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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第四章 呪いと地下神殿

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第五十二話 ただいま

王都グランリューネの空が、淡く白み始めていました。

朝の鐘が鳴る前、城門へ一頭の馬が駆け込んできます。


馬上の急使は砂を帯びた外套のまま、門兵へ封書を二通差し出しました。

一通の封蝋には、サハルディア王国の紋章が刻まれています。

もう一通には、星術院長官アステルの印が押されていました。


門兵はすぐに道を開けました。

二通の書状は、王宮の奥へ運ばれていきます。


アレクシス王の執務机に、サハルディア王国からの親書が置かれました。

アレクシス王は封蝋を見つめ、封を切ります。


サフィーラ女王の文面は、礼を尽くしたものでした。

サハルディア王国を覆っていた瘴気、前線へ押し寄せた魔物、王都へ迫っていた危機。

そして、リリア公爵の浄化によって、多くの命が救われたこと。


アレクシス王は、親書を最後まで読みました。

遠い砂漠の国で何が起きたのか。

そして、サフィーラ女王がリリア公爵へどれほど深い感謝を寄せているのか。

その重さが、一文ごとに伝わってきます。


続いて、アレクシス王はアステルの報告書を手に取りました。

封を切り、整った文字へ視線を落とす。


―――――――――――――――――――――――――――――――

グランヴァルド王国国王

アレクシス・フォン・グランヴァルド陛下


出先より、取り急ぎ書状にてご報告申し上げます。


サハルディアでの戦闘ですが、魔物は単なる獣の群れではなく、明確な意思を持つ「軍」として動いておりました。

魔物はこの一か月間、我々の浄化範囲や進軍速度を正確に測った上で、我々を街の門前まで誘い込み、完全に包囲しました。


包囲後、魔物は本陣に黒い結晶を投げ込みました。

リリア殿の浄化で周囲の魔物と瘴気は消えましたが、残された結晶は濃密な瘴気を吐き続け、その脅威からリリア殿を庇って蒼月が負傷いたしました。


その直後、リリア殿は限界を超える巨大な陣を展開し、サハルディア全土を救われました。

しかし、ご自身の生命と魂を削った代償として深い昏睡状態に陥られ、現在はサハルディア王宮にて静養されております。


一連の動きから、敵には極めて知略に長けた存在が潜んでいると思われます。

また、リリア殿の現状はお身体の負担を考慮いたしますと、帰国の目処は立っておりません。

状態に変化があり次第、改めてご報告申し上げます。


グランヴァルド王国星術院長官

アステル・フォン・セレスティア

――――――――――――――――――――――――――――――――


アレクシス王は、報告書を机の上へ置きました。

朝の光が窓辺へ差し込み、白い紙の端を淡く照らします。


「ハインリヒ、ローガン、ヴィクトルを呼べ」


控えていた近衛兵が、一礼して退出しました。


ほどなくして、宰相ハインリヒ、騎士団総司令官ローガン、軍務顧問ヴィクトルが執務室へ入りました。

三人は机の上に置かれた二通の書状を見て、すぐに表情を引き締めます。

ハインリヒが問いかけました。


「サハルディアからでございますか」


「ああ。サフィーラ女王からの親書と、アステルからの報告だ」


アレクシス王は、まずサフィーラ女王の親書をハインリヒへ渡しました。

ハインリヒは読み終えると、ローガン、ヴィクトルへ順に回します。

三人の間に、静かな緊張が広がりました。


続いて、アレクシス王はアステルの報告書をハインリヒへ渡しました。

ハインリヒは視線を走らせます。

読み進めるほど、その表情から宰相としての冷静さが薄れていきました。


「リリアは……」


名を呼んだところで、声が途切れました。


ハインリヒは、報告書をローガンへ渡す。

ローガンは黙って最後まで読み、紙の端を押さえました。


「敵は、こちらを獲物として見ていたのだな」


低い声でした。


ローガンは報告書をヴィクトルへ渡す。

ヴィクトルも報告書へ目を落としたまま、短く息を吐きました。


「一度の偶発ではありません。観察し、測り、誘導し、包囲している。これは戦です」


ヴィクトルが報告書を机へ戻すと、執務室に重い沈黙が広がりました。


サハルディア王国は救われました。

その報せの中心にいたリリアは、深い眠りの中にいます。


