↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第四章 呪いと地下神殿

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/197

第五十四話 穏やかな日々

離宮の朝は、以前と変わらず静かでした。

リリアは薄い外套を羽織り、庭へ出ました。

金色の髪に混じった淡い銀が、朝の光を受けて控えめにきらめいています。

それはもう、隠せるものではありませんでした。

それでも、セシリアはいつものように丁寧に櫛を通し、リリアが一番美しく見えるように整えてくれました。


リリアは庭へ続く小道を、ゆっくりと歩きます。

体力は回復し、日常も少しずつ戻ってきています。

けれど、起きていられる時間は限られていました。

白い東屋には、柔らかな敷物が用意されています。

リリアはそこへ腰を下ろし、小さく息をつきました。


「今日は、少し長く歩けたわ」


付き添っていたセシリアが、すかさず答えます。


「はい。ですが、ここで一度お休みくださいませ」


セシリアの声は穏やかでした。

けれど、その言葉には譲らない響きがあります。

リリアは苦笑しながら頷きました。


「分かっているわ」


セシリアは安心したように目元を和らげ、卓の上へ茶器を置きました。

湯気が白く立ちのぼり、朝の空気へ溶けていきます。

その時、庭の向こうから銀色の影が近づいてきました。

大きな身体は朝の光を受け、草の上を音もなく進んできます。

リリアは自然と頬を緩めました。


「蒼月」


蒼月は東屋のそばで足を止め、リリアの隣に身を寄せました。


――今日は顔色がいいな。調子がよさそうだ。


胸の奥に、低く落ち着いた声が響きました。

リリアは蒼月を見上げ、微笑みます。


「セシリアにも同じことを言われたわ」


――ならば、今日は無茶をするな。


リリアは目を瞬かせました。


「どうしてそうなるの」


――顔色がよい日は、余計に動こうとする。


リリアは返す言葉に詰まりました。

セシリアが茶器を整えながら、ほんの少しだけ笑みをこぼします。

リリアは頬をふくらませかけましたが、すぐに諦めて茶へ手を伸ばしました。


「二人とも、よく見ているのね」


「リリア様をお守りするためです」


セシリアは迷いなく答えました。

その真面目な声に、リリアは少しだけ肩の力を抜きました。


セシリアが、思い出したように告げます。


「本日は、アステル様がお見えになります」


リリアは茶器から顔を上げます。


「アステル様が?」


「はい。蒼月様の件で、リリア様に直接お話ししたいことがあるそうです」


リリアの指先が、茶器に触れたまま止まりました。

蒼月の気配が、隣で深くなります。

蒼月の呪い。

蒼月を縛り続けてきたもの。

リリアが眠っている間も、アステルと星術院は調査を続けてくれていたのでしょう。


「分かったわ」


リリアは頷きました。


「今日は、そのお話を聞きたい」


セシリアはリリアの顔色を確かめるように見つめました。

それから、深く一礼します。


「では、お時間を短く区切ります。お話のあとには必ずお休みくださいませ」


「ええ。約束するわ」


しばらくして、離宮の入口に馬車の音が届きました。

近衛の声が遠くで聞こえ、庭の空気が動きます。

セシリアが迎えに出ると、間もなくアステルが東屋へ姿を見せます。

薄い外套をまとったその顔には、いつもの落ち着きがありました。

けれど、リリアを見た瞬間、深い安堵がその目に滲みました。


「リリア殿。お加減はいかがですか」


「はい。今日は朝から起きていられています」


アステルは、ゆっくりと頷きます。


「それは何よりです」


アステルは一礼し、セシリアが用意した椅子へ腰を下ろしました。

蒼月はリリアのそばを離れず、アステルを見ている。

アステルはその視線を受け止め、表情を引き締めました。


「本日は、蒼月の呪いについて、現時点でお伝えできることをお話しに参りました」


リリアは背筋を伸ばしました。

