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銀狼物語 ~森で出会った銀狼と紡ぐ運命の物語~  作者: ななお
第一部 第五章 千年前の真実

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第百一話 波の下の約束

翌朝、白い街での二日目は、青く澄んだ空から始まりました。

別荘の薄い白布は、朝の海風を受けて、ふわりと膨らんでは落ちます。

開け放たれた窓の向こうでは、陽の光を受けた海が、昨日よりも少し近くに見えました。

朝食の席には、焼き立ての薄いパンと、赤や黄色の果物、冷たい水差しが並んでいます。

リリアは果物の瑞々しい香りに目を細めながら、海から届く潮の匂いを胸いっぱいに吸い込みました。


「今日は、泳ぐぞ」


蒼月が、朝食の席で開口一番に言いました。

リリアは、手にしていた果物を皿へ戻し、ぱちりと瞬きをしました。

ラシードは、すぐに眉を寄せます。


「泳ぐって、リリアは大丈夫なのか」


「深くへは行かせぬ。浅瀬で、水に慣れるだけだ」


蒼月は当然のように答えました。

その声には、昨日リリアが初めて海を見た時の顔を、まだ覚えているような静かな確信がありました。

アステルが、リリアの顔色を見てから、頷きました。


「水温も、この時期であれば問題ないでしょう。ただし、長くは入らせません」


「分かった」


ラシードは短く答えました。

それでも、視線はすぐリリアへ戻ります。


「リリア、少しでも冷えたり、疲れたりしたらすぐ言えよ」


「はい」


リリアは微笑みました。

昨日まで眺めるだけだった海へ、自分の足で入るのだと思うと、胸の奥が小さく弾むようでした。


浜辺に着くと、リリアは淡い色の水着の上に、セシリアが用意した羽織りを重ねていました。

強い陽射しを避けるため、薄い布は肩から腕をやわらかく覆っています。

白い砂浜は朝の光を受けて、眩しいほどに輝いていました。

波打ち際に足を浸すと、冷たさよりも先に、心地よさが広がります。


「わあ……」


小さな波が足首を洗うたび、リリアは声を上げました。

透明な水の中で、白い砂がさらさらと動いています。

寄せる波が足元を包み、引いていく時には、くすぐるように指の間を抜けていきました。


「怖くないか」


ラシードが、隣で手を差し出しました。


「大丈夫です」


リリアはその手を取り、一歩、また一歩と、水の中へ進んでいきました。

水は膝のあたりまで満ち、陽の光を受けて細かく揺れています。

ラシードの手はしっかりとリリアを支え、けれど力を入れすぎることはありませんでした。

いつでも引き戻せるように。

いつでも離さずにいられるように。

その慎重さに、リリアは少しだけ笑いました。


蒼月は、少し離れたところで、波間に浮かんでいました。

人の姿のまま、まるで昔から泳ぎ慣れているかのように、自在に水を掻いています。

銀の髪が濡れて背に流れ、陽の光を受けるたび、海面に白い光が散りました。


「蒼月、上手ですね」


「初めてだ」


「え……」


「だが、水の流れが分かれば、難しくはない」


その言葉に、ラシードが呆れたように笑いました。


「初めてでその泳ぎとか、腹立つな」


「水に逆らうから沈むのだ」


「そういう理屈で泳げたら苦労しねぇよ」


リリアは、浅瀬で少しずつ足を浮かせる練習を始めました。

ラシードに支えられながら、水面に体を預ける感覚に、最初は戸惑います。

体がふわりと軽くなるたび、胸の奥まで水に包まれるようで、思わず息を止めそうになりました。


「力を抜け。俺が支えてる」


「はい……」


リリアはゆっくり息を吐きました。

水が背中を支え、髪の先が波に揺れます。

空はどこまでも青く、その下で、ラシードの手だけが確かに自分を支えていました。

リリアは、小さく息を吸いました。

水の匂いと、潮の匂いと、ラシードの手の温かさが、一緒に伝わってきます。


「楽しい……」


思わずこぼれた声に、ラシードの口元がやわらぎました。


「そうか」


