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六 異流の仙


 その日、老盤商店の店前は忙しなかった。

 人夫と使用人とが混じりあい、ひっきりなしに往来する。喧嘩まがいの声がぶつかりあい、荷を満載した車が土煙をたてて続々と出発していく。

 あまりの繁忙に執事だけには任せておけず、盤子虎みずからも陣頭にたって指揮をとらねばならないほどの騒ぎだった。


 めずらしく表で帳面と睨みあっている盤に、通りからひょいと声がかけられた。


「おや盤さん、これはご盛況ですな」


 面をあげてみる。声をかけてきたのは髪を白げた、こちらも商店の主人とみえる老爺だ。


「やあ、これは······」


 旧知の間柄であったらしい。盤も親しげにこれに応じた。

 使用人のなかには見慣れぬ老爺に目を留めた者もいた。

 が、なにせ老盤商店は穀物の売り買いから交易品まで様々な品を手広く扱っている。だから馴染みのない者がひょっこり訪れることも珍しいことではなく、だから使用人たちもすぐに関心をなくして仕事のほうへ追いたてられていった。

 ひととおり挨拶をとり交わしたあと、老爺は慌ただしい店先をしげしげと眺めた。

 憂い気な溜め息が口をつく。


「また戦······ですかな。この様子では」


「······ええ。おおきな声ではいえませんがね。昨今は戦こそが世を統べる手蔓なようで」


 やっていられない、とばかり盤は言葉を濁して苦笑いをみせた。



 正月。漢の丞相・曹操は、息子、曹丕を丞相の副に任じ、政務の一部を代行させた。

 そうしておいて、自身は南伐を睨みつつ、軍を動かす準備をはじめた。

 狙いは巴蜀の関、漢中。

 だがそこを攻めるということは、涼州の地に波乱を起こしかねない。高柔らなど、関西の叛乱を危惧する者らの反対を退け、彼は征伐策を推し進めた。

 じつはこの動きは、態度を曖昧化させてひさしい涼雍の諸氏をあえて挑発し、征伐する口実を得る計略であった、ともいわれる。たしかに、表向きは漢朝に服属する彼らを力尽く(へい)で屈服させるには、謀叛者になってもらうしかない。

