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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第二部 第一章 柱

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第十三話 可能性

シェザールは、ディグラードを寝台へ横たえました。

焼け焦げた衣が指先で崩れ、黒くただれた皮膚から、まだ熱の名残が立ちのぼっていました。


「死なないで、ディグラード様。お願い、生きて」


シェザールの声は、祈りではなく悲鳴に近いものでした。

寝台のそばに膝をつき、震える手でディグラードの手を握りしめます。

焼け焦げていた皮膚は、少しずつ白い肌へ戻っていきました。


ディグラードの瞼が、揺れました。


「泣くな」


掠れた声が落ちました。

ディグラードはゆっくりと手を上げ、シェザールの頬に触れました。

その指先には、まだ焼けた熱が残っていました。


「すまない。私が死ねば、お前も消えてしまうな」


「違う。そうではありません」


シェザールは首を振りました。

涙が頬を伝い、ディグラードの手を濡らしました。


「ディグラード様が死ぬなら、俺も死んでいい」


ディグラードの瞳が、かすかに揺れました。


「でも、違うのです。そういうことではないのです」


シェザールは言葉を探しました。

胸の奥にあるものは、あまりにも大きくて、ひとつの言葉には収まりませんでした。


「俺は、なんて言えばいいのか分かりません」


握った手に、シェザールは額を寄せました。


「でも、愛しています。俺だけは、ディグラード様だけを愛しています」


声が、涙に濡れていました。


「それでは、足りないのですか」


ディグラードは黙ってシェザールを見つめていました。

ただ、シェザールの頬に触れた手が、強くなりました。


シェザールは気づいていました。

ディグラードの中には、まだ大地の柱がいるのだと。

憎んでいても。

奪われたと思っていても。

それでも、忘れきれずに残っているのだと。


シェザールは、ディグラードの手に頬を寄せたまま、唇を噛みました。


「もう、大地の柱を忘れてください」


小さな声でした。

けれど、それはシェザールがずっと胸の奥に沈めてきた、ただ一つの願いでした。


「お願いです、ディグラード様。もう、あの柱を見ないで」


シェザールは、ディグラードの手を握りしめました。


「俺だけを見て」


涙に濡れた声が、寝台のそばに落ちました。


「世界など、もうどうでもいいではありませんか。二人だけで、どこか遠くへ行きましょう」


名を授け合った者同士、心の奥にあるものは分かってしまいます。

ディグラードが、その願いを選べないことも。

それでもシェザールは、言葉にせずにはいられませんでした。



その後、蒼月たちは、王都へ戻っていました。

会議室には、アレクシス王、アステル、ラシード、リリアが集められていました。

そこには、闇と、戦いから戻った六人の眷属もいました。

空から借りた賢者、武神、女神。

そして、光から新たに下ろされた三人の眷属。

人の世の会議室に、神々の気配が重く満ちていました。


蒼月は、闇へ視線を向けました。


「闇の。なぜ、リリアたちを連れてきたのだ」


闇は、答えました。


「どうしてもと、ラシードが頼まれたのと、お前の加護が働いたのでな。止められるのはこの娘しかいないと思った」


蒼月は、リリアとラシードを見ました。

ラシードは、リリアの手を握りそばに立っていました。


「そうか」


蒼月は、それ以上を問わず、短く答えました。

闇は、小さく息を吐きました。


「大地の。人の願いとは、面倒なものだな」


そう言って、闇は消えていきました。


やがて、アステルが口を開きました。


「何が起きたのか、ご説明願えませんか」


蒼月は、すぐに言葉を発することができませんでした。

会議室にいる者たちは、六人の眷属が傷を負って戻ったことに、言葉を失っていました。

空の眷属三人は、すでに王宮で紹介されていました。

