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四 碧陽城郭の五穢①


 土を踏む。

 足裏に感じる熱は、無惨にも燃え崩れる家々のものではなかろうか。

 視界内、動くものは皆無である。みな等しく沈黙に伏し、路地、はたまた崩れた壁の隅に転がっている。


「······ふむ」


 冷徹にその様を見渡して、李鷹はわずかに思案してみせた。






「これでよし······」


 老盤商店につづいて、蔡家へも言伝を託した遣いをはなち、桃霞はひとまず安堵の息をついた。これで盈秋の母も、すこしは安心してくれるとよいのだが。

 昼日中だというのに空の曇天が陰を落とし、あたりは暗い。鳥獣の声も聞かれず、不気味な静けさだけがある。

 崩れた屋敷の軒先へ盈秋とふたり、身を寄せた。宿りとするには落ち着ける場所とはいえないが、それでもほかと比べれば遥かにましだ。


「大丈夫? 盈秋(えいしゅう)


 縁石にうつむきこんでいる彼女の顔を、心配そうに覗きこむ。大丈夫、とあげられた顔はしかし、まだ青ざめていた。

 無理もない。いきなりあんな光景を見せられては······。

 桃霞にしてもその様を──戦禍の惨状など、この娘には見せたくなかった。出来れば一生だ。


「······う、ん」


 心配をかけたくない、悟られたくないと盈秋は気丈に笑むが、血の気が引いているのが自分でもわかる。せっかくさっき食べた飯も無駄にしてしまった······。

 でも変だ。この辺りで戦をやっているという噂なぞ、ついぞ聞いたことがない。

 というか、赤壁の大戦からこのかた、少なくとも自分のしる範囲では、戦は鳴りを潜めていた筈なのだ。

 そりゃあ、最前線では小競り合いくらいはあるかも知れない。しかしここは漢朝領土の内奥。考えられないことだった。


「まさか羌族や匈奴人······?」


 あり得る事態といえばそんなところか。だが、それにしては何というか······やり方が徹底し過ぎている。女や童までに容赦なし、というのはさすがにだろう。


「それか、アイツらかも」


 桃霞の冷やかな声音にハッとみる。

 ──あの影の連中。いや、もっといえば李鷹がこれをやった······?


「──とにかく早く追いつかなきゃ」


 盈秋は腰をあげた。


「このへんに降りたのは、間違いないんだよね?」


「そう」


と桃霞はうなずく。


「けど······追ってどうする、盈秋。危険が増すだけ。この犯人が奴自身であったとしても、無かったとしても。アイツがこの件に関係していることは、たぶん間違いない」


 それは、そうなるだろう。そこは盈秋もうなずくより他になかった。

 けれど。でも、じゃあ、なぜあの時彼は私たちを助けてくれた? それが彼のホンの気紛れであったとしても、理由が知りたかった。


「問い(ただ)す。もしかすると私たちが遺跡に立ち入っちゃったから、起こったことかも知れないの」


 青ざめた顔をみせながらも強固に譲らない盈秋に、桃霞はふう、と息を吐きだした。


「分かった。付き合うよ」





 奴を追うということは、惨状を呈した場を抜けるということだ。四方どちらを向いても、亡骸を無視することはできなかった。いったい此処でなにがあったというのだろう。戦? 掠奪? どちらにしても尋常じゃない。

 盈秋は口許を袖で抑えながら、なんとか桃霞の後につづいた。


「そんなにはっきりと判るものなの?」


 こんな、死に包まれたような場で、ただ特定の気配(におい)を嗅ぎあてる。それは、(けが)れにみずから頭を突っ込むようなものではないのか。鼻の良いからこそ、桃霞にだって辛いだろうに。