その声も、どこか嬉しそうでした。

リリアは水面に浮かぶ自分の足先を見つめ、それから隣のラシードを見上げました。


「ラシードは、何でもできるのですね」


「何でもってほどじゃない」


「でも、泳ぐのも、とても上手です。サハルディアでは、水で泳ぐことはあまりないのでしょう?」


ラシードは少しだけ目を細めました。


「成人する前に、ナーディルといろいろ旅をしてな。そこで、いろんなことをした」


その言い方に、少し離れた波間から蒼月が顔を上げました。


「悪いこともか」


「うるさい」


ラシードが即座に返すと、リリアは思わず笑ってしまいました。

波が小さく揺れ、ラシードの腕に支えられたリリアの体も、ふわりと水に浮きます。


「旅……楽しそうですね」


「楽しいことばかりじゃなかったけどな」


ラシードはそう言って、リリアが水を飲まないように、背を支え直しました。


「でも、知らない場所に行くのは悪くなかった。見たことのない街とか、食べたことのないものとか、変なやつらとか」


「変なやつら?」


「ナーディルが妙に真面目な顔で値切り交渉して、店主と一時間睨み合ったりな」


「ナーディルが?」


リリアが驚いたように目を丸くすると、ラシードは低く笑いました。


「旅に出ると、普段見えない顔が見えるんだよ」


その言葉に、リリアはふと胸元をあたためられるような気がしました。

今、自分もまた、王都では知らなかったラシードの顔を見ているのだと思いました。

海の中で支えてくれる手。

昔の旅を少し照れたように話す声。

蒼月にからかわれて、すぐに言い返す横顔。

そのどれもが、リリアにとっては新しくて、嬉しいものでした。


アステルは少し離れた場所から、時間を見ながら声をかけました。


「そろそろ上がりましょう。楽しいところでやめておくのが一番です」


「もう少しだけ……」


リリアが名残惜しそうに海を見つめると、ラシードは苦笑しました。


「その顔をされると弱いんだが、今日はアステル様の言うことを聞こうな」


「はい」


リリアは素直に頷きました。

セシリアがすぐに乾いた布を持ってきて、リリアの肩を包みます。

海から上がった肌に風が触れ、リリアは小さく身を震わせました。

ラシードはその動きを見逃さず、羽織りの前を合わせました。


昼を過ぎた頃、リリアたちは場所を変え、入り江の岩場へ向かいました。

そこでは、地元の漁師から借りた釣り竿が、三本用意されていました。

入り江は浜辺よりも静かで、岩に囲まれた水面が、深い青をたたえています。

波が岩肌に触れるたび、涼しげな音がしました。


「魚を、釣るのですか」


「せっかく海に来たんだ。夕飯くらい、自分たちで釣ろう」


ラシードが、竿を手渡しながら言いました。


「やったことがない……できるでしょうか」


「教えてやる」


ラシードは、リリアの後ろに回り、竿の持ち方から、糸の垂らし方まで、丁寧に教えました。


「こうやって、少し待つ。魚がついたら、ぐっと引く」


「はい」


リリアは真剣な顔で水面を見つめました。

小さな波に糸が揺れ、陽の光が水の奥でちらちらと揺れています。

ラシードはその横顔を見て、少しだけ笑いました。


「そんなに力入れなくていい」


「でも、逃げてしまったら……」


「魚も、そんなにすぐは来ない」


そう言った直後、糸の先が小さく震えました。

リリアの肩が跳ねます。


「い、今、動きました」


「まだだ。もう少し待て」


ラシードの声に合わせて、リリアは息をひそめました。


蒼月は、少し離れた岩の上に腰を下ろし、竿も持たずに海面を見つめていました。

濡れた銀の髪はもう乾き始め、潮風にさらりと揺れています。


「蒼月は、釣らないのですか」


「魚の居場所は、見れば分かる」


「え?」


「あそこに、大きいのがいる」


蒼月が指さした先で、しばらくして、ラシードの竿が大きくしなりました。


「うおっ……!」


「引いてください、ラシード!」


「分かってる!」


ラシードは足を踏ん張り、竿を引き上げました。

