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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお


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第十九話 ハインリヒの覚悟

ガレスからの密書が届いてから数日後、国王は重臣たちを呼びました。

ハインリヒ宰相、アステル長官、ローガン総司令官、ヴィクトル軍務顧問。

そして、次期国王である第一王子レオンも同席していました。

王妃ヴィクトリアもまた、国王の傍らに座っています。

正式な会議ではありません。

あくまで、王国中枢による内々の協議です。


国王はガレスの密書について説明し、リリアを今後どう守るべきかを問いました。

結論は、すでに皆の中で見え始めていました。

リリアを王国の中枢が守ると、誰の目にも分かる形が必要でした。

問題は、誰の家がその後ろ盾となるかでした。

第一王子レオンは、静かに密書へ視線を落としていました。

次代の王となる者として、この問題が単なる一人の人間の保護に留まらないことを理解していたのです。

リリアを守ること。

聖女という呼び名が持つ危うさを制御すること。

そして、蒼月の信頼を損なわないこと。

そのすべてを誤れば、王国の未来に関わる問題となります。

しばらくの沈黙の後、国王はまた口を開きかけました。


「では、王家の養女に――」


その瞬間、ハインリヒ宰相が静かに国王を見ました。

声は出していません。

けれど、その目は明らかに冷ややかでした。

何を言い出すおつもりですか、と。

第一王子レオンも、わずかに目を伏せました。

息子として父を責めることはしませんでしたが、その沈黙は、宰相の視線とほとんど同じ意味を持っていました。

国王は黙りました。

王妃ヴィクトリアは深いため息をつきます。


「陛下」


「まだ何も言っておらぬ」


「言おうとなさいました」


「……」


ヴィクトリアは立ち上がり、国王の腕を取りました。


「少しお休みになりましょう」


「私はまだ会議を――」


「お休みになりましょう」


穏やかな声でした。

けれど、その場にいた誰もが、それ以上の反論は不可能だと悟りました。

国王は、しばし沈黙した後、重々しく頷きます。


「……少しだけだ」


「ええ。少しだけです」


ヴィクトリアはにこやかに答えました。

国王は重臣たちを振り返り、少しだけ威厳を取り戻そうとしました。


「その後のことは、お前たちで決めよ」


そう言い残し、国王は王妃に連れられて部屋を出ていきました。

扉が閉まります。

会議室には、なんとも言えない沈黙が落ちました。

そのやり取りを見ていたハインリヒ宰相は、深く咳払いをしました。

アステル長官は何も言わず、ただ視線を逸らしています。

ローガン総司令官は腕を組んだまま天井を見上げ、ヴィクトル軍務顧問は眉間を押さえていました。

第一王子レオンは、父王と王妃の背を見送りながら、静かに密書へ目を戻しました。

やがてローガン総司令官が低く呟きました。


「……陛下は、本気でしたな」


アステル長官が静かに頷きました。


「ええ」


ヴィクトル軍務顧問は肩をすくめました。


「気持ちは分からんでもありませんがな」


ハインリヒ宰相は、何事もなかったように書類を整えました。


「では、現実的な案に戻りましょう」


そこから、誰がリリアを養女に迎えるかの議論が始まりました。

最初に口を開いたのは、ハインリヒ宰相でした。


「王家の養女が難しいのであれば、我が家で一時的に後見するという形も考えられます」


ローガン総司令官が片眉を上げました。


「宰相家か。悪くはないが、政務の中枢に近すぎるな」


「それを言うなら、軍の後見も同じでしょう」


ハインリヒ宰相は静かに返しました。


「ローガン殿も、まさかご自分の家で引き受けるおつもりでは」


「むろん、必要ならば考える」


ローガン総司令官は腕を組んだまま、当然のように言いました。


「騎士団と軍の庇護下にあれば、少なくとも物理的に手を出せる者は減る」


ヴィクトル軍務顧問が苦笑しました。


「それではリリア殿が軍属のように見えてしまいます。聖女と呼ばれ始めた方を、軍が囲い込んだと取られかねません」


「では、ヴィクトル殿の家ならよいとでも」


ローガン総司令官が低く言うと、ヴィクトル軍務顧問は咳払いをしました。


「いや、我が家も候補として考えられなくはありませんが」


「ほう」


ハインリヒ宰相の視線が、少しだけ鋭くなりました。


「ずいぶん都合よく候補に入りましたな」


「都合ではありません。比較的中立に近い立場で受け入れられるという意味です」


「皆、結局は自分のところに迎えたいだけではないですか」


アステル長官が、茶器に指を添えたまま静かに言いました。

第一王子レオンは、しばらく考え込んでいました。

やがて、王家の庇護を与えるための一案として口を開きました。


「王家の庇護が最も強いのであれば、私がリリアを王家に迎える形はどうだろうか」


室内の空気が、ぴたりと止まりました。

ハインリヒ宰相は、静かに書類から目を上げました。


「殿下。失礼ながら、殿下にはすでに隣国の姫君とのご婚約がございます」


「それは承知している」


「ならば、なおさらお分かりのはずです。リリア殿は貴族令嬢ではございません。王家に迎えるとしても、現実的には正妃ではなく、側室という扱いにならざるを得ません」


その言葉に、ローガン総司令官が低く言いました。


「それはならん」


短い言葉でしたが、重い響きがありました。


「リリア殿を守るための話をしているのに、なぜあの娘を二番手の席へ置く話になる」


ヴィクトル軍務顧問も頷きました。


「王家の庇護という名目は強いでしょう。ですが、側室という立場に置くなら、それは庇護ではなく、扱いを下げることになります」


ハインリヒ宰相も静かに続けました。


「我が家で迎えるなら、娘として迎えるつもりでございます。ローガン殿も、ヴィクトル殿も同じでしょう。ならば、王家だからといって、リリア殿を側室という立場に置いてよい理由にはなりません」


アステル長官は茶器を置き、淡々と言いました。


「それに、蒼月がその扱いを許すとは思えません。リリア殿を守ると言いながら、本人の意思も確認せず、側室という立場に置こうとする。それを蒼月がどう受け取るか、考えるまでもないでしょう」


