4.私、挨拶します!
実は、グレン・ヴァルハルト辺境伯に会ったことがある。
ただ、それは会ったというよりは、見かけたという方が正確だった。
その頃の彼は、王国騎士団に所属していた。
端正な横顔に、涼しげな黒い髪。一見すると冷徹そうに見えるのに、口元には笑みを浮かべていた。私が見かける彼は、いつも人に囲まれていた。
いい人なんだろうな、人気者なんだろうな。
漠然とそう思っていた。
婚約者のいる令嬢がまじまじと他の男性を見ているなんて、とても褒められることではない。君は私の婚約者だろうと、オスカー様に嗜められたのをよく覚えている。どこか複雑な顔をしていたのも。
まあ、その婚約者はそんなことを言っておきながら、私をあっさり裏切ったわけなのだけれど。むしろ、他の男性に挨拶するたびに嫌そうな顔をする、どちらかと言えば嫉妬深い人だと思っていたのに。
人の気持ちは移り変わりが激しいとは言うけれど、山の天気よりは安定していて欲しかったものだ。ポジティブに捉えるなら、オスカー様と結婚する前にわかってよかったのかも。
なーんて。
――そんなことを考えてしまうのは、要は現実逃避だ。
オスカー様に無実の罪を着せられ、辺境に追放された。ここまでは私に落ち度はない。
でも、領主に挨拶もせずに食っちゃ寝生活をしていたことや、医療院で問題を起こしたことは、紛れもなく自分がやらかしたことだ。
つまるところ、私は今すぐここから逃げ出したくてたまらないのだ。
しかし、現実は無情だ。
動き続ける馬車、隣にはリザ、真向かいにはヴァルハルト辺境伯の使者――まさしく四面楚歌。
私は相当ひどい顔をしていたのだろう。見かねたようにリザが声をかけてきた。
「リネット様、顔色が……」
「そうね、換気をしたいわね。馬車を一度止めて、扉を開けてくれない?」
「おや、ご気分が優れませんか?」
「そんなことないわ、最高の気分よ。今すぐここから歩いて屋敷に戻れるなら、尚更いいわ」
「ははは、それはできませんな。わたくしが閣下に叱られてしまいますから」
私の返事を聞くなり、快活に使者は笑う。豪快に、口の傷を見せるように。
あなたが叱られようと知ったことじゃない。そんな本音を言いそうになって、なんとか笑顔を取り繕う。
すると、大口を開けていた使者が、不意に真面目な顔になる。
「閣下はお優しい方です。ご心配なさらずとも、取って食われはしませんよ」
「……ヴァルハルト辺境伯のお噂はかねがね。私は騎士団に所属していたお姿しか拝見していませんが、とてもお優しい方とお聞きしています。ですから、その点は心配していません」
「ええ、閣下は騎士の中の騎士。一族で、初めて騎士団幹部候補まで上り詰めた実績をお持ちです」
「そんな人格者でも、流石に堪忍袋の緒が切れていそうですけどね」
「……リザ。あのね、私の心配をしているの?それとも私を追い詰めたいの?はっきりしなさいよ」
「私はいつもお嬢様の味方をしています」
「あなたねえ……!」
そんな私たちを使者は楽しげに、呑気に見つめていた。
「リネット様もすっかり元気になられたようですし、馬車を止める必要はありませんな」
通るとは思っていなかったとはいえ、言い訳まで完全に潰された。
まずい、まずい。決まったと断言はできないけれど、このタイミングで呼び出されるなんて、医療院でのやらかしに決まってる。このままだと、私は叱られるためだけに、わざわざヴァルハルト辺境伯のところに行く羽目になる。
そんなのは嫌すぎる。何か逆転できそうなことを――……。
そこまで考えて、ふと思いつく。
……ワンチャン、いけないかしら。
だって、ヴァルハルト辺境伯は、この地で一番偉い人だ。当たり前だけど。当たり前すぎて気付かなかった。
彼はこの地で資源の確保をできる権限を持ち、院長のセヴラン神官にも口を出せる立場だ。
もちろん、医療院の実情を彼がどこまで知っているかはわからない。
この世界の常識からすると、彼に理解されるとも思わない。むしろ何を言ってるんだ、と跳ね返される可能性もある。
でも、現状を打破できる可能性があるとしたら、彼だけだ。しかも人格者でお優しいとお噂の元騎士様。賭けてみる価値はある。
……やるしかない。
どうせ転ぶなら、相手も引き摺り込むくらいしなきゃ割に合わないわ……!
