第七話 遠い記憶の軋み
王都へ戻ったあと、会議室には重い空気が満ちていました。
上座には、アレクシス王が座っていました。
その傍らには、王太子レオンと第二王子セドリックが控えています。
ハインリヒ、アステル、ローガン、ヴィクトルも席に着いていました。
さらに、リリア、ラシード、蒼月をはじめ、主だった重臣たちが集められていました。
封印の地で起きたことが、あまりにも大きすぎたからです。
沈黙の中、アステルが一歩前へ出ました。
「魔王が封じられていた繭のようなものの前に、二人の男が立っていました。黒髪の男と、白髪の男です」
会議室の空気が、さらに冷えていきました。
「その二人が封印を解いたのかは、断定できません。ただ、我々が到着した時には、封印の陣はほとんど消えかけていました。そして、目の前で最後の円が消え、魔王が復活しました」
アレクシス王が、息を呑みました。
「魔王は、すぐに瘴気と魔力を放ちました。狙いを定めているというより、周囲すべてを壊すように、見境なく力を投げつけていました」
アステルは、蒼月へ視線を向けました。
「蒼月様が城跡一帯を結界で包み、ひとまず魔王をその中へ閉じ込めています」
蒼月は、口を開きました。
「結界がいつまでもつかは分からぬ」
その一言で、会議室の空気が沈みました。
誰も、楽観できる者はいませんでした。
ラシードが、蒼月を見ました。
「蒼月。あの二人のうち、どちらかは知っている相手だったのか」
蒼月の目に、遠い記憶の影が揺れていました。
「名前を呼んでいた」
ラシードの言葉に、リリアが蒼月を見つめました。
蒼月は、長く息を吐きました。
「あの黒髪の男は、かつて私の眷属だった者だ」
会議室に、小さなどよめきが走りました。
「千年前、ソフィアと共に、魔王を封印する戦いに参加していた」
蒼月は、ゆっくりと言葉を続けました。
「ソフィアが、あの者に名を与えた。ヴァイド、と」
その名が告げられた瞬間、場の空気が変わりました。
リリアは胸元で手を握りました。
その名には、ただの呼び名以上の重みがあるのだと分かりました。
「私は、呪いを受けた。その後のことは、知らぬ」
蒼月の声が、低くなりました。
「ただ、空から聞いた。ソフィアが亡くなった後、ヴァイドは堕ちたと」
誰も、言葉を挟めませんでした。
かつて共に戦った者。
同じ聖女を知る者。
その者が今、封印の地に立ち、魔王の復活を見届けていた。
ラシードが、重く口を開きました。
「あそこにいたなら、封印を解いたのは、そいつかもしれないな」
ラシードの言葉に、蒼月はただ目を伏せました。
唇をかすかに震わせたまま、声を発することすらできないようでした。
部屋を支配したのは、息が詰まるほどの沈黙でした。
蒼月の横顔には、怒りよりも深い、信じがたいものを見てしまった者の痛みがありました。
「……信じられぬ」
低く押し殺した声でした。
「ヴァイドは、誇り高く、強い眷属だった。何より、ソフィアを愛していた。それなのに、彼女の努力を無にするようなことを……」
その言葉は、誰かを責めるためのものではありませんでした。
ただ、千年前の記憶の奥から零れ落ちた、蒼月自身の痛みでした。
リリアは、蒼月にかける言葉を見つけることができませんでした。
ラシードも、アステルも、王も、重臣たちも。
誰も、その沈黙を破ることができませんでした。
魔王が復活した。
それだけでも、国を揺るがす事態でした。
けれど今、蒼月の前には、もう一つの闇が現れていました。
千年前に共に戦い、同じ人を愛したはずの者が、神堕ちし、魔王の封印の場に立っていた。
その事実が、会議室の空気を、さらに重く沈ませていました。
会議が終わったあと、リリア、蒼月、ラシードは、部屋へ戻りました。
扉が閉まると同時に、張り詰めていた空気が、ほどけました。
けれど、蒼月の瞳に、遠い記憶を押し殺すような影が沈んでいます。
リリアは、蒼月を見上げました。
「蒼月、大丈夫ですか。顔色が悪いです」
蒼月は、少しだけ目を伏せました。
「大丈夫だ」
「全然、大丈夫なお顔ではありません」
リリアの表情からは、心配でたまらない様子がうかがえました。
蒼月は、しばらく何も言えませんでした。
それから、低く名を呼びました。
「リリア」
次の瞬間、蒼月はリリアを抱きしめていました。
「少しの間だけ、このまま……」
リリアは、ラシードを見ました。
ラシードは、何も言わずに頷きました。
その目には、嫉妬ではなく、蒼月の痛みを分かってやれという静かな思いやりがありました。
リリアは、小さく頷き返しました。
「はい。いくらでも大丈夫です」
蒼月の腕の中で、リリアはじっとしていました。
理由は分かりませんでした。
それでも、今の蒼月が、何か大きなものに耐えていることだけは分かりました。
蒼月は、リリアの肩に額を寄せたまま、目を閉じました。
――なぜだ。なぜ、あの眷属の中でも最強とうたわれ、高潔だったヴァイドが、神堕ちしてしまったのだ。ソフィアの残した映像では、ソフィアの神殿が建ったあと、ヴァイドはどこかへ行ってしまったと語られていた。
あの後、何があった。
蒼月の胸の奥で、古い記憶が悲鳴を上げるように軋みました。
――ソフィアは、結婚し、子をなした。
眷属と人との間に、子は生まれない。
ならば、ソフィアが選んだのは人だったのだ。
ヴァイドではなく、人を。
――私と同じなのか……。ソフィアを失った悲しみがヴァイドを堕としてしまったのだろうか。
その絶望が、高潔だったヴァイドに何をもたらしたのか。
蒼月には、まだ分かりませんでした。
ただ、胸の奥に深く突き刺さった小さな違和感だけが、冷たく、消えずに残り続けていました。