「平気。私は慣れてる」


 不安にさせないよう、多少虚勢をはって返す。

 こんな場面は珍しくなかった。そう、昔は。

 それに奴には、なんというか独特の気配がする。どこかこの世のものではないような、なにかを超越したような気配が。

 仙格であることは間違いない。すくなくとも見てくれは、天仙界で顔を合わせる仙人たちともそう違うという印象は受けない。

 ではなにが違う、と問われても、そこは困るところなのだが。



 ぴたり、と桃霞の足がとまり、盈秋もそれと知った。


「······話し声がする」


 追いついたのだろうか。そこからは慎重になり、なるべく足音を忍ばせて向かう。

 家屋の角から奥を覗きこむ。そのむこうは広小路となっており、ほかよりはやや道幅がある。


 だが、どうやら当ては外れたようだ。


 そこには、男が座りこんで、独りぶつぶつと呟いていた。李鷹ではない。姿形が違う。

 頭には巾(頭巾)をかぶり、まるめた、どちらかというと華奢な背にはおった上衣の裾が地面についている。煙や煤が舞うなかで、その衣はあまりに汚れが目立たない。

 騒ぎを察知して心配になり、助けによった、というところだろうか。


「······あの〜」


 盈秋は意を決して声をかけた。

 背後からの声に、男は慌てて立ちあがる。

 ん? いま、彼の足元に誰か倒れているように見えたのは気のせいか。だがもういちど見直してみるも、なにも転がっている訳でもなかった。

 男が離れてもそれは変わらない。気のせいだったか。


「あ、これはっ、どうも······」


 目をこすっている盈秋に、その男は慌てていった。 


「その。良かったです、生きてる人に会えて······」


 印象としては、どうということはない顔だった。

 優男ではあるだろう。だが(きん)の端からのぞく髪は黒く、瞳の色もごく普通。にへら、と繊細さを感じさせる唇で笑む。

 なぜだかこの場にはそぐわない表情だ、とは思った。


「こっちこそ、です。あの······それで。此処でなにがあったのでしょう。知りませんか?」


「はぁ、それは、まあ······」


 男は曖昧にいって、頬をかいた。


「私が、来たときにはこの有り様で。申し訳ない」


「いえ、私たちも同じですから」



 三人は心細さも手伝って、しぜんと歩みをおなじくした。


「あなたはその、この里の人ですか?」


「いえ、私は。ただ騒ぎを聞きつけただけ、の他所者です」


そうですか、と盈秋はうなずく。


「そちらこそ、その」


「いえ、私たちも。私たちは人を追っています。もしかすると、その人がなにか知ってるかもしれなくて」


「······ええ、それは危ないのじゃないですか?」


 どこか線の細い感のある青年は、すこし慌てたように足を止める。


「大丈夫です。そのときは姐様が守ってくれますから」


 童女の言に、青年は桃霞へと目をむけた。

 おっかなびっくり、どこか疑るような、探るような目つきだ。当然の反応である。どうみても童女のふたり連れにしか見えないのだから。


「······そうですか。では安心ですね」


 やはり裏腹に、安堵したようにはみえない。けれどそう言ったのは、きっと信頼しあう姉妹の絆を傷つけないように、との配慮からだろう。



「しずかに······いた」


 桃霞の指摘に息を呑み、彼女にならって心持ち身を低くする。

 煙が雲を呼んだか、曇天模様の増してきた空の下。土埃が吹きすさぶ向こうに、あの男、李鷹の背がみえた。

 だが、いたのは彼ひとりではなかった。

 誰かと向かい合っている。具足に身を固めていることから、どこぞの兵のようだ。何事か、彼に向かって(わめ)いていた。


「!!」


 不意にその身体が崩れ落ちる。

 とっさに李鷹がなにかしたか、と思った。

 いや違う、前のめりに倒れこんだ男の背後に人の影がみえる。(おぼろ)にその輪郭が滲んでいるようにみえた。


「やっぱり······! あの影の連中······っ!」


 のこった者達が得物をふりあげて威嚇するが、効果はない。逆にまたふたり打ち倒され、悲鳴をあげて逃げ散っていく。

 そうして李鷹だけがのこされ、すこし前に消し飛ばした、あの影ども数人とむかい合って立つことなった。

 にも関わらず。彼がまったく構えていないからか。

 それは一見して、立ち話でもしているかのようにすら見えた。


 砂利を踏む音に、横にしゃがんだ青年があわてて止める。


「なにをする気ですか? アイツはまずい。あきらかに危険な、奴じゃないですか」


「でも」


「······いいですか、これでも、私は貴女よりは年長です。そりゃ、頼りないかも知れないけど。それでも、こんな時こそ、歳上の言う事はきくものです。あれは危険、なんです」