水面が大きく跳ね、銀色の魚影が光ります。

リリアは両手を胸の前で握りしめ、息を呑んで見守りました。

格闘の末に上がった魚は、驚くほど大きなものでした。

陽の光を受けた鱗が、青と銀にきらめいています。

リリアは、思わず拍手をしました。


「すごいです、ラシード!」


「……蒼月が言ったからだろ」


「私は、居場所を教えただけだ」


「それを釣ったのは俺だ」


そのやり取りに、リリアは声を立てて笑いました。

入り江に響いた笑い声は、岩に当たる波の音に混じって、明るくほどけていきました。


夕方、別荘へ戻ると、ラシードは中庭の隅で、一人剣を振っていました。

海から上がったあとの穏やかな空気の中で、そこだけが少し張り詰めています。

魔力を込めた一撃が、木の的へ吸い込まれるように放たれました。

けれど光の刃は、軌道を乱し、的の中心を外れて散ります。


「まだ、粗いな」


蒼月が、木陰からその様子を見ていました。


「うるさい。分かってる」


「分かっているなら、直せ」


ラシードは、もう一度構え直しました。

額に汗を滲ませながら、慎重に力を練り上げていきます。

剣を握る指に余計な力が入るたび、蒼月の蒼い瞳が細くなりました。


「力で押すな。流れを切るな」


「簡単に言うな」


「簡単だとは言っていない」


ラシードは舌打ちを飲み込み、息を整えました。

海風が中庭を抜け、汗に濡れた髪を揺らします。

次に放たれた光の刃は、先ほどよりも真っ直ぐに、的の中心を捉えました。


「……できた」


「まあまあだな」


蒼月は、素っ気なく言いながらも、口の端を上げていました。

ラシードは肩で息をしながら、剣を下ろしました。


「褒める気あるのか」


「褒めた」


「どこがだよ」


二人の声が中庭に溶け、遠くから聞こえる波音と重なりました。


海を眺めるリリアのそばへ、鍛錬を終えたラシードがやってきたのは、日が傾き始めた頃でした。

昼間の強い陽射しは少しずつやわらぎ、白い砂浜には、橙色の光が薄く広がっています。

波は昼間よりも静かで、寄せては返すたびに、砂の上へ細い銀の筋を残していきました。


「疲れたか」


ラシードが隣に立ち、リリアの顔を覗き込みました。


「いいえ、とても楽しい一日でした」


リリアは、水平線に沈んでいく夕陽を見つめながら、微笑みました。

その横顔には、朝の海を見た時の幼い驚きも、初めて水に身を預けた時の緊張も、魚が釣れた時の弾むような笑みも、まだ淡く残っているようでした。

ラシードは、その横顔をしばらく見つめていました。

風が吹くたび、リリアの髪が頬の横で揺れます。

手首の小さな星の貝殻が、夕陽を受けてかすかに光りました。


「リリア」


ラシードが、その名を呼びました。


「はい」


リリアが振り向くと、ラシードは少しだけ言葉を探すように視線を落としました。

昼間の軽い調子とは違う、どこか照れたような、けれど逃げ場を作らないまっすぐな沈黙でした。


「渡したいものがある」


「え?」


ラシードは懐から、小さな箱を取り出しました。

掌に収まるほどの、深い紺色の革の箱でした。

ラシードは、リリアの前で蓋を開けました。

中には、細い白金の鎖に、一粒の濃い青緑色の宝石を通した首飾りが収められていました。

石は、深い海の底を思わせる蒼に、ほのかな緑を宿しています。

光の角度が変わるたび、その奥で、透明な銀色が揺れました。

台座には波を思わせる曲線が刻まれ、その内側に、小さな星がひとつだけ彫られていました。

高価なものだと、リリアにも分かりました。

けれど、それ以上に、リリアの姿を思い浮かべながら選んでくれたものだと分かりました。


「前から、用意していた」


ラシードは、少しだけ視線を逸らしました。


「装飾職人に頼んで、作らせたものだ」


リリアは、息を呑んで箱の中を見つめました。


「……私のために?」


「他に誰がいるんだよ」


ラシードは照れたように言って、それから小さく息を吐きました。


「結婚式が終わったら、渡そうと思っていた。だから、荷に入れて持ってきた」


