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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお


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第十二話 謁見

謁見の間の巨大な二重扉の前で、リリアは静かにその時を待っていました。

純白のドレスに包まれた胸の奥で、鼓動がいつもより速く響いています。

旅の間に何度も練習した挨拶も、礼儀作法も、今は一つひとつ確かめなければ不安になるほどでした。

胸の前で重ねた指先が、わずかに震えています。


リリアは深く息を吸い、ゆっくりと吐きました。

その時、隣にいた蒼月がそっと身体を寄せてきました。

柔らかな銀の毛並みが腕に触れ、張り詰めていた心が少しだけ和らぎます。

リリアは蒼月の毛並みに、そっと指を滑らせました。


「ありがとう、蒼月」


小さく呟くと、蒼月は静かに鼻を鳴らしました。

背後では、ルークが穏やかな表情で見守っています。


「大丈夫ですよ、リリア殿」


その声に振り返ると、ルークは安心させるように微笑みました。


「これまで十分に準備してきました。あとは教わった通りにすれば問題ありません」


「うん……」


そう答えながらも、やはり緊張は消えません。

これから会う相手は、この王国を治める国王陛下なのです。

町娘として生きてきたリリアにとって、本来なら一生会うことのない存在でした。


やがて儀礼官が前へ進み出ると、厳かな空気が辺りを包み込みました。


「間もなく陛下との謁見を開始する」


その言葉に、リリアは姿勢を正しました。


「リリア・グランベル殿、並びに銀狼・蒼月、入場!」


高らかな声が響き渡ります。

それを合図に、目の前の巨大な二重扉がゆっくりと左右へ開かれていきました。


開け放たれた先に広がる空間は、美しさと威厳を同時に備えていました。

高い天井を支える白亜の柱。

壁には王国の歴史を描いた壮麗なタペストリーが飾られ、無数の燭台の灯りが黄金色の輝きを放っています。

その中央を貫くように真紅の絨毯が敷かれ、その先には一段高く設けられた玉座がありました。


リリアは開かれた扉の前で、教えられた通りに頭を下げました。

隣では蒼月も、リリアの動きに合わせるように落ち着いて身を低くしています。

短い礼を終えると、リリアは震えそうになる足に力を込め、真紅の絨毯の上へ一歩を踏み出しました。


通路の両側には、王国の重臣たちが整然と並んでいます。

誰一人として無駄な動きを見せず、張り詰めた空気の中でリリアたちを見つめています。

その視線の重さに、リリアは自然と背筋を伸ばしました。


誰が誰なのかを見分ける余裕はありません。

ただ、ここにいる人々が皆、この王国を支えている方々なのだということだけは分かりました。

旅の途中でルークから何度も名前や役職を教わったはずなのに、今は緊張のあまり、思い出すことすら難しく感じます。


(どうしよう……緊張しすぎて、口の中がからからです)


(あんなに練習したのに、うまく思い出せません)


(足は、ちゃんと前へ出ている……?)