いやにきっぱりとした物言いに、盈秋は踏みとどまった。

 視線をそらしたつぎの瞬間。李鷹の袖が一閃し、影どもの首がつぎつぎと宙を舞って落ちた。



「ほうらっ! 見ましたか!? 首っ、首を()ねましたよ、今っ!!」


「どいてッ、盈秋ッ!」

「姐様っ!? 駄目ッ!」



 盈秋の制止もきかず、桃霞は一瞬で黒戦袍へと身を変化させ、跳びだしていた。


『やい李鷹っ!今度こそ話をきかせてもらうッ!』


 大地を踏んまえ毛を逆立てる桃霞のようすに、こちらを向いた李鷹は、わずか驚いたようだった。

 だがチラとこちらに目を走らせると、


「なるほど」


と、ちいさく唇が呟くのを盈秋はみた。

 彼はかるく息をつき、悪びれもせず腰に手を当てていった。


「それで? なにを訊きたいのかな、お嬢さん。あまり私に話せることはないと思うが」


『そのお嬢さんというのを止めろ!』


「······わかったよ、桃霞殿。で、なんだい?」


『お前はいったい何だ! さっきの影の連中はなんだ!いま、お前はアイツらの首を刎ねたな! もしも······ッ!』


「人だったなら。そう言いたいのかな?······首を刎ねたことは否定しないよ。ならどうするのだい?」


『貴様ッ!!』


 噴然と爪を振るい桃霞が踊りかかった。

 李鷹は身軽にこれを避ける。あとはもう、怒濤の打ち合いとなった。


 あきらかに常人ではないと予想はしたが、華奢(きゃしゃ)なみてくれに似合わず、李鷹は意外なほどに腕がたった。

 剛の桃霞に対して、柔の拳。それで力自慢のあの姐と充分に張り合っている。

 ふたりは空気を震わせ、濛々と戦塵を巻きあげて暴れた。


 (やはり。彼は人じゃない、仙なんだ······!)


 (それは違いない。けど、だからといってこれはない。私の爪と互角に打ち合って、傷もつかないなんて。この手応え、あの影とおなじ!)


「ふッッ!!」


 気合い一声。誘い込むようにして撃たれた反撃の掌底に負け、桃霞がおおきく後退ったのを機に、李鷹は息をついて腰をあげた。

 彼女の背後にむかって呼びかける。



「──さて。もういいだろう、鍼欄(しんらん)



 一瞬、誰のことだ、と盈秋は左右をみる。

 誰もいる訳がない。見知った者をよぶ口調は、あきらかにこの場には相応しくないはずだった。



「······久しぶり、だね。李鷹」



 横にいた青年が答えた。いつの間にか立ちあがっていた。


「ああ、お久しぶり······相変わらず反吐(ヘド)がでるな、君は」


「そんなことないよ。君は、とっても、危険だからね。私はこの娘らを、心配、してあげたんだ」


「過ぎるんだ。君の心配とやらは、いつも」


 回転が追いつかなかった。なぜこのふたりはこうも平然と話しているの? これではまるで、前から見知り合いだったかのようで······



「盈秋ッッ!!」



 するどい叫びをあげて桃霞が反転する。

 叩きつけられた爪先を、その青年は難なく躱してみせた。黒い爪が被っていた巾にひっかかり、裂けて落ちる。


 盈秋は、あっと息を呑んだ。


 骨······白々とした、なにか獣の頭蓋をかたどったような、骨の飾り。

 これが青年の頭から生えているかのように、桃霞の爪から彼を守った。



「っ······危ない危ない。危険だね、その爪は」


 桃霞は盈秋をかばい背後に隠しながら、双方に睨みをつける。



『なんだ──なんなんだ、お前たちはッッ!』 



 状況は予断を許さない。これでは挟まれてしまったも同じだった。

 李鷹は、すぐには動く気配はみせなかった。


「どうする、鍼欄。言葉が破れてしまった以上、君にとっていまは、とっても(・・・・)危険な状況だろう?」


 鍼欄(しんらん)。そう呼ばれた青年は、繊細そうな眉を(しか)める。


「そうだね。君と、現在(いま)の仙人。ふたりが相手じゃとっても危険だ。だから私は退くよ。

 ······わるく思わない?」


「止めないさ。何処へなりと行くがいい」


「······ふん、意地悪、だね」


 ふわり、と袍の裾を揺らし、青年は影に透けるようにして消えていった。

 ふっ、と桃霞が息を継ぐのがわかる。だがまだ終わりじゃない。危機は去ったとは言い難い。


「姐様······?」


そっと戦袍の裾をひかれた。盈秋がなだめるように言った。


「盈秋······」


「まずは話そう?」


 やさしい声音に、張り詰めた神経もわずかに余裕をとり戻せた。身構えをとく桃霞にもういちどうなずきかけると、盈秋はたち上がる。李鷹にむけて呼びかけた。


「私たちはあなたを追いかけてきたの」


「······ほう。それで?」


「訊かせてもらいたい。あなたの。貴方たちのこと」



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