 そしてこの三月。

 まず、長安にあって漢中征伐論の支持者・鍾繇に、正式に漢中征伐を命じ、夏侯淵らには後援として河東へでるよう命じた。

 案の定、自分たちが狙われているのでは、と涼州の諸氏は疑心に駆られ、にわかに緊張をきたした。

 ついに五氏が連盟をくんで叛き、これに弘農・左馮翊(さひょうよく)の郡県が呼応する。

 その総兵数、じつに十万。

 これに対し曹操は、曹仁、徐晃を兵一万余とともに先発させたという。



 老爺は曖昧にわずかに肯くと、柔和な笑みでそれを塗りつぶす。


「まあ、それも乱世の倣いというものですかな。結局儂らもそれで飯を食っとるんじゃから。因果なものです」


「ですな。······ところで、久々に寄られたのです。どうです? 奥でひと休みしていかれては」


「そうですな。積もる話もありますし······ではちよっとだけお邪魔いたしましょう」


 老爺の返事に気を良くした盤は、執事に後を任せると、みずから先にたって客を私室へと案内した。

 途中、行きあった女中頭に饗しの用意を命じ、それ以外は誰もよこさないよう言いつける。


 表向きからはそうはみえぬ、上品ながら絢爛に飾りたてられた私室へとはいり、扉を閉める。

 と、盤はきゅうに砕けた様子となって、上客に席を勧めた。


「どうぞお楽に。窮屈だろう」


 老爺はふっ、と髭だらけの口許を歪めた。

 では失礼して、と、なんと肩のあたりから衣をひと息に脱ぎ捨てた。

 (さなぎ)が蝶になるがごとく。

 早業を駆使してなかから現れたのは、先程までとは似ても似つかぬ若々しい姿をした美貌の女人ではないか。

 優美な藍色の衣を着、ただ笠だけは被ったままにしている。そのせいで顔は陰になってしまって窺い知ることは出来ず、ただ微笑を浮かべる優美な口許がわずかのぞくだけだ。

 笠の後ろからは結い上げ、垂らされた黒髪の先がながく腰の辺りまで伸びていた。


「ようこそ、大玄女殿。歓待するよ」


 天仙・大玄女はかろやかに辞儀をすると、朱塗りの椅子へ腰を下ろした。


「さて。今日はどんな御用かな。なにかお探しのものでも?」


「これはお戯れを。されど······そうですね、強いていうなれば、不出来な弟子をひとり探しておりますかしら」


 これは、とやり返された盤は愉快そうに声をたてて笑った。


「なるほどそうだね、いや、済まない。貴女の可愛い弟子を勝手に使い立てしたことは謝るよ」


「いえ。盤様の御用とあれば、あれの修行にもなりましょうから。存分に使って下さって結構なのですけれど······ただね。何処でなにをやっているか、ちっとも便りを寄越さない娘なもので」