けれど、そこに加わっていた白い光をまとう三人については、まだ人の側へ説明されていませんでした。


アステルは、その三人へ視線を向けました。


「まず、この方々はどなたなのでしょうか」


蒼月が答えました。


「光に、貸してもらった眷属たちだ」


光の眷属たちは、光の眷属にふさわしく、白く淡い輝きをまとっていました。

衣は、まるで清らかな光を糸にして織ったように白く、髪や瞳、肌の色には、それぞれ異なる特徴がありました。


金糸のような髪と澄んだ黄金色の瞳を持つ、凛とした顔立ちの青年が、一歩前へ出ました。


「光様のもとで、お仕えしております。光輝《こうき》と申します」


続いて、長い銀白の髪と淡い水色の瞳をもつ、鋭い目をした青年でした。


「同じく、耀真《ようま》と申します」


最後に、短い白金の髪と薄い緑色の瞳をもつ、柔らかい表情をした青年でした。


「同じく、澄光《すみか》と申します」


三人は、傷を負ってなお、澄んだ神気を失っていませんでした。


澄光が、口を開きました。


「ディグラードの邪魔があったとはいえ、何もお力になれず、申し訳ありません」


その言葉に、会議室の空気がさらに重くなりました。

六人の眷属が力を合わせても、ディグラードと沙良を倒すことはできませんでした。

蒼月が結界を張り、眷属たちが戦い続けても、終わらせることはできなかったのです。


耀真が蒼月へ問いかけました。


「蒼月様。蒼月様の加護では駄目なのですか」


蒼月の表情が沈みました。


「加護が魔王に触れ、その身が消滅する時に衝撃が起きる。お前も先ほど寸前まで見ていただろう」


耀真は、先ほどディグラードが消滅する寸前まで追い込まれた光景を思い起こしながらも、顔色を変えずに言いました。


「それでも、魔王は消えます」


アステルの顔色が変わりました。


「その衝撃とは……」


蒼月は、低く答えました。


「私が加護を使い魔王と衝突すれば、大地に衝撃が走る」


「ディグラードの時も、リリアが声をかけなければ、あの辺り一帯は、我々以外ほぼすべてが消え去っていただろう」


会議室に、冷たい沈黙が落ちました。


澄光が、リリアへ視線を向けました。


「では、浄化で弱らせることはできませんか」


リリアは、その視線を受け止めました。


澄光は、迷いなく続けました。


「ここに、天零の浄化を放つ娘がいるではありませんか。この者を大地様の眷属として迎え入れれば、勝機は生まれるかもしれません」


「それはできない」


蒼月の声が、即座に遮りました。

澄光は、目を伏せました。


「残念です」


リリアは、蒼月を見て聞きました。


「眷属になるとは、どういうことなのでしょう」


ラシードが、低く言いました。


「それは駄目だ」


リリアは、ラシードを見上げました。


「なぜですか」


ラシードは、リリアの手を握る力を強めました。


蒼月が、澄光へ視線を向けました。


「言ってはいけない」


澄光は、蒼月を見返しました。


「大地様。もう隠しておくことはできないでしょう」


澄光はリリアへ向き直りました。


「眷属になるということは、人としての人生を捨てるということです」


澄光は、静かな声で続けました。


「大地様に属する眷属となり、人として生きる道を離れ、人で言う神の側へ移るということです。それは、命も、魂の在り方も、人の理から離れるということです」


アステルが、硬い声で尋ねました。


「それは、誰にでも可能なことなのですか」


澄光は首を振りました。


「いいえ。人を眷属として迎えるには、天零として生まれている必要があります」


「そして何より、本人に眷属となる意思がなければなりません」


会議室に重い沈黙が落ちました。

ラシードはリリアの手を握ったまま、低い声で言いました。


「駄目だ、そんなものは、駄目だ」


リリアは、握られた手を見つめました。

その温もりだけが、冷えきった会議室の中で、確かに人の世のものとして残っていました。


蒼月は、澄光を見据えました。


「その話は、終わりだ」


澄光は、それ以上何も言いませんでした。

白い光だけが、会議室の静けさの中で、淡く揺れています。


長い沈黙の後で、リリアが言いました。