身体の奥にまだ頼りなさは残っています。

けれど、この話だけは、眠る前に聞いておきたかった。


「分かったのですか」


「全てではありません。ですが、いくつか見えてきたことがあります」


アステルは鞄から紙束を取り出し、卓の上に置きました。

そこには複雑な術式の写しや、古い文献から抜き出したらしい文字が並んでいます。

リリアにはすぐに読み取れませんでした。


「蒼月に刻まれているものは、一般的な呪いとは異なります」


アステルの声は低く、慎重でした。


「外から術をかけ、行動を縛るだけのものではありません。魂と名に関わる、かなり古い束縛です」


「魂と、名……」


アステルの指が、紙束の一枚を押さえます。


「はい。呪いという言葉で呼ぶしかありませんが、強制的に刻まれ、本来の形を歪められた可能性が高い」


リリアは蒼月を見ました。

その沈黙の奥に、長い年月の重さがあるように感じました。

名を奪われ、姿を変えられ、自由を縛られた時間。

そのすべてを、リリアは想像しきることができません。


――そんな顔をするな。だいたい、俺にそんな記憶はない。ずっとこのままだ。


胸の奥に、蒼月の声が届きました。

リリアは小さく息を吸いました。


「解くことは、できるのですか」


アステルはすぐには答えませんでした。


「無理に解こうとすれば、蒼月の魂そのものを傷つける恐れがあります」


リリアの手が、膝の上で握られました。


「ですが、悪いことばかりではありません」


アステルはそう続けました。


「リリア殿と蒼月の間に生じたつながりは、この束縛に変化を与えています」


「私と、蒼月のつながりが……」


アステルは、リリアと蒼月を順に見ました。


「はい。名を呼び、心が届き、蒼月が自らの意思で動ける範囲が広がっている。その変化は術式にも表れています」


アステルは紙の一枚を示しました。

複雑に絡み合う線の一部が、細く途切れているように描かれています。


「今、外から力ずくで壊すべきではありません。蒼月の内側からほどけていく変化を、慎重に見極める必要があります」


リリアはゆっくりと頷きました。

すぐに終わるわけではありません。

けれど、何も変わっていないわけでもありません。

その事実だけで、胸の奥に小さな灯がともるようでした。


「蒼月」


リリアが名を呼ぶと、蒼月は目を細めました。


――急ぐ必要はない。


その声は、リリアをなだめるようでもあり、自分自身へ言い聞かせるようでもありました。

リリアは頷きました。


「うん。急がないわ」


アステルは、そのやり取りを黙って見守っていました。

蒼月の声は聞こえなくとも、リリアの表情から、何かが通じていることは分かるのでしょう。

やがてアステルは紙束を整え、鞄へ戻しました。


「本日お伝えしたかったことは、以上です。長くお話ししてしまいましたね」


「大丈夫です」


リリアは気丈に答えましたが、セシリアの心配そうな視線がすぐに向けられました。

リリア自身も、身体の奥に少し重さが広がり始めていることには気づいていました。


「少し休みます」


リリアが先にそう言うと、セシリアはほっとしたように息をつきました。


「すぐにお部屋を整えます」


リリアは蒼月に支えられるようにして立ち上がりました。

蒼月がそばにいてくれるだけで、足元が少し安定します。

アステルは椅子から立ち上がり、深く礼をしました。


リリアは素直に部屋へ戻り、寝台に横になりました。

セシリアが薄い掛布を整えます。

蒼月は寝台のそばに伏せ、リリアを見守りました。


――眠れ。


「少しだけよ」


蒼月の尾が、ぱたりと一度だけ床を打ちました。


――少しでは済まない。


「分かっているわ」


リリアはそう答えながら、目を閉じました。

眠りは、すぐに訪れます。

深く、静かで、抗えない眠りでした。


寝室の扉が閉じられると、アステルは小さく息を吐きました。

リリアに伝えたことは、嘘ではありません。

けれど、蒼月の呪いをどう解けばよいのか、まだ答えは見えていませんでした。

