二四 落耀③
突如顕れた護り神の御姿に、人々は最初、呆けたようにこれを見つめていた。が、我をとり戻すと同時、おそれ慄き続々と頭をさげた。
王は面を伏せたまま目を白黒させ、視界の端で群衆のなかに頼るべき姿を求める。
「······これ······っ! 衙彝······! ······衙彝よっ······! はよう······ッ!」
召命におうじてひとりの男が立ちあがり、中腰のまま、人の間をぬって壇下まで速やかにいたり平伏する。
たとえ天の意を民につたえる任にある王といえど、巫を従えずしてじかに護り神と言葉を交わすのは憚られる。下手に機嫌を損ねてはたまらない。
王の言葉をうけた衙彝はうなずくと、李鷹のまえで再度平伏して言上した。
「おそれ多くも、かしこき御神様へ乞い願いまする。なにゆえのご不快か、その御心をなにとぞお示し頂きたく······」
「言葉どおりの意味である」
李鷹はあえて、威厳を崩さずに告げる。
「我は贄など望んでおらぬ。即刻この儀を中止とし、以降ふたたび行なうこと罷りならぬ」
「······は、しかし······」
衙彝は一瞬言葉に詰まったが、それでも決意して、あえて言葉にした。
「天主のお怒りを鎮め、この地にふたたび実りをお授け頂かんために、我らが捧げられるものは、最早これにしかなく······すべては御神様のご加護へとお縋りしたきがために······!」
「黙れ! それこそが悪しき習わし、心得違いというものである! 汝らのしたことは、碧陽の未来を閉ざすものでありこそすれ、拓くことには決してなりはせぬ! 即刻中止とせよ! これは天命である!!」
《そうすげなくすることもあるまい、李鷹よ······》
その時だ。またも曇天のもとに「聲」が響き渡ったのは。
静かで穏やかであるにも関わらず。
まるで降りしきる黄金の陽射しのごとく、誰の耳にもはっきりと聞こえる聲。この威容に、民はただ畏れ入るばかりである。
「──夏煥鐸!」
彼は天を仰ぎ、久方ぶりにその名を口にする。
こたえるように天の一角から降りてきたのは、これぞ李鷹と双璧をなす青銅の神女にして、祈器の化身たる夏煥鐸。
その左右に控えるは、防人と挑戦をつかさどる鉄の化身、亜鋼。
さらに交流と文明をつかさどる骨針の化身、鍼欄。
そして糧と労働をつかさどる牧羊の化身、布帛の三神である。
一時に碧陽を守護する五宝五神の顕現という未曾有の事態に、王は口から肝がとび出さん思いであったが、忙しない息遣いの下から、またも群衆にむけて手招く。
これに応じて、それぞれの護り神を補佐する巫の男女が進み出、祭壇の前へとそろって平伏した。
李鷹は、久しぶりに目にするその麗人の姿を見上げて問うた。
「それはどういう意味だ、夏煥鐸。······鍼欄、布帛、亜鋼、お前達も。どうしたというのだ」
「彼らは私の意に賛同してくれた」
夏煥鐸は、怜悧な視線をながい睫毛のしたに隠していう。
「さきの質問への答えだが······それはあまりに慈悲なき言いようではないかと、そう思うからだ。この儀は、我らを頼む民がその全霊を現したものであるのだ。 むしろ汲みとることこそ、五宝の務めではないか」
「なんだと?」李鷹は眉を顰めて夏煥鐸に正対した。
「こんな血塗れた祀りを甘んじて受けよ、見逃せとお前はいうのか。正気とは思えん」
「だが現に、こうして君は出てきた。我らもね。この景観じたいが格別の効果というものではないのかな、李鷹よ」
李鷹の面が哀しく歪む。
「······いったいどうしたというんだ、夏煥鐸よ。お前は本当に俺の知っているお前なのか? 誰よりも慈しみ深かったお前は、そんなことをいう奴ではけしてなかった」
夏煥鐸の眼差しにも、ふ、と寂しげな陰が滲んだ。
「······私も問おう、李鷹。君こそいつまで目を背け続けるのだ。······憶えてはいないのか、昔私がいった言葉を。──変わらなければならない。いまがその時なのだよ」
「話にならん」
李鷹は吐き捨てた。
「どうやら俺は夢でも見ているらしいな。それともお前が、なのかな。夏煥鐸よ?」
「──そうであったらどうすると言うのだ?」
いつの間にか、傍らに亜鋼の姿があったことに、李鷹がすこし虚をつかれのは免れない。
「亜鋼? お前······」
なぜ、という言葉はつづかなかった。
突如腹のあたりを激痛が襲った。亜鋼が持っていた剣の柄尻で鳩尾を打ったのだ。
わけもわからす呼気を乱している所へ、鍼欄の綱針がとぶ。絡めとられたと察した時には、その首元へ布帛の構えた大刀の切っ先をあてられていた。
喩えようもない微笑を浮かべ、夏煥鐸がゆっくりと右袖をあげる。
その指ししめす一点。
ただ天をさしてたつ指の先で。空をあつく覆っていた雲が···割れた。
「──みよ。いまがその時だ」
人々は息をするのも忘れ、そして護り神の御姿を直視する非礼も忘れて、その荘厳なる絶景に魅入った。
陽が······太陽が欠けていく!!
「──おのれッ、夏煥鐸ッッッ!!!」
すべてを覚った李鷹が吠える。
突如仙気を解き放つと、鍼欄の綱を鋭い碧翼で断ちきり、布帛の構えた大刀を鷲掴んで砕きわる。
亜鋼が武器を構えなおすより疾くこれを山の彼方へと蹴り飛ばし、猛然と夏煥鐸に迫った。
この暴挙に、ガッと夏煥鐸の秀麗な眼がひらかれる。
烈光が世を白一色に染め、一気に李鷹を呑みこんだ。
それだけで事は足りた。
「······残念だ······残念だよ、李鷹」
「······ッ、夏煥······鐸ゥッッッ············!」
夏煥鐸は悠然と空を受けとめんが如くに、両腕を一杯にひろげて宣言する。
「ここに霊鷹は地に堕ちた! 我が愛しき碧陽の民達よ!志を叶え、存分に天へと祈るが良い! さすればいま一度──否、幾度でも天の恵みは降り注がん!!」
なんたる力だ。いつの間にこんな······
圧倒的な威をうけて地に叩きつけられた李鷹は、ただ朦朧と物思うことしか出来なかった。
身体のあちこちが失せてしまったかのようだ。致命的な亀裂が全身を蝕み、身動きひとつままならない。
聴覚が、自身に迫る足音を感じとった。
夏煥鐸ら四宝の巫らのものであった。
「······貴様、ら······?」
「──ご無礼いたします!」
言うが早いか、全員でもