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九 思惑

ほぼ、主要人物全員の視点が入っています。

つまり、あっちこっちします。


「やっ! はっ!」


 (くつわ)と手綱のみで、裸馬を華麗に操ってみせる。

 盈秋が周回してくるたびに、兵らはやんやと喝采した。


 あの前哨戦以来、しずかな日々が続いていた。

 両軍はながくにらみ合ったまま動かず、たまに関西軍が挑発へでることはあっても、曹軍は陣を固くして出てくることはなかった。そのために(ほこ)を直接交えることなく済んでいる。

 むろん、これは後にくる大嵐の前、一刻の静寂に過ぎない。


 曹軍はあきらかに丞相・曹操直々の出陣を待っていた。

 また奇妙なことにも思われるが、これは関西陣営からしても同じであった。

 真の勝利は、この戦場へ曹操本人をひっ張りだすことが大前提。馬超・韓遂らからしても、それが出来てはじめて活路を得ると理解していた。


 潼関の関城が、踏み込めるぎりぎりの境界だった。

 これ以上の侵攻を単独でする意思は、現状、関西軍にはない。

 彼らからしてみれば、今回の戦は、脅かされた我が領土を護るためのものだ。

 なにも曹操や李傕がしたように、帝を窮状から救いだして奉じよう、などと大志を抱いているわけではない。

 もしこれ以上を求めるならば、おなじく狙われる立場の張魯、もしくは揚州方面で合肥を巡って競りあいを続けている孫権、あるいは劉備らの動きを待ってしかなかったろう。


 だが、張魯はこの機に益州を我が物にしようと狙っていたし、劉備も荊州南部へ居座ったまま、不気味な静観を決めこんでいる。

 かつて董卓の時にあったような、


【天下国家と皇帝陛下のために姦物を除く】


というような合意は、やはりそこにはない。

 悲しいかな、各々目線はべつの方向をむいているのだった。

 だからこそ、最前線であるここ潼関でも、こうして息を抜く余裕もあった。



 まだ娘っ子である盈秋がこうも巧みに馬を操る様は、戰場の兵らにとっていい慰みとなっていた。

 みなが涼州ゆかりの者で、馬には通じている。なかには郷里に残してきた我が子の影を、馬上の彼女に重ねるものもあったろう。


 龐徳とともに陣内の様子をみて回っていた馬超が、たまたまそこを通りかかった。


「おいこら、やめぬか!」


 見咎めた龐徳が騒いでいた兵らを叱りつける。

 これを聞いて、盈秋も急いで馬の背から降りた。


「これは······! 主公っ、申し訳ございません!」


 さすが。馬超の登場にあっては、座り込んでいた兵士らも弾かれたように直立となった。


「大事な馬をなんとする! 余興のために小娘を乗せるなど!」


 眉をつり上げる龐徳に、縮みあがった兵らは、それでも言い訳を試みた。


「しかし······しかし、将軍。この娘はそんなんじゃないんで。けして馬を害するような腕じゃありません。そりゃもう、見事なもんでさ」


「そういう問題ではないわ!」


 まあ待て、と馬超は龐徳をなだめた。


「先程見たが、たしかに童にしては悪くなかった。俺たちも幼き頃は、ああして馬と戯れたものだな」


「それは······はぁ」


 主人の意思を測りかね、龐徳は曖昧にうなずく。  

 馬超は龐徳へ笑いかけると、盈秋のひいた馬へと歩みよって、穏やかにその鼻面を撫でてやる。


「なかなかいい腕だな、童よ。······何と言ったか」


「蔡盈秋でございます」


 盈秋は袖を併せてぺこりとお辞儀をした。


「そうだった、盈秋よ。誰に馬を習った」


「これといって誰に、ということは。兄弟たちと遊ぶうち、自然に覚えました」


「ほう、それは······うん? お前たちは頴川(えいせん)の生まれといわなかったか」


「はい、今は。けれど以前は──その、茲氏(しし)におりました」