すっかりやる気を取り戻した私は、さっきとはうって変わって「早く着かないかしら」とカーテンを捲り、外を眺める。
そんな私を見る二人の反応は対照的だった。
「おや、リネット様は急に随分と顔色が良くなられましたな。喜ばしいことです」
「……私には余計なことを思いついた顔にしか見えません」
余計なことって何よ。
眉間を手で押さえるリザに反論しようとした、その時だった。遠目に見慣れぬ建物が見える。
豪奢ではない。屋敷というよりは灰色の大きな塊。まるで要塞のようだった。
「あれは……?」
「おお、見えましたな」
私が呟くと、使者は笑みを深める。
そして、どこかわざとらしく、大袈裟に、恭しく頭を下げた。
「少し早いですが――ようこそいらっしゃいました、リネット・ミミック様。あれが我が主がおわします、ヴァルハルト邸となります」
*
ヴァルハルト邸は、間近でも見た目通りだった。
装飾は最低限、防犯性に特化しているのか、鉄製の門も壁も厚い。窓もこの世界にしては珍しい二重構造。
基本的に実用性重視なのか、案内された部屋の中は見た目こそ質素でも、ソファの座り心地は抜群だった。ふかふかで、横になるとそのまま寝てしまいそう。私が十歳若ければ、ソファの上でぴょんぴょん跳ねていたかもしれない。今の私は手で弾力を確かめるだけで我慢した。
すると、何度か手を往復した矢先に扉が開く。扉の重厚な音に似合う、大きな影。
リザにつられるように立ち上がり、そっと裾を摘み膝を折る。
「リネット・ミミックでございます。この度はご挨拶が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「ああ、顔を上げてくれ」
よく通る、凛とした声。張っている印象はない、たった一言。なのに、山一つ隔てても聞こえそうなくらい、私の耳によく残った。
促されて顔を上げると――はっと息を飲む。そのまま動けなくなった。
「グレン・ヴァルハルトだ。リネット・ミミック嬢、急な呼び立てに応じてくれたこと、感謝する」
視線を奪われたのは、端正な顔立ちそのものではない。騎士団に所属していただけある、私よりも遥かに高い背でも、鍛えられた肩や腕でもない。
目だ。横顔では灰色にしか見えなかったのに、真正面から見るとまるで違う。カーテンの隙間から差し込む光に反応して、金、青、緑――その三色が浮かぶ、不思議な瞳。
……宝石みたい。
ううん、ショーケースに並べられるような石ではない。鉱山でそこだけ輝いているような、原石みたいな人だ。
しかし、鼻を抜ける臭いで、現実に引き戻される。
彼の名誉のために言うなら、オスカー様よりは遥かにマシだ。鼻がもげそうになる、体臭に混じった強い香の匂いはない。
かわりに、若い男性特有の脂の臭いと、薬草っぽいスッキリした匂いが合わさっている。体調が悪くて三日はお風呂に入りませんでした、という臭いだ。
――この人も、所詮はこの国の人なのよね……。
そう、どんなに「美丈夫」と呼ぶべき顔の男でも、週に二回くらいしかお風呂に入っていないし、手洗いの習慣もない。
萎えるどころじゃない。キャーカッコイイーとはしゃぐこともできなかった。なんなら、これでも彼はマシな方という事実に悲しくなった。
ひくひくと、反射的に眉間に皺が寄る。
「……リネット嬢。俺の顔に何か?」
ヴァルハルト辺境伯が怪訝そうに私を見返す。隣のリザに小突かれて、咄嗟に手を振った。
「あ、いえ、そんな……宝石のような素敵な目をしているなと思い、つい見惚れて……はしたない反応をしてしまいましたね」
嘘ではないけど嘘は言った。まさか記憶を取り戻した直後みたいに、近寄らないでとか臭いとか騒ぐわけにもいかない。
すっかり微妙な空気のまま、お互い腰をかけた。出されたお茶を口に含む音だけが響く。
まあ、まあまあ……!