リリアの胸の奥が、熱を帯びていきました。

夫婦になったあと、リリアに渡すために、ラシードがずっと前から用意してくれていたものなのです。

結婚式の日を迎える前から。

ラシードは、この小さな首飾りを、いつかリリアの胸元へ飾る日を思い描いてくれていたのです。


「今日、海を見ているリリアを見て、やっぱりこれでよかったと思った」


ラシードは、箱の中の青い石を見つめながら言いました。

リリアの瞳は翡翠色です。

けれど、ラシードが言っているのは、色そのものではありませんでした。

初めて海を見た瞬間。

白い砂浜へ駆け出した時。

波に足を浸して笑った時。

その時のリリアの瞳には、きっと海の光が映っていたのだと思いました。

ラシードは、その一瞬を見ていてくれたのです。


「綺麗……」


リリアは、呟きました。


「気に入ったか」


「はい。とても」


その返事に、ラシードの表情がほんの少しやわらぎました。


「つけても、いいですか」


「そのために持ってきた」


ラシードは、リリアの後ろに回りました。

リリアは髪を片側へ寄せ、少しだけうつむきます。

夕暮れの風が首筋を撫で、そこへ、ラシードの指先が近づきました。

ラシードは急がず、細い留め具を丁寧に合わせました。

その仕草は、不器用なほど慎重でした。

戦場で剣を振るう手が、今は小さな鎖ひとつを壊さないように、リリアの首元で動いています。


「痛くないか」


「大丈夫です」


「苦しくないか」


「はい」


リリアが答えると、ラシードはようやく手を離しました。

けれどすぐには前へ回らず、背後からリリアの肩越しに、胸元の石を見下ろしました。

青い宝石は、リリアの白い肌の上で、夕暮れの海を閉じ込めたように輝いていました。


「似合ってる」


耳元に落ちた声は、波音に紛れてしまいそうなほど低く、やさしいものでした。

リリアの頬が、ゆっくりと熱を帯びていきます。


「ありがとうございます、ラシード」


リリアは、胸元の石に触れました。

指先に触れた宝石は少し冷たく、けれど見つめていると、不思議とあたたかなものが胸へ広がっていきました。


やがて夕陽が海の向こうへ沈み、空の橙は、深い紫へと変わっていきました。

別荘の白い布が、夜風を受けてゆっくり揺れています。


食事を終えたあと、リリアとラシードはもう一度、砂浜へ出ました。

昼間の白い砂は、夜になると月明かりを含んで、淡い銀色に見えました。

波打ち際では、寄せる波の先だけが白く光り、闇の中でほどけていきます。

リリアは裸足のまま、ラシードに手を引かれて歩きました。

昼間よりも少し冷えた砂が、足の裏にさらさらと触れます。

空には星がありました。

王都で見る星よりも近く、潮風の向こうで、今にも海へこぼれ落ちそうに瞬いています。


「夜の海は、少し違うのですね」


リリアが呟きました。


「怖いか」


ラシードは、すぐに足を止めました。


「いいえ」


リリアは首を振りました。


「昼間は、眩しくて、どこまでも遠くへ行けそうでした。でも今は……静かで、包まれているみたいです」


ラシードは、リリアの手を握る力を少しだけ強めました。


「寒くないか」


「大丈夫です」


「本当に?」


「本当です」


リリアが笑うと、ラシードはそれでも羽織りの端を整えました。

その仕草があまりに自然で、リリアは胸の奥がくすぐったくなりました。


「ラシードは、いつも聞いてくれますね」


「何をだ」


「寒くないか、痛くないか、苦しくないか、疲れていないか」


ラシードは少し黙りました。

波が二人の足元まで寄せて、またゆっくり戻っていきました。


「聞かないと、不安になる」


低い声でした。

リリアは、隣に立つラシードを見上げました。

月明かりの下で見るラシードの横顔は、昼間よりも少し大人びて見えました。

金の髪は夜の光を受けて淡く沈み、瞳だけが、海よりも深く揺れていました。


「リリアが笑ってると、安心する」


ラシードは、海を見たまま続けました。


「けど、その分だけ、怖くもなる。こんなふうに笑える時間を、俺はちゃんと守れてるのかって」