 わずかに馬超と龐徳の表情が陰るのをみた。

 べつに隠す気はなかった。とはいえ、思わず正直に応えてしまったのは早急だったろうか。せっかくあの時李鷹が利かせてくれた機転を無駄にしてしまった。

 盈秋はすこし後ろめたさを感じた。

 それでもやはり、嘘はつきたくなかった。とくにこの人の前では。


「······そうか、ではお前は匈奴の」


「はい。出自は匈奴(きょうど)です。母は漢人です」


 そうか、とまたうなずく。

 嫌われてしまったか、と思ったが、どうやらそうではなかったらしい。むけられた馬超の瞳には、彼女を嫌悪したり蔑んだりするような光はみえない。


「······なるほどな。お前もまた、馬と駆ける民の血をひいているというわけか」


 馬超はふっ、と笑ってみせた。


「気詰まりばかりではいざと言うとき役に立たん。だが程々にしておけよ?」


 兵らに言い残して、また巡察へと出かけた。

 すこしだけ。鼓動が早くなっていた、と盈秋は気付いた。






「あでっ」


 ふり向いた直後、油断していた桃霞の額を、紙の鳥が直撃した。

 先日送ったばかりの遣いだ。

 距離を考えれば、ほとんど折り返しのような凄まじい速度で送り返されたに違いなかった。

 まったくこの様子では、いざという連絡の時に、と大量に渡しておいた術符を、ここぞとばかりに切り続けているらしい。

 額をさすりながら開いてみる。


『娘は無事なのか。とにかく一度、娘自身に一筆書かせてよこしなさい』


との文字が認めてあった。

 流麗洒脱なれど、はしる行間からは、そろそろ記し手の怒気が臨界を迎えていることを感じさせた。

 ホラ見たことか、さすがにもう限界だ。今度こそは本人に筆を執らせなければ。

 盈秋に泣きつくため、桃霞はその姿を探して陣内を歩きだした。






 兵舎の裏でなにやらコソコソやっているのを見つけ、訝しんで近づいてきた馬岱の気配に、李鷹は手に持っていたものを巧みに袖中へとしまった。

 共にいた兵らがそそくさと離れていくのを見送りながら、馬岱は目をしかと李傕に据えて訊ねた。


「おい、何をしていた」


 振り返った男の(かお)には、じつに爽やかな笑みが貼りつけてあった。


「もちろん、商いにございますよ? 私は商人ですので」


 フン、と馬岱は鼻で吹く。白々しいうえに当てこすっている。


「まだ言うか。だいたいお前たちはいつまで陣に居座る気だ。商いなら他所でやれ」


「まあまあ、そう仰らずに。将軍も如何ですか? 肉、酒、肴など、ちょっとした物ならすぐにご用意できます」


「いらん、間に合っている」


 虚からでた実というか。李鷹はこの所、本当に商売に勤しみはじめていた。

 盈秋から、玉が当代でも珍重されていると聞きこんだ彼は、みずからの力で何処からか玉を探り当ててき、それを安値で売り払って元手を作った。

 以来、どう考えても資本よりも薄利な品を仕入れては、関西陣のなかで売り回っていた。

 稼ぎの方はさっぱりで、どういい繕ったところで道楽程度だが、本人は楽しんでやっていた。

 馬岱はこの怪しげな男を一瞥すると、溜め息をつき、関に向かって歩きだす。

 なんのつもりか、李鷹も後をついてくる。


「思いの外、ながい対陣となりましたね」


「そうでもない。戦ならばこんなことはザラだ」


 そう答えはしたが、焦らされている、という思いはあった。せめて諸将の足並みが揃っていれば、すこしは違ったのだろうが。


 関西十氏軍は、いってみれば烏合の衆である。

 領土に直接影響のある馬超ら涼・(よう)勢はともかく、より中原にちかい左馮翊(さひょうよく)・弘農などの処郡には、叛乱にあって背けば死、という瀬戸際にたたされたためにやむなく呼応した、という者らも少なくはなかろう。ひとたび風が傾けば、自然になびくが如く頭の向きを変えることもある。