気まずいことこの上ないわ……!
空気も悪い上に初対面だ。いきなり会話が弾むわけもない。
でも、ここで怯むと後手に回る。まずは無難に天気の話からでも。
そうやってカップを置いたものの、その時点で遅かったらしい。
戦略は、即座に破壊された。
「――君はずいぶんと多忙らしいな。我が領地に来てから、一度も顔を見せないほどに」
いきなりの豪速球に、私は頬が引き攣る。
「え、あ、その、引越しの片付けがありまして……」
「……一月とは、随分とかかったものだな?」
「え、ええ!少しばかり荷物が多くて!女性たるもの、当然のことです」
視線が痛い。なんだろう、この「皮肉を言ってますよ」を全く隠さない感じは。
騎士の中の騎士、女子供に優しいって噂は嘘だったのかしら。それとも騎士流コミュニケーションって、こういう言葉でも打ち合うような鋭さが必要なのかしら。
すでに半分くらいお嬢様的な何かがずるずると剥がれ落ちていたが、なんとか笑みだけは絶やさない。
しかし、不意にヴァルハルト辺境伯の笑みが消える。冷たい瞳に、ひゅっと肩がすくんだ。
「そんな多忙な貴女の時間を使うのは些か胸が痛むから、単刀直入に言おう。言ったはずだ、大人しくしていろ、と。メイドの話を聞いていなかったのか?」
「……っ、それは……」
リザにも言われた。なんなら家を出る前に両親からも言われた。私は「追放された令嬢らしく大人しくしていろ」「年頃の貴族令嬢が無闇に外を出歩くな」という意味だと思っていた。
でも、これが身内の単なる小言ではなかったとしたら?
ヴァルハルト辺境伯が、私を領地に置くために出した条件だったとしたら?
――やらかした。
――考えもしなかった。
ぎゅ、っとドレスを握る拳が震える。指先の感覚が無くなるくらい、力が込もる。
だが、いくら私の顔が青ざめようと、俯こうと、ヴァルハルト辺境伯の口が閉じることはなかった。
「セヴランから聞かされた俺の気持ちがわかるか?こちらで預かった令嬢が、まさか医療院でボランティアごっこをしているとは。夢にも思わなかった」
だけど、その言葉で不意に指の力が緩んだ。ぴくりと跳ねた指先と一緒に、顔を上げた。
「……ごっこ?」
「そうだろう。報告では、君はろくに働きもせず、女中たちの仕事を否定して、邪魔までした。これのどこがボランティアだ?」
否定、邪魔。
確かにやり方は良くなかったかもしれない。
いきなりやってきた第三者が口を挟むなんて、どんな現場でも嫌がられる。
それくらいはわかる。
でも、でも。
浮かぶのは、あの光景。見て見ぬふりをしたらいっそ楽だったのに、それすら許してもらえないほど、劣悪な衛生環境。
さっきまで目も合わせられないのが嘘みたいだった。
思わず、ぽつりと本音が漏れる。
「……あなたは何も知らないくせに」
「……お嬢様、それ以上は」
嗜めるようなリザの声。それを無視して、とうとう立ち上がる。
「病院なのに、あの汚い布は何?使い回しの水は?窓のない空気の悪い環境は?あんな部屋で寝かせてたら、どんな患者だって治るものも治らないわ。私をごっこと呼ぶくらいなら、あそこをもう少しマシな場所にしてから言いなさいよ!」
「リネット様!」
リザに悲鳴みたいに名を呼ばれ、ようやく我に帰った。
目の前にはヴァルハルト辺境伯の険しい顔。隣には珍しく青ざめたリザ。
「――言いたいことはそれだけか?」
「あ……」
じわじわと、実感する。ガンガンと心臓が警告みたいに鳴り響いて、ドッと汗が噴き出した。
やってしまった。
やってしまった。