リリアの胸が、小さく締めつけられました。

ラシードは強い人です。

誰よりも笑って、誰よりも先に動いて、誰よりも頼もしく立ってくれる人です。

けれどその強さの奥に、いつもリリアの痛みを拾おうとする手があることを、リリアはもう知っていました。


「守ってもらっています」


リリアは、言いました。


「今日も、昨日も。その前から、ずっと」


ラシードが、ゆっくりとリリアを見ました。


「ラシードがそばにいてくれるから、私は海を綺麗だと思えました」


リリアは胸元の青い宝石に触れました。


「ひとりで見ていたら、きっと、こんなに嬉しくはなかったと思います」


ラシードの瞳が、揺れました。

リリアは、彼の手を両手で包みました。

昼間、竿を支えてくれた手。

水の中で倒れないように支えてくれた手。

細い鎖を、壊さないように結んでくれた手。

その手は、まだ少し熱を持っていました。


「だから、ラシード」


リリアは、波音に負けない声で言いました。


「私も、覚えていたいです」


「今日の海も、星も、波の音も。ラシードがこの首飾りをくれたことも。手を引いて歩いてくれたことも」


リリアは、少しだけ目を伏せました。


「そして、これから先も、いろんなものを一緒に見たいです」


その言葉は、願いのようで、約束のようでした。

ラシードは何も言わず、リリアを見つめていました。

やがて、ゆっくりと片手を上げ、リリアの頬に触れました。


「見るぞ」


短い言葉でした。

けれどその声には、どんな誓いの言葉よりも確かな熱がありました。


「海だけじゃない。雪も、花も、知らない街も、くだらないものも、綺麗なものも、全部」


ラシードは、リリアの額へ自分の額を寄せました。


「リリアが見たいものは、俺が一緒に見る」


リリアの目元に、熱いものが込み上げました。

けれど涙になる前に、ラシードの指が頬を撫でました。


「泣かせるために言ったんじゃないぞ」


「分かっています」


「本当か?」


「本当です」


リリアは笑いました。

泣きそうなまま、それでも笑いました。

ラシードも、困ったように息を吐いて、それから小さく笑いました。

波がまた足元へ寄せてきます。

二人の影が、月明かりの砂浜に重なりました。

リリアの胸元では青い宝石が揺れ、手首では星の貝殻が小さく音を立てました。

ラシードの手首にも、同じ星がありました。

昼間、リリアが渡したおそろいの星です。

リリアはそれを見て、ふと微笑みました。


「ラシード」


「ん?」


「大切なものが、また増えました」


ラシードは一瞬だけ目を逸らしました。


「……そうだな」


「嬉しいです」


まっすぐにそう言われて、ラシードは照れたように口元を押さえました。


「そういうことを、すぐ言うよな」


「言ってはいけませんか」


「いや」


ラシードは、リリアの手を引き寄せました。

そして、星の貝殻の腕輪ごと、その指先に口づけました。


「もっと言っていい」


リリアの頬が、夜の中でも分かるほど赤く染まりました。

波の音だけが、二人の間を満たしていきます。


遠くで、別荘の薄い布が風に揺れていました。

白い布は月明かりを受け、ふわりと膨らんでは、落ちます。


その向こうで、蒼月がひとり、砂浜の端に立っていました。

何も言わず、ただ、二人の影が重なるのを見つめています。

強い陽射しの下では白く光っていた銀の髪が、今は月の光を含んで、夜の海のそばで淡く輝いていました。

その手首では、小さな星の貝殻が、夜風に揺れていました。

蒼月は、それを一度だけ見下ろしました。

そして、また海へ視線を戻しました。

波は寄せて、返していきます。

昼間の笑い声も、夕暮れの贈り物も、夜の約束も、すべてをやさしく抱くように。

白い砂浜には、三つの小さな星が、それぞれの場所で揺れていました。


そうして、太陽の国での三人の時間はゆっくりと過ぎて行きました。


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