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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第四章 呪いと地下神殿

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第五十七話 地下神殿 紡がれる願い二

リリアが目を覚ました時、部屋には柔らかな朝の光が差し込んでいました。

薄い布越しに落ちる光は白く、熱で重くなった瞼の奥に滲んでいきます。

しばらく、自分がどこにいるのか分かりませんでした。

けれど、そばにある大きな気配に気づいた瞬間、リリアの胸の奥に張り詰めていたものが、少しだけほどけました。


蒼月が、寝台のそばに伏せています。

銀の毛並みは朝の光を受け、淡く輝いています。

その蒼い瞳が、リリアを見つめています。


「……蒼月」


かすれた声で名を呼ぶと、蒼月の耳が動きました。

そして、ゆっくりと頭を上げます。


――目が覚めたか。


その声は、いつものようにリリアの心に届きました。

低く、穏やかで、けれどどこか安堵を含んでいるように感じられました。


「私……ずっと眠っていたのね」


――熱があった。


リリアは、掛布の端を握りました。


「ごめんなさい。心配をかけてしまって」


蒼月は答えず、ただリリアを見つめていました。

その沈黙が、いつもより少し重く感じられます。

リリアはゆっくりと身体を起こそうとしましたが、すぐに額の奥が鈍く痛みました。


「っ……」


蒼月が大きな身体を起こし、寝台のそばへ身を寄せました。


――無理をするな。リリア。お前が寝込んでから、三日経っている。


――……伝えたいことがある。だが、まずアステルから聞いた方がいい。あの者が見たことと、調べたことがある。


心に届いた声は、静かでした。

けれど、その奥には、言葉を選ぶようなためらいがありました。


リリアは指先に力をこめます。


「……分かったわ」


リリアは小さく頷きました。


ほどなくして、扉の外から控えめな声がかかりました。


「リリア殿。お目覚めでしょうか」


アステルの声でした。

リリアは顔を上げました。


「はい。入ってください」


扉が開き、アステルが部屋へ入ってきました。

その後ろには、薬湯を持ったセシリアが控えています。

アステルはリリアの顔色を確かめると、少しだけ眉を寄せました。


「まだ熱が残っていますね」


「もう大丈夫です」


アステルは、小さく首を振りました。


「その言葉を、何度聞いたか分かりません」


アステルの声は穏やかでしたが、そこにはいつもの柔らかさだけではない厳しさがありました。

リリアは小さく視線を落としました。


「……すみません」


「責めているわけではありません。ただ、今は本当に休むべきです」


アステルはセシリアから薬湯を受け取り、リリアへ差し出しました。

湯気の中に、薬草のほろ苦い香りが立ちのぼります。

リリアは両手で器を受け取り、少しずつ口に含みました。

温かな苦みが喉を通ると、身体の奥に残っていた冷えが、ゆっくりとほどけていきます。


アステルは、蒼月へ視線を向けました。

その姿は静かでしたが、地下神殿で見た黒い鎖の影が、アステルの脳裏から離れませんでした。


「リリア殿」


アステルは、ゆっくりと口を開きました。


「あなたが眠り続けていた間に、地下神殿で確かめたことがあります」


リリアの手が、器を持ったまま止まりました。


「地下神殿で……?」


「はい」


アステルは言葉を選ぶように、一度だけ息を整えました。


「蒼月が一人で地下神殿の最奥の石室にいました」


リリアは蒼月を見ました。

蒼月は視線をそらさず、ただリリアを受け止めています。


「どうして……」


――……リリア。俺は正直、自分にかけられた呪いなど、自覚もなく、どうでもよかったのだ。だが、お前がこの呪いを解きたいと願うのなら、俺も解きたいと思った。


心に届いた声は、低く、かすかに痛みを含んでいました。

リリアは掛布を握りしめ、あふれそうになる涙をこらえるように、小さく、何度も頷きました。

その様子を見守っていたアステルが、やがてゆっくりと説明を続けます。


「私が見つけた時、蒼月は魔法陣の中央にいました」


「中央に……」


アステルの声が、少し低くなります。


「はい。陣は光を放ち、その光の中で、蒼月の身体に黒い鎖が見えました」


部屋の空気が張り詰めました。


「黒い、鎖……」


「身体の表面に巻きついているものではありませんでした。もっと深い場所に絡みついているものが、陣の光によって一時的に見えていたのでしょう」


リリアは蒼月を見ました。


「蒼月は……痛かったのですか」


「少なくとも、本人に異常は確認できませんでした。痛みも、身体の変調もないようでした」


アステルは、言葉を選んで答えました。


「ですが、見えた鎖に私が触れようとしても、触れることはできませんでした。指先はすり抜けました」


「触れられない……」


リリアの声が、かすかに震えました。


「はい。物質として存在している鎖ではありません。呪いそのもの、あるいは魂に絡むものが、陣によってこちら側に見えているだけなのでしょう」


リリアは、蒼月を見つめました。

蒼月の魂に、黒い鎖が絡みついている。

想像しただけで、呼吸が浅くなりました。

アステルは少し間を置き、説明を続けました。


「その後、魔法陣の清掃も進めました。中央に隠されていた円形の蓋のようなものが見つかり、その下に丸いくぼみがありました」


「くぼみ、ですか」


アステルは、手元の写しへ目を落としました。


「はい。ラシード様とも確認しましたが、おそらく魔石をはめ込み、その魔力を使って動かす魔法陣なのだと思います」


リリアはゆっくりと息をのみました。


「魔石……」


「くぼみの大きさが、転送機に使われていた魔石に似ていると、ラシード様がおっしゃっていました。ラシード様は、女王陛下から借用の許可をいただくため、まずアルディナへ向かわれました。転送機で王都ハルディアへ戻り、許可を得たうえで、サライナへ向かわれる予定です」


