毒の沼
二人がイチの街を出てから三日程経っていた。岩山沿いの道を東に向かって歩いていると、弱い魔物が度々出て来たが、レナの「燃えろ」の一言で全て解決した。二人は他愛のない話をしながらのんびり足を進めていた。少し休憩をとる事にし、岩山の反対側に広がる草原の木の下に腰を下ろした瞬間、
「ピーピピピ・・・ ピーピピピ・・・」
「鳴き声がいつもと違う。スモーキーこっちに来て!」
レナは左腕を出した。スモーキーはレナの腕に止まり、遠くに見える森の方角に向かって鳴き続けた。
「ねぇラピ、あそこに見える森に何かあるみたいなの。行ってみようと思うのだけど・・・」
「あぁ、構わないよ。何があるか分からないから、細心の注意をしないとね。」
「そうね・・・」
ラピに自分の能力の事を伝えていない。一緒に旅を続けるなら、自然治癒の事、どんな魔法も使える事を伝えておいた方がいいだろう・・・。
「ねぇラピ、実は私自身の事で伝えておきたい事があるの。私ね、自分の能力に溺れたくなくて、普通の生活を心掛けたいと思っているの。なるべく能力の使用を避けたいと思っていて、自分が普通の人と違うのかも分からなくて、様子見ながら魔法を使用してきたのだけれど、私ね、どんな魔法も手をかざせば発動できるの。スモーキーと、あなたの記憶を戻す魔法だけは例外だったけれど・・・。それにね、身体も自然治癒するからね、もし私が怪我しても心配ないよ。不死身なんだ・・・。化け物みたいだと思うよね・・・。」
「俺は、レナに依存するとか利用するとか、誰かに話すとか、そんな事一切しないよ。する気もない。もし何かあったら俺の記憶を消せばいいよ。それに、確かに特別な人間だと思うよ。でも化け物なんてこれっぽちも思わないさ。」
レナは記憶を消せばいいと言われ、ドキッとした。いざとなったら記憶を消せばいいと思っていたのは事実だ。それも可能だと、自分の心に保険をかけていたからだ。
「あっ、ありがとう・・・。とりあえずあの森に向かわないとね。私とあなたにバリアを張るわね。それと身体能力も上げるね。」
「ありがとう。では向かおうか。」
二人は森の方へ向かって走り出した。
森の中に入ると空気が一変した。どうやら毒の靄が発生しているようだ。そこら一面紫の靄がかかっている。用心しながら歩いていると、かすかに声が聞こえた。
「父さん、父さん・・・」
子供が泣き叫んでいるようだった。声のする方へ向かって行くと、小さい人間のような姿が目に入ってきた。が、レナは後ずさりした。そこにいたのは、一見人間に見えるが、身体は銀色で鱗だらけ、腕と足にはヒレがついていた。顔は魚の顔を真正面から見たものに近かった。この世界に来て初めて見た他種族だった。これまでたくさんの魔物を倒してきたが、全て前世の動物や虫に似ていたものばかりだった。大きかったり、ツノが生えていたり、足が多かったりとかで、極端な違いはなかった為、すぐに見慣れたのだが、他種族を見たのは初めてだった。見慣れない人間型の生き物に衝撃を受けてしまったのだ。レナには目の前にいる子供が化け物に見えた。
「どうしたんだい?」
「父さんが沼に落ちてしまって・・・、助けてぇ・・・。」
子供は目からたくさんの涙を流しながら、ラピに訴えた。子供の皮膚はまだらにどす黒くなっていて、とても具合が悪そうだ。ラピは目の前の沼を見ると、沼の中央付近に男性の上半身が見えた。沼は毒で紫色になっていた。男性も毒に侵されているせいで、子供と同じく皮膚はどす黒くなり、意識を失っているように見えた。ラピは沼に入って行こうとした。
「待って!」
レナは恐る恐る沼に近づき、沼から男性を引き上げた。
「おい、大丈夫か!?」
男性の呼吸はとても弱くすぐにでも死んでしまいそうだった。
「いったい何故こんなことに・・・」
男の子は泣きながらも懸命に話し始めた。
「僕達はこの森の先にある村に住んでいるんだ。この森から水を引いているのだけど、ある時からみんな体調を崩しちゃって、父さんが水のせいじゃないかって様子を見に来たんだ。そうしたら森も沼の水も紫色で、僕も父さんも体調を崩してしまって、父さんは沼に落ちそうになった僕をかばったんだ。そうしたら沼に勢いよく落ちていって・・・、気付いたら沼の中央に移動していたんだ。お願い助けて!」