室内に、重い沈黙が落ちました。

ヴィクトル軍務顧問が深く息を吐きます。


「率直に申し上げれば、蒼月に殺されますよ」


誰も笑いませんでした。

第一王子レオンは少し不服そうに椅子の背にもたれました。


「皆、ずいぶん手厳しい」


「当然です」


ハインリヒ宰相は書類へ視線を戻しました。


「今回の議題は保護であって、囲い込みではありません。次の案へ移りましょう」


第一王子レオンは小さく息を吐きましたが、それ以上は言いませんでした。


リリアを誰の庇護下に置くのか。

どのような身分を与えるのか。

王宮内で、どの程度の扱いを認めるのか。

そして、彼女のそばに置く者をどう整えるのか。

議題は何度も行き来し、まとまりかけては、また別の問題に引き戻されました。


昼過ぎから始まった会議は、いつしか深夜を越え、翌日の朝を迎えようとしていました。

やがて、扉の外で控えていた各部署の事務次官たちが、しびれを切らしたように、静かに会議室へ入ってきました。


「恐れながら、皆さま。方針だけでもお決めいただかなければ、明朝より各部署が動けません」


丁寧な言葉でしたが、各部署の事務次官が冷ややかな目を向けていました。

要するに、いつまで同じ話をしているのですか、ということです。

会議室に、わずかな沈黙が落ちました。


ハインリヒ宰相は、軽く咳払いをしました。

ローガン総司令官は腕を組んだまま、わずかに視線を逸らします。

ヴィクトル軍務顧問は、何も言わずに口元を引き結びました。

アステル長官だけが、静かに息を吐きます。


「……では、現時点での方針案を整理しましょう」


その一言で、ようやく話は前へ進みました。


リリアの立場、王宮内での扱いを考えたうえで、何よりリリアにとって最善となる形は何か。

その点を軸に、いくつかの方針案がまとめられました。


まず、リリア・グランベルについては、ハインリヒ・フォン・ヴァイスベルク公爵の養女とし、国王から公爵位を与える案がまとめられました。

ただ単に、養女として公爵家に迎えるだけでは、貴族社会では家の後ろ盾と本人の爵位は、必ずしも同じ意味を持ちません。

いかに公爵家の養女であっても、リリア本人に確かな爵位がなければ、上位貴族や同格以上の者から軽んじられる余地が残ります。

それにより、彼女に手を出すことが公爵家だけでなく、王国中枢そのものに手を出すことと同義であると、誰の目にも分かる形にするためでした。

もちろん、それはハインリヒ宰相の一存で決められるものではありません。

平民の娘に公爵位を授ける以上、家格と爵位に関わる重大な判断となります。

そのため、貴族会議に諮る必要がありました。


一方、ルークについては、リリアの付き人を別の者に替える案も出ました。

しかし、王都に来てからリリアが信頼を置き、日々の補佐にも慣れているルークを外すことは、かえって得策ではないと判断されました。

ただし、王宮に勤める者は、侍女や執事であっても貴族身分を持つ者であり、王宮政務に関わる役職を与える以上、ルークにも相応の身分が必要でした。

そこで、ルークはアルベルト・フォン・ローゼンの養子とする案が示されました。

もともとルークはローゼン家に仕える立場であり、アルベルトが後見人となることにも大きな不自然はありません。

そのうえで、王命により正式に王宮政務補佐官として任命する方針が進められることになります。


会議室には、朝日が細く差し込み始めていました。

卓上に残された書状の白さだけが、その淡い光を受け、刃のように浮かび上がっています。


ハインリヒは、まとめられた方針案に目を落としました。


「これで、方針は決まりました。ですが、本当に難しいのはここからです」


ローガンが、低く問い返します。


