七 潼関の錦①
「ねっ、姐様っ、いいでしょっ? お願いだから!」
「絶対駄目! 駄目ったら駄目ッ!」
日が昇り、いくぶんか陰惨さのうすれた破れ屋敷のなかに、朝から姦しい声が響いた。
桃霞は普段でもまるっぽい頬をさらに膨らませて、しつこく食いさがる盈秋にそっぽをむいた。
「盈秋、確かめたら帰るっていったよ! 絶対ダメッ!」
このまま李鷹についていき、手伝ってあげたい。そんな事をいったら、激しく反対された。
予想どおりだった。これはどう説得したものか。腹の底でそう思案する盈秋に、桃霞も隙をみせじと警戒する。
そもそも何故そんな気になったのかといえば、李鷹が人界に度外れて無知なことが露見したからだった。
なにしろ千年以上眠ったまま。しかも──本人によれば──身体を得たのは都が廃れる直前だ。つまり、おのれの暮らした城郭ですら歩いてまわったことが、ほぼない。
長安とはどこの国だ、王は誰か、などと訊くのだ。童子の盈秋からみてさえも、信じられないほどに浮き世離れしていた。
気軽に放てばどんな阻害をひき起こすことか。結果、影狩りにも支障がでて、無辜の人々が巻き込まれることになるのだ。自分たちに責任はないことだとは分かったが、もうあんな惨事を気にするのは御免だった。
なんとしても桃霞の協力が必要だ。頼れる姐分と一緒だから、そんな無理もやれるという気になる。
「盈秋になんの関わりがある? お節介っ」
桃霞はおもった。どうもこの子は自身の経験もあってか、こうした場違いな環境へ放りおかれた人へ、積極的に手を伸ばすところがある。それ自体は素晴らしいことだが、中には助けてはならない奴だっている。
母堂から御守りを託された以上、彼女の「目」となって、しかと判別することが自分の役目だ。そしてその点から言えば、この男は間違いなく「不可」だった。
桃霞はビシリ、と愉しげにこちらを眺める李鷹へ、指先を突きつける。
「それに母上は言ってたよ! ああいう奴には気をつけろって!」
これも盈秋の母堂から習ったことだった。
『──いい、桃霞。男でも女でも、見目のいいヒトにはまず気をつけるのよ? 綺麗な衣をあげるとか、ご馳走してあげるとか言われても、絶対についていかないこと。大抵は碌でもないんだから』
自身を棚にあげて堂々という本人を前に、その言葉にはいっそう説得力がある、と肯いたものだ。
「手厳しいなぁ。物にも心は宿るんだよ?」
ちっとも傷ついていないくせに、心にも無いことを言ってくる。とうぜん無視した。
「お願いっ、ねっ? なにも大立ち回りをしようってのじゃないの。姐様があぶない目に遭うのも嫌だし······ただ、ね? 李鷹がいまの世の中に慣れるまで、身の回りのお手伝いをしたいだけなの」
「あんなの嘘に決まってる! あいつ、狡猾なやつ。盈秋を騙してるんだっ」
ヒラヒラと袖をふって挑発する李鷹に、桃霞は肩をいからせる。
だが、抗議虚しく終わった。そんなことないって、と盈秋はまるでとり合おうとはしなかったのだ。
「やれるよ、桃霞姐様と私なら······!」
最後は気合い押しだった。キラキラした瞳を向けられては弱い。
もしどんな危難に遭っても、ふたり揃っていれば切り抜けられる。そう信じて疑わない瞳──
はああっ、と、桃霞は盛大な溜め息をついた。
まず李鷹の恰好をすっかり当世風にすることから始める。この結果に、盈秋はとりあえず安堵した。
「ふむ」
李鷹も自身の恰好を面白そうにためつすがめつしている。
深緑色の袍は、申し訳ないけれども、屋敷にあったものを失敬したものだ。むろん、李鷹の唯一の財産たる、いままでの衣も捨てることなく、荷に大切にくるんだ。
自然そのままだった長い髪は盈秋によってまとめられ、拙いながらも結いあげられており、彼のこだわりなのか、飾りのついた革の細帯は外さずに腰へと巻きつけられている。それだけが元の姿を留める寄す処だ。あとはどう見てもそこいらにいる若者にみえる。
出立の用意は無事整った。
影たちの存在は感じとれる。そう主張する李鷹に、針路はすべて預けることにする。
彼は多勢がむかったと思われる南へと、一行を誘った。
