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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第二部 第二章 ネヴァリア王国編

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第二十六話 小さき魔物

城の外では、激しい吹雪が荒れ狂っていました。

雪を巻き込んだ風が古い窓へ何度も打ちつけ、そのたびに硝子が低く震えていました。


黒に連れ去られたリリアは、目を覚ますこともないまま、ディグラードの城へ運び込まれました。

その身に何が起きているのかも知らず、力の抜けた身体は黒の腕に預けられています。


黒はディグラードの城へ戻ると、意識を失ったリリアを無造作に投げ渡しました。


「ほらよ」


ディグラードは伸ばした腕でリリアを受け止め、そのまま抱き上げました。

金色の髪が腕からこぼれ、力を失った身体が胸元へ預けられます。


「俺は興味ない。あとは好きに使え」


黒は、ディグラードの腕の中にいるリリアを一瞥すると、呆れたように息を吐きました。


「しかし、今の大地はなんだ。こんな娘一人に」


「名付けと、獣の姿でいた頃に魂が繋がってしまったことが関係しているようだ」


「名づけか。本当に面倒くさいよな」


黒は肩を竦め、嘲るように笑いました。


「それにしたって情けない。五柱の一人が呪われるか?」


「いくらなんでも、後任者があれではな」


ディグラードの傍らに立っていたシェザールが、控えめに口を挟みました。


「そう言って、自分も堕ちていますけれど……」


黒の目が、冷たくシェザールへ向けられました。


「殺すぞ」


「ひっ……」


シェザールは小さく身を震わせ、すぐにディグラードの後ろへ隠れました。

ディグラードは何も言わず、腕の中のリリアへ視線を落としました。


「シェザール。この娘を奥の部屋に閉じ込めておけ。くれぐれも丁重にな」


黒は、その言葉を聞くと、見透かしたように口元を歪めました。


「そういうところだよな。まだ吹っ切れていないことに、気づいていないのか?」


「……死なれては困るだけだ」


ディグラードはリリアをシェザールへ預けると、間を置いて続けました。


「シェザール。それと、小さな魔物を用意しろ」


「はい、ディグラード様」


リリアが目を覚ました時、最初に見えたのは、見覚えのない天井でした。

冷え切った空気が頬に触れ、重い瞼を開くと、薄暗い部屋の中に見知らぬ壁が浮かんでいました。


「ここどこだろう……」


自分の置かれている状況を思い出し、リリアははっと身を起こしました。

周囲を見渡しても、そこにあるのは知らない部屋と、固く閉ざされた扉だけでした。


ラシード。

蒼月。


二人の姿を探しても、どこにも見当たりませんでした。

胸の奥に不安が広がった、その時、閉ざされていた扉が開きました。


部屋へ入ってきたのはディグラードでした。

その後ろには、シェザールが付き従っていました。


「娘、目が覚めたか」


リリアは寝台の上で身を強張らせ、二人を見つめました。


「ここはどこですか。皆はどこにいったのですか。あなたたちは?」


「私はディグラード。うしろのはシェザールだ」


ディグラードは、寝台の上のリリアを見下ろしました。


「覚えてないのか。お前は我らにとらわれたのだ」


「えっ」


フードの男に抱き上げられたこと。

耳元で囁かれた声。

そこから先の記憶は、霧に覆われたように途切れていました。


「さて、逃げようとしても無駄だぞ」


ディグラードは、閉ざされた窓へ一度だけ視線を向けました。

厚い壁の向こうから、唸るような風の音が響いていました。


「死なれても困るしな。この城の外は、人では到底生きていけぬ極寒の地だ」


「お前の結界程度では保たぬから、あきらめろ」


そう言うと、ディグラードは後ろに立つシェザールへ目を向けました。

シェザールの手には、小さな魔物が提げられていました。


猫ほどの大きさをした、黒い靄の塊でした。

濁った瘴気の奥で、細い手足のようなものが力なく揺れていました。


リリアは寝台の隅へ身体を寄せ、その姿を見つめました。

ディグラードはシェザールから魔物を受け取ると、何も言わず、部屋の中央へ下ろしました。


「世話係を付ける」


ディグラードが、魔物の上へ手をかざしました。

その唇から、低い声で短い言葉が紡がれます。


「お前の名は、悴《すい》だ」


次の瞬間、黒い光が小さな身体を包みました。


瘴気が渦を巻き、歪んだ輪郭が軋むように形を変えていきました。

靄の奥から細い腕が伸び、小さな肩が生まれました。

華奢な首が形作られ、そこから黒い髪がさらさらとこぼれ落ちていきました。


やがて黒い光が引いた時、そこに立っていたのは、一人の少女でした。

十を少し越えたほどの、まだ幼い姿でした。


リリアは、息をすることさえ忘れて、その少女を見つめていました。


魔物が、人の姿に戻る。


目の前で起きたことの意味が、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいきました。


――私が、浄化してきたものたち。


翡翠の光で消していった、数えきれないほどの黒い影。

その中にも、この少女のように、かつて人であった者たちがいたのだとしたら。


胸の奥が強く締めつけられ、指先が冷たくなっていきました。


「お前は、この娘、リリアといったか。面倒をみてやれ。食事や着替えも必要だ」


ディグラードの声が、ひどく遠くに聞こえました。


少女は、生まれたばかりのような瞳でディグラードを見上げました。

それからゆっくりとリリアへ向き直り、教えられた動きをなぞるような、ぎこちない仕草で頭を下げました。


「よろしくお願いいたします。リリア様」


その顔には、悪意の欠片もありませんでした。

敵意も、嘲りもありません。

ただ、与えられた役目を果たそうとする幼い顔が、そこにあるだけでした。


リリアは声を出せませんでした。

叫びたいのか、泣きたいのか、それすら分かりませんでした。


ディグラードは、それ以上何も言わず、シェザールを連れて部屋を出ていきました。

重い扉が閉まり、部屋にはリリアと少女だけが残されました。


少女は部屋の隅に立ったまま、じっとリリアを見つめていました。

何をすればよいのか分からないのでしょう。

初めて与えられた命令を、どのように果たせばよいのか、まだ知らないのです。


リリアの頬を、涙が伝いました。


少女は、流れ落ちる涙を不思議そうに見つめ、小さく首を傾げました。


「リリア様は、どこか痛いのですか」


その問いに、リリアは答えられませんでした。

痛む場所を指し示すことも、その痛みに名をつけることもできなかったのです。


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