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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第四章 呪いと地下神殿

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第五十五話 地下神殿 魔法陣

ラシードに抱えられながら奥へ進むと、石壁のそばに立っていた人物が振り返りました。


「ルーク!!」


リリアの声が、思わず弾みました。

ルークは驚いたように目を見開き、それからすぐに表情を和らげました。


「お久しぶりです。リリア様」


「ルーク、どうしてここに?」


ルークは、少しだけ肩をすくめました。


「今はアステル様の下で、調査のお手伝いをしております。リリア様のお世話は、すっかりセシリア様に取られてしまいましたので」


少しだけ冗談めかした声でした。

リリアは思わず笑いました。


「そんなことないよ。ルークに会えて嬉しい」


ルークは一瞬だけ、リリアを抱えているラシードへ視線を向けました。

少し羨ましそうな色が浮かびましたが、すぐに小さく首を振ります。


「リリア様、今日はお加減がよいのですか」


「うん。少し見に来たの」


転送機の前では、アステルと星術師たちが作業をしています。

ラシードは、まず転送機を見せてくれました。

それは、サハルディア王国で見た転送機とよく似ている。


ラシードは、床に刻まれた古い線を見下ろしながら、ふっと息を吐きました。


「もし、これが使えるようになれば、ここからサハルディアまで行き来できるようになる。まあ、膨大な魔力は必要だろうがな。俺が帰っても、一年に一度くらいは会えるぞ」


リリアは、目を伏せました。


「そうですね」


短く答えた声は、少しだけ沈んでいました。

ラシードはそれに気づいていながら、あえて気づかないふりをしました。


「それとも、俺のところに嫁に来るか? 俺はまだ独身だ」


「いやです」


リリアは、きっぱりと首を横に振りました。


「ははははは。即答か」


リリアも、つられて小さく笑います。


「ふふ」


ラシードは、リリアを抱えたまま最奥の部屋へ進みました。

そこには、古代文字が刻まれた壁がありました。

淡い灯りに照らされた文字は、長い年月を経てもなお、はっきりと石の表面に残っています。


「ここが、地下神殿の最奥だ」


ラシードは壁を見上げながら言いました。


「この文字も、まだ半分も解析できていない。王宮の記録にも、詳しいことはほとんど残っていないんだ」


リリアは、ラシードの腕の中から壁を見つめました。

意味の分からない文字が、幾重にも連なっています。

けれど、その文字を見た瞬間、蒼月が足を止めました。


蒼月は、壁に刻まれた文字を心の中で読み上げていました。


――大地の女神よ。月の光を受けし水よ。我が名を呼ぶ者の声を聞け。その絆に応じ、魂を縛る古き鎖を緩めたまえ。


蒼月の声は、低く、どこか遠い響きを帯びています。

まるで、蒼月自身が唱えているというより、そこに刻まれた言葉をなぞっているようでした。


リリアは息を呑みました。

今の言葉が何を意味するのか、すぐには分からない。

けれど、最後の一文だけが、胸の奥に深く残りました。

魂を縛る古き鎖。

それは、蒼月を縛っているもののことではないのか。

そう思った瞬間、蒼月の前足が、床に刻まれた細い線へ触れました。

次の瞬間、床の古い文様が淡く光り出しました。


「下がって!」


アステルの声が響きました。

蒼月はとっさに身を翻し、光の中心から飛び退きました。

リリアを抱えていたラシードも、一歩後ろへ下がります。

光は、蒼月が離れた瞬間、ふっと消えました。

石室に静けさが戻ります。

アステルが、ゆっくりと床へ視線を落としました。


「今の反応は……」


ラシードの表情が強張りました。


「蒼月に反応したのか」


蒼月は、光の消えた床を見つめたまま動きませんでした。

リリアもまた、胸の奥に残る不思議な震えを感じています。


アステルが、床に浮かんだ魔法陣の跡を見つめたまま問いかけました。


「今、何が起きたのですか」


リリアは、蒼月を見ました。

蒼月は壁に刻まれた古代文字を見上げています。


「蒼月の心の中に、何か古い詩のような言葉が浮かんでいました」


「蒼月が?」


アステルの視線が、蒼月へ向きました。

その場にいた星術師たちも、息を呑んだまま蒼月を見つめています。


――俺は、この文字が読める。


蒼月の声が、リリアの胸の奥に届きました。


「えっ」


リリアは思わず声を漏らしました。

ラシードが、リリアの顔を覗き込みます。


「どうした」


「アステル様、蒼月はこの文字が読めるそうです」


アステルの表情が変わりました。


「なんと……信じがたいことですが、何と書かれているのですか」


リリアは、もう一度蒼月を見ました。

蒼月は壁の文字を追うように、視線を動かしています。

リリアは、蒼月の言葉をそのまま声にしました。


「大地の女神よ、月の光を受けし水よ。我が名を呼ぶ者の声を聞け。その絆に応じ、魂を縛る古き鎖を緩めたまえ」


リリアは小さく息を吸いました。


「最後に……、これは、鎖を解き放つもの、と書かれているそうです」


石室の空気が張り詰めました。

アステルは、床の魔法陣と、壁の古代文字を見比べています。


「鎖を、解き放つもの……」


その声は、ほとんど独り言のようでした。

けれど、リリアにはそれ以上聞き続ける余裕がありませんでした。

瞼が、ゆっくりと重くなっていきます。

ラシードに抱えられているはずなのに、身体の奥から力が抜けていくようでした。


「リリア様」


ルークがすぐに近づきました。

リリアは返事をしようとしましたが、声がうまく出ません。