 そもそもが、この手の決起には勢いが大切だ。

 だから諸将は、とりあえず出られるだけの戦力を至急かき集めて前線へと馳せ参じている。

 総兵力十万余、と号してはいても、実態はまだまだそれを満たしているとは言い難い。じき、整い次第到着はするだろうが、いまは待ちの状態を如何ともし難くあった。


 こうして再考してみれば、自分たちは潼関を獲った、というよりは、穫れてしまった、と感じることがある。

 勢いのままに直進していれば、あるいはもっと曹操の喉元に迫れたのではないか、と。

 それが潼関を思いの外易々と穫れてしまった。

 なにかひとつ、ここまで出来れば、という実感が諸将の心にストンと落ちた。

 これを敵の側からみれば、いわば落とし所、ということになりはしまいか。さながら、碁における捨て石のような。

 なにせ相手は奇形百出ともて囃された老獪なる曹操。どれ程疑っても足りるということはないだろう。そこは、主将たる馬超もおなじ考えだった。

 もっとも、勢いそのままに──なぞといっても、現実はそう上手くはいかない。

 河東にはかの名将・曹仁がいる。先程の、諸将の事情もある。

 悩ましい所だった。


「······主将はどのようにお考えなのでしょうね」


 後ろからの声は、あくまで呑気さを装っていた。

 馬岱はふり返って、いま一度、まじまじと胡散臭いこの男をみた。

 まるでこちらの心中を見透かすような男だ。これが本当に敵の間者でないとなぜ断言できる?

 とはいえ孟起兄者は構うなと言っている以上、目をつけておく以外やれることはない。


「貴様はいちいち癇に障るな。いくら童とて、姪をこのような所へ連れ回すのは好くあるまい。さっさと去れ」


 捨て台詞のようにいって、また歩きだす。と、今度はすこしばかり真実味を増した声音が後を追って届いた。


「そうも参りません。馬孟起という方に大変興味がありますのでね。もちろん、貴方にもね······」






 関上の(やぐら)にあがると、見張りにたった部将のひとりが慌てて辞儀をとった。

 馬超はこれを労いつつ、はるか東の方へと目をうつす。

 空は黄砂で霞み、あまり見通しが良いとはいえない。あの向こうに敵の防衛線がある。

 静かだった。

 ここが戦場であることを忘れてしまいそうなほどだ。戦旗の強風にはためく音だけが現を伝えている。


 少しだけ、遠くまで来た、と思った。

 なんの、もっと以前には、はるばる平陽──南匈奴領内──までいって戦ったこともある。遥か(ぎょう)都にいる親兄弟を思えば、自身の庭から一歩でたに過ぎぬのだろうが、それでもそう思えた。

