三 義姉妹と、李鷹③
すいません。
このまま桃霞を犠牲にするか、本気で悩んでました。
「寄るな! でないと容赦しないッ!」
前面にでた桃霞が唸り、威嚇する。
だがその、人の形をしたなにかの群れは、怯むどころか、ユラユラと不気味な揺れを見せつけるかのように歩を速めてくる。
間が詰まるにつれ、それらがざんばらの髪をふり乱し、手に手に棒や剣をもった人間だということが判った。
「っ······人ッ?」
『ウガルッッ!!』
警句は発した。
黒衣へと変じた虎が声をあげると同時、桃霞はいちばん接近していた影にむけて飛びかかる。だが。
『!?』
放たれた流麗な蹴りは、影に触れるかという瞬間、急激に勢いを失った。
ぬるりとした感覚。やわらかい、だがとてつもない厚みをもった何かの流れが、山野をものともせずに駆け巡る彼女の足蹴を、完膚なきまでに殺しきってしまった。
『く』
異様な肌触りに、桃霞はあわてて跳び退る。
コイツら──やはり異質だ、躊躇している場合じゃない!
即断した彼女は、いっきに最終手段へとでる。
『ウガァァーッッ!!』
力加減も遠慮もかなぐり捨て、拳と一体化させた黒虎の爪先を叩きつける。
だがまたしても。
その巨岩をも砕くだろう一撃は急速に速度を殺され、影の本体に届くことはなく制止されてしまった。
『ウッ?······ヌゥゥウウウッッ!!』
一撃で駄目なら何撃でも!
滅多矢鱈と斬撃を繰りだすも、必殺の一撃でさえ駄目だったのだ。手数頼みの攻撃が通るはずもない。
「危ないッ、姐様ッ!!」
背後の盈秋が叫んだことで気づき、バッと体を逸らせる。お陰で袍の先を、影どものもつ得物の切っ先がわずか掠めただけに留まった。
伝わってくるのは微かな、されど確かな手応えだ。桃霞は背筋の冷える思いに身を強張らせる。コイツらは実在する、ただの影じゃない!
だとするならば最悪の状況だった。こちらの抑止力は相手に届かず、無数いる相手のそれはゆうに此方を傷つけることが適う。
「盈秋ッ!!」
逡巡の必要はない。桃霞が叫ぶ。応じて伸ばした盈秋の腕をとると、迷うことなく宙空へ翔けあがった。しかし──
「ウガッ!?」
すぐにブヨンとした餅のような感触に押し留められる。
あの不気味な、カビ臭い感触。無理に突っ切ろうとしても阻まれ、つよく抗えば抗うほど、反発する力も強くなる。
意地になって突っ切ろうとして、とうとうはね返されてしまった。
『く······!?』
「姐様ッ!!」
「······無駄だよ。君達にはなにも出来やしない」
どこか面白がるような微笑を浮かべて、李鷹はふたりを仰いでいう。
『ッ! これは貴様がやっていることだなッ!!』
「まさか」
激昂する桃霞に、彼は両の袖を広げてみせた。
「私もおなじく囚われ人さ。困ったものだね」
『ウヌゥッ!!』
キリキリッと弦をひき絞る音。ハッとみれば、弓矢をもった者がこちらに向けて狙いを定めているではないか。
慌てて場をずらした桃霞の脇を、矢が事も無げにすり抜け消えていく。桃霞におぶわれていた盈秋は、その事実に目を見開いた。
(矢が!)
翔んでいては却って危険だ。幾本かの矢を躱すうち、桃霞はやむなく、地上に戻らざるを得ないと判断した。
観察するかぎりにおいて、影どもの反応じたいは単純だ。完全に手が届かないとなれば弓矢で、そうでなければ手に持った得物を振り回す。
影同士はたがいを傷つける動きはみせず、地上にいる限りは──すくなとも射線をとれぬかぎりは矢を放ってくることはない。
だが宙空にも逃げられぬとなれば、より窮地にたつことになる。ジワジワと囲まれ、追い詰められていくだけだ。
「······さてさて困ったねえ。どうするか」
あくまでも鷹揚なかまえをくずさない男に、桃霞はいらだって叫ぶ。
『貴様もすこしは足掻いてみせろ!』
「言われてもね。私は身体にくる作業はどうも苦手で。無益となれば尚のこと」
「弓矢······ならこっちだって······っ!」
こうなれば自棄っぱちだ。
盈秋は、とっさに崩れた石壁の隅に散った石塊を拾いあげると、目前に迫っていた奴にえいやっ、とばかり投げつける。
と。
──!──
「っ!効いた!?」
驚いたことに、非力な彼女の投げつけた石は、影の周囲にあるみえない膜を容易にすり抜け、本体へと届いたではないか。
影の表情は歪み、あきらかに苦痛を訴えている。
「ホゥ?」
李鷹が表情をひき締めるのを尻目に、盈秋はすぐさま傍にあるありったけの石を拾いあげる。
そうと判れば!
「えいっ! やっ! このッ!」
こうみえて石投げ遊びならお手の物。兄様達とよくこうして遊んだんだ。的に当てる腕はこれで自信がある。
「っ! っ! っ······!」
だがやはり、それは抵抗としてあまりにも微力だった。
つぶては確かに命中するし、効果もある。
しかしそれは、押し迫る嵐に向かって投石しているようなもので、影なる幽鬼どもを始末するまでには至らないのだ。一時動きを止めることは叶っても、影はまた必ず立ちがってくる。
「盈秋ッ!」
彼女の目前まで迫っていた影が、手に持った刃を振り上げる。たまらず桃霞が踊り込み、両者の間に割って入る。
『ッ······ヌガァァァアアアッッ!!』
振り抜くつもりで叩きつけた爪は、忌々しくもまたも押し留められる。薄ら暗い流れは、じわじわと彼女の身を侵食し、陰によって蝕んでいく。
──それでもッ!
