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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第五章 千年前の真実

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第八十二話 千年前 聖女

種を追う旅は、いつしか年をまたぐものになっていた。


ソフィアは、行く先々で、様々な知識を貪るように吸収していった。

ある土地では、古代の遺跡に籠り、失われた文字を解読する賢者に教えを請うた。

その賢者は最初、人間の小娘が理解できるはずがないと相手にしなかった。

けれど、ソフィアは幾晩も遺跡の前に座り込み、根負けした賢者から、少しずつ言葉を引き出していった。


「アルヴァン様と、同じですね」


ある夜、ソフィアがそう言って笑った。


「何がだ」


「待てば、応えてくださる」


私は、それに何も返さなかった。

けれど、その言葉が、なぜか長く耳の奥に残った。


古代の魔法を学んだ後、ソフィアは剣を取った。

最初は、木剣すらまともに振れなかった。

けれど、彼女は毎朝、日が昇る前から剣を振り続けた。

腕に血豆ができても、休むということをしなかった。


「なぜ、そこまでする」


私が問うと、ソフィアは息を切らしながら答えた。


「あなたの隣に立つためです」


「隣に立たずとも、お前の浄化の力があれば十分だ」


「いいえ」


ソフィアは、剣を握り直した。


「浄化だけでは、守れないものがあります」


そう言った直後、ソフィアは腕にできた血豆を見て、顔をしかめた。


「……くそ、地味に痛い」


思わずこぼれた声は、それまでの淑やかな言葉遣いとは、まるで別人のものだった。

ソフィアは、しまったというように口元を押さえたが、もう遅かった。


「今のは」


「……忘れてください」


「素のようだが」


ソフィアは、しばらく気まずそうに視線を泳がせていたが、やがて諦めたように肩を落とした。


「……最初だけです。ちゃんとした聖女に見せておかないと、誰もついてきてくれないでしょう」


「取り繕っていたのか」


「悪いですか」


その口調は、もう敬語ではなかった。


私は、しばらくその変化を見つめていた。

可憐に振る舞っていた娘の下から、もっと骨太な、飾らない人間が現れた。

不思議と、そちらの方が、私にはよほど信用できるように思えた。


「そちらの方が、話しやすい」


「本当に?」


ソフィアは、疑わしげに私を見た。


「私、結構口が悪いですよ。国の連中には、いい加減『あいつ』呼ばわりされてます」


「今更、驚くようなことでもない」


「……アルヴァンって、意外と図太いですね」


その日を境に、ソフィアの言葉から敬語が消えた。


季節を重ねるごとに、ソフィアは変わっていった。

浄化の力は、種を見つけるためだけのものから、瘴気そのものを打ち消す力へと育っていった。

剣も、ただ振るうだけのものから、私の一撃を受け止められるものへと変わっていった。


ある日、稽古の最中に、私はソフィアの剣を弾き飛ばした。

けれど、彼女はすぐに体勢を立て直し、素手のまま私へ踏み込んできた。


「もう終わりだ」


「まだ」


ソフィアは、荒い息のまま笑った。


「アルヴァンが本気出してないことくらい、分かってるんだよ」


私は、しばらくその顔を見つめていた。

本気を出していないのは事実だった。

けれど、それを見抜かれたのは、初めてのことだった。


「……お前は、変わった娘だな」


「よく言われる」


そう答えたソフィアの表情には、疲れの中にも、確かな充実があった。


そうしているうちに、隠されていた種は、少しずつ形を変え始めていた。

各地の泉や地脈に埋め込まれていたはずのものが、ある日を境に、地上へ姿を現し始めたのだ。


最初の兆候は、辺境の小さな村だった。

家畜が理由もなく暴れ、やがて人の形を保てなくなった。

私たちが駆けつけた時には、既に村の半分が、瘴気に呑まれた後だった。


「間に合わなかった」


ソフィアの声が、初めて震えた。


「わたしたちは、ずっと追ってきたのに」


「これは、始まりに過ぎない」


私は、村の惨状を見渡しながら言った。

理の底に隠されていた歪みは、もう抑えきれないほどに育っていた。


それから、瘴気は堰を切ったように各地で顕在化していった。

森は枯れ、川は濁り、人の形を失った魔物が、村や街を襲い始めた。

私とソフィアだけでは、もう抑えきれない規模になっていた。


「このままじゃ、世界そのものが呑まれる」


ソフィアは、各国の王や神殿に、再び訴えて回った。

以前とは違い、もう誰も彼女の言葉を疑わなかった。

瘴気は、既に目に見える脅威になっていたからだ。


各国の軍が集められた。


私は、私と同位の柱と呼ばれる存在にも声をかけた。

だが、応じる者はいなかった。


彼らにとって、地上の一つの世が終わることは、決定的な破滅ではなかった。

理からすれば、滅びたならば、また巡らせればいい。

失われたならば、また新しく形を成せばいい。

それだけのことだった。


かつての私も、同じように考えていた。

地上で命が生まれ、老い、死に、国が興り、滅びていく。

そのすべてを、ただ理の流れとして見ていた。


けれど、私はもう、そうは思えなくなっていた。


この娘と関わってしまった。

理の年月からすれば一瞬にも満たない時の中で、私はあまりにも深く、地上に触れすぎてしまった。


私の声に応じたのは、私に従っていた、剣を司る部下の眷属だけだった。


彼には、私が与えた名前「剣神」という名前があった。

ただ剣を司り、戦場に立ち、刃の理を巡らせる存在。

それだけで、十分だった。


けれど、ソフィアは彼にも名を与えた。


「あなたも呼びにくいわね」


そう言って、彼女は少し考えるように剣神を見上げた。


「ヴァイド。そう呼んでもいい?」


剣神は、しばらく黙っていた。

拒まなかった。

だから、それは彼の名になった。


それから、アルヴァンとヴァイドも、互いをそう呼ぶようになった。


ソフィアは、私や眷属に名を与えることの意味など知らなかったのだろう。

私もその時は、深く考えなかった。


ただ、彼女が呼べば、私たちは振り返った。

それだけで、いつの間にか十分になっていた。


それでもなお、瘴気の広がりは止まらなかった。

そして、ついに魔王が、その姿を現した。


黒く渦巻く瘴気の中心に立つ、圧倒的な力を持つ存在。

それが、これまでの全ての種を蒔いていた元凶だった。


「見つけた」


ソフィアが、剣を構えながら呟いた。


「ようやく、終わらせられる」


けれど、その言葉とは裏腹に、戦いはそこから十年以上に及ぶことになる。

私たちは、幾度も魔王軍を退け、幾度も退かされた。

国は疲弊し、多くの命が失われていった。

ソフィアは、その一つひとつの死を、決して軽んじなかった。

救えなかった者の名を、彼女は必ず覚えていた。

そうして彼女は聖女ソフィアと呼ばれるようになっていった。


「なぜ、そこまで背負う」


ある夜、私はそう尋ねた。


「わたしが忘れたら、その人が生きていた証まで、消えてしまう気がするんだ」


ソフィアは、静かに笑った。


「アルヴァンには、分かんないかもしれないけど」


私は、それに答えなかった。

けれど、その頃にはもう、理の流れよりも、この娘の言葉の方を、深く聞き入っている自分がいた。


戦いは長く続いた。

それでも、私たちは、少しずつ魔王を追い詰めていった。


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