昨日暴れすぎたふたりの疲労を慮って、空をいくことは控えた。それにそろそろ人里が増えてくる頃だ。どこで目につくか判らない。やはり自粛する。
盈秋はもともとが頑強な育ちだ。山野を歩くことにも慣れているし、ちっこい割に粘り強い。
ここまでもほとんどが桃霞の世話になっていたので元気もある。どうしても頼らなければならない所を除いて、ふたりに迷惑はかけなかった。
反対に、地面をのろのろと踏んで進まねばならない李鷹のほうが、歳甲斐もなく文句をこぼした。
「やれやれ。なんでわざわざ地べたをノロノロ這わねばならないんだい。ああもう限界だ、ちょっと休んでいこう」
ついに音をあげた李鷹の提案で、しばらくの休憩をとることにする。
三人は黄河の水辺で喉を潤した。
滔々と流れる中原の父なる龍、黄河。
遠浅な砂瀬が繋がり、対岸ははるか彼方。水煙と大気の淡いに霞んで消えていた。
遠目からみれば穏やかにもみえる絶景だろう。だが寄ってみると、水の勢いはとかく凄まじい。雪解けの水量はとてつもない白煙を充満させて轟轟と牙をむき、ときに巨岩をも削りながら流れ落ちていく。
「ここより南となると、潼関がある」
長大なる遠景に目を奪われながら口許を拭っていると、桃霞がいった。
潼関。これまで南へと流れくだってきた黄河が、ここにきて急速に行く手を東方へと折り曲げる。
水嵩のおおい時期にはたびたび氾濫をして、肥沃な土砂を堆積させるなど恵みを与えるとともに、畑や人家を押し流してもきた。
たしか漢の世となってから、南岸に防衛のための関も築かれている。
「······どうしたの姐様」
南を睨む桃霞の目が険しい。
そう感じとった盈秋が訊ねかけると、桃霞は振り向いて、真剣な眼差しでいった。
「······ねえ、盈秋。これ以上はホントに駄目。あの一帯の空、気が乱れている」
常人でさえ嵐が近づけば感じとるもの。
天仙である桃霞にはきっちりと視えていた。黒い薄靄のたなびきが、関の上空へ近づくに従って、次第に濃くなっていく様が。
怖れ、怒りといった感情が地の気と入り混じった、これは何度もみてきた戦の前兆だ。
顔を洗い終えた李鷹も、表情を渋くする。
「うーむ、参ったな。さすがに小母さんの言うとおりだ。当世はずいぶん剣呑なのだなぁ」
仕返しのつもりか、後ろで【小母さん】の一語に引っかかっている桃霞の抗議を聞こえない振りでかわす。
「でも、影の連中はあっちに向かっているのでしょ?」
偶然か。それとも戦の血生臭い気配に惹きつけられたか。
とにかく李鷹の言ではそうだった。
黄河を左手にとらえながら進む。
「やれやれ。また這い這いの再開か······」
先程は賢しげにうなずいていたくせに、またもやそんな愚痴をこぼし始めた李鷹の背を押し、励まし励まし歩いている時だった。
ふいに向こうからバラバラッと武装した兵士が現れ、駆け寄ってくるではないか。
「いたぞ! 奴だ!」
殺気立った剣幕に、盈秋は気圧されて訊ね返した。
「······え、あの、何です?」
「お前だろう ! この先の里で我が軍の兵を殺したのはッ!」
一瞬何のことか、と盈秋と李鷹は顔を見合わせる。
「そういえばいた。影どもにやられてた」
桃霞の言に、李鷹ははた、と掌をうつ。
「なるほど、昨日の」
「しっ」
盈秋は不用意な発言をあわてて抑えこんだ。
「······失礼ながら、人違いです。私たちは······」
「欺こうとしても無駄だ! こいつが里の者と我が同胞を殺したのだ! ──貴様! 帰陣した兵から報せを受けているぞ、観念して共にこい!」
李鷹は鷹揚にうなずきつつも、首を傾げた。
「うむぅ、首根っこを抑えられたなぁ······しかしなんでバレた? しっかり今風を装ったつもりだったが」
「いや······その髪」
「ああそうか、これか。参ったな」
こればかりは如何ともしがたい。ぺたぺたと結いあげられた己の頭を撫でながら、呑気にいう。
彼の風変わりな髪色については、盈秋もけして忘れていた訳ではなかった。どこかであの鍼欄のように、巾か笠でも被せるつもりでいたのだ。
それがまさか、これ程はやく目を付けられてしまうとは。
