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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第二部 第一章 柱

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第十九話 王都にあがる瘴気

夕刻の王都は、赤く染まりかけた空ごと瘴気に覆われていました。


沈みかけた陽の光は黒い靄に遮られ、街へ届くころには濁った朱色へ変わっています。

建物の間には瘴気が滞り、王宮の白い壁も、夕焼けの中で煤けたように色を失っていました。


蒼月は、瘴気に包まれた王都を見渡していました。

そのそばへ、光の眷属、光輝が立ちました。


「大地様。これから、どうなさいますか」


蒼月は、すぐには返事が返せませんでした。


リリアの悲しみが、魂の奥を浸していました。

胸を裂くような痛みが、蒼月の中にも広がっていきます。


それでも蒼月は、苦しげに息を整え、王都を見下ろしました。


「まず、王都を浄化する」


リリアが、涙に濡れた顔を上げました。


「でも……でも……」


蒼月は、ゆっくりと首を振りました。


「もう、生きている人の気配はしない」


その言葉に、リリアの肩が震えました。


ラシードは、リリアの肩から手を離しました。


蒼月は声をやわらげ、リリアを抱きしめました。


「リリア。皆を、楽にしてあげるのだ」


リリアは唇を噛みしめました。


「このまま魔物として在り続けるのは、きっと辛い」


涙が頬を伝う中、リリアはゆっくりと頷きました。


「……わかりました」


蒼月はリリアの身体を王都へ向けると、その背後に立ちました。


震える両手で杖を胸の前に構えると、蒼月はその手の上から自らの手を重ねました。

背中から伝わる蒼月の温もりを受けながら、王都を覆う空へ魔力を広げていきました。


翡翠色の光が、傷ついた空に咲いていきます。

幾重もの紋様が重なり、王都を包み込むほどの大きな浄化の陣となりました。


リリアは泣きながら、その陣をゆっくりと降ろしていきました。


翡翠の光が、崩れた街並みを撫でていきます。

黒く濁った気配が、音もなくほどけていきました。


かつて人であったものたちは、光に包まれ、苦しみから解き放たれるように、消えていきました。


「では、消火は私が」


空の女神が、前へ出ました。


淡紫の髪が、焼けた風に揺れます。

彼女が両手を広げると、空に澄んだ光が広がりました。


荒れ狂っていた炎が、まるで眠りへ誘われるように、ひとつ、またひとつと小さくなっていきます。

焼け落ちた家々の残り火も、黒く焦げた石畳に燻っていた火種も、やがて白い煙だけを残して消えていきました。


「まだ魔物になっていない方々の遺体は、清めて、埋葬しましょう」


空の女神は、そう言って目を伏せました。


誰も、異を唱えませんでした。


眷属たちは崩れた街の中へ散り、まだ人の姿を留めている者たちを、一人ずつ運び出しました。


広場に、通りに、崩れた家の前に、人々の遺体が並べられていきました。

四十万人近くが暮らしていた王都で、見つかった遺体は人口の半数。

残る者たちは王都から逃れたのか、魔物と化した末にリリアの浄化によって消えたのか、確かめることもできませんでした。


男も、女も、老人も、子供もいました。

誰かを守ろうとしたまま倒れた者。

逃げようとして力尽きた者。

抱き合うようにして息絶えていた者。


リリアはその光景を前に、何度も息を詰まらせました。


空の女神が杖を掲げました。

淡い光が、王都全体へ降り注ぎます。

血に汚れていた衣は清められ、煤に覆われていた頬は、やわらかな光に包まれていきました。


やがて、街じゅうに並ぶ人々は、皆、眠っているような姿になりました。


苦しみも、恐怖も、最後の痛みさえも、光が拭い去ったかのようでした。


その時、リリアの視線が、広場の端へ吸い寄せられました。


白い光に包まれて眠るように横たわっていたのは、若い侍女でした。


リリアは、その顔を知っていました。


王宮で、何度かお茶を運んでくれた人。

名前までは、知りません。

けれど、薄桃色の花茶を淹れてくれた時の、控えめな笑顔を覚えていました。


――リリア様のお口に合えば、うれしゅうございます。


そんな声が、胸の奥でよみがえりました。


「……この方」


リリアの声が、震えました。


「私に、お茶を……」


それ以上、言葉になりませんでした。


リリアは、その侍女のそばに膝をつきました。

女神の光のおかげで、彼女の顔は穏やかでした。

煤も血も消え、ただ眠っているようでした。


けれど、もう目を開けることはありません。


リリアの指先が、侍女の手に触れました。

冷たくなったその手に、涙が一粒落ちました。


「ありがとう、ございました……」


リリアは、深く頭を下げました。


「覚えています。あなたが、笑ってくださったこと」


蒼月は、その後ろに立っていました。


リリアの悲しみが、魂を通して流れ込んできます。

大勢の死ではなく、ひとりの死。

名前を知らなくても、確かにそこに生きていた誰かの死。


蒼月は、目を伏せました。


リリアは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がりました。


「……埋葬しましょう」


声は震えていました。

けれど、その響きは、もう崩れてはいませんでした。


「この方たちが、安らかに眠れるように」


女神が、頷きました。


「はい」


眷属たちは、祈るように頭を垂れました。


崩れた王都の広場には、白い光が降り注いでいました。

消えた火の匂いと浄化の光の名残が、壊れた王都を包んでいました。


蒼月は王都を出た先にある広大な森の入口へ向かい、大地に手を置きました。

すると、森の木々が大地へ沈むように消え、起伏のあった地面が平らに整えられていきました。


蒼月は、そこに二十万人を一人ずつ埋葬するための墓穴を作りました。

眷属たちが結界に包んだ遺体を運び、それぞれの墓穴へ納めていく。

遺体が納められるたびに土が動き、墓穴を覆っていきました。


埋葬が終わる頃、崩れた王宮の奥を確認していた空の賢者が、広場へ戻ってきました。


「大地様」


蒼月が、顔を上げました。


「どうした」


「王宮地下の転送機に、稼働した痕跡がございました」


リリアは、顔を上げました。


「……転送機が」


賢者は、頷きました。


「はい。ただ、誰が使ったのか、どれほどの者が逃げられたのかまでは分かりません。分かるのは、転送機が動いた形跡があるということだけです」


リリアの瞳が、かすかに揺れました。


すべてが失われたわけではない。

その事実は、消えかけた灯のように、胸の奥へ小さくともりました。


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