第九話 空の眷属
魔王の封印が解けたことは、すでに王宮内の限られた者たちへ伝えられていました。
けれど、そこで話されたのは、あくまで事実の確認でした。
何が起きたのか。
どれほど危険なのか。
どこまで人の手で対処できるのか。
王宮の会議室には、再び限られた者たちが集められていました。
アレクシス王、レオン王子、セドリック王子。
ハインリヒ、ローガン、ヴィクトル、アステル。
騎士団の隊長であるガレスとエレナ、ラシード、リリアも席についています。
蒼月は、会議室に集まった者たちを見渡しました。
「魔王について、話がある」
その声に、会議室の空気が張りつめました。
「先に言っておく。あの魔王は、倒す」
その一言に、誰もが息を呑みました。
蒼月が手をかざすと、目の前に光景が映し出されました。
そこには、結界の中で瘴気と魔力を吐き出している魔王の姿がありました。
アレクシス王が、低く問い返します。
「封印ではなく、か」
蒼月は頷きました。
「封印では、また同じことが繰り返される。千年後か、百年後か、十年後かは分からない。だが、残せば必ず、誰かが同じものを背負う」
誰も、すぐには言葉を返せませんでした。
蒼月は、続けました。
「戦いは、私と、この三人の眷属で行う。他は来ないでくれ」
ラシードが、眉を寄せました。
「だが……」
蒼月は、まっすぐラシードを見ました。
「正直に言う。この瘴気の中で動けない者は、足手まといだ」
会議室の空気が、さらに重く沈みました。
「誰かを庇っていては、勝てない。守るものが増えれば、その分だけ隙が生まれる。あれは、そういう相手だ」
ラシードは、拳を握りました。
悔しさを押し殺すように、しばらく黙っています。
けれど、やがて小さく息を吐きました。
「……分かった」
その一言は、納得ではありませんでした。
それでも、蒼月の言葉が正しいと分かっている者の声でした。
蒼月は、扉の方へ視線を向けました。
「入ってこい」
その声に応じて、扉が開きました。
姿を現したのは、三人でした。
いずれも、人間離れした美しさをまとっています。
その佇まいだけで、会議室の空気が一段と張りつめました。
先頭に立っていたのは、白髪を一つに結んだ、鋭い目つきの男でした。
紫水晶を思わせる瞳が、一同を見渡します。
「空様のもとで、お仕えしております。賢者と呼ばれている。攻撃魔法を扱う」
短い名乗りでした。
それだけで、只者ではない気配が伝わってきます。
その隣には、栗色の短髪の男が立っていました。
片手に、丈の長い槍を携えています。
茶色の瞳が、興味深そうに会議室を見回していました。
「同じく、武神だ。よろしくな」
気さくな口調で、にっと笑います。
「前衛での戦闘なら、任せてくれ」
最後に進み出たのは、淡い紫の髪をたなびかせた女性でした。
紫の瞳は、どこまでもやわらかく、優しげな光を湛えています。
「同じく、女神と申します」
そう言って、一礼しました。
「治癒と結界を得意としております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
三人が並ぶと、それぞれ異なる気配でありながら、確かに同じ主を持つ者たちだと分かる、不思議な統一感がありました。
蒼月は、三人を順に見てから、会議室の面々へ向き直りました。
「空の眷属だ。今回、力を貸してもらう」
三人の眷属は、蒼月のそばに立つリリアへ、そろって視線を向けました。
その瞳には、珍しい宝石を見つけたような、抑えきれない興味が宿っていました。
「この方が、大地様が愛しておられる方ですか」
最初に口を開いたのは、淡い紫の髪を揺らした女神でした。
紫の瞳が、やわらかくリリアを見つめます。
リリアは少し驚きながらも、丁寧に頭を下げました。
「リリア・フォン・ヴァイスベルクです。よろしくお願いいたします」
「まあ。リリア様」
女神は、うっとりとした声で名を呼びました。
「とても可憐で、美しい方ですね」
賢者も、紫水晶の瞳を細めてリリアを見ていました。
武神は腕を組んだまま、どこか楽しそうに口元を緩めています。
三人とも、リリアに興味津々でした。