アレクシス王は、ゆっくりと目を伏せました。


「また、リリアを傷つけた」


誰も、その言葉を遮りませんでした。


――王国として守るために爵位を与えた。後ろ盾を整え、護衛をつけ、学ぶ場も居場所も用意した。それでも、遠いサハルディアで命を削ったのはリリアだった。


ハインリヒは、机の上の報告書へ視線を落としました。

その手は静かでした。

けれど、指先には力が入っています。


「あの子は、求められれば立ちます。陛下。現地には、回復を第一にするようお伝えください」


ローガンも顔を上げました。


「次の報せに合わせて動ける者を選んでおきます。命令が下れば、すぐに出せるよう整えます」


ヴィクトルは親書と報告書を並べ、必要な項目を拾うように視線を走らせました。


「薬、医師、物資、護衛。求められたものを遅れず出せる形にしておきましょう」


アレクシス王は頷きました。


「返信を書く。リリアの回復を最優先にするよう伝えろ。状態に変化があれば、ただちに次報を送るように。必要なものは、グランヴァルド王国が用意する」


「承知いたしました」


三人は揃って頭を下げました。


その日から、王宮は動き始めました。

城門には、サハルディア方面からの急使をただちに通す指示が下ります。

騎士団では、ローガンのもとで信頼できる者たちが選ばれました。

星術院にも連絡が回り、アステルからの次の報告を受ける準備が整えられていきます。


王妃ヴィクトリアへは、アレクシス王自身が伝えました。

王妃は、最後まで黙って聞いていました。

膝の上で重ねていた手に、力が入ります。


「リリアさんは、また皆を守ったのですね」


その声は穏やかでした。


アレクシス王は目を伏せました。


数日後、王都グランリューネに、サハルディア王国からの続報が早馬でもたらされる。

届けられたのは、ラシードの印が押された書状でした。

書状が執務室へ運ばれた時、アレクシス王はちょうど、ハインリヒ、ローガン、ヴィクトルと、次の報せへの備えを話し合っていました。


アレクシス王は封を切り、その場で読み上げます。


書状には、リリアがサハルディア王宮を離れ、アルディナの街へ移されたことが記されていました。

容体を見ながらグランヴァルド方面へ向かうため、中間地点の街まで迎えを願いたい、とあります。

護衛はそこでサハルディア側からグランヴァルド側へ引き継ぎ、ラシード自身もサフィーラ女王の命により、リリアに付き添ったまま王都へ向かうという内容でした。


読み上げる声が止むと、ハインリヒが低く呟きました。


「サハルディア王宮を離れ、アルディナへ移された……。先の報告では、帰国の目処は立っていないとありました。数日で王宮を離れられる状態になったとは考えにくい」


ローガンが、すぐに言葉を継ぎます。


「通常の道を進んだなら、リリア様の身体に負担が大きすぎます」


ヴィクトルは、王の手元の書状をのぞき込みました。


「移動の手段が記されていません。あえて書かなかったのでしょう」


執務室に、短い沈黙が落ちました。

アレクシス王は、ゆっくりと息を吐きました。


「アステルとエレナが同行している。無理な移動なら、アステルが止める」


ハインリヒは小さく頷きました。


アレクシス王は、書状を机の上へ置きました。


「今、問うべきは手段ではない。リリアを無事に迎えることだ」


アレクシス王の視線が、ローガンへ向きました。


「ローガン」


「はっ」


ローガンが一歩進み出ます。


「迎えの隊を出せ」


「承知いたしました」


ハインリヒが続けました。


「医師と薬師を同行させます。星術院からも補助員を出しましょう」


ヴィクトルは地図を広げ、中間地点の街へ指を置きました。


「兵の交代は、この街が適しています。馬を替え、水と薬も整えられます」


アレクシス王は、その場で返書の筆を取りました。


「こちらの隊は、その街で待て。ラシード殿には、リリアの身体を第一に進むよう返信する」


「承知いたしました」


その日のうちに、迎えの隊が整えられました。

選ばれた騎士たちは、ローガンの命を受け、隊列を整えます。

医師と薬師、星術院の補助員が同行しました。

馬車には、薬、水、清潔な布、柔らかな毛布が積み込まれます。

一行は、リリアを迎えるため、中間地点の街へ向かいました。


離宮にも、王妃ヴィクトリアから指示が届きました。

医師と薬師は離宮へ集められ、星術院の者も控える。

リリアを乗せた馬車が入る道は人払いされ、離宮の前には必要な者だけを残すよう命じられます。