コネを作ってどうにかしてもらうどころか、領地を追い出される可能性すら本当になってきた。
もう落ちることのない最低の、更に下まで更新した。詰んだ。
さっきまでの勢いが嘘みたいに、腰が抜けた。
「あの、その……いや、その……。是非とも、その、つまりですね、一度、医療院に行っていただければ、あの環境を見て貰えば、私のしたいことがわかるんじゃないかって……」
「……君の話を聞いていると頭が痛くなる。セヴランが清めた水を泥水と呼ぶだけはあるな」
「だーかーら、違います!なんでそういう解釈になるんですか!」
流石に、その言葉は聞き捨てならなかった。
さっきまでのしおらしい反省が嘘みたいに、反射的に噛み付いてしまっていた。
「どんなに綺麗なお水でも、一度どこかを拭いた雑巾をそこにいれたら汚いでしょう!それは清潔じゃないの!」
「何を言っているんだ。見た目が汚れていないのに汚いも何もあるか」
「もーっ!だから、見えない汚れがあるの!それが悪さをするの!なんでわからないのよ!」
また、この議論だ。清めの水を否定しているのではなく、清めの水の使い方の話をしているのに、なんでこういう論理にすり替えられるのか。
これがこの国の価値観なのだとわかってはいるけれど、たまったもんじゃない。
ヤケクソ気味に叫ぶ私の勢いなのか、言動なのか、あるいは両方か。
わからないけれど、押し問答をしているうちに、ヴァルハルト辺境伯はすっかりドン引きしたらしい。
あ、あの日と同じ。
あの時の、オスカー様や、周りの貴族の目。
まさしく「気が狂った令嬢」を見る、憐れみの目――そう思ったけれど、ヴァルハルト辺境伯はどこか違った。
ヴァルハルト辺境伯は盛大にため息を吐いたけれど、目には嘲りはなかった。
……え、あれ?
「……リネット嬢。では、一度、君の話が正しい前提で聞こう。君の考える清潔とは、何を指す」
その前置きに、一瞬、期待で胸が高鳴る。
――もしかして、わかってくれる?
落ち着いて、私。せっかく巡り巡ってきた一発逆転のチャンスなんだから。
私は、こほん、と咳払い一つする。
「え、あ……その、私が考える清潔ですね。もちろん、水の使い回しはダメです。体を拭く布もちゃんと個人と用途で使い分けて、使った布は煮沸で消毒します。あと一日に一回は換気して……」
「それをすると、清潔になると?」
「はい。少なくとも、今よりはずっと医療院の状態は良くなるはずです。もし資料があるなら――……」
「予算は?」
だが、一瞬で胸の高鳴りは吹き飛ばされた。
滑らかに動いていたはずの口が、がちりと固まる。
「え?」
「だから、その予算は?水や布、薪の確保は?それだけのことをするなら、今の女中の人数だけでは足りないだろう。つまり雇用に応じた賃金の支払いもいるな」
「え、あ、それは……ほら、領地の税収で、いい感じに……こう……」
「君は我が領民の血税をなんだと思っている」
ピシャリと跳ね除けられて、うっと声に詰まる。頬を叩かれたように、口を噛んで黙り込んだ。
「君は本当に自分がどれだけ恵まれているのか実感がないらしいな。資源も、金も、ましてや我が領民の税を、君の夢物語に付き合わせる理由がない。それがわからないのか」
正論だ。とんでもなく。
私が恵まれていることも、その恩恵を受けて生きていることも。
何を為すにしてもお金は必要なことも。
とうとう堪えきれなくなって、目が熱くなった。ツンと鼻の奥が痛い。
何も悪くないのに家を追い出されて。
挽回しようと何をやっても、空回り。
私が言ったことは、あらゆる角度から否定される。
……くやしい。
悔しい、悔しい……!
