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八 潼関の錦②


 馬岱と程銀にひき連れられた兵士の間に挟まって、三人は陣営のなかを進む。

 盈秋はおっかなびっくり、桃霞は細かく左右に気を配りながら、李鷹は呑気な顔をして、と、三者それぞれの顔をしていた。


 関の内部。衆議堂があって、三人はしばし兵らと外に留め置かれた。

 なかにはすでに関西軍の主だった顔役たちが並んでいた。

 楊秋、李堪(りかん)成宜(せいぎ)、侯選、馬玩、梁興、張横。

 さらに、その奥にいるひと際大将然とした者が、この十氏軍の都督(ととく)韓遂(かんすい)らしかった。

 程銀は出遅れたか、とやや眉を(しか)める。


「諸将がた、ご足労あいすまぬ」


 まだ若い、覇気のこもった声が、集まった者らの間からした。諸将が顔を向けるその奥にいる人物のものだった。


「今後のことですこし確認したい」




 やがて済んだか、それぞれに(いかめ)しい恰好をした者達が、三人の前を過ぎてゾロゾロと退出していく。

 入れ、との声がかかり、盈秋らは、兵に押しこまれるようにして室にはいった。


「兄者」


 馬岱が礼をとった人物をひと目見た時、盈秋はおもわず息を止めた。


 これまで得たことのない衝撃だった。

 この得も言われぬ感覚はなんだ? どう表現したらいいのだろう。


 目の前に立っていたのは、白衣白甲に身を包んだ若荒武者。

 馬岱とちかい年齢なようだが、若くみえた。そこへただ立っているだけなのに、周囲に堂々とした威風を放射しているようだ。

 上背はあり、またがっしりとした強靭な体軀。

 とおった鼻筋。活力をあらわす口も大きく、濃い眉は凛々しく太かった。その下で涼しく輝く眼は、力強い意思そのもの。

 腰には朱の飾り房のついた剣を提げ、辺境の日に焼けただろう肌は、それでもなお白かった。


 関西十氏軍の主柱。

 姓は馬、名を超、字を孟起。

 その鮮やかな風采と相反する武芸でもって人から慕われる、西涼のわかき英雄。

 【錦馬超】その人であった。


「············」


「? どした、盈秋」


 桃霞に問われるまで、盈秋は自身が呆然としていたことにさえ気づいていなかった。慌てて(ひざまず)く。

 どうしたんだろう。英雄の気、とでもいうものに当てられたんだろうか。


「この者らが、北岸をうろついていた者らです」


 馬岱がいった。


「ほう。なんと言っている」


「商人だと名乗っていますが」


 なるほど、と馬孟起は鋭い視線を、床へ伏す三人、とくに李鷹に対して投げかけた。


「悪い時に出合わせたものだな。我らが来たことで、皆逃げ出しているというのに」


「············」


 あれ程滑らかに回っていた舌をわすれてしまったか、李鷹はしばらくの間黙ったまま、じっと馬超の姿を仰いでいた。

 ややあって、やっと李鷹は口を開いた。


「お恥ずかしいことにございます」


 馬超は、卓上に積まれた竹帛を紐解いて目を落としながら、片手間にいった。


「申し開きがあるのなら聴こう。白状するならば早い方が利口だぞ。じき曹軍が押し寄せてくる。放免されても逃げ場はなくなるからな」


「曹軍? 朝廷と戦っているのですか?」


 おもわぬ言葉に、盈秋は問い返す。射るような視線を向けられて、盈秋はドキリとした。


「陛下の、ではない。曹操の私兵どもと戦っているのだ」


「······その、曹軍と戦っておられるとして」


李鷹がいった。


「なぜ、私共のような商人を捕まえて、わざわざ詰問なされるのですか?」


「······ふ。さすが戦地に偶々(たまたま)分け入ってくるだけのことはある。間抜けなくせに図太いな。