通常の呪いを解く術では届かないでしょう。


さらに、リリアの削られた魂を少しでも長く留める方法も探さなければなりません。

分からないことが、多すぎました。


――リリアのためならば、必ず手がかりを見つける。


アステルは、離宮を後にしました。


それから数日が過ぎた昼下がり、ラシードが離宮を訪れました。

リリアは薬草畑の小道で、蒼月と並んで葉の様子を見ています。

セシリアに案内されて現れたラシードは、リリアの姿を見ると、少し安堵したように目元を和らげました。


「リリア、顔色がいいな」


「はい。今日はよく眠れましたから」


ラシードは、小道の脇の木に肩を預けました。


「それは何よりだ」


ラシードは庭と離宮をゆっくりと見渡しました。


「体調がよければ、アステル様と今一緒に研究している地下神殿に来ないか。王宮の地下には、サハルディアにあった転送機と同じ形のものが残っていた。ただ、魔石が壊れていてな。それを直せないか、今、アステル様たちと調べている」


「同じ形の転送機が……」


リリアは驚いたように目を瞬かせました。


「こんな庭と宮殿ばかりでは、退屈だろう。よければ、王宮地下の神殿に遊びにおいで」


「そんなことはありません」


リリアはすぐに答えました。

けれど、その視線はすでに地下神殿という言葉へ引き寄せられていました。


「でも……見てみたいです」


その瞳が、ぱっと輝きました。

ラシードは思わず笑みをこぼします。


――本当に、分かりやすい。


「ねえ、蒼月も行くでしょう?」


リリアが隣の蒼月を見上げると、蒼月は目を細めました。


――……仕方ない。俺に乗れ、無理はするなよ。


リリアは嬉しそうに笑いました。


「行ってみましょう」


準備を整えたあと、リリアは蒼月の背に乗り、ラシードとともに王宮の奥へ向かいました。


地下神殿へ着くと、ラシードがふとリリアへ手を差し出しました。


「こっちにおいで」


「え?」


リリアが首をかしげるより早く、ラシードはリリアの身体を軽々と抱き上げました。

次の瞬間、リリアはラシードの片腕に乗せられていました。

視界が、一気に高くなります。


「ラ、ラシード!?」


「どうだ、お姫様、眺めがいいだろう!」


ラシードは得意げに笑い、蒼月へ顔を向けました。

蒼月は目を細め、ふん、と鼻を鳴らしました。


――……子供か。


リリアは顔を赤くし、ラシードの肩を軽く押しました。


「恥ずかしいです。おろして」


「大丈夫だ。俺は、もっと胸が大きいのが好きだからな。安心しろ」


ラシードは、悪びれもせずに笑いました。


「安心できません!」


「リリア、お前はもっと肉をつけろ」


ラシードは、腕に乗せたリリアを軽く揺すってみせます。


「ラシード!! ひどい!!」


リリアはラシードの肩をぽかぽかと叩きました。

もちろん、本気で怒っているわけではありません。

ラシードもそれが分かっているのか、楽しそうに笑っています。

蒼月はしばらく不機嫌そうに二人を見ていました。


けれど、リリアが笑っているのを見て、やがて目を伏せました。


――……今回だけだ。


その横顔を見て、ラシードはさらに楽しそうに笑いました。


リリアは、そんなラシードを見つめました。

公爵としてでも、奇跡の力を持つ者としてでもなく、ただのリリアとして接してくれる人は多くありません。

少し乱暴で、遠慮がなくて、けれどその気安さが、今のリリアには不思議と嬉しく感じられました。


「ありがとう」


ラシードは目を瞬かせました。


「何がだ?」


「何でもありません」


リリアはそう言って、小さく笑いました。

ラシードはしばらくリリアを見ていましたが、やがて肩をすくめました。


「変なやつだな、リリア」


その言葉に、リリアはまた少し笑いました。


「さあ、この奥だ。行こう」


蒼月は小さく鼻を鳴らし、二人の後ろについて歩き出しました。

地下神殿の奥から、ひやりとした空気が流れてきます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。