういうつもりだろう。──まあ、どういうつもりもないのだろうけど。
彼は恐らく、ただ私を勧誘に来ただけだ。衆目の面前ならば、そう簡単に無下にはされないだろうという打算もあるかもしれない。
「わ……私は、白魔法研究部に所属している者だ。貴女が非常に優秀な生徒であるという噂を聞き、会いに来た。まだどの部活動に所属するか決めていないのであれば、是非一度ウチの部を見て行かないか?」
緊張しているのか、少々早口気味に彼は喋った。
私は彼の顔を見上げ、目を細めて。
「興味ないわ」
と、隙のない声で言い切った。
「話しかけられて本当に迷惑」という表情を顔に貼り付け、温度のない瞳で彼を睨みつける。
「あなた、家名は?」
「え……あ……カスカルク……だが……」
「そう。カスカルク伯爵家ね?」
「あ、ああ……」
「私は公爵家の令嬢よ。あなたが軽々しく声を掛けていい身分じゃないわ。それを分かっていて?」
「なッ……!」
「身の程を弁えて、二度と話しかけてこないで」
私はそう言って彼を突き放した。
その瞬間、騒めいていた周囲が、時間が止まったかのようにピタリと静まり返る。
誰も彼もが冷水を浴びせられたような顔をしていて、私と目を合わせないように俯いていた。
カスカルク青年は置物のように固まって、その後何も言葉を発さなくなった。顔を真っ青にして、どういう態度を取るのが正解か分からない様子だ。
そんな彼に背を向け、振り返ることもなく再び廊下を歩き始める。
その頃には沈黙していた周囲も音を取り戻しはじめ、ひそひそと蚊の鳴くような小声で囁き始めた。
「まあ、お気の毒に……」
「何もああまで厳しく言う必要はないでしょうにね……」
「見たかよ、今の。怖ぇ~~」
「氷のご令嬢様はおっかねえなあ……」
彼らが私に向ける眼差しは冷え切っている。
けれど、それで構わない。私のことを、近寄りがたい恐ろしい女だと思ってもらわねばいけないのだ。話しかける気も起きないような、威圧的で高慢な令嬢だと思われる必要がある。
冷たく振る舞うようになったことで、アイザックも私と距離を置いている。昔からの知り合いな分、今の冷徹さとのギャップに一線を引いているようだ。
ライアンとは関わってもいない。向こうから話しかけてくることもないし、修練場に行かなければ深い知り合いになることもない。
クラリナとも関わりを持っていない。一度話しかけてきたことはあるが、冷ややかに拒絶した。それからは私に怯えた目を向けるようになったので、もう近づいてくることはないだろう。
他にも、私に声を掛けてくる相手は徹底的に退けた。対話の意思がないことを見せ、見下し、蔑み、分厚い不可視の壁を作ったのだ。
だが、しかし──。
「ヤッホ~レイシアちゃんっ!」
「……」
「どしたの。ご機嫌斜め? なら気分転換にオレとデートでもする?」
「……うるさい」
「ヒュウ。怒った顔もカワイイな」
教室にて、一人で本を読んでいると、無遠慮にパーソナルスペースへと踏み込まれる。
……忘れていた。
そうだ。ウォーレンはこういう男だった。
こちらを両手で指さし、右目を閉じてウインクしてくるウォーレンのせいで、ピキリと血管が千切れる音が聞こえた。
私は放っておいてほしいのだ。とにかく他人と関わりたくない。こちらから何かアクションを起こすつもりはないし、敵意を持っているわけでもない。害を与えるつもりはないのだから、そっとしておいてほしい。
だというのに、彼は私の拒絶を全く意に介さない。
思えば、一度目のループから彼はそうだった。こちらが嫌がれば嫌がるほど、しつこく距離を詰めてくるのだ。
私は読んでいた本を閉じ、彼から離れたい一心で教室を立ち去る。
しかしウォーレンは「どこ行くの?」だとか、「オレもついてく~」だとか、「なァレイシアちゃんって誕生日いつ?」だとか言って、私の後ろを雛鳥のようについてきた。
鬱陶しい。本当に、鬱陶しい。
「ついてこないで。不愉快」
「まぁまぁそう言うなって」
私が歩くスピードを早めると、同じように彼も早歩きになる。無駄に足が長く、楽々と私に追いついてくるのが余計に腹立たしい。