 ······たとえば、そこにいる弟分。あやつは、お前たちが曹軍の密偵では疑っているのだ」


「とんでもないことです。私なぞ、ここが戦地であるとさえ気付けなかったのに。どうして間者なぞ務まりましょう」


「こいつ、ぺらぺらと。無駄口をたたけば余計に嫌疑が濃くなると分からんのか」


 馬岱が不快を滲ませていった。


「まったくだ。だがまあ、真理だろうよ」


主将の言葉に、弟分は顔をあげる。


「お信じになるのですか?」


「よくみろ、こやつの髪を」


 馬超はいって、李鷹の金色をした(まげ)頭に目線をやる。


「こんな目立つ風貌をしたものが間者なぞに向くはずもあるまい? 嫌でも目立つ。するにしても、もう少し気を遣うものだ」


それは、と馬岱も口籠る。

 馬超はひととおり目を通し終えると、シャラリと巻物を机に放りだした。


「だが。お前が嘘をついていることも、俺には判るぞ」


 盈秋はぎくりとして肩を強張らせた。


「お前たち、この辺りの者ではあるまい」


「······いえいえ。私どもは河東の」


「嘘をつけ。お前達の話しぶりには、この辺りの(なま)りは感じぬ。むしろ中原のそれだ。辺境者と舐めるなよ。俺にはわかる」


 それは······と口籠る。

 李鷹の発する言葉は、もともとが盈秋の中にあった物を流用している。つまり、どうしても盈秋が覚えている癖が出てしまう。

 恐怖を押し殺し、思い切って頭をさげた。



「怖れいりました。たしかに私たちは中原に住まいする者です」



 なにを言うのだ、と李鷹、そして桃霞はぎょっとして盈秋をみた。

 いまこの場で真実を認めてしまうということは、まずい結果になるのではないか。

 盈秋はいちどはさげた頭をあげ、今度こそはしっかり馬超と眼を合わせていった。


「けれど将軍っ、そのことで叔父を責めないで下さい! 叔父はただ──私たちを守ろうとしただけなのです!」


 いわば、眼と眼を通じての会話だ。それは時に、有弁であるよりも功を奏する。そう信じている。


「何処の者だ」


頴川(えいせん)にございます」 


 それはまた遠い所から来たものだ、と馬超はちいさく呟く。ややあって、やっと言った。


「······よかろう。ではそういうことにしておこう。姪に感謝するのだな」


「は。将軍のお情けに感謝いたします」


 李鷹が調子を合わせ、悄然と肩を落としていう。

 どうやら済んだらしかった。



 ちょうどその時だ。にわかにワアワアと外が騒がしくなったのは。


「何事か!」


 馬岱が通路にでて叫ぶと、ややあって兵卒がひとり、駆けこんできて報告した。


「敵です! 曹軍が攻めてきましたッ! 旗には曹洪とあります!」

「数は!」

「およそ三千!!」


 馬超はバシンと掌と拳をぶつけた。静かだった雰囲気がきゅうに切り替わったように思えた。


「先んじてこの関を墜とされたことが癪に障ったとみえる」


「出ますか?」


馬岱も高揚して問う。


「無論だ。曹洪のごとき、我らだけで蹴散らしてやる。諸将には守備を頼むと通達しろ!」


 ハッ、と兵は礼をとると、駆けだしていく。





 関前へ押し寄せた曹軍のなかから、曹洪が進みでて、騎馬のうえから大音声に呼ばわった。



「やい馬超! この墓泥棒の盗人め! 貴様、いやしくも丞相閣下の庇護のもとにおりながら、何故謀反した!大人しく出てきて勝負せよ! それとも西涼の騎馬は虚仮威(こけおど)しか!」



 この罵声に、馬超は鼻で笑うと、櫓のうえへ駆けあがり、真っ向返した。



「曹洪か! 貴様こそ何だ! 我らの義挙に慌てて遣わされた痩せ犬の分際で! 大義のなにが判る!」


「怖気づいたかッ、口だけの小倅(こせがれ)めが!」


「なんとでも言うがいい! せっかく頂いたのだ、主客が着くまで午睡(ひるね)でもして待たせてもらうとするさ!