「リリア様も、眷属になられるの?」
女神が、何気ない調子でそう言いました。
リリアは、きょとんとしました。
「眷属……?」
その瞬間、会議室の空気が止まりました。
女神は、ぱちりと瞬きをしました。
「あら。言ってはいけなかったかしら」
賢者が、横から息を吐きました。
「口が軽い」
「気にしないでくださいませ、リリア様」
女神は、にこりと笑って、何事もなかったように話を変えました。
「あなたは、浄化と治癒が得意と聞いています。陣は正しく描けますか?」
「正しい陣、ですか」
「ええ。手のひらに出してみてくださる?」
リリアは、自分の手のひらを見下ろしました。
それから、いつも浄化を行う時の感覚を思い出しながら、力を集めます。
淡い光が、手のひらの上に浮かびました。
小さな魔法陣が、翡翠色の光を帯びて回ります。
女神は、それを覗き込むようにして見ました。
「あら。これは力が滞っているわね」
「……?」
「ええ。でも、とても綺麗。基本は崩れていませんわ」
女神は、リリアの手のひらの上に浮かぶ光へ、細い指先を近づけました。
「ここを、こうして。こちらの流れを少し逃がして、結び目をこちらへ移します」
女神の指が、リリアの陣の上をなぞりました。
すると、翡翠色の光の線が、まるで糸をほどかれるように動き、さらに美しい形へと組み直されていきます。
「これで、力の巡りが倍になります」
リリアは、息を呑みました。
手のひらの上にある陣は、さっきまでと同じようで、まるで違っていました。
光が滞らず、中心から外へ、外からまた中心へ、なめらかに流れています。
「すごい……」
思わず漏れた声に、女神は嬉しそうに微笑みました。
「ふふ。素直で可愛らしい方」
そのまま女神は、懐かしむように目を細めました。
「ソフィア様は、それはもう、人とは思えないほど……」
「人とは思えない、というより、あいつは投げていたではないか」
横から、賢者が淡々と口を挟みました。
女神が、少し頬を膨らませます。
「賢者。今、私が美しく語っていましたのに」
「事実だ。浄化も結界も、すべて投げていた。陣を展開し、丸め、相手に叩きつける。あれは術というより投擲だ」
会議室に、奇妙な沈黙が落ちました。
リリアは、手のひらの陣を見つめたまま、瞬きをしました。
「……投げる、のですか」
武神が、そこで初めて声を立てて笑いました。
「投げていたな。見事なものだった」
女神は、困ったように眉を下げながらも、どこか誇らしげでした。
「ええ。けれど、とても美しかったのですよ。ソフィア様の光は、まっすぐで、強くて、誰にも止められませんでした」
蒼月は、黙ってその名を聞いていました。
ソフィア。
その名が落ちた瞬間だけ、蒼月の瞳に、遠い月明かりのような静けさが揺れました。
女神は、リリアの手のひらに浮かぶ陣を見つめたまま、楽しそうに笑いました。
「それにしても、地上は久しぶりですわ。空様は、あまり私たちを地上へ下ろしてくださいませんから」
武神が、槍の柄に軽く手を添えたまま頷きました。
「今回は、誰が行くかで争奪戦だったな」
「ええ。大地様のお手伝いで、しかもリリア様にお会いできるとなれば、皆、行きたがりますもの」
リリアは、思わず目を瞬かせました。
「争奪戦、ですか……?」
賢者が、瞳を細めました。
「地上に出られる機会は少ない。今回のような役目は、退屈を嫌う者たちには魅力的だった」
蒼月は、少し呆れたように息を吐きました。
「空のは、眷属が多いからな」
三人の眷属は、その言い方にも慣れているようでした。
むしろ、どこか楽しそうに微笑んでいます。
女神は、リリアへ向き直りました。
「ですから、リリア様。私たちは、とても楽しみにして来たのですよ」
魔王との戦いから眷属や神々の話へと広がる、人の常識からあまりにもかけ離れた内容に、会議室の者たちは口を挟む機会を失っていました。
その中で、アレクシス王は最後に蒼月へ向き直りました。
「よろしくお願いいたします」
そうして、会議は閉じられました。
空の眷属たちが地上へ降りたことで、次の戦いは、もう人の領域だけでは済まなくなっていました。




