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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第二部 第一章 柱

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第十六話 リリアと蒼月

リリアは、一人で浄化の魔法陣の練習をしていました。


床に淡い光の輪が浮かび、細い線がゆっくりと重なっていきます。

けれど、最後の一節に入るたび、光はふっと揺らぎ、ほどけるように消えてしまいました。


「……もう一度」


リリアが小さく息を整え、杖を握り直した時でした。


「リリア」


背後から、静かな声がしました。


振り返るより早く、リリアには、その声が誰のものか分かりました。

蒼月でした。


「無理をしなくていい。私が何とかする。リリアを、危険な場所へ連れて行きたくない。いつもそうなのだ。私が止めても、いつも、いつも……」


その声を聞きながら、リリアは振り返りました。


白銀の髪が、窓から差し込む光を受けて、淡く輝いています。

人の姿をしていても、その蒼い瞳だけは、森で出会った頃と何も変わっていませんでした。


蒼月は近づき、リリアを抱きしめました。


「私の可愛いリリア」


その腕は、人の腕でした。

けれど、包み込むような温もりは、銀狼だった頃と少しも変わっていませんでした。


リリアは、蒼月の胸に額を寄せたまま、ふと気づきました。

そういえば、蒼月と二人きりになるのは、いつ以来でしょう。


いつの間にか、隣にはラシードがいるようになっていました。

蒼月の心の声を、前ほど聞かなくなっていました。


いいえ。

聞こえなくなったのではありません。

リリアが、聞かないようにしていたのです。


蒼月を大切に想う気持ちは、何一つ変わっていません。


森で出会った日から、蒼月はずっとリリアの傍にいてくれました。

家族のように、命の一部のように、大切な存在でした。


だからこそ、その声を聞いてしまえば、もう聞かないではいられなくなる。

リリアは、そう分かっていました。


けれど、それはラシードへ向ける想いとは違います。


その違いをどう言葉にすればいいのか、リリアには分かりませんでした。


蒼月が、自分を愛してくれていることは分かっていました。


魂が繋がっているからこそ、蒼月がどれほど気持ちを抑えても、その奥から漏れ出てしまうものがあることも、分かっていました。


それなのに、リリアは見ないふりをしていました。


リリアは、一度自分が死んでしまった時のことを、ラシードから聞いていました。


あまりの悲しみに、大地を司る者でありながら堕ちかけてしまった蒼月。


その話を思い出し、顔を上げると、蒼月の顔がすぐ目の前にありました。


蒼月は、リリアの心が分かったように言いました。


「私は、リリアが幸せならいいのだ。リリアのそばにいられるだけで」


けれど、その言葉の奥で、蒼月が傷ついていることを、リリアは知っていました。


あんなに深く愛してくれていたのに。

それでも、最後にはラシードのもとへ行けるように、背中を押してくれていたのに。


胸の奥が、痛みました。

気づいた時には、リリアの頬に涙が伝っていました。


蒼月が、指を伸ばしました。

その指先が、リリアの涙を拭います。


「泣かないでくれ、リリア」


その声があまりにも優しくて、リリアの涙は余計に止まらなくなりました。


「蒼月、ごめんなさい。気持ちに、応えられなくて」


蒼月は、少しだけ目を伏せました。


「少し外に出ようか」


そう言うと、蒼月はリリアを抱き上げました。


窓を開け放つと、蒼月は迷わず夜空へ飛び出します。

一度、大きく高度を上げ、さらにもう一度、力強く宙を蹴りました。

気づけば、リリアの視界いっぱいに、王都の光が眼下に広がっていました。


蒼月は、星術の塔の上に降り立っていました。


「寒くはないか」


「大丈夫」


リリアは、小さく答えました。


「リリア、いいのだ。気にしなくて。私は、狼だった。当然のことだ」


リリアは首を振りました。

けれど蒼月は、穏やかに続けました。


「リリアは、私の命の恩人だ。呪いも解いてくれた。今の私があるのは、リリアがいてくれたからだ」


その言葉に、リリアの胸が締めつけられました。

蒼月は、遠い森を見るような目をしました。


「今でも思い出す。森で、リリアと出会った日のことを」


あの日、差し出された手。

あの日、呼ばれた名前。

あの日から、蒼月の長い孤独は少しずつ変わっていったのです。


「リリアが、私を家族のように大切に思ってくれている。今も、そう思っていてくれる。それだけで、十分だ」


「蒼月……」


「私が、後押ししたのだ。リリアが幸せになるように。ラシードの隣で、笑えるように」


蒼月は、かすかに笑いました。

その笑みはきれいで、けれど少しだけ寂しそうでした。


「ただ」


そこで、蒼月の声がほんの少しだけ揺れました。


「もう少し早く、この姿で逢いたかった。それだけだ」


蒼月はそう言って、もう一度リリアの涙を拭いました。

その指先は優しく、責めるものなど何ひとつありませんでした。


「そんなに泣くな、リリア。ほら、見てごらん。街がきれいだ」


蒼月が、リリアの向きを変えてくれました。

眼下に、王都の輝きが広がっていました。


「きれい」


「そうだ。その顔だ。私が見たいのは」


「あまり泣いていると、さらってしまうよ」


冗談のように言った声は、ひどく優しくて、少しだけ寂しそうでした。

リリアは涙に濡れたまま、かすかに笑いました。


「銀狼の時と、変わらないのね」


蒼月は、少しだけ目を細めました。


「そうだな。私は、何も変わっていないのかもしれない」


リリアは、蒼月の胸に額を寄せました。


言葉にできない想いが、胸の奥で揺れていました。

星術の塔の上を、夜風が通り過ぎていきました。

広がる王都の灯が、涙に滲んで、いくつもの小さな星のように揺れていました。


それでも、蒼月の腕の中だけは、森で出会ったあの日と同じように、あたたかでした。


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