見舞いの申し出は、容体が落ち着くまで控えさせることになりました。


セシリアは、寝台の掛布を確かめました。

リリアがいつも使っていた小さな机には、水差しと薬湯の器を置かせます。

窓辺には、強い香りの花ではなく、薬草畑から摘んだ小さな葉を添えました。

目覚めた時に、ここが自分の部屋だとすぐに分かるように。


「リリア様のお部屋です。いつものように、静かに整えましょう」


セシリアの声に、侍女たちは頷きました。


中間地点の街では、グランヴァルドの迎えがサハルディアの一行を待っていました。

夕刻、街道の向こうから、サハルディアの旗を掲げた一行が姿を現します。

先頭の兵が歩みを緩め、その後ろに、揺れを抑えるために整えられた馬車が続いていました。


馬車が止まると、エレナが先に降りました。

続いてアステルが馬車の中を確認します。

蒼月は馬車の横に立ち、周囲を見渡していました。

ラシードは、グランヴァルドの騎士たちの前へ進み出ます。


「グランヴァルド王国の迎えか」


迎えの騎士は、深く一礼しました。


「はい。国王陛下の命により参りました」


ラシードは頷き、馬車へ視線を向けました。


「リリア様は休んでいる。引き継ぎは静かに頼む」


「承知いたしました」


サハルディア側の護衛兵は、そこで役目を終えました。

彼らは馬車へ向かって深く頭を下げます。

遠い国から来た公爵へ。

そして、自分たちの国を救ったリリアへ。


グランヴァルドの騎士たちは、隊列を組み替えました。

医師がアステルと短く言葉を交わし、薬師が水と薬を確かめます。

星術院の補助員は、馬車の内側に施された保護の術式を確認しました。

蒼月は、それを見守っている。


ラシードは、街道の向こうへ遠ざかっていくサハルディアの旗を見送りました。


――リリアを王都へ帰す。


ラシードは、グランヴァルドの隊列へ加わりました。


馬車は、ゆっくりと動き出しました。

道の先には、王都グランリューネ。


さらに数日が過ぎ、王都の門が開かれます。

リリアを乗せた馬車は、離宮へ続く道を進みました。


離宮の前に馬車が止まると、王宮の近衛がラシードのもとへ歩み寄り、深く一礼しました。


「ラシード様。客室の用意が整っております」


ラシードは馬車へ一度だけ視線を向け、頷きました。

ラシードは近衛に案内され、王宮内の客室へ向かう。


離宮の前では、ハインリヒと、医師、薬師、星術院の者、侍女たちが控えていました。

セシリアは一歩前に立ち、馬車を見つめている。


エレナが扉を開けました。

アステルが中を確認し、医師たちへ合図を送ります。

リリアは薄い掛布に包まれ、眠っていました。

淡い頬に長い睫毛の影が落ちています。

胸は、ゆっくりと上下していました。


担架が運ばれました。

アステルと医師が慎重に支え、エレナがそばに付きます。

セシリアは、胸の前で一度だけ手を握りました。

涙がこぼれそうになるのを、こらえました。

すぐに顔を上げ、侍女長として扉を開きます。


「お部屋の準備は整っております」


アステルが頷きました。


「すぐに休ませましょう」


リリアは、離宮の中へ運ばれていきました。

廊下には、やわらかな光が差し込んでいます。


部屋の扉が開き、リリアは寝台へ移されました。

アステルは容体を確かめ、医師たちに短く指示を出す。


セシリアは、掛布の端を整えました。

リリアの頬にかかった髪を、指先で払います。


「お帰りなさいませ、リリア様」


その声は小さく、柔らかなものでした。

リリアの瞼が、かすかに震えます。

ゆっくりと目が開きました。

焦点の合いきらない翡翠の瞳が、セシリアを捉えます。


「……ただいま、セシリア」


かすれた声でした。


セシリアは深く頭を下げました。


「はい。お帰りなさいませ」


その後ろで、ハインリヒが歩み寄りました。

眠りへ戻っていくリリアを見つめ、膝を折ります。


「リリア。よく帰った」


リリアの瞼は、もう閉じられていました。


蒼月は寝台のそばに身を伏せたまま、リリアを見つめていました。


離宮の部屋には、湯の気配と薬草の香りが満ちています。

見守る者たちの息遣いが、重なっていました。


窓の外では、夕暮れの光が薬草畑を包んでいます。

王都グランリューネは、帰ってきたリリアの眠りを守るように、穏やかな夜へ向かっていきました。


お読みいただきありがとうございます。

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