「でも私、やりたいです」


その声に、ラシードの手が強くなりました。

リリアは握られた手を見つめてから、顔を上げました。


「せっかく、浄化の陣を強くしていただけたのです。私にできることがあるなら、やりたいです」


「リリア」


ラシードの声には、止めたい思いがにじんでいました。


澄光が、首を振りました。


「あの瘴気と戦いの中へ、人の身で入るのは無理です」


その言葉は、戦った者だからこそ分かる、冷静な判断でした。


その時、空の女神が一歩前へ出ました。


「では、私がリリア様を結界でお守りします」


蒼月が、女神を見ました。

女神は、穏やかな表情のまま続けました。


「ただし、その間、私は戦いには参加できません。それでもよろしいでしょうか」


会議室に、再び沈黙が落ちました。

眷属一人の戦力を、リリアの守りへ回す。

それがどれほど重い判断なのか、その場にいる誰もが分かっていました。


女神は、リリアへ視線を移しました。


「そして、リリア様は人の身のまま、魔王を浄化するのです」


「今のままでは無理です」


女神の声は、柔らかく、それでいてはっきりとしていました。


「訓練が必要です。浄化の陣を、戦いの中でも崩さず放てるようにしなければなりません」


女神は、リリアの手を見ました。

かつて、その手のひらに浮かんだ翡翠色の陣を整えた時と同じ、静かな目でした。


「それは、私がお教えしましょう」


ラシードは、何かを言おうとして、言葉を飲み込みました。

止めたい。

けれど、今ここでリリアの意思を折ることもできない。

その苦しさが、握った手から伝わってくるようでした。


蒼月は、低く口を開きました。


「ソフィアの写しがある」


蒼月は続けました。


「あれで、リリアの代わりはできないのか」


蒼月は、懐から、写しを取り出しました。

淡い光とともに、ソフィアの姿を象った人形が現れました。

人ではありません。

けれど、人ではないと言い切るには、あまりにも優しい姿でした。

かつて世界を救った聖女の面影だけが、そこにありました。


蒼月が、ソフィアの写しに聞きました。


「浄化はできるのか?」


ソフィアの人形は、蒼月へ向かって深く頭を下げました。


「申し訳ありません、私は、ソフィア様の情報を模しているだけです。剣技や魔法の動きは再現できますが、浄化は形だけしか残っておりません」


ソフィアの人形は、続けました。


「浄化そのものは行えません」


写しはゆっくりとリリアへ向き直りました。


「ですが」


やわらかな声が、会議室に落ちました。


「教えることはできます」


リリアの瞳が、かすかに揺れました。


「ソフィア様がどのように陣を組み、どのように力を巡らせ、どの瞬間に浄化を放っていたのか。その記録なら、私の中に残っています」


女神が、頷きました。


「私がリリア様の陣を整えます。ソフィア様の写しが、実戦の形を教える。それなら、人の身のままでも、届く可能性はあります」


可能性。

その言葉だけが、冷えきった会議室の中に残りました。


蒼月は、リリアを見ました。


リリアは、ラシードの手を握り返しました。

それから、真っ直ぐに蒼月を見つめました。


「やります」


その声に、迷いはありませんでした。


こうして、リリアの準備が整い次第、再び戦いに臨むことが決まり、会議は終わりました。


戦いの疲労と、負った傷の痛みが、まだ会議室の空気に残っていました。

そこに、女神が、一歩前へ出ました。


「皆さまの傷を癒やします」


そう言って、女神は胸の前で両手を重ねました。

淡い光が、指先から広がっていきます。


「空の理よ。傷つきし身を包み、裂けた肌を癒やし、乱れた血の流れを鎮めたまえ」


その声が落ちた瞬間、会議室にやわらかな光が満ちました。

白く澄んだ光は、傷ついた者たちの体を包み、焦げた肌を癒やし、血の滲む傷口を穏やかに塞いでいきました。


やがて、痛みが少しずつ引いていきます。


張りつめていた息が、誰からともなくほどけました。


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