第二十八話 悴の約束
リリアは、ベッドの上で泣き崩れていました。
どれほど涙を流しても、胸を締めつける苦しみは消えてくれません。
ただ時間だけが過ぎていきました。
それでも、蒼月の声が聞こえたことだけが、今のリリアを支えていました。
遠く離れていても、蒼月との魂のつながりは失われていない。
そのわずかな希望に縋ることで、どうにか心を保っていました。
「悴」と名付けられた少女の侍女は、よく話し、甲斐甲斐しくリリアの面倒を見てくれました。
「リリア様、お食事ですよ」
温かな食事を運んできては、ほとんど口をつけないリリアのそばで、いつまでも待っていました。
「お風呂ですよ」
泣き疲れて動けないリリアを急かすこともなく、湯が冷めてしまう前に行きましょうと、何度も優しく声をかけました。
「お着替えですよ」
リリアが何もせず、ただ泣き続けていても、悴はいつも変わらない笑顔を浮かべていました。
その笑顔には、打算も苛立ちもありませんでした。
ある日、悴はベッドの傍らに座り、泣き腫らしたリリアの顔を不思議そうに見つめました。
「リリア様は、なぜそんなに泣いているのですか」
リリアは涙を拭いながら、目の前の少女を見つめました。
人と変わらない姿をしていても、悴がディグラードによって名を与えられた存在であることは分かっています。
「悴、人だったのですか?」
悴は、少し考えるように首を傾げました。
「人だったかは分かりません。名づけてくださったディグラード様だけが、私の主だということだけです」
その言葉に迷いはありませんでした。
けれど、ディグラードを慕う喜びも、忠誠を誇るような響きもありません。
教えられたことを、そのまま答えているだけのようでした。
リリアは、一生懸命に世話をしてくれる悴に、少しずつ心を許していきました。
ここへ連れてこられてから、悴だけは一度もリリアを傷つけようとしませんでした。
「魔物でも、皆、悴のようなのですか?」
悴の笑顔が、曇りました。
「いえ、皆、怖いです」
その答えは、あまりにも素直なものでした。
「私は、リリア様の面倒を見るためだけに生み出されたので、ほとんど戦闘はできません。なので、人の姿に近くできているのかもしれないです」
悴は懐から小さなハンカチを取り出すと、リリアへ差し出しました。
「だから、リリア様、もう泣かないで」
リリアは、差し出されたハンカチを受け取りました。
柔らかな布には、小さな花の刺繍が施されていました。
「ありがとう」
その日から、リリアは少しずつ悴と言葉を交わすようになりました。
ラシードがどのような人なのか。
蒼月が、どれほど長い間、自分を守ってくれたのか。
二人が自分にとって、どれほど大切な存在なのか。
悴は口を挟まず、リリアの話を真剣に聞いていました。
「リリア様は、その方たちのところに帰りたいのですね」
「はい。帰りたいです」
答えた途端、また涙が溢れました。
悴は困ったように眉を下げながら、リリアの背中を撫でました。
悴は、ディグラードからリリアに仕えるよう命じられていました。
リリアの身の回りの世話をし、望むものを与え、決して不自由をさせないようにと言われています。
それならば、リリアの望みを叶えてあげることも、自分の役目なのではないか。
悴は、そう考え始めていました。
しばらく黙り込んでいた悴が、何かを決めたように立ち上がりました。
「リリア様。では、私はリリア様のために、外に出るためのコートと、ここから出られる道を探してきます」
リリアは、驚いて顔を上げました。
「悴……?」
「すぐには無理かもしれませんが、必ず、ラシード様と蒼月様のところに帰して差し上げます」
悴の瞳には、疑いのない真っ直ぐな光が宿っていました。
「ありがとう」
リリアは、震える声で答えました。
嬉しいはずでした。
閉ざされていた場所に、初めて帰るための道が見えたのです。
それでも胸の奥には、鈍い痛みが残りました。
何も知らず、ただ自分のために動こうとしてくれる悴の純粋さを、利用しているように思えたからでした。