胸の奥で、そんな思いが次々に浮かんでは消えていきました。

それでも、ここで立ち止まるわけにはいきません。

リリアは視線を落とさないように気をつけながら、教えられた歩き方を思い出すように、一歩ずつ前へ進みました。


やがて定められた位置まで辿り着くと、リリアは足を止め、玉座へ向かって深く頭を下げました。

隣では蒼月も、静かに身を低くしていました。


謁見の間に静寂が訪れます。

ほんの数秒のことだったのでしょう。

けれどリリアには、とても長い時間のように感じられました。


「面を上げよ、リリア・グランベル」


玉座から、穏やかな声が響きました。

リリアはゆっくりと顔を上げます。

視線は自然と正面へ吸い寄せられました。


玉座には、この国を統べる王が座っていました。

アレクシス・フォン・グランヴァルド国王。

年齢は四十代半ばほどでしょうか。

旅の道中で何度も名前を聞いてきた王でしたが、実際に目の前にすると、その存在感は想像を遥かに超えていました。


その隣には、美しいヴィクトリア王妃の姿があります。

深い栗色の髪と琥珀色の瞳を持つ王妃は、静かな微笑みを浮かべながらリリアを見つめていました。

さらにその近くには、三人の王子たちの姿もありました。


こうして、リリアと蒼月を王国へ正式に迎えるための謁見が始まったのです。


「遠路よく参った」


国王の声は落ち着いていました。


「ローゼン領からの報告は受けている。町を救うため尽力したこと、そして多くの民を助けたこと、余は感謝している」


思いがけない言葉に、リリアは小さく目を伏せました。

感謝されるようなことをしたつもりはありません。

怪我をした人がいれば助けたかった。

ただ、それだけだったのです。


「もったいないお言葉です」


何とかそう答えると、国王は静かに頷きました。

次に、国王の視線が隣の蒼月へ向けられます。

蒼月は玉座を見据えたまま、微動だにしませんでした。


「そして蒼月」


その名を呼ばれ、蒼月がゆっくりと顔を上げます。


「そなたにも礼を言わねばならぬ」


静まり返っていた謁見の間に、小さなざわめきが広がりました。

重臣たちの間で、静かに視線が交わされます。

国王は蒼月を真っ直ぐに見つめました。


「報告によれば、そなたも王国の民を救ったそうだな」


蒼月は、ただ静かに国王を見つめ返しました。


「余は王国を代表し、そなたに礼を述べる」


国王はゆっくりと頷きます。


「感謝する」


蒼月は尻尾をゆっくりと振りました。

その姿に、リリアはわずかに表情を緩めます。

まるで、蒼月なりに返事をしているように見えたのです。

玉座の隣では王妃ヴィクトリアが柔らかく微笑み、第三王子は興味深そうに身を乗り出していました。


そんな空気を静かに見渡した後、国王は再びリリアへ視線を戻しました。

穏やかだった声に、少しだけ重みが加わります。


「リリアよ。そなたに頼みたいことがある」


リリアは思わず背筋を伸ばしました。


「は、はい」


「この王宮には、任務中に瘴気を受け、いまだ苦しんでいる者がいる。王宮の治癒術師たちも手を尽くしているが、快方には向かっておらぬ」


国王はそこで一度言葉を切り、リリアの表情を確かめるように見つめました。


「無論、無理に命じるものではない。だが、そなたがよければ、その者を診てもらいたい」


その言葉に、リリアは小さく息を吸いました。

苦しんでいる人がいる。

それを聞いた瞬間、胸の奥にあった緊張とは別の感情が浮かび上がります。


「私でよければ、診させてください」


「頼む」


リリアがそう答えると、国王は静かに頷きました。

それを合図に、傍らに控えていた宰相ハインリヒが侍従へ目配せします。


ほどなくして、謁見の間の扉が静かに開かれました。

現れたのは、二人の兵士に支えられながら歩く一人の男でした。

顔色は青白く、額には脂汗が滲んでいます。

苦しそうな呼吸を繰り返すその姿を見て、リリアは胸を締めつけられるような感覚を覚えました。


男の身体から漂う嫌な気配は、町で何度か感じたことのあるものでした。

その様子を見た時、リリアの胸に浮かんだのは、驚きでも恐れでもありません。


助けたい。


ただ、その一心でした。


リリアは男の前に膝をつき、そっと手を重ねます。


(冷たい……)


身体の奥に入り込んだ瘴気が、まるで氷のような感触となって伝わってきました。


「大丈夫です」


リリアは優しく声をかけました。


「きっと、楽になります」


男が弱々しく顔を上げました。

その目を見つめながら、リリアは静かに祈ります。


(どうか良くなりますように。どうか、この人がまた元気になりますように)