ラピは持っていた解毒薬を子供と父親にかけた。毒は一瞬消えたように見えたが、すぐにどす黒くなっていった。ラピは懸命に声を掛け、諦めず何度も何度も解毒薬をかけたが同じだった。レナは頭が真っ白になっていたが、はっと我に返った。
「ラピ、私に任せてくれる・・・。」
レナは手をかざし、二人にまずバリアを張った。次に解毒をして回復を願った。子供は完璧に回復した様だが、父親の方は遅かった。
「父さん、父さん・・・」
解毒をした時にはすでに亡くなっていたようだ。
「父さん・・・ 父さん・・・ 嫌だよ!目を開けてよ!一人にしないでよ・・・」
子供は動かなくなった父親に抱き付き、大粒の涙をたくさん流していた。レナはその姿を目の前にし、父親を生き返らせようとしたが、父様の言葉をふと思い出した。
生命力か・・・。知らない人の為に自分の命を削る。生命力が減っていくか・・・。自分か他人。しかも見た事がない他種族で、化け物だと思ってしまった・・・。正直いまだってそう思う。それに私は子供なんて嫌いだ。うるさいだけだし、視界に入ってくるだけで嫌だった・・・。子供なんて全て消えて欲しいって思ってた。けど、見た目はどうであれ中身は無力な子供・・・。泣き叫んでいるのを見ると、なんとも言えない気持ちになる。どうでもいいって思っていたけど、やはり心が痛むのか・・・。自分はもともと死にたかった人間のだから、生命力が減ろうと関係ない。今更か・・・。
レナは何かを悟った様にふっと笑った。
「ねぇ、君名前教えてくれる?」
「ネロです・・・。」
「ネロくん、ちょっと離れていてくれる?」
「・・・。」
ネロは父親から少し離れラピの隣に立った。レナがラピの顔を見ると、優しい表情でレナを見守っていた。
レナは父親に向かって手をかざし『お願い、息を吹き返して!』と願った。すると、レナは白く暖かい光に包まれ始め、その光は父親も優しく包み込んでいった。
「父さん!父さん!」
父親は静かに目を開き、ゆっくり体を起こした。
「おぉ、無事で良かった!」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれたんだよ!」
父親はゆっくり立ち上がり、
「どうもありがとうございます!ありがとうございます!」
「ありがとう!お兄ちゃん、お姉ちゃん。」
「あの・・・、ここから二キロ程先に、私達の村があります。どうか寄って行って下さい。村の人々もどうか・・・、どうか・・・。」
「ネロから大体の事情は聞いたので、解決できるようであれば解決してから寄りますね。この沼が怪しいので、調査してから向かいます。多分元凶をどうにかしないと解決しない。それでいいよね、レナ。」
レナは頷いた。
「お二人にバリアを張ったので、毒に侵されることなく村まで帰れますよ。」
ネロと父親は深く深く何度も頭を下げ、村へ戻っていった。
「レナ、この沼の中央辺りから魔物の気配がする。おそらくそいつが、この沼と森を侵しているようだよ。」
「うん。まず魔物を倒してから、沼と森を浄化するね。」
レナは沼に向かって手をかざし魔物を引っ張り出した。すると、とても大きいナマズのような魔物が怒り狂いながら毒の息を吹きかけてきた。どうやら、人間を毒で弱らせ沼に引きずり込んでいたようだ。
「やはりこいつが元凶ね。」
レナは手をかざし『凍れ』と願った。魔物はカチカチに凍り、ラピが剣を一振りして粉々に砕け散った。戦闘は一瞬で終了した。
レナは沼と森の浄化をした。すると本来の森の姿に戻り始めた。こんなに美しい森だったのかと二人は驚いた。森の木々から木漏れ日が差し、なんと美しく心地良いのだろう。レナは木漏れ日に顔を向けながら思った。
私の心は、何かがたくさん欠落している。まだ人間らしい心があったのね。いつも泣き喚いている子供を見ると、自力でどうにかしろって思ってた。現に自分はそうしてきたのだから。不完全過ぎで、無力過ぎて、生意気で、うるさい子供なんてやっぱり嫌いだな。関わりたくもない。それでも助けたのは、それが助けない理由にはならないと知っていたから。助けなかったら一生後悔すると知っていたから・・・。私の心は常に矛盾だらけだ。
レナはラピを見た。レナはラピの優しい目にほっとした。それと同時に、何もかも見透かされている気がして怖いとも感じた。