──図書館に逃げ込む? いや、あそこにはいつもセオドアという青年が居る。これまでのループで関わったことはないが、事前情報の量を見るに、彼と接点を持つのもロクな事態にならないだろう。
考えながら歩いていると、学園の裏庭までやって来てしまった。
そこはひとけがなく、木が生い茂っていて少し薄暗い。
ベンチがいくつか置かれているが、使い込まれている様子はなく、落葉が薄く積もっていた。
「ハイ。捕まえた」
後ろからポン、と両肩に手を置かれる。
ウォーレンは私の正面へと回り込んで、「ん~?」と言いながら腕を組み、首を傾げた。
「レイシアちゃん、顔色悪いぜ? ま、真っ青でも可憐なことに変わりゃしね~が」
「……あなたには関係のないことでしょ」
「それがあるんだな! 何たってオレは、レイシアちゃんに一目で惚れちまってるから!」
「……やめて」
自分の顔が強張るのが分かる。
好きだとか、惚れたとか、そういう言葉の一切を聞きたくない。どうせそれが悪意に変わると知っているから。
するとウォーレンは「……まっ! それは置いときまして」と軽薄な声色で言う。
「なァ~んか悩みでもあるんだろ? オレってそういうの分かっちゃう系男子だからさ」
「……そんなの無いわ」
「まぁまぁ。ここは一つ、オレに打ち明けてみるってのはどう? この頼れるウォーレンくんが力になるぜ?」
「……いい。要らない」
「そんな冷たいこと言わずにさ。なっ? オレだって、何か──」
「──だからッ!」
私は拳を握りしめて叫んだ。
彼のあまりのしつこさに、堪忍袋の緒が切れたのだった。
私は本当にもう、誰に殺されるのも、誰に失望するのも嫌なのだ。
誰かが死ぬ所も見たくない。だから誰にも関わらないようにしているのに、どうしてこの男は私に絡んでくるのだろう。
だから私は振り返り、「そこまで言うなら!」と叫んで、彼の胸へ指を突きつけた。
「あなたがどうにかしてくれるの!? ならどうにかしてみせなさいよ! 全部っ。全部っ!」
「お、おいおい……」
「もうウンザリなのよ! なんでっ、何で私が殺されなくちゃならないの! なんで皆おかしくなるの!? 私が何を間違えたって言うの!?」
「れ、い……」
「い……嫌。イヤよ。も、もう、死にたくない。どうしてこうなるの? 私、誰とも仲良くなっちゃダメなの? ずっとこのまま独りでいなきゃいけないの? 独りのまま死ねたら、それで終われるの? もう、ここには戻ってこなくて済む?」
「れい、しあ……」
「ねえ。何がダメだったのよ。私が本物のレイシアじゃないから? だから、こんな目に遭ってるの?」
「……」
「教えてよ……誰か……」
彼の胸を叩き、崩れるようにその場に座り込む。
分かっている。これはただの八つ当たりだ。ウォーレンが悪いわけじゃない。それでも吐き出さずにはいられなかった。
何一つ、意味が分からなかっただろう。きっと、頭のおかしな女だと思われたはずだ。
けれど、それでいい。ヒステリックで、訳の分からない妄言を喚き散らす、頭のネジが外れた女だと思ってくれたなら、きっともう金輪際関わろうとしないはずだ。
ウォーレンは呆然と立ち尽くしている。私は立ち上がり、目元を手の甲で拭った。彼に背を向け、「もういいでしょ」と呟く。
しかしその瞬間、服の袖を僅かに掴まれる。
「……まだ何か用?」
「あ……」
振り返って、彼を睨みつける。
彼は金魚のように口をぱくぱくと開けたり閉じたりして、それから。
「い……痛かった、だろ?」
と、真剣な顔をして言った。
私は思わず「──は?」という声を漏らした。一体、彼は何を言っているのか。
「大丈夫……いや、大丈夫なわけねーか。ごめん、オレ馬鹿だから、こういう時になんて言やいいのか、分かんなくて……」
「……は?」
「とにかく、もっかい聞かせてくれるか? できればゆっくり。オレも頑張って一回で理解するから。出来る範囲で、だけど……」
「……はっ、はあっ?」
訳が分からなかった。
眼鏡を押さえ、私をじっと見つめるウォーレンのその顔は、まるで私の言うことを信じているかのようだった。
そこには私を馬鹿にする様子も、訝しむ素振りもない。
本当に真剣に、私の話を聞こうとしているように見える。
「……ば、馬鹿じゃないのっ?」