視界の端で、蒼月の銀の毛並みがかすかに揺れました。


アステルが、小さく息を吐きました。


「続きは明日にしましょう」


その声には、はっきりとした判断がありました。


「今は、リリア殿を休ませることが先です」


翌朝、リリアは驚くほど早く目を覚ましました。


「蒼月、蒼月」


寝台から身を起こしたリリアは、すぐそばにいた蒼月へ声をかけました。


「昨日の文字、どうして読めたの?」


蒼月は、寝台のそばからリリアを見上げました。


「しかも、魔法陣が光ったよ」


――分からぬ。


蒼月の声が、リリアの胸の奥に届きました。


――読める理由も分からぬ。


リリアは、膝の上で両手を握りました。


「蒼月にも、分からないの?」


――ああ。


蒼月は少しだけ目を伏せました。


――俺は……。


そこで、蒼月の声は途切れました。

リリアはそれ以上問い詰めることができず、ただ黙って蒼月を見つめることしかできませんでした。


昼頃、アステルとラシードがリリアを訪ねてきます。

セシリアが、二人を迎えます。


「申し訳ございません。リリア様は朝早くからお目覚めになり、蒼月様のことをずっと気にされておりました。今はお休みになっております」


アステルは寝台の方へ目を向けました。


「では、目を覚ますまで待ちましょう」


ラシードも頷きます。


「そうだな。無理に起こす話ではない」


二人は客室へ移り、話し始めました。


ラシードが低く問いかけました。


「あれは、いったい何だったのでしょう」


アステルは懐から小さな水晶を取り出し、手をかざしました。

透明な水晶の奥に、淡い光が揺れます。

やがて、その中に蒼月の姿が映りました。

蒼月の身体には、幾重にも黒い鎖のようなものが巻きついています。

それは身体の表面にあるのではなく、もっと深いところ、魂そのものに絡みついているように見えました。

ラシードの表情が強張ります。


「これは……」


「これが、蒼月にかけられている呪いです」


アステルは水晶を見つめたまま答えました。

その声は静かでしたが、重みがありました。

ラシードが呟きます。


「鎖のようですね」


「そうです。鎖です」


アステルは頷きました。


「昨日、壁に刻まれていた古代文字にも、鎖という言葉がありました。蒼月が読んだ通りなら、あの魔法陣は、この鎖に干渉するものです」


ラシードは水晶の中の蒼月を見つめました。


「つまり、地下神殿に眠っていたものは、蒼月の呪いに反応した」


「その可能性が高いです」


アステルは慎重に言いました。

水晶の中で、黒い鎖は蒼月の身体に絡みついたまま、かすかに揺れている。


その後、リリアが目を覚ましたため、アステルはもう一度地下神殿へ向かうことを提案しました。


「蒼月に、壁の文字を読んでもらえませんか」


アステルの声は慎重でした。


「どの文字がどの言葉に当たるのか分かれば、我々にも他の壁の文字を読めるようになるかもしれません」


リリアは蒼月を見ました。


「蒼月、お願いできる?」


――ああ。


そうして、一行は再び地下神殿へ向かいました。

最初に確認したのは、転送機の周囲に刻まれていた文字でした。

蒼月が文字を読み、リリアがその声を聞き取ります。

リリアが言葉にした内容を、アステルと星術師たちが紙に書き留めていきました。

次に、通路の壁に刻まれた古代文字。

さらに、控えの間に置かれていた石板。

蒼月は一つ一つ視線を動かしながら、読める文字をリリアへ伝えました。

リリアはそれを声に出し、星術師たちは文字の形と意味を照らし合わせていきます。

長い時間をかけて、いくつもの言葉が記録されました。

すべてを読み終えた頃には、アステルの手元に厚い記録の束ができていました。


「ありがとうございます、リリア殿、蒼月」


アステルは深く息を吐きました。


「ここまで分かれば、あとは我々で照合して読める部分も増えるはずです」


星術師たちも、緊張した面持ちで記録を抱えています。

リリアはほっと息をつきました。

けれど、すぐに最奥へ続く通路の方を見ました。

昨日、魔法陣が現れた部屋は、この先にあります。


「アステル様」


リリアは小さく声を上げました。


「もう一度、あの部屋に行きたいのです」


アステルの表情が強張りました。


「リリア殿、それはいけません。何が起こるか分かりません」


「でも、鎖を解くと書かれていました」


リリアは蒼月を見ました。


「蒼月、私もいるわ。行きましょう」


――リリア。


蒼月の声には、ためらいがありました。

リリアは頷きます。


「危険だと分かったら、すぐにやめます」


そう言いながらも、リリアは抗えない睡魔に襲われました。

瞼がゆっくりと落ちていき、立っていることさえ難しくなっていきます。


ラシードが言い、リリアを抱き上げました。


「今日はここまでだな。部屋へ戻そう。この話は、また後日だ」


アステルも頷きました。


「今は、リリア殿を休ませることが先です」


リリアは何かを言おうとしましたが、声になる前に、ラシードの腕の中で目を閉じました。


――蒼月。


眠りに落ちる直前の声が、かすかに蒼月へ届きました。


ラシードはリリアを抱えたまま、地下神殿の通路を戻っていきます。

蒼月は、その少し後ろを歩きます。

腕の中で眠るリリアの顔は、まだどこか不安そうでした。

蒼月は、リリアを抱えるラシードの背を見つめていました。


――もし、自分にも人間のような腕があったなら。リリアを抱き上げ、その震えを包み込むように抱きしめ、安心して眠るまでそばで慰めることができたのに。


己の生存や本能のためではない願い。

長い時を生きてきた蒼月が初めて抱いた、誰かのための願いでした。


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