その願いに応えるように、柔らかな光が彼女の手から溢れ始めました。

春の日差しのような温かな光は男の身体を包み込み、謁見の間全体を淡く照らします。

青白かった顔色が少しずつ戻り始め、荒かった呼吸もゆっくりと落ち着いていきました。


星術院長官アステルは、治療そのものではなく、別のものを見ていました。

男の身体に絡みついていた黒い瘴気。

それが光に触れるたび、朝霧が陽光に溶けるように静かに消えていったのです。


やがて光が収まると、男は大きく息を吸い込みました。

苦しげだった表情は消え、身体を支えていた兵士たちも驚いたように顔を見合わせます。

男自身も、何が起きたのか理解できていないのでしょう。

何度か瞬きを繰り返した後、自分の身体を確かめるように、ゆっくりと兵士たちの支えから離れました。


「そんな……」


思わず漏れた声が、静まり返った謁見の間に響きます。

男は震える手を握ったり開いたりしながら、自分の身体を見つめていました。


「もう……苦しくありません」


その言葉に、周囲から驚きの息が漏れました。

国王は静かにその様子を見つめています。

王妃ヴィクトリアもまた、安堵したように微笑んでいました。


アステルは男の傍らへ歩み寄り、静かに声をかけました。


「確認させてください」


アステルは慎重に男の額へ手をかざし、身体に残る魔力の流れを探るように目を閉じました。

先ほどまで瘴気に侵されていた身体からは、その気配が完全に消えていることが分かります。

通常ならどれほど治療を施しても微かに残るはずの痕跡が、跡形もなく消え去っていたのです。


アステルは何も言わずに立ち上がると、玉座へ向かって歩き出しました。

国王の傍らへ辿り着いたアステルは、周囲には聞こえぬほど小さな声で何事かを告げます。

国王の表情がわずかに変わりました。

それは驚きというよりも、長く探していた答えに近づいた者の表情に見えました。


しかし次の瞬間には再び穏やかな顔へ戻り、国王は静かに頷きます。


「そうか」


短い一言でした。

けれど、その場の空気はさらに重みを増しました。

アステルは一歩下がり、再び列へ戻ります。


国王はリリアを静かに見つめながら、口を開きました。


「リリアよ」


先ほどまでとは少し違う響きを帯びた声に、謁見の間の空気が再び引き締まります。


「そなたは、自らの力についてどこまで理解している」


国王の問いに、リリアは戸惑ったように瞬きを繰り返しました。

力について。

そう聞かれても、うまく答えることができません。


「……分かりません」


正直にそう答えるしかありませんでした。


「怪我をした人を治したいと思うと光が出ます。苦しそうな人を見ると助けたいと思って……そうすると、自然に力が出るんです」


静まり返った謁見の間に、リリアの声だけが響きました。

国王は静かに頷きます。

その返答は、おそらく予想通りだったのでしょう。

リリア自身、自分の力を理解していない。

そのことは、今のやり取りだけでも十分に伝わっていました。


そこで、アステルが一歩前へ進み出ました。


「陛下」


静かな声に、再び場の空気が引き締まります。

国王は黙って先を促しました。


「これまでローゼン領から届いた報告だけでは確証がありませんでした。ですが今、私自身の目で確認いたしました」


アステルはゆっくりとリリアへ視線を向けました。

重臣たちも真剣な表情で耳を傾けています。


「リリア殿の力は、単なる治癒ではありません。瘴気を浄化する力です」


謁見の間に再びざわめきが広がりました。


(浄化……)