私一人では何もできないことが、すごく悔しい。チートも、無双も、前世の知識があっても何もできやしない。
だけど、だけど。
ここで負けたまま終わるなんて嫌だ。決めたじゃない、どうせ転ぶなら、足ぐらい掴んでやるって。引き摺り込んでやるって。
私が領地を追い出されてしまうとしたら、これがヴァルハルト辺境伯と話せる最後の機会だ。それをみすみす逃してたまるか。
このチャンスを活かせるくらいじゃなきゃ、ナイチンゲールなんてなれやしない……!
込み上げた熱を堪え、溢れそうになる涙を拭う。何度か深呼吸をすると、さっきまでの頭に血が上る感覚は消え失せた。
そして、真っ直ぐ見返した。宝石のような目に見惚れることもなく。
「貴方は私の話を夢物語と言うけれど、試していないことを証明はできない。そうでしょ?」
「……まさか、試させろと?だから、そんな予算がどこにある」
「じゃあ、できることからお願いするわ。医療院の記録を見せて」
「……何を言っている?」
「比較のためよ。私の話が気狂いの戯言なのか、意味があるのか、確認するために必要なの。さあ、まずは死因と死亡率の記録をちょうだい」
あえて強がって、鼻を鳴らして笑う。
「まさか、それくらいは予算がなくたってできるわよね?」
私がそう言うと、今度はヴァルハルト辺境伯が気まずそうに考え込む番だった。
なによ、散々偉そうなこと言ったんだから、資料くらいくれたって良いじゃない。
そう思ったのも束の間、聞こえたのはとんでもない返事だった。
「……そんなものはない」
「……は?」
「医療院で数えられているのは、その月に亡くなった患者の数と性別くらいだ。何が原因かを推察して記録されたものはない」
ガーン、と頭を殴られる衝撃だった。もう何度目だろう。ここでもまた浴びて、項垂れそうになる。
まさか、まさか。
本当にここまでとは思ってなかった……!
公衆衛生のスタートラインにすら立っていないなんて、なんて国なの……!
でも、今だけは絶望する必要はなかった。
なにせ、ヴァルハルト辺境伯の困った顔を見ればわかる。つけ込むならここしかない。
性格の悪い笑みを隠せないまま、私は口の端を吊り上げる。
「――つまり、私の話を夢物語と否定する根拠すらないってことですね?」
「……それは」
「困ったわね、私の話が夢物語と証明したくても、これじゃあできないわ。比較する条件がないんだもの。でも、貴方も私が気狂いの令嬢と決めつけることはできないわね。あーあ、どうしたら良いのかしら」
リザがもうやめてくれと言わんばかりに顔を覆っているけれど、知ったことではない。
こちらは汚名を着せられた挙句、本当に気狂い令嬢として逃げた先の領地も追い出されそうなんだから。
すると、ヴァルハルト辺境伯はこれでもかってくらい眉間の皺を寄せていたけれど――ようやく肩の力を抜いた。
おっ、やる気?
そんな気持ちで身構えた私に対し、ヴァルハルト辺境伯は、この三十分で一気に老け込んだんじゃないかってくらいの、疲労感と悲壮感だった。
「……確かに、私には君を否定できる根拠はない」
「でしょう?」
得意げに、してやったりと笑う。気分が良かった。高笑いしそうなくらい。やった、と拳を宙に掲げる。
「――なら、証明してみろ」
「……はい?」
ただし、勝ち誇ったのは本当に一瞬だった。
私は振り上げかけた拳を下げて、ヴァルハルト辺境伯の顔をまじまじと見る。
「チャンスをやろう、リネット嬢。もし君が言う『清潔』を実践し、我が姉とその子供の体調を改善させることができるのなら――君の考えを受け入れてもいい」
……え?
その想定はしてないんだけど?




