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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第三章 サハルディア王国

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第四十四話 外伝:ラシード編―見送り―

砂嵐に閉ざされて十日目。

ようやく外壁の外の砂が静まった。


砂嵐が収まった明け方から、ラシードは門前へ人を出しました。

探させたのは、街へ逃げ込む直前、砂の中に捨ててきた剣や槍です。

すべてを見つけるのは無理でも、まだ探せる可能性があります。


同時に、ラシードは一行の出立準備も命じた。

砂漠を越えるために必要な水、保存食、薬、外套、野営道具は、すでにそろえさせてあります。


そして、出立の前。

ラシードは、グランヴァルド王国の一行を謁見の間へ通すよう命じました。

その顔には、どうにも隠しきれない笑みが浮かんでいました。

肩まで小さく震えています。

それを見たナーディルは、深いため息をつく。


「ラシード様」


「いや、連中の顔を思い浮かべたら、笑いが止まらなくて」


「本当に、リリア様たちがお気の毒です。少しは自重してください」


ナーディルはしばらく黙っていた。

やがて、小さく息を吐きます。


「……仕方ありませんね」


「お前、本当にそればかりだな」


「ラシード様が仕方のないことばかりなさるからでございます」


「手厳しいな」


「事実でございます」


ラシードは小さく笑い、謁見の間へ向かいました。


程なく、グランヴァルド王国の一行が謁見の間へ入ってきました。

ラシードは上座の前に立ち、一行を待つ。

領主としての衣をまとい、髪を整え、礼を崩さずに立っている。

それだけで、皆がどんな顔をするかは分かっていました。

こみ上げる笑いを抑えているつもりでも、口元が緩みそうになります。


そして、リリアが足を止めた。


「カリム……?」


その声に、ラシードは内心で笑いをこらえる。

ルークが目を見開き、ラシードの顔と、そばに控えるナーディルの顔を何度も見比べていました。

砂漠で出会った盗賊の頭目が、領主の館の上座に立っている。

その事実を、どうにか頭の中で結びつけようとしているのが、手に取るように分かる。


ルークが隣で大きく息を呑みます。


「な、ななな……っ」


ガレスが反射的に剣の柄に手をかける。


「おっ、お前……」


「執政官殿、賊が入り込んでいます!」


ルークがようやく叫ぶと、ナーディルが深くため息をつく気配がしました。

ラシードはもうこらえきれず、声を上げて笑った。


実にいい反応だ。


「ふはははっ。驚いたか」


これを見るためだけでも、少し黙っていた甲斐があったというものです。


「カリムはもう一つの名だ」


ラシードは優雅に一礼した。


「サライナ領主、ラシード・アル=ハーリド。改めて、遠方より来られた客人を歓迎しよう」


蒼月は、驚いた様子もなくこちらを見据えていました。

おそらく、かなり前から気付いていたのでしょう。

あの銀狼は、やはり侮れません。


問い詰められれば、答えられる範囲では答えた。

部下が早とちりしたこと。

砂嵐が本当に迫っていたこと。

助けたのは本当だったこと。

盗賊かどうかは、内緒にしたこと。


すべてを明かすことはできません。

サライナには、明かせないものが多すぎます。

けれど、リリアと蒼月に死んでほしくなかったという言葉だけは、嘘ではありませんでした。


ラシードは懐から水色の珠を取り出し、リリアの手に置きました。


「これを差し上げよう」


珠の中で、清らかな水のような光が揺れる。

リリアは不思議そうに見つめています。

詠唱を教えると、リリアは両手で珠を包み込み、言葉を紡ぎました。

やがて、珠から澄み切った水が溢れ出します。


「わぁ……!」


その顔を見て、ラシードは少し満足した。

水は砂漠の命です。

それを手にした意味を、リリアはきっとすぐに理解するでしょう。


案の定、リリアは真剣な顔で尋ねてきました。


「カ……ラシード様、本当にこんな貴重なものをいただいてもよろしいのですか」


呼び直した声が少しおかしくて、ラシードは笑いそうになった。

けれど、そこは抑えます。


「いいのだ。砂漠の入口にある最初の街では、説明が足りていなかったようだ。案内人の見立ても甘かったらしい。この砂漠を預かる者として、すまぬな」


それは、領主として、そして、砂漠の裏側を知る者としての言葉でした。


「それと、騙してしまったお詫びだ。この大所帯だ、水はいくらあっても足りまい」


ラシードは目を細めます。


「リリア様と蒼月殿には、こんなところで死んでほしくないからな」


リリアは深く頭を下げました。


「では、大切に使わせていただきます」


その素直な礼に、ラシードはまた少し困った。

本当に、この娘の礼は受け止めづらい。

まっすぐすぎて、かわしにくいのです。


出立の時刻が近づいていました。

空は澄み、砂嵐の名残は薄くなっています。

これ以上引き止める理由はありません。

一行には、向かわなければならない場所があります。


城門の上に立つと、サライナの外に広がる砂漠がよく見えました。

砂嵐に削られた砂丘の向こうに、次の道が続いています。


――本当に、面倒な客人だった。だが、悪くなかった。


「リリア」


声をかけると、リリアがこちらを見上げました。

その隣で、蒼月も顔を上げます。


「蒼月」


ラシードは片手を上げ、にやりと笑う。


「楽しかったぞ」


リリアは少し驚き、それから柔らかく笑いました。


「私も、楽しかったです」


その返事だけで、十分だった。


「また、サライナへ来い」


「はい、また来たいです」


ラシードは満足そうに笑いました。

その言葉が、ただの礼儀でないことは分かります。

リリアはきっと、本当にそう思っているのでしょう。

この砂漠の街を。

水と灯を守るこの場所を。

強くて、優しい街だと言った、このサライナを。


やがて、出発の合図がかかりました。

一行が城門を抜け、再び砂漠へ向かいます。

リリアは一度だけ振り返り、大きく手を振った。

ラシードも、城門の上から手を振り返します。


砂漠の領主として。

カリムという名の怪しい男として。

そして、少しだけあの娘に救われた一人の男として。


一行の姿は、少しずつ遠ざかっていきました。

蒼月の銀色の毛並みが、陽射しの中で淡く光ります。

やがてその姿も、砂の揺らぎの向こうへ小さくなっていきました。


「……面白い」


ラシードは小さくつぶやいた。

声は、乾いた風にさらわれて消えていきます。


ふと、ラシードの脳裏に、あの夜の水盤の広場がよみがえりました。

小さな灯を両手で受け取り、水面へかざしていたリリアの横顔。

本物の火と、水に映る火。

二つの光に照らされたその表情は、祈りというにはあまりにも静かで、けれど願いというにはあまりにも真っ直ぐでした。


砂嵐が収まるように。

道が開くように。

待っている誰かを救えるように。


――きっと、あの娘は自分のためだけには願わなかったのだろう。


ラシードは城門の上で、もう一度だけ遠ざかる砂の道を見つめました。

サライナの城門は、ゆっくりと通常の静けさを取り戻していきます。

けれど、ラシードの胸の中には、あの夜の祈りの灯と、リリアの横顔が、いつまでも淡く残っていました。


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