 あの日。父・馬騰(ばとう)張既(ちょうき)説得(けいりゃく)によって渋々ながら曹操の下へ入朝したときも、自分は涼州に留まった。

 入朝する際の条件として、曹操が求めたのは、


部曲(ぶきょく)を解散させること』


だった。

 これまで祖父の代から積み上げてきたものを、すべて手放せ。そういう事だろうと思った。

 だから父は、みずからが弟達と鄴へと赴くかわりに、配下の将兵すべてを自分に託していった。

 領土を、民を、家臣たちを継いだ。

 これは責だ、と思う。同時に付託だ、とも。

 重いと思うことはなかった。むしろ誇らしい。


 祖父は鎮守とは名ばかりの労苦を強いられ、極貧のなかを(きょう)族とともに駆けた。父は羌族であった祖母との間に生まれ落ちた子だ。

 つまり、この俺にも、そして一族である馬岱にも、流浪の民たる羌の血が流れている。

 父は李傕、袁尚など、都度、中央に(そむ)く者らと組んできた。そうすることで領土を保ってきた。

 だが時流やむなく、曹操に降り、鄴へと行った。

 それもやはり、領土を護るための選択だ。その意思を恥だとは、やはり思ってはいない。


 決起してすぐ、報せがきた。

 父、そして弟達も殺された、と。

 この戦が始まった時に。俺が叛くと決めた時に。


 これは仇討ちの戦である、と皆には言う。

 だがそもこの決起がなければ、父らも死ぬことはなかったろう。


 そうだ、見捨てたのだ、この俺は。愛する父を、弟達を。


 託された意味を、ものを考え続けた結果がこれだった。

 悔いがないとはいえない。

 もっと利口な方法があったろう。間違ってしまったのではないか、と己に問うこともある。

 だがそれでも。

 もう進むしかない。


 突如、なにもかも投げ捨てて、敵陣へ突撃したい衝動に駆られた。

 とてつもなく激しい衝動。だが必死に抑え込む。

 自重しなくてはならない。いまや自分は、自家のみの頭首ではない。志を一にする多くの人々を巻き込んでしまった責があるのだ。


「弓をもて」


 差し出された弓矢をもち、関壁へとたつ。

 まっすぐ曹陣の方角を睨み、満々と弓弦をひき絞った。

 ブンと弾けば、弓はあっという間に霞に融けて見えなくなった。






 地面へと、毛綱にずらりと連なった骨針を垂らす。

 この綱は特別性で、一党である布帛(ふはく)から(むし)った毛で出来ている。

 悪いな、と思うことはない。当人も当然と考え、ケロリとしているのだから。

 鍼欄(しんらん)は目を閉じ、口中ではブツブツと、小言のような、愚痴のような言霊を紡ぐ。

 まっすぐに地面へと伸びた太針は、抵抗なくずぶずふと沈んでいく。

 ピタリ、と動きが止まったのを機に、鍼欄は(まぶた)をあげ、一度ぐいと力を入れ引いてみる。

 手応えに満足してニヤリと笑み、引きあげる。

 ゆっくり、ゆっくりと。毛綱と太骨針が、ふたたび地上へ姿を現していく。

 上がってきたものは、それだけではなかった。

 各針にひとつずつ、青黒い影を思わせる大球が、返しもついていない筈のまっすぐな針先についている。

 まるで雫でも払うかのように手荒に放り投げると、塊はドチャドチャと釣り上げられた。

 そこから、人の形をなした何かが、続々と這い出ててくる。


「だいぶ還されちゃったみたいだねェ」


 両掌を頭の後ろに組み、くねくねと腰に無駄な動きを見せながら布帛がいった。


 あの日。李鷹渾身の術で、たしかに影鬼らをしたたかに失った。けれど、けして見返りがなかった訳ではない。

 鍼欄自身は気配を殺し、その様を見届けていた。


 李鷹。君はやはり無茶を、していた、ね。その理由は、何?


 頭の中でそう語りかけるが、夢想のなかでさえ、李鷹は頑なに冷やかだ。


 よっぽどのことを、するなんて······関西軍のなかに、誰かお気に入りでも出来たのかい、李鷹。


「んン? 鍼欄?」


 問われて意識を戻す。


「······問題、ない。許容できる範囲。足りなければ、新しく作れば(・・・)いいし。あと布帛、動きがキモい」


 酷いなぁ、とは言いつつも、布帛は構ってもらって嬉しそうにいう。

 これを無視して、鍼欄は段上から睥睨(へいげい)する亜鋼(あこう)へと視線をあげる。


「兵の仕度はじき、出来る。出立も、逐次、する。進めていい?」


 ああ、と大男は肯いた。


「口惜しいが、まだ俺は動けない。お前達に託す」


「──ならっ。今回は俺がいくよっ」


 ぐうっ、と布帛は全身を伸ばす動きをみせて宣言する。


「鍼欄は兵を貸してくれるだけでいい。君は策通り、まず曹洪、ってのと話をつけておいでよ。正体は羌族ってことで通るでしょ?」


「······わかった、やっとく」


 布帛は袖中から術符をとりだし、これを口に含む。

 モチャモチャと噛み砕いてブーッとひと息やれば、たちどころに真っ白な雲が沸いた。これに跳び乗ると、スゥッと上昇して行く。


「さぁて、と。我らが盟主がお目覚(めざ)の前に、チャッチャと整えておきますかねェ、と」



 彼等の巣食う破れ屋敷の寝所。

 仕切った数枚の薄絹が風でそよいだか、微かに揺れた。


 その奥、寝台の上に。

 寝かされた白い手がちらと覗いた。



部曲···従属関係をもった家来集団。家臣。


一部誤りを修正いたしました。

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