五 碧陽城郭の五穢②
かつて、美しい城郭があった。
これを築いた人々が何処から来たのか、私は知らない。ただ意識した──私が生まれた時、もうすでにそこは在った。
その都。君らのいう碧陽城郭は、馬を扱うのに巧みな人達の住まう処だった。
あんな辺鄙な場所に都を築いたのだから、なにかに追われてのことだったには違いない。けれど遊牧の民の気質は忘れ去られることなく、外の者とも積極的に交流を保っていた。
城郭は北から、そして南からもやってくる人々に溢れ、潤っていたように思う。
彼らはある高い、高度な匠の技をもっていた。
碧玉を割ることなく加工する術をもち、また、食した羊など獣の骨からも、見事なまでに細い縫い針を削りだした。やがて青銅も扱うようになり、果てには鉄にまで至りもした。
そんななかで、私はある特別な委託を負った存在として生を受けたんだ────
家主の逃げだした破れ屋敷。
中庭に焚きつけられた燈火に、李鷹の白い顔が浮かび上がっている。彼は淡々と、おのれの昔を語った。
「お前は、あの天空を悠々と舞う大鷹だ。そう私を削り出した匠はいっていた。
ああ、そうだ。私はご覧の通りの恰好をしているが、純粋な人ではない。あえて言うなら──そう、器物の妖······ということになるのかな。もっとも彼らは、私を護り神を形どった、なんて大仰なことを誇っていたけれどね。私も理由もしらず、そうなのだろうと思いこんでいたよ」
カラリ、と薪が燃え崩れ、静謐ななかに音をたてた。
「······その人たちは凄い力を持っていたのね。あなたがこうして動けているんだもの」
李鷹は物珍しいものを見る目つきで盈秋をみた。
「驚かないとは。自分は器物だ、なんていう奴を前にして」
そこまでいって、ふと視線を横にふって笑む。
「そうか、慣れているか」
桃霞がふんす、と鼻を鳴らす。
「もっともこうして身体を持ったのは、眠りにつくほんの少し前にやっと、だったけれど」
「いつ、目を醒ましたの?」
「······多分、君達がつく少し前。起きてすぐはぼうっとしていたんで、日時の感覚は曖昧だ」
「アイツらは何なんだ」
桃霞がぞんざいに問うた。
「あんたと一緒か。仙か」
「今はどう言うのか知らないが······君がそういうならまあ、そうなんだろう」
はぐらかす風な物言いに、桃霞は焦れたように身をもぞもぞさせる。
「知り合いか、仲間か、って訊いてる」
相手はぼやかすように、柔和に苦笑する。
「──知り合い、といえばそうだな。かといって、仲間か、というとそうではないし······ちょっとばかし複雑なのさ。同輩······というのがいちばん正確だろうとおもう」
李鷹は薪を一本また燈火に足して、背にしていた岩によりかかる。袖口へと両腕をつっこんで、じっと火をみつめた。
「ご想像のとおり。彼女らは私とおなじく、碧陽城郭を象徴する技術が生命をもった存在だ。生まれた時期は皆まちまちだが」
彼女、らはと言った。
意図的であるにしろないにしろ、無視はできない。すくなくとも李鷹、そして鍼欄とよばれたあの青年──女性だったらしいけれど──のほかにも、まだ似た存在がいる、ということになる。
「そんな人達が、あの場所にずっと眠っていたのね······」
とおき昔が偲ばれる。あの城郭に、いったい何が起きたのだろう。
しぜんに廃れていったのか。
それとも、ご多聞に漏れず、争いか。はたまた、流行病?
どちらにしても、あの城郭はいちど滅びた。人は死に絶え、あるいは散逸し、そして栄華をしのぶ器物たちだけが遺された······。
それが仮初にも目を覚ました、ということは、やはり。
「──訊ねたいことがあるの」
盈秋は意を決して、とうとう心に引っかかっていた疑問を口にした。
「あの場所を探索していたとき、うっかり、剣···のような物を倒してしまったの。いま思うと、あれは楔のように打ち込んであったんじゃないか······って」
「楔?」
李鷹は、眼差しをわずかに歪めて盈秋をみた。
「どんな感じのものだったかな」
「はじめは石かと思ったのだけど、骨······のようでもあったような」
ふっ、とは、相手の口からもれた吐息の音だった。
「なら気に病むことはない。それはおそらく、彼女の仕業だ」
「彼女?······鍼欄?」
李鷹はうなずく。
「なるほど。君は誤って封かなにかを解いてしまったのじゃないかと気にしていたのか。だったら構わないでいい。解いたとしたら彼女の意思だ。どうやら随分前に目覚めていたようだしね」
そう、と盈秋もほっと強張りをとく。
そういえば。鍼欄は外目にはまったく違和感がなかった。巾で骨飾りを隠しまでしていた。
彼の推量は当たっているのだろう。そう納得はできた。いや、己の責任ではなかったからといって、事態が解決したわけでもないのだが。
「あの影はなんなの? この里を襲ったのは、やっぱり?」
李鷹はうなずきだけを返す。その灰色の瞳が、一瞬だけ憂いを帯びたように昏く淀んだ。