リリアは、掛布を握る指先に力をこめました。


「ただ、戻ってくるには時間がかかります。リリア殿も、体調が戻ってから地下神殿を確認しましょう」


そう言って、アステルはリリアの住む離宮を後にし、王宮へ向かう道を歩いていました。


アステルは、リリアの魂を救う方法を探すとリリアに告げ、それからずっと調べ続けていました。

けれど実際には、魂に関わる文献はあまりにも少なく、星術院に残された記録をどれほど辿っても、確かな手がかりには届きません。


起きていられる時間が短くなり、リリアが望むことを思うように叶えられなくなっていること。

あの美しい金髪の一部が、銀色へと変わってしまったこと。

そして、リリアの魂が少しずつ拡散していく様子。

それらを見れば、残された時間は長くても数年なのだろうと、アステルには痛いほど分かっていました。

アステルは足を止め、空を見上げました。

握りしめた手の爪が、手のひらに深く食い込みます。


――くそっ。


決して表には出さないその言葉を、アステルは胸の奥へ深く沈めました。

だからこそ、リリアが残された時間の中で望むことなら、できる限り叶えたい。

蒼月の呪いに関わるかもしれないこの魔法陣に、全力を尽くそうと決めていました。


そのころ、ラシードは早馬を乗り継ぎ、アルディナへ到着していました。

休む間もなく、ラシードはアルディナを治める領主のもとへ向かいます。


「転送機を使わせてもらう」


領主は、驚いたように目を見開きました。


「ラシード様。いくらあなた様でも、それはあまりに横暴です。女王陛下の許可もなく、転送機を動かすことはできません」


「こういう緊急事態で使わずに、いつ使うのだ」


ラシードの声は、いつになく鋭いものでした。


「お前も、リリア様には世話になっただろう。いや、この国そのものが、あの方に救われた。今、私たちがここにあるのは、リリア様のおかげだ」


領主は言葉を失いました。

ラシードは、その沈黙を逃さず続けます。


「感謝しているなら、今は迷うな」


領主はしばらく迷っていましたが、やがて深く息を吐きました。


「……分かりました」


「私が使ったあとは、ただちに魔力を補充しておいてくれ。どうせ怒られるからな……」


ラシードは苦笑し、転送機へ向かいました。


「では、怒られに行ってくる」


そう言って、ラシードは光の中へ消えていきました。


ラシードは王都ハルディアの王宮に着くと、着替える間もなく女王の執務室へ向かいました。

長い廊下を進むラシードの後ろから、女王の側近たちが慌てて追いかけてきます。


「ラシード様、まだ謁見の許可が下りておりません。お待ちください」


「それに、そのお姿では……」


ラシードはそんな声を聞き流し、執務室の扉を叩きました。


「どうぞ」


中から返ってきた声を聞くなり、ラシードは扉を開けました。

サフィーラ女王は、執務室で書類の山に囲まれています。

先の戦いの事後処理は、まだ片づく気配もありませんでした。


「相変わらず、騒がしいわね。あなたの務めはどうしたのですか」


サフィーラ女王は呆れたように言いましたが、すぐに表情を変えました。