強引に力ずくで押し込み、先程よりもわずか深く食い込ませる。
『ガアッ!!』
たがいの反発を利用し、ついに影を吹き飛ばした。
「盈秋っ······下がる!」
「でも······でもッ、姐様ぁッ!」
盈秋は半狂乱になって叫んだ。
触れる桃霞の身体から、どんどん熱が失われていくのが判る。
動きが、鼓動が、瞼の瞬きさえも、緩慢に沈んでいく。
「······大、丈夫。何を、しても、盈秋は私が、家へ無事、帰、す······っ!」
「姐様っ!? 姐様ァァァーーーーッッ!!」
背後を壁に阻まれ、ジリジリと首まで影の圧迫を受けながらも。それでも桃霞は、盈秋をかばい続けていた。
「··················」
その様子をしずかにみつめていた李鷹の顔つきが、ふいに緩んだ。こんな絶体絶命の状況であるにもかかわらず。微かな笑みさえ口許に咲く。
トン、とふたりの背後にそびえる壁に跳びあがった。
『っ······! お前ッ!?』
「──悪かったね、お嬢さん方」
李鷹は押し迫る醜悪な圧迫を悠然と見下ろす。白麗なその面がわずか、歪んだように感じられる。
吹きすさぶ風に金の髪を踊らせ、彼はおだやかな声音で詫びた。
「無用に怖がらせてしまった。
ただ······見てみたかったんだ、少しだけね。『今の人』というものを」
「なに? どういう···」
「任せ給え、ということさ」
ふわり、と青年の身体が、風に舞うように宙へと昇っていく。
「お家へは私が帰してあげよう」
バサリ、と李鷹の背中でなにかが弾けた。
あれは──? そう、翼、翼だ。
大鷲のように力強い、そして美しい光を散らす翼だと、一瞬そう見えた。
だがそれは、うすい四枚の、翡翠色をした板。彼の右背中を中心に、不揃いな四枚の板がずらりと片翼の形をとって並んでいるのだ。
束の間、灰の雲を割って陽が射した。そうとさえ感じた。
まるで降りしきる雪のように。
光の──黄金色をした光の粒が天より降り注いでいた。
ふたりは目を奪われ、不覚にも絶地にあるの忘れて、その美しい妙なる様に魅入ってしまった。
『──還リ、流レル、虚ロヨ。枷を解キ、あルべき流レへ送りタもう』
おもむろに印を結び、李鷹が左腕をたかく突きあげる。
と。今の今まで降りしきっていた光の粒が突如動きを止めた。
それも刹那。
一転の逆流。物凄い勢いで天へと駆け上っていく。
──!?!?!?──
まるで地吹雪が天へと駆け昇っていくか如くの潮流の逆行だ。
目も眩む光に面をあげていられず、盈秋はたまらず目を瞑った。
どれくらい経ったろう。瞼のむこうにちらつく陰がようやくなくなった。
盈秋はそっと目を開けた。
あたりは相変わらずの曇天。周囲には何もいない。すぐ傍にまで迫っていたあの幽鬼どもの影も。
「······誰も、いない······??」
ぽつりと呟いた。
「······まだっ」
より添ったまましゃがみ込んでいた桃霞が、自由をとり戻して空を仰ぎ、注意をうながす。
盈秋が見上げると、曇天のなかにひとつの影があった。
あの男。李鷹となのった青年だ。
背にあった片翼まがいの石板は光となって散ったが、彼は依然として宙空に留まっている。見間違いでなけば、李鷹はこちらを見下ろしてわずか笑んだようだった。
だがもう声をかけてくることはなく、くるりとこちらに背をむけ去っていく。
「······」
盈秋はわずかの間逡巡したが、ぐっと桃霞の衣をつかんで懇願した。
「お願い姐様っ、彼を追って!」
「はっ?」
慮外の提案に、桃霞はまん丸な目をおおきく見開く。
「なに言ってる! これ以上盈秋を危険にさらせない! あの男は危険っ!」
「わかってる! でも」
だって······もしかしたら············
自身も混乱の表情をはりつけた彼女の脳裏によぎったもの。
それはあの、地面に刺さっていた骨の剣。
そして、罪の意識だった。
もし、だ。あれが理由あってあの場に埋もれていたのだとしたら?
それを自分がうっかり足にひっ掛けてしまったのだとしたら?
そのせいで、つい先刻も桃霞姐様を失うところだった。
それを思うと、盈秋は居ても立ってもいられなかったのだ。
「お願い! 後を追うだけでいいの! 行方を確かめたらちゃんと帰るから! あとは盤様と姐様にまかせるからっ!」
普段にちがい、いやに食い下がってくる。
桃霞は妹分の真意を測りかねて、まじまじとみつめた。が、
『う〜っ!』
やおら立ちあがり、上衣を脱ぎすて黒虎へと瞬時に姿を変える。
「本当に後をつけるだけ! 危なくなったらすぐ引き返す!」
「うんっ!」
盈秋が跳び乗ると、桃霞ははずみをつけて宙へと跳びあがった。そのままぐんぐんと空を駆け上っていく。
こうして奇怪な追いかけっこが始まったのだった。
ありがとうございました。
以降は不定期更新となります。三国志要素も徐々に入ってくる予定であります。
※盈秋、桃霞は拙作「月琴伝」にも登場しております。
【妖三国志】でシリーズにまとめ済みなので、ふたりが組んで活躍する「月琴別伝」も、お気がむかれましたなら。