 曹仁ならいざ知らず、お前のような小者相手にわざわざ出ていくものか!」


「──なにをぅッッ!!」



 歳下から散々悪口を叩かれ、曹洪は完全に頭にきてしまった。



「かかれッ! 奴を我が前に引きずり出せッ!!」



 銅鑼(ドラ)が鳴り響き、曹軍が歓声をあげて攻め寄せる。


「防げ!!」


 韓遂の号令一下、関に籠もった関西の兵は弓や投石などで応戦する。

 両陣営から放たれた矢が(いなご)のように天を駆け、関門前へは兵が蟻のように群がる。たちまち一帯は阿鼻叫喚の坩堝と化した。



 この様を、文字どおり俯瞰してみる者らがあった。

 どさくさに紛れて脱出した盈秋たちである。


「これが······戦······」


 桃霞の背に乗った盈秋は、青い顔をして呟いた。

 桃霞は諦めの境地で溜め息をついたが、吹っ切ったようにいう。


「そう。もうこうなったら、よく見ておくがいい」


 これが戦だ。どんな武勇譚で飾ろうとも、これが戦場の現実。ひとりひとり個の生命なぞ、全体の前では省みられることすらない。

 あるのは、勝利か敗北かの二文字のみだ。


「相変わらず、醜悪だな。人は······」


 李鷹がポツリとこぼした一語が、やけに盈秋の耳に染みた。


「どうする? このまま逃げちゃう?」


「············」


 そうした方がいいだろうか。


 盈秋はすっかり怖気づいた自分を感じていた。


 これは······この場は、自分たちの関わるべき場ではない。


「······そうね。そもそも、私たちはあの影の連中を追わなきゃ──」


「お前!」


 言葉の末尾は、ふいな桃霞の叫びによって区切られた。

 如何にしたことか。突如李鷹がうごいていた。

 黄河の北岸。ある一帯を目指し、急降下していく。


「なにっ!?」


「──あれッ!!」


 慌てて追いかけながら桃霞が注目をうながす。

 対岸の霧のなかにみえる······あれは······

 不自然な霧に紛れるようにして、あの青黒い輝きが満ちていくのがわかった。


「影鬼の連中っ!」




 空を掻き斬るように、一直線に対岸へと達した李鷹は、優雅に河辺へと舞い降りる。

 向かう先には、理に背いてわいた河霧のなかに蠢く、青黒い輝きを帯びた影鬼の姿。まるでつらなる青波のごとく、こちらへ向けて迫ってくる。

 放っておけば、このまま対岸へと達してしまいそうな勢いだ。


「ち、多いな······」


 李鷹は舌打ちをみせる。

 実際、どれくらいの数がいるのか。百か、二百か、それとも千? 目の前に幻燈めいて揺らぐ壁。その正確な数は、知ろうという気にもならない。


「だが······行かせんッ!」


 袖を振るって突っ込んだ。影鬼どものもつ刃が振るわれ、李鷹の五体を脅かす。刃が衣の先をかすめ、裂く。

 彼はこれを舞うように避け、掌底で撃ち、手刀で薙ぎ、翔ぶがごとく蹴る。瞬時に首と胴を切り離された者らは、たちどころに青霧となって消えていく。


「李鷹っ!」


 地面に激突する勢いで降下してきた桃霞が、背に盈秋をおぶったまま宙空でくるりと体をいれ替える。

 盈秋がさっと離れると、ただちに臨戦態勢をとった。


「すごい数······けど、これ」


「おや、君も気付いたかい?」


 盈秋が気圧されながらも眉をしかめて発した言葉に、李鷹が相槌をうつ。

 盈秋とて気づいていた。

 影鬼どもの動きが、まるで戦の流れへと乗じるかのような素振りをみせていることに。こうして対岸にずらりと迫る姿は、まるで曹軍の別動隊のようではないか。


 たんなる偶然? それともまさか······戦に介入する気でいるの?