「まさか……リリア公爵に、何かあったのですか」


その時、後を追ってきた側近たちが、慌てた様子で部屋へ入ってきました。


「申し訳ございません。お止めしたのですが……」


サフィーラ女王は、片手を軽く払うようにして、下がるよう合図しました。

側近たちは一礼し、部屋を出ていきました。


「叔母上、ありがとうございます。リリア公爵は、こちらにいた時よりは、だいぶお元気になられました。ですが、根本的なことは何も解決していません」


「そうですか……」


サフィーラ女王の表情が沈みました。


「では、あなたは何をしにここへ来たのです」


「まず、お詫びします。アルディナの転送機を使用しました」


サフィーラ女王の眉が動きました。

ラシードはその反応を受け止めながらも、言葉を続けました。


「そのうえで、お願いがあります。サライナに残されている転送機の魔石を貸してください」


「サライナの魔石を?」


ラシードは、まっすぐに女王を見ました。


「はい。リリア様の願いの一つです。蒼月――あの銀狼の呪いに関わることで、使わせていただきたいのです」


サフィーラ女王は、しばらく黙っていました。

やがて、深く息を吐きました。


「……分かりました」


サフィーラ女王は、頷きました。


「あなたの責任で、好きに使いなさい」


「ありがとうございます」


女王は、首を横に振りました。


「リリア公爵には、礼を尽くしても尽くしきれません。どうぞ、お体を大切になさるようお伝えください」


そう言ったサフィーラ女王の瞳に、涙が滲みました。

サフィーラ女王はしばらく黙ったのち、机の上に積まれた書類へ視線を落としました。


「あれから魔物も瘴気も全く現れなくなりました。そのことをまとめた書簡を用意させています。出立前に、執務官から受け取っておきなさい」


「分かりました」


女王は、さらに言葉を継ぎました。


「それと、サライナまでは転送機を使いなさい」


ラシードは、思わず顔を上げました。


「ですが、一年は経っていません。魔力はまだ戻りきっていないのでは……」


「何かあるかもしれないと思い、普段より多く魔石に魔力を注がせていました。完全ではありませんが、サライナまでなら使えるでしょう」


ラシードは、深く頭を下げました。


「はい、ありがとうございます」


ラシードが部屋を出ようとした、その時でした。


「ラシード」


サフィーラ女王の声が、背中に届きました。


「あなた自身も少しは休みなさい。髪は乱れ、目は落ちくぼみ、顔色もよくありません。服装はともかく、ろくに眠っていないのでしょう」


ラシードは、扉の前で足を止めました。


「サライナまでの日程は短縮できます。出発は明日にしなさい」


「分かりました」


そう言って、ラシードは用意された客室へ向かいました。

湯浴みを終え、ようやく鏡の前に立つと、思わず苦笑がこぼれます。


「我ながら、ひどいな。はは」


けれど、その笑いはすぐに消えました。

ラシードは長椅子に腰を下ろし、明日向かうサライナのことを考えていました。


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