6.私、報告します!
すっかり暗くなり、屋敷の中は一つ二つと火が灯る。
そんなタイミングで、ヴァルハルト辺境伯はやってきた。片手にはとっても素敵な花束を持って。
「――花はお持ち帰りください」
私が仁王立ちで言うなり、ヴァルハルト辺境伯は眉間に皺を寄せて、口をへの字にした。
「……なぜ」
「花は見えない土もついてるし、虫も湧きやすいし、なにより花粉が舞うでしょ。もう、この話も今日だけで十回はしたわ。貴方で十一回目よ」
「……律儀に数える頭はあるのか」
「そうね、私より賢い貴方なら、一回で理解できるでしょう?」
ヴァルハルト辺境伯は露骨に目を顰める。
そんな態度にも慣れてきた。少なくとも私に対しては「優しい騎士様」をする気は無いこともよくわかったし。
私は怯むことなく、ふん、と鼻を鳴らした。
「それと、エレオノーラ様ならもう今日はお休みになられましたよ」
「……姉さんは、寝ているのか?」
「ええ、お夕飯を食べた後に。咳は続いていたけれど、少し楽になったと仰って。お食事も、今日の夜は半分ほど食べました」
ヴァルハルト辺境伯は、ぱちぱちと目を丸くする。
驚くのも無理はない。使用人の話では、エレオノーラ様は、ここ三日は水とゼリー以外ほとんど口にしなかったと聞いている。ヴァルハルト辺境伯からすれば、予想外だろう。
まあ、私からすれば驚くことではない。あんな臭いでは、食欲とか、咳がどうこう以前に、食事なんて碌にできるわけがないのだから。
「エレオノーラ様にどうしても会いたいなら、起こさないようお顔を拝見するだけにして。あと――」
「……まだあるのか」
「これ、貴方の分だから」
そう言って、マスクを差し出す。
ヴァルハルト辺境伯は私とマスクを交互に見て、首を傾げた。
「……君と同じ格好をしろと?」
「まさか、別に全部を着替えろなんて言ってないわ。貴方の口から飛び出す唾液が、弱っているエレオノーラ様につくのが嫌なだけ。賢い貴方なら、言われたことくらい守れるでしょう?」
「……まったく、俺の皮肉一つに対して十は返さないと気が済まないのか?」
「あら、皮肉と認めたわね。騎士様らしく実直なことだわ」
なかなか受け取ろうとしないヴァルハルト辺境伯の胸に、マスクを押し付ける。
「エレオノーラ様に会う時は、マスクをつけて、部屋を出入りする前と後に必ず手洗いをすること。それと面会に来るなら、毎日貴方も湯浴みする習慣を身につけて。わかりましたね?」
私の話を聞くと、ヴァルハルト辺境伯は顔を背けた。うんざりしたような顔は、まるでリザにちくちく言われている私みたい。かなり子供っぽく、無言の抵抗のようだった。
だけど、私は表情を変えることもなく、きっと睨みつけた。
「二週間は私のルールに従う。これは貴方が同意して決めたことよ。わかったの?」
ヴァルハルト辺境伯は手を振った。降参の意にも、もう勘弁してくれのポーズにも見えた。
「……姉さんがせっかく寝たのなら、今日はもういい。ただ、君に用はある」
「わかってるわ。約束通り、報告を今からしましょう」
私は、わざとらしくエプロンの裾を摘んで頭を下げる。
「着替えてくるわ。少々お待ちください」
ヴァルハルト辺境伯はせっかくの美貌を台無しにするほどに、口を引き攣らせた。
「……本当に君は嫌な女だな」
その言葉には、とびっきりの笑顔で返しておいた。
まあ、マスクで見えないけどね。
*
着替えをするなり、またこの間と同じ部屋に案内される。相変わらず座り心地のいいソファだ。
とはいえ、今日の私はソファを撫でている場合でもない。そもそも報告が終わらないと帰ることもできない。明日も早いし、終わらせないと。
私はまとめた記録を見ながら、口を開く。
「――まず、お二方のお部屋にあった温香器と生花は片付けさせてもらいました」
実は、エレオノーラ様のご息女――リリアーヌ様の部屋にもあの香油が焚かれていたのだ。部屋に入るなり、ひっくり返りそうになった。
もちろん、即座に片付けて換気したのは言うまでもない。
しかし、ヴァルハルト辺境伯はそれを聞くなり、私を人でなしのような目で見た。
「……なんてことを。俺の花束はともかく、あれはクラウゼン子爵が贈ったものだろうに」
おまけに、頭が痛いと言わんばかりに眉間まで押さえて。その非難の目は、今日何度見たことか。
だから、私は使用人に言ったことと同じ説明を繰り返すことにした。