「なるほど、それで心配になったと」



 やがて女中によって青物などをのせた皿と酒器を運ばれてくる。彼女らが退室してはじめて、大玄女はようやく笠をとった。


「おや」


 扉が閉まるとほぼ同じくして。パタパタッ、と小気味よい音をたてて庭先へつづく欄干へ舞い降りたものがあった。

 純白な羽をもつ小鳥だった。人馴れしているのか臆しもせず、ちいさな脚で左右にと跳びはねては催促するように小首を傾げた。


「こちらも丁度いい頃合いだね」


 盤は軒先へよると、優雅な所作で右手を小鳥にむかってかざした。小鳥はその甲にチョンと跳び乗ると、甘えるように小さな(くちばし)で彼の手を突っついている。


「どれ?」


 盤は鳥の背を指でやさしくなぞる。と、小鳥はたちまちのうちに姿を(ほど)け、一枚の白紙片へと正体を現した。

 彼はしばらく、軒先に注ぐ光のなかでそこに記された内容に見入っていたが、やがて、


「······南に向かっているな······」


ポツリと呟きを漏らした。

 大玄女が顔をあげる。


「南に、なにか?」


「······うむ」


 盤は紙片を彼女に手渡し、手ずからその前に置かれた器に酒を満たした。


「いま、貴女の弟子が例の遺跡から飛びだしたものを追ってくれている。その跡が、どうやら面白くない場所へと向かっているらしい」


「南、というと······長安?」


 だが盤は無言で首を横にふる。


「············」


盤はみずからの酒器も満たすと、立ったまま味わうようにして中身で口を湿した。


「むろんそれも考えられることだが。私の予測では、おそらく──漢中」


 漢中。南方の肥沃なる大地、巴蜀への表口にして、最大の関門と喩えられる。南北を険阻なふたつの大山脈に挟まれ、その深淵なる懐に抱かれた天地。

 現在は、父祖の代より信奉をあつめる五斗米道の教祖、張魯の治める地である。

 中原の乱れを尻目にこれまで着々と蓄え続けられたその勢力は、いまやいち宗教集団の枠を超え、侮れぬものとなっていた。

 はたして美酒は器より溢れ、勢いのままにさらなる富をもとめて蜀をも浸さんとしている。


「······奇遇、といえばそれまでですが。此度の中原よりの火種も、かの地を狙ってのことだと······」


「······ああ。大漢の丞相殿がね。おかげで我が家も忙しくしているし、いよいよ彼も本気らしい」


 現在、天下の情勢はほぼ固まりつつあった。

 中原では、袁紹とその遺児たちを破り、これと結んでいた異民族・烏桓をも平らげ、背後に憂いを無くした曹操が、北は幽州から南は()州までの地を抑えている。

 漢人の魂の故郷であるふたつの旧都、長安・洛陽もその掌中へ収められた。

 天下十四州のうち、じつに八州までが帰したことになる。


 そんな彼が先年の赤壁血戦で失った荊州の北部、そして揚州では、相変わらず虎視眈々と孫権が中央の乱れを窺っている。


 これ以外の勢力といえば、荊州南部に拠った劉備。

 長安の西、西涼の鎮を代々預かる馬氏。これと結びつく韓遂らの一派。

 そして先程話題にのぼった張魯、といったものがわずかに残るのみだが、そのなかで唯一別格な者があった。


 それが益州、蜀の劉璋だ。その治めるは、滋味に満ち、広大で豊かな大地。

 漢の帝室にもつらなる父、劉焉(りゅうえん)が拝領して爾来(じらい)、民はそれらしい戦もしらず、人材も資源も豊富にある。我こそと野心を抱く者らにとっては、まさに最後にのこされた別天地であり、無視できぬ覇権への鍵であった。

 誰がまず巴蜀をとるか。それが今後の興亡を左右するのは明らかだった。


 家督を継いで以来、劉璋は、表向き中原とつかず離れずの関係を保っていた。だが強まる張魯の圧力だけではなく、その後ろに控えた曹操までもがこの地を狙っていることを憂慮し、先手をうつことにした。

 中央へ奉具し、この危難をとり払うべく尽力を、と仰いだ。

 張魯を生贄にして曹操と悶着させ、自身は恭順の態度をしめすことによって、己が持ち分の安寧を図ったのだ。



 ──と、ここまでが人の世の知られるところだ。

 仙界の大立者であるふたりにとって、漢中という地は、また別の意味を持ったものだった。

 盤子虎はまったく別の観点から、今回の侵攻を憂いていた。


「天師教が治めている分にはまだ良かったのだが······」


 あの地には封じられたもうひとつの顔がある。


 ここ現し世とは違う、べつの世。

 実在の書物、「山海経」に描かれた世とうり二つな世界。

 異質な、現と幻の境の天地。

 神仙の遊び場。

 奇妙で危険な妖獣たちや、夢のような薬材溢れる処。

 山海境──


 かつて、五斗米道創始者のひとり、張道陵がこの打ち捨てられた場に目をつけ、信徒らを導くための試験場としてつかっていた過去があった。

 かつて、山海境(そのせかい)の大元にして原本である、仙書・山海経真書は己の意思をもち、文字どおり天下をひっくり返そうとしたことさえある。

 触れれば何が起こるか解らない。そんな場所だ。



「張魯がどう出、曹操がどう処すか。それ次第ではある。が、どのみち下手に突かれるとな」


 そういった意味では、張魯らにはまだ「こちら」に対しての理解もあるし、なんなら敬ってさえくれていた。

 が、これが曹操となればどうか。発展という名目のもと、無遠慮に鍬がいれられ、山を削って地脈を乱し、河をまげて龍を歪めはしまいか。

 そうなれば思いもかけぬ、あの地に内包されていた「中身」が外界へと流れではせぬだろうか。


「······貴方が仰るとおりだとして、さきの二つが交わることがある、とお考えなのでしょうか」


「残念だが」


 盤子虎ほどの男が。

 その憂いの声音に、大玄女は眉をしかめた。


「······漢中へと向かっているという、その者。何者だというのです?」


「······とても古い······古い者達だ。貴女たちとは違う時の流れを生きた者」


ツイ、と盤は冷ややかな視線をあげる。


「いうなれば古仙──いや、鬼仙、というべきかな。はるか()の王朝に起源をもつ、古の存在だ」


「古仙。そのような者らが」


 夏、といえば、今よりざっと二千年前。そこまでの出自を持つものとなれば、さしもの天仙界といえども数えるほどしかいない。それ程の者らが知られずに埋もれていたとは。


 ふ、と湿ってしまった空気をふき払うように、盤は声音を明るくする。


「······さて。私はもうひとり、詫びをせねばならぬ者への言い訳を考えねばね。とりあえずこの書を転送しておくことにしよう」


 いって円卓に置かれた紙片をとると、フッと息をはきかけ、掌で包む。

 ふたたび開くと、小鳥はくるりと息を吹きかえし、行くべき所をめざして空へと舞いあがっていった。



 関西十氏族と曹操による【潼関の戦い】が、目前に迫っていた。


やっと三国志要素が顔を出しました···

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