第三十七話 リリアの不安
ラシードとディグラードが激しい戦いを繰り広げている頃、リリアは毎日のように、蒼月へ同じことを尋ねていました。
「蒼月、ラシードは大丈夫ですか」
そのたびに、蒼月はリリアを安心させるように答えました。
「ああ、大丈夫だ」
けれど、どれほど同じ言葉を聞いても、リリアの不安が消えることはありませんでした。
遠く離れた戦場で、ラシードがどのような戦いをしているのか。
傷ついてはいないのか。
苦しんではいないのか。
考え始めれば、胸の奥が落ち着かなくなりました。
リリアは、少しずつ大きくなっていくお腹へ手を当てました。
その中には、ラシードとの子供が育っていました。
蒼月は、そんなリリアを見つめました。
「今は、母としての喜びを感じればいい」
「でも……」
「ラシードは大丈夫だ。私が、毎日見ている」
蒼月の声に迷いはありませんでした。
リリアはお腹へ添えた手に、力を込めました。
まだ姿を見ることのできない小さな命が、確かにそこにいる。
不安の中にいても、そのことだけは、リリアの心へ温かな喜びを与えてくれました。
蒼月は、リリアを安心させるため、彼女の母を連れてきました。
母はリリアの姿を見るなり、ふっくらと膨らんだお腹へ目を留めました。
「リリア、まあ。お腹がだいぶ目立ってきましたね」
母は嬉しそうに微笑みながら、リリアのそばへ歩み寄りました。
「お腹を触らせて」
「はい、お母さん」
リリアが頷くと、母は壊れやすいものに触れるように、両手をお腹へ添えました。
「私も、おばあちゃんになるのね」
その声には、隠しきれない喜びが滲んでいました。
リリアも母の手へ自分の手を重ね、微笑みました。
リリアのもとには、子供を迎えるための品が次々と送られてくるようになりました。
小さな服。
柔らかな布で縫われた肌着。
淡い色の毛布や、まだ小さな手でも握れるほどの飾り。
届いた箱を開くたびに、リリアの母は嬉しそうに声を上げました。
「まあ、かわいいわ」
母が手に取った服は、両手の上へ収まってしまうほどの大きさでした。
リリアは隣から覗き込み、指先で布の柔らかさを確かめました。
「かわいい。本当に、こんなに小さな服を着るのですね」
その生地には、子供の肌を傷つけないよう、細かな縫い目まで丁寧に整えられていました。
まだ姿を見ていない子供が、いつかこの服へ袖を通す。
そう思うだけで、胸の奥に温かなものが満ちていきます。
母は一枚ずつ服を広げ、形を確かめながら、楽しそうに並べていきました。
「こちらは、少し大きくなってから着られそうですね」
「それまで、元気に育ってくれるでしょうか」
思わずこぼれたリリアの言葉に、母の手が止まりました。
「育ちますよ」
母は迷うことなく答えました。
「これほど多くの人に、生まれてくることを待たれているのですもの」
並べられた小さな服を見つめながら、リリアはお腹へ手を添えました。
そのとき、内側から軽く押し返されるような感覚がありました。
「あ……」
「どうしました?」
「今、動きました」
母は目を大きくし、もう一度触れてもよいかと尋ねるように、リリアを見ました。
リリアが頷くと、母はお腹へ手を重ねました。
しばらく待っていると、再び小さな動きが伝わりました。
「まあ……」
母の顔に、ゆっくりと笑みが広がっていきました。
「元気なのね」
その声を聞きながら、リリアも微笑みました。
けれど、喜びの奥には、消えない寂しさが残っていました。
この動きを、ラシードにも感じてほしかった。
小さな服を並べながら、どれが似合うだろうと話したかった。
戦場にいるラシードへ、この子が元気に育っていることを伝えることはできても、今のラシードが、それをどのような思いで受け取るのかは分かりませんでした。
母が服を畳んでいる間も、リリアの視線は、何度も窓の向こうへ向かいました。
そこに見えるのは、白い街並みと穏やかな空だけでした。
遠く離れた戦場の様子は、何ひとつ見えません。
その日の夜、母が別の部屋へ下がったあとも、並べられた小さな服は、テーブルの上に残されていました。
リリアはそのうちの一枚を手に取りました。
「ラシードは、この子を見て、何を思うのでしょう」
そばにいた蒼月は、答えることが出来ませんでした。
リリアは服を胸元へ抱き寄せました。
「私のことを大切に思ってくれていても、それが以前と同じ気持ちではないことは分かっています」
蒼月の瞳が、リリアへ向けられます。
「この子を見ても、自分の子だと感じられないのでしょうか」
蒼月はリリアの隣へ歩み寄り、その肩へ手を添えました。
しばらく黙ったあと、リリアのお腹へ視線を落とします。
「戻るとは、言えない」
蒼月の声は静かでした。
「だが、ラシードがこの子から目を逸らすことは、決してない」
リリアは、胸元の服を抱く手に力を込めました。
「それだけは、私が知っている」
行き場をなくしていたリリアの願いが、その言葉に、受け止められました。