「かつて、人だったもの。いまに甦った過去の残影······」
「でも、あれを使った者がいる。それとも。あんたがこの里を焼いた?」
桃霞ももっとも気になる問いをぶつけた。天仙である彼女にとって、見逃すことの出来ないことなのだ。
「私はあれらと関わりはない」
意外なほどに。李鷹はつめたい声音できっぱりと突き放した。
「あれらは『ああ』なる前の感情のままにだけ動いているだろうし、私に彼らを統べる術はない。よほど鍼欄のほうが向いているさ」
「じゃあ。里をやったのは」
「さあね。罪を被せる気はないよ」
「······あの鍼欄は何をするつもりなんだろう」
盈秋はおのれの膝頭に顎をうずめてつぶやきが、激しかけたふたりを冷ました。
「甦って、それでいまの世に紛れて······」
その問いへの答えはなかった。
◆
「ただいま······」
何処ともしれぬ屋敷の中庭。
屋根は傷み、壁はひび割れすっかり荒れているが、庭に植えられた樹々だけはあかるく生気をはなち、枝々に若芽を膨らませ始めていた。
深所へといたる番人のように、ひとりの大男が仁王立ちしていた。
左肩に肩当ての残る古革の鎧と具足。右肩は毛皮の一枚布に覆われている。筋骨隆々の丸太のような腕を組んで、もどった鍼欄を出迎えた。
「首尾はどうだ」
「亞鋼。問題、ない。逃げ出していたのを、また捕まえた」
「そうか、着々と進んでいるな。で?」
続きの問いが理解できず、鍼欄は小首を傾げた。
「遭ったんだろう? 奴に。お前のことだから誘いくらいはかけた筈だな」
「······断られたよ」
だろうな、とその大男は鼻で吹かした。
「やはり奴は障壁にしかなり得ないのだ。排除するしかない」
「おいおい。物騒だなっ、仲間じゃないかっ」
もうひとり。開け放たれたままの扉に背をもたげていた細身の将が軽快に声をたてる。
頭には毛氈帽。やはり、要所に乳白色の毛飾りをつけた革鎧を着込んだ、青年の外見をしている。
「──巫帛? うるさい」
「こっちもつれないっ」
「······でも。私もそう思う」
にべもない亜鋼の言に抵抗して、鍼欄は、薄弱な己にしては精一杯の主張をした。結局小声になってしまったが。
「仲間ではない」
亜鋼とよばれた大男は、断固として言い放った。
「奴とて判っている筈だろう、あの方の望みは。それに従わぬというのなら、それはもはや敵なのだ」
ふぅ、と鍼欄は溜め息をつく。相変わらず白黒でしかものを考えられない奴だ、と思う。
しかし、言っていることの筋は通っている。
「そう、だね。残念ながら君は正しい」
すべては我らが首魁のため。その道が、我らの望みと繋がる限り。
♢
一夜が明けた。
桃霞とひっついて眠りこけていた盈秋は、寒さで身震いして目を覚ました。やむを得ず借りた、いまは主のいない屋敷のお陰で、凍えることは何とか避けられた。
彼女がもそもそと動いたことで目を覚ました桃霞におはようを言うと、盈秋は室内に李鷹の姿をさがしたが、彼はいなかった。
扉をあけ、中庭へとでる。
やはり李鷹は去ってしまったと思ったが、彼は昨夜約束したように、まだそこにいた。
どうやらひと晩中見張りをしてくれていたようだった。まだ寒い大気を、それでも愛しむように、うんと腕を伸ばしてほっと息をついている。
「やあ」
かるい挨拶に盈秋も返し、隣へきてまだ白雲の夜具のむこうから光を投げかける太陽を見上げた。
「······昨夜、きき忘れていたことがあったわ」
真っ直ぐに空をみたまま、盈秋はいった。李鷹は無言で言葉を待っている。
「あなたはどうしたいの? って、訊かなきゃだった」
意外なことを訊かれた、と言いたげな貌をされた。
「どうしたい、か······」
李鷹はまぶしそうに目をほそめて呟く。
「······そうだね。とりあえず、私はあの幻影たちを追いかけてみるか。本来の場所へと還してやらなけりゃならないだろうから」
そうしなければならないと思う。厭うても、それが切っても切れない腐れ縁なのだから、とつぶやいた。
「······やりたいことがあるのは、大事なことだと思う」
盈秋は李鷹の顔をみあげて笑んだ。李鷹も笑む。
「彼女らも、あなたみたいにやりたい事があるなら、きっと······」
そうであって欲しい。惨劇はもうこりごりだもの。
「──彼女らがなにを望むのか、そんなことは私にも解らない。だが、そう上手くはいかないだろう。残念だけど」
李鷹は憂いとも怒りともつかない、それでいて鋭い眼差しを、はるか万里の彼方へとなげている。
予想はしていた。やはりこのまま、というのは通らないのだ。
「······それは?」
「とり戻したい、とそう願うかもしれない。私が憶えている通りの彼女らなら。あの輝かしい、碧陽門の日々を」
喪ったものをとり戻す──
願いは、やはり修羅へと通じる道になってしまうのだろうか。
奥の方から、二度寝していたらしい桃霞の、自分を呼ぶ声がした。