「だから馬鹿なんだってオレ。入学試験もほとんど勘で乗り切ったくらいだぜ? 選択式で助かったとマジで思ってる」
「そういうことじゃないの!」
私は爪先立ちになって、彼の両肩を強く掴んだ。
「私の話を信じてるわけ!? こんな胡乱なことを鵜呑みにしてるっていうの!? あなた正気!? 頭のネジが外れてるの!?」
「な、なんつー言い草だよ……」
「だって私が! 私が、言ってることは……」
とても事実とは思えないことだと分かっている。
根拠も証拠もない。私の話が真実だと証明する材料がない。誰が聞いても、私の頭がおかしいのだとしか思えないだろう。
誰かにこのループを打ち明けようと思ったことはある。父や母、アンナなら信じてくれるんじゃないかとも思った。
でもやっぱり、誰が聞いたって荒唐無稽にも程がある。きっと心配はしてくれるが、それは「妙な夢を見ているのではないか」だとか「精神的に疲労しているのではないか」だとか、そういう方面の心配だ。
それに、そもそも私は「本物のレイシア」ではないのだ。
そんなことを言えば、余計に周囲の人を困らせ、傷つけるだけ。
だから、誰にも言えない。
言ったって、信じてもらえない、と。
「……だって、嘘ついてねーんだろ?」
なのに彼は、事も無げに、あっさりとそう言い切った。
……どうして。そんなに、呆気なく。
「……信じるの?」
「そりゃあ当然! こ~んなカワイイ子の話を疑ったりなんかしねえっての!」
「……理由は、それだけ?」
「……い、いや。それだけ、っつーか。まあ」
するとウォーレンは、突然目を泳がせはじめた。そうして歯切れ悪く、私の顔色を伺いながら言う。
「その。こっちこそ、信じてもらえないと思うんだけど。つか、信じられねーだろうし。うん。やっぱ何でもねえ……」
「言って」
「……し、信用、できねーとは思うんだけど」
「ええ。なに?」
「オレは、その……勘が」
「勘?」
「勘が、良くて……」
私は黙り込んだ。
その様子を見て、ウォーレンが焦った様子で「うっ、嘘じゃねーんだ!」と叫ぶ。
「相手が嘘ついてるかどうかとか、何か隠してるとか、そういうのが、なんとなく分かんだよ……!」
「──」
「けど、それを言っても気味悪がられるだけだし。つかオレ信用ねーから、そもそもオレの方が嘘ついてると思われるし! だから、普段は言わねーようにしてるんだけど……」
彼は服の端を握りしめ、眉間に皺を寄せながら言った。
「でっ、でも! だからっ。レイシアちゃんが、嘘なんかついてないってことは分かってっ! そもそも、皆にキツい態度取ってんのも、何か事情があるんだろうなって、ピンと来て……」
「──ウォーレン」
「な、なに?」
私は彼の耳に口を近づけ、「私、妹がいるの」と囁いた。
彼は首を傾げ、「そう……なのか?」と、目を瞬かせながら言う。
「それとね。私、犬が大好きなの」
「……え? あ」
「今の、嘘かホントか分かる?」
「……嘘」
「そう。嘘。昔手を噛まれたことがあるからよ。近所に住んでたチワワにね。あれは恐るべき生き物よ。いつか人類に牙を剥くに違いないわ」
「……これ何の話?」
ウォーレンが釈然としない様子で呟く。
私は「あなたの話に決まってるわ」と答え、腕を組んで頷いた。
「驚いた……本当に人の嘘を見抜けるのね」
「え、ああ、成程」
「つまり、ホントに私の話を信じられるの?」
「だから、そう言ってんじゃねーか」
彼が頭を掻きながら言う。
私は、何だか急に、手足に巻き付いていたおもりが外れたような気分になった。
「そう……」
ウォーレンだって、他の皆と同じように、いつかおかしくなってしまうかもしれない。関わるべきじゃない。距離を取るべきだ。
頭ではそう分かっているのに、話したくて仕方がない。
私の身に起きている不可解な惨禍を知ってほしい。それでもう一度だけ、「痛かったよな」と言ってほしいのだ。
そうすれば、私はまだ頑張れるだろうから。
「──私の、話を」
「ああ」
「聞いて、くれる?」
「……嚙み砕いて、分かりやすく頼むぜ?」
そう言って、ウォーレンは眉間を押さえた。
そうして私は、この世界に転生してから初めて、自分の身の内を明かすことに決めたのだった。