 李鷹も刻一刻と迫られる選択に、独考に沈む。


 しかし、どうした事だ。これ程の数。あの遺跡でかなり「流れ」に還したはずだが、まだこれほどに遺っていようとは。


「──やはり、鍼欄(しんらん)


 上空からみた限りにおいて、彼女らの姿は見られなかった。この場にはいないか、あるいは、隠れて観ているのか──


 知られると都合が悪い。が······


 お節介というか、愚かというか。

 役に立てないくせに飛びこんできたちいさな世話係たち。苛立ちと微笑ましさ。相反する双方を感じ、むけていた視線をもどす。


 そうだな、やるしか······


 李鷹は意を決する。脱力し、無形の位でたった。

 彼の背中へ、あの翡翠の片翼を模したような四枚の片鱗が粉を散らしながら開かれた。

 足元からゆっくりと、蛍にも似た薄緑の輝きが、周囲に伝わり拡がっていく。

 袖を鳴らして印を切った。

 おもむろに左腕を、迫る影どもへとさし伸べた。金色の光雨が黄河の端に降りそぼる。

 盈秋も桃霞も、おもわず天を仰いだ。


「これは······あの時とおなじ······!」



『虚ろなり、彷徨う者らよ。送ろう······我が責において······ッ!!』



 左腕を振りあげる。

 静止と、逆流と、爆発する閃光。

 すべてが明滅のうちに浄化されていく。


 ふたたび眼を上げたときには、異形の者どもも、それに不随した現象も、すべてはこの世の理のうちに収まっていた。


「やった!」


 成功したのだ。あの影どもを一掃することに。

 しかし。


「······ッッ!?」

「! 李鷹ッ!?」


 ビシリッ、という不吉な音とともに、李鷹の身体が崩れ落ちる。

 彼の背にあった四枚の翡翠板のうち、もっともちいさな一枚が音をたてて割れ、河原の砂瀬へと落ちた。

 盈秋はとっさに幾つかを拾いあげる。ちいさな掌から零れ落ちた残りのものは、溶けるようにして大地へと消えていった。


「······大丈夫、だ。案じなくていいさ」


 残った三枚の片翼が光となって消える。

 まだ青い顔をしつつも、李鷹は差し伸べられた手を断って膝をついた。


「でも」


言いかけた盈秋だったが、桃霞がそっと制する。

 黙ってうなずいて、でかけた言葉を己のうちにのみ留めおいた。





 対岸にも動きがあった。

 関上での防戦に曹軍の勢いが削がれてきたとみてとった馬超は、愛用の長矛を片手にヒラリと馬に跨る。左右に馬岱、龐徳(ほうとく)を従えて両翼の門から一気に打って出た。


 勇猛無尽でならした西涼の騎馬兵が真価をみせる。

 怒号と絶叫と(いなな)きが山野に木霊し、砂塵が濛々とこれをおおい隠した。


 曹洪軍は勢い凄まじき荒騎馬によって突き崩され、前後を分断されて大混乱に陥った。

 こうなってはもうどうにもならぬ。曹洪は徐晃に守られながら、這々の体で自陣へと後退していく。

 そうして後には、両陣の犠牲となった兵が、無惨な姿で横たわっていた。




 どうやら緒戦の勝敗は、ひとまず決したらしい。

 被害はたがいに出た。しかしながら、全体からみれば軽微だったろう。

 曹軍からすれば、自軍一万にたいし、相手は十万をこす大兵。おそらくはじめは防衛に専念するつもりであったはずだった。

 他方、関西軍からみても、曹仁らなどはまだ先触れにすぎない。せっかく関を抑えたのだから、無理に目先の勝ちを求める必要はなく、むしろ少しでも損耗は抑えたい。

 後になれば曹操率いる大軍が到着するだろう。そうなれば、今度は自分たちが寡兵(かへい)の側となる。

 だかい、本気で潼関をとり戻す、あるいは死守する、というよりも、力量を見極める意味あいでの挑戦であったようだった。



「どうする?」


 対岸をみつめて動かない盈秋に、より添った桃霞が問うた。


「············」


 河風が、どうしようもなく浄めきれない血生臭さを嘆くように、生温かった。





 陣へもどった馬超は、関内で彼を出迎えた者らに、かるく驚きをもって声をかけた。


「すこし驚いたな。逃げていなかったとは」


 李鷹は袖を併せて、彼の勝利に祝い言をのべて笑む。


「当然ですとも。我らはか弱き商人なのですから」




都督···今回の場合、総大将的な意味あいです。

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