古い伝承の中にしか残されていない力。

アステルは続けます。


「現在の王国において、これほど重要な力は他にないでしょう。この力は王国にとっても、世界にとっても極めて貴重なものです」


アステルは国王へ向き直りました。


「故に、しかるべき保護と修練が必要であると進言いたします」


しばしの沈黙の後、国王はゆっくりと頷きました。


「余も同意見だ」


その一言に、宰相ハインリヒも、王国軍総司令官ローガンも異論なく頷きます。

国王は静かにリリアを見つめました。


「リリアよ」


「は、はい」


「世界は今、少しずつ瘴気に蝕まれている。各地で魔物が増え、人々の暮らしは脅かされている」


先ほどまでとは違う重みを帯びた声でした。


「騎士団の被害も年々増加しております」


ローガンが低い声で続けます。


「街道や開拓地でも被害は広がり続けています」


リリアは言葉を失いました。

町の外でもそんなことが起きているなど、これまで知ることもなかったのです。


「そして先ほど、そなたはその瘴気を浄化した」


国王の言葉に、リリアは自分の手を見つめました。

いつもと同じように治療しただけでした。

けれど、それは自分が思っていた以上に特別な力だったのです。


「無論、今すぐ世界を救えと言うつもりはない」


国王は穏やかに続けました。

その言葉に、リリアは少しだけ肩の力を抜きます。


「だが、そなたの力は、人々を救うために必要となるかもしれぬ」


国王は一度言葉を切り、静かに続けました。


「余は王として命じるのではない」


その声には、これまでとは違う深い響きがありました。


「一人の人間として、そなたに願いたい。どうか、この王国を、そして瘴気に苦しむ人々を救うために、力を貸してはくれぬか」


リリアはすぐには答えられませんでした。

自分の力がそこまで大きなものだとは、まだどうしても思えなかったのです。

けれど、苦しんでいる人を助けたいという気持ちだけは、胸の奥に確かにありました。


「……すぐには、お返事できません」


リリアは小さな声で、けれどはっきりと答えました。


「でも、私にできることがあるのなら、ちゃんと考えたいです」


国王はその返答を責めることなく、静かに頷きました。


「それでよい」


そして、少し表情を和らげます。


「そなたが自らの意思で選べるよう、まずはその力を正しく知ることから始めればよい」


国王は傍らに控えるアステルへ視線を向けました。


「星術院長官アステルを、そなたの力の指導役とする。浄化の力を正しく使い、制御できるよう、彼から学ぶがよい」


アステルは静かに一歩前へ進み、リリアへ深く頭を下げました。


「微力ながら、お力添えいたします」


リリアは戸惑いながらも、ゆっくりと頷きました。


「……よろしくお願いいたします」


そう言って、丁寧に頭を下げます。

アステルは静かに頷き、そのまま一歩下がりました。


国王はその様子を見届けると、謁見の間に集まった者たちへ視線を巡らせました。


「詳細な日程については、後ほど改めて伝える」


落ち着いた声が、広い謁見の間に響きます。


「リリアよ。王都での生活に慣れるまでは、無理をするでない」


「はい」


リリアはもう一度、深く頭を下げました。

国王は穏やかに頷きます。


「本日の謁見は以上とする」


その声に、謁見の間にいた者たちが一斉に頭を下げました。

リリアはルークに導かれながら、謁見の間を後にしました。


重厚な扉が閉じられると、それまで張り詰めていた空気がようやく遠ざかります。

リリアは足元から力が抜けるような感覚を覚え、思わず壁際へ手を伸ばしました。

すぐそばにいたルークが、慌てることなくリリアを支えます。


「見事なお振る舞いでしたよ、リリア殿」


「……本当に、終わったのですね」


ようやくそう言うと、ルークは小さく笑いました。


「はい。お疲れ様でした」


蒼月は二人の少し前で足を止め、リリアを振り返ります。

その表情はいつもと変わらないようでいて、どこか安心したようにも見えました。


「緊張しました……」


「それはそうでしょう。国王陛下に加え、王妃殿下、王子殿下方、王国の重臣が勢揃いしていましたからね」


そう言われると、胸の奥に残っていた緊張がまた少し戻ってくるようでした。

磨き上げられた蒼月の銀色の毛並みは、窓から差し込む光を受けて美しく輝いています。


やがて客室へ戻ると、ルークはリリアと蒼月を中へ案内しました。


「リリア殿、私は今後の手続きを確認してまいります。しばらくこちらでお休みください」


「はい」


リリアが頷くと、ルークは丁寧に一礼し、静かに部屋を後にしました。

扉が閉じられると、張り詰めていた空気がようやくほどけていきます。


リリアは椅子へ腰を下ろし、小さく息を吐きました。


「……少し、疲れた」


そばにいた蒼月が、心配するようにリリアへ歩み寄ります。

リリアは蒼月にそっと手を伸ばし、ようやく肩の力を抜きました。


しばらくして、ルークが客室へ戻ってきました。

手には、今後の手続きについてまとめられた数枚の書類が抱えられています。


「お休みのところ失礼いたします。今後の滞在について、ひとつお伝えしておかなければならないことがあります」


リリアは蒼月の毛並みから手を離し、ルークへ向き直りました。


「なに?」


「本来であれば、王都へ招かれた治癒術師は、王宮内の客室、もしくは治癒術師たちの宿舎で生活します」


リリアは首を傾げます。


「でも、リリア殿の場合は事情が変わりました」


ルークは少し表情を改めました。


「今日の謁見で、アステル様が浄化の力を正式に認めましたので」


「浄化……」


まだ聞き慣れない言葉です。


「そのため陛下より、長期滞在を前提とした住まいを用意するよう指示が出ています」


「住まい?」


「ええ。王宮庭園の一角にある離宮です」


リリアは目を瞬かせました。


離宮。


その言葉の響きだけで、自分にはあまりにも不釣り合いな場所のように感じられました。

少し前まで、町で薬草を摘み、母と二人で暮らしていた自分が、王宮の庭園にある建物で生活する。

そう考えると、胸の奥に落ち着かないものが広がります。


「私が……そんな場所に住んでもいいのでしょうか」


思わずそう尋ねると、ルークは穏やかに頷きました。


「もちろんです。リリア殿が安心して過ごせるようにするための場所ですから」


「安心して……」


リリアは小さく繰り返しました。


「王宮政務局とも相談し、薬草を育てられる庭や、調合に使える部屋も整えてもらえるよう取り計らっています」


その言葉に、リリアの表情が少し明るくなりました。


「薬草も育てられるの?」


「その予定です」


ルークは頷きました。


「もっとも、まだ準備中ですが」


「いつ頃になるの?」


「早ければ五日後でしょう」


ルークは穏やかに答えました。


「必要なものがあれば、遠慮なくお申しつけください」


「薬草の道具も……持ってきてもらえるのでしょうか」


「もちろんです。町から持ってこられたものも、確認の上でお届けできるよう手配いたします」


その言葉に、リリアの表情が少し和らぎました。


離宮という言葉には、まだ戸惑いがあります。

けれど、薬草を育てられる庭があり、調合に使える部屋もあると聞くと、見知らぬ王都の中にも、自分らしく息をつける場所ができるのかもしれないと思えました。


王都へ来てから次々と新しいことが起こり、正直まだ頭が追いついていません。

それでも、薬草の香りに包まれる場所を思い浮かべると、胸の奥に小さな安心が灯りました。


窓の外では、夕暮れの光を受けた王宮の庭が静かに輝いていました。

リリアはその景色を見つめながら、胸の奥に芽生えた小さな期待を、そっと抱きしめるのでした。


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