「貴族会議か」


「ええ」


ハインリヒは静かに頷きました。


「平民の娘に公爵位を与えるとなれば、必ず反対が出ます。家格を理由に拒む者。聖女の名を利用しようとする者。蒼月の存在を危険視する者。そして、リリア殿本人の心よりも、王国の都合を優先しようとする者も出るでしょう」


会議室に、重い沈黙が落ちました。


アステルが、静かに茶器を置きます。


「それでも、避けては通れませんね」


「その通りです」


ハインリヒは、朝日を受けて白く浮かび上がる書状を見つめました。


「この扉を開ければ、リリア殿の運命は大きく変わります。ですが、開けずに済ませることは、もはやできません」


誰も、すぐには言葉を返しませんでした。


夜を越えた会議室に、朝の光だけが静かに差し込んでいました。



その日の夜、ハインリヒは公爵家の私室で家族と向き合っていました。

詳しい事情を外へ漏らすことはできません。

けれど、家族にだけは、これからヴァイスベルク家が背負うものを伝えておく必要がありました。


ハインリヒに子がいないわけではありません。

長男オスカーは家督を継ぐため、すでに家に残り、ヴァイスベルク家を支える立場にありました。

長女は、すでに他家へ嫁いでいます。

だからこそ、突然リリアを養女として迎えるかもしれないという話は、家族にとっても軽いものではありませんでした。


静まり返った私室で、最初に口を開いたのはオスカーでした。


「父上。リリア殿を養女として迎えることに、反対しているわけではありません。ですが、平民の娘を公爵家に迎え、さらに国王陛下より公爵位を授けるとなれば、他の貴族たちからの反発は避けられません」


その言葉は、家督を継ぐ者としての冷静な懸念でした。

隣に座る夫人も、不安を隠しきれない様子でハインリヒを見つめています。

しかし、ハインリヒの表情は動きませんでした。


「反発は承知している」


ハインリヒは静かに答えました。


「だが、これは我が家の名誉のためでも、利益のためでもない。リリア殿を守るためだ。そして、その方針を貴族会議で通すには、私が前に出るしかない」


オスカーは、わずかに眉を寄せました。


「父上でなければならないのですか」


「そうだ」


ハインリヒは、迷いなく頷きました。


「平民の娘に公爵位を授ける。その異例の決定に、貴族たちは必ず反発する。だが、そこで退けば、リリア殿は聖女という名で利用されるか、危険な存在として排除されるか、そのどちらかに追い込まれるだろう」


夫人が小さく息を呑みました。


「それほどまでに、危うい立場なのですか」


「危うい」


ハインリヒは短く答えました。


「リリア殿自身は、ただ目の前の者を救おうとしているだけだ。だが、周囲はそうは見ない。救われた者にとっては希望となり、欲深い者にとっては価値ある存在となる。貴族にとっては、影響力を持つ駒に見える」


室内に、重い沈黙が落ちました。

ハインリヒは家族の顔を一人ずつ見ました。


「だからこそ、我が家が盾となる。あの子へ向けられる悪意を、まず我が家が受け止めるためだ」


オスカーはしばらく黙っていました。

やがて、深く息を吐き、静かに頭を下げます。


「……承知いたしました。ヴァイスベルク家の嫡男として、その責任を共に背負います」


夫人もまた、覚悟を決めたように頷きました。


「あなたがそこまでして守るべきだと判断した方なら、私たちも、その重さを受け止めます」


ハインリヒは、わずかに目を伏せました。

宰相としてではなく、一つの家を預かる者として、その言葉を受け止めたのです。


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