「そもそもね、あれが効くのなら、エレオノーラ様もリリアーヌ様もとっくに治ってるわ。でも治ってない。なら、なくても良い物よ」
そうきっぱり言うと、ヴァルハルト辺境伯は絶句した。しばらく口を開け閉めして、何か言いた気にもごもごとさせていた。
ちょっと言い方が悪かったかも……。
もしかして怒られるかしら、と思って身構えた。
だけど、出てきたのは想像の半分以下の声量だった。
「……君は血も涙もないな」
人でなしを見る目を通り越して、宇宙人でも見てるみたいな顔だった。
「情で良くなるなら、いくらでも使うけど」
「……もういい、続きを」
――そっちが言ってきたくせに。
むっと頬を膨らませたものの、それでは先に進まない。それ以上、突っかかることはやめておいた。
「あと、エレオノーラ様には湯浴みを。お体と髪の毛の汚れが目立っていたので。その間に部屋の換気をして、臭いが染み付いていたシームや布団を取り替えて、掃除もしました」
「そこまでしたのか」
「ええ、場合によっては臭い自体がストレスになりますから。病人は特に。貴方にわかりやすく言うなら……ええと、そうね、妊婦さんもそうでしょう?」
その説明で、ようやく腑に落ちたようだった。ヴァルハルト辺境伯はこれまた無駄に長い睫毛をばちばちさせていた。
「……それで、いいのか」
彼やエレオノーラ様からすると、「良薬口に苦し」に近いニュアンスだったんだろう。嫌いでも、良いものなら我慢するのが当たり前という感じの。
私は首を横に振った。
「いいんです、それで。生理的に無理なものは無理、嫌なものは嫌。それで良いの」
「……そうか」
ヴァルハルト辺境伯は、そう幼な気に呟いて、俯く。まるで憑き物が落ちたように。
……何か身に覚えがあるのだろうか。
ただ、それ以上深入りするほど、私たちは仲良しこよしでもない。
私は見なかったことにして、まとめた報告書を出す。
「あと、明日からやることはこっちに書いてありますから」
エレオノーラ様とリリアーヌ様の部屋は、朝昼夜、三回の換気をすること。
毎日、シーツの交換と部屋の掃除をすること。
エレオノーラ様の下着と悪露のついた当て布は朝晩必ず交換すること。汚れていたら即座に交換し、その布は煮沸消毒をすること。
部屋に出入りする使用人はマスクをつけること、出入りの前後で必ず手洗いをすること。
使用済みのマスクは洗濯し、マスクは他人と共有しないこと。
――こんなことを、箇条書きで。ずらっと。
ヴァルハルト辺境伯は、難しい本でも読んでいるかのように報告書を注視していた。
「……ずいぶんと水と布を使うな」
「それでもかなり厳選しました」
「……本当にこんなに手を洗うのか?」
「ええ、貴方も今日からこの通りに。いちおう、トイレの前と洗面台に、手洗いの手順書を貼らせてもらっています」
「……馬の糞がついた時でもここまで洗わないだろう」
「手洗いを覚えるまで、私に触らないでくださいね」
ぴしゃりと、反射的に言ってしまった。
ヴァルハルト辺境伯が、露骨に傷ついた顔をする。
流石の私も、多少は胸が痛んだ。
いや、嘘。これまた血も涙もないと言われるのだろうけれど、イケメン補正があっても絶対に無理だった。
気まずい空気を一蹴するために、こほん、と咳払いをする。
「ええっと……最後にエレオノーラ様の体調を報告します。エレオノーラ様の昼間の体温は青色、最終は橙色でした。38℃以下の微熱ですね。ただ、部屋を換気した後は、咳の回数が減っていましたね」
「最後の情報は主観だろう」
「そうですね。でも、現に今もゆっくりお休みになられています。それとも、明日からは朝晩一時間ずつ数えて比較しましょうか?」
「……そこまでしなくてもいい」
「わかりました。今日の報告はここで終わりですね。お疲れ様でした」
ああ、ほんっとに、疲れた……!
どっと気が抜けて、思わずぐんと背伸びをする。令嬢らしからぬ仕草ではあったが、今日ばかりは仕方ない。朝から晩まで働き詰めだったのだから。
ヴァルハルト辺境伯は、私の報告書をまだまじまじと見ていた。その目は、やっぱり気になるような。
でも、私は限界だった。欠伸を隠すために、咄嗟に頭を下げる。
「では、失礼致します。おやすみなさい、ヴァルハルト辺境伯」
「ああ……おやすみ」
それに――私が面倒を見るのは彼じゃない。