もう襤褸布でもなんでも頭に巻かせておくべきだった、と盈秋は溜め息をついた。
だが悔いたところでもう遅い。
三人は誰とも知れぬものの陣営へと、兵にひったてられていく。
悠久なる大河を見晴かすようにして、その関はあった。
北の方は天地圧倒的に拓け、水の気もあつく、望遠しようにも薄霧に霞んで見透すことはできない。
南には華山が、厳しい天然の障壁としてかまえ、この険阻な地形に、東西から延びるわずか──このような壮大な景観のうえにあっては──な人馬の通う平地を、関壁はどっしりと抑えてたっていた。
周りをぐるりと兵らに囲まれ、槍の先で脅されるようにして、天幕のはためく中をすすむ。
いくら桃霞がいてくれるとはいえ、初めての恐怖に、盈秋はすっかり縮みあがっていた。
糸を張ったような緊張感のなか、大勢にかこまれ、具足の音、馬の嘶きを感じるのは、獣に遭うのとはまったく違った怖ろしさがある。
下手をすれば殺されるかも知れない······
一行を捕らえたのは、関西陣営、程銀の兵だった。
彼の前へひきだされた三人は跪き、いちいち質問に答えさせられた。
見下ろした程銀が問う。上背に優れているとはいえないが、具足の下から感じるがっちりとした精悍さは、辺境の男であることを窺わせる。
「お前たちは何者か。なぜ蒲坂を徘徊していた。正直に答えよ」
一瞬言葉につまる。まだ混乱と恐怖から頭がたち直ってはいない。本音と方便で言葉がつまり、なかなか口から出てこなかった。
そんな盈秋の代わりに素早く応えたのは李鷹だった。
「はい。私どもは商人でして。その途上、姪ふたりを親元へ送りどける最中でございました」
盈秋も桃霞も、びっくりして李鷹の背をみつめる。程銀は訝しげな視線を彼にやって顎をさすった。
「······商人だと? ふん。そのくせこの一帯の情勢が緊迫していることも知らんのか? 間抜けな奴がいたものだな」
「はあ、お恥ずかしい限りで」
傍に控えていた部将が、背中からそやしつける。
「こいつ······嘘をつけ! 空手で子連れの商人なぞいるか。荷はどこにあるというのだ!」
だが、これにも李鷹は動じなかった。少々嘘くさいといえる程に、がっくりと肩を落としてみせる。
「賊どもにそっくり奪われてしまいました······たまたま将軍の配下の方が来合わせ下さったので、なんとか命だけは助かったのです」
「どこの者だ」
「河東のっ、者です」
盈秋の助け舟はかろうじて間に合った。
「······兵からは、お前が我が配下を殺めたと聴いたぞ」
「いいえ······いいえ! 滅相もないことでございます。誤解でございます。それは私どもを襲った賊どものしたこと。私らはそこに居合わせただけのことで」
涙さえ流さんばかりの熱演ぶりに、盈秋も桃霞もなかば呆れ、なかば感心した。
よくまあ、こうスラスラと出任せがでてくるものだ。この会話だけをきけば、商才に乏しいくせに、やむなく商人をやっている冴えない男にしか聞こえない。
こういう所は、少しだけ我が母に似ているかもしれない、と盈秋はおもい、やっぱりこいつは信用ならない、と桃霞も思った。
程銀らが、さらなる尋問をくわえようとした時だ。
そっと寄った部将のひとりが、何事か彼に耳打ちをする。
「なに、馬殿が? よし、通せ」
はいってきたのは、おなじく具足に身を固めた、実直そうな顔立ちの若武者だった。
名を馬岱、という。
「これは馬殿。」
「程将軍」
年長の相手に、馬岱は拱手していった。
「すこしよろしいでしょうか。わが主が」
と、ここまでいって、チラと地面に跪いた盈秋らに目を留めた。
「······この者らは?」
「北岸をうろついていたので配下の者が捕らえたのだが。どうにも扱いに困ってな。河北の者らしいが」
「······ほう」
馬岱の眼差しは鋭かった。射られてるようだ、と盈秋は身を竦ませた。
「ならばどうでしょう。将軍にご足労願うついでに、この者らはこちらでお引き受けいたしましょうか?」
桃霞がドラ○もんに見えてきました···(笑)
馬岱、登場です。
字はどうしましょうか。考え中です。
一部誤りを訂正しました。




