第二十三話 沙良との再戦
荒野には、風が低くうなっていました。
乾いた大地の中央では、沙良を閉じ込めた結界が鈍い光を放ち、その内側から押し寄せる力に何度も歪んでいます。
蒼月、リリア、ラシード、六人の眷属、そしてソフィアの写しは、その結界の前に立っていました。
結界の向こうでは、沙良がなおも瘴気を吐き続け、内側から激しく魔力を叩きつけています。
黒い霧は渦を巻きながら膨れ上がり、沙良の姿さえ見通せないほど結界の中を埋め尽くしていました。
瘴気の中では、すでに生まれた魔物たちがうごめき、その周囲で新たな瘴気が次々と固まり、別の魔物へと姿を変えていました。
ラシードが目を見開きました。
「何もないところから……」
蒼月は、瘴気から生まれ続ける魔物を見据えます。
「瘴気が固まり、形を取って魔物となっているようだ」
リリアとラシードの周囲では、女神が張った強固な結界が二人を守っていました。
「リリア。まず、この中を浄化してくれ」
「わかりました」
リリアは杖を地面に立て、祈りを紡いだ。
翡翠色の陣が足元から広がり、封じの結界の内側を通り抜けていく。
黒い霧は端から溶けるように晴れ、その中にいた魔物たちも浄化されていった。
その中から現れたのは、黒髪に赤い瞳の沙良だった。
光の眷属たちが、悲しみに顔を歪めた。
「こうなってしまっては、もう理性を取り戻すことはできぬだろう」
蒼月の声は、静かだった。
沙良はなおも瘴気を吐き、結界へ魔力を叩きつけ続けている。
「にくい……にくい……」
「人間など、すべて滅してやる」
「おまえたちも、我をあざけりに来たのか」
「ここから、出せ」
リリアは、杖を握りしめた。
「なぜ、そんなに憎いのですか」
赤い瞳が、リリアを捉える。
「我を閉じ込め、なぐさみものにし、眷属としての尊厳まで奪い」
「我の、唯一の光まで奪った」
「この恨み、晴らさでおくものか」
「出せええええええ!!」
大地の底から這い上がるような咆哮が、地を震わせた。
ラシードが、リリアを庇うように前へ出る。
「リリア。ためらってはいけない。浄化を」
リリアは頷き、二度目の祈り。
三度目。
四度目。
五度目。
祈りを重ねるたび、瘴気は薄れ、沙良の叫びは短くなっていった。
リリアの額には、汗が滲んでいた。
そして、沙良の動きが目に見えて鈍り、瘴気を吐く勢いが弱まった。
「今だ」
蒼月の号令とともに、五人の眷属とソフィアの写しが、一斉に結界へ躍り込んだ。
刃が、槍が、拳が、四方から沙良へ殺到する。
けれど、千年の憎しみは、それほど浅いものではなかった。
沙良の魔力が嵐のように荒れ狂い、眷属たちは一人残らず弾き返された。
打ちかかっては、弾かれる。
浄化で瘴気を削り、隙を突いては、また弾かれる。
死闘は、昼も夜もなく続いた。
一日。
二日。
そして三日目。
揺らいだ沙良の防ぎの、その一瞬を、武神は見逃さなかった。
武神の槍が、沙良の脇腹を貫いた。
その隙を見た光輝が叫ぶ。
「今です!」
残る眷属たちが一斉に踏み込み、沙良へ刃を突き立てた。
しかし、剣と槍が届く直前、沙良の姿が消えた。
すべての刃は何もない一点へ重なり、激しくぶつかり合う。
少し離れた場所に、ディグラードとシェザールが立っていた。
沙良はディグラードの背後で、黒い結界に包まれている。
ディグラードが沙良を振り返った。
「危なかったな」
「ディグラード!」
蒼月の声が結界の中へ響いた。
ディグラードは蒼月へ顔を向け、口元を上げた。
「惜しかったな。だが、魔王は消させない」
ディグラードが沙良の額へ手を当てると、憎しみに染まっていた表情に理性が戻っていく。
それは、蒼月が千年前に対峙した、知性を備え、用心深く周囲を見定めていた沙良の顔だった。
沙良は周囲を見回すと、咆哮のような笑い声を上げた。
「はははははっ!」
沙良は自分を守った男へ目を向けた。
「名は知らぬが、礼を言うぞ」
「ディグラードだ。こっちはシェザール」
ディグラードが答えると、シェザールも沙良へ視線を向けた。
「……我は沙良だ!」
沙良は蒼月たちを見渡し、強い口調で続けた。
「人間どもに勝手につけられた『魔王』などという名で呼ぶな」
蒼月と六人の眷属は驚愕しました。
先ほどまで憎しみに呑まれ、獣のように暴れていた沙良が、自我を取り戻していました。
沙良は蒼月と六人の眷属を順に見ました。
「ほう、千年前にいた大地の柱ではないか。最後に私の呪いを受けたはずだが、やはり柱には効かなかったのか?」
蒼月は沙良を見据えたまま答えました。
「効かなかったわけではない。お前はその直後に封印されたから、その後を知らぬだけだ」
沙良は光輝を見ると、少し懐かしそうな表情を浮かべました。
「光様……お元気にしておられますか」
光輝は沙良をまっすぐに見ました。
「光様はお元気です。あなたのことを、とても心配しておられました」
光輝は沙良の姿を見つめたまま、言葉を続けました。
「こんなことはやめて、穏やかに暮らしてはどうですか」
「それはできぬ!」
沙良の表情が険しくなった。
「どれほど時が経とうと、私が人を憎むことはやめられない。堕ちた時の感情が強く残っているのだ。それを抑えることはできぬ」
このまま憎しみのままに力を振るい続け、世界が瘴気に呑まれれば、いずれ理によって世界ごと消されることを、沙良は分かっていました。
――それなら、それでいい。
この世界が終われば、憎い人間もすべて死ぬ。
沙良は、それで構わないと考えていました。
ディグラードは沙良へ目を向けました。
「いったん引こう。沙良、私と一緒に来ないか」
沙良はディグラードを見つめ、記憶を探るように目を細めました。
「お前は、よく見れば千年前にいた大地の眷属ではないか。お前も堕ちたのか」
やがて、沙良は楽しげに笑いました。
「面白そうだ。よかろう」
ディグラードの周囲から黒い霧が噴き上がり、シェザールと沙良の姿を包み込みました。
霧が消えた時、三人の姿はどこにもありませんでした。
蒼月と六人の眷属は、三人が消えていくのを見ていることしかできませんでした。
空の女神が、傷ついた眷属たちの前へ進み出ました。
「皆さんの傷を癒します」
女神が両手を掲げると、淡い光が広がり、傷ついた者たちの身体を包んでいきました。
武神は蒼月へ視線を向けました。
「大地様。私たちの力が及ばず、申し訳ありません。沙良に自我まで取り戻され、以前よりも厄介な状況になってしまいました」
蒼月は、荒れ果てた戦場を見渡してから告げました。
「悔しいが、いったん我々も戻ろう」
六人の眷属は、蒼月の言葉に頷きました。
「はい」
全員が苦い思いを抱えたまま、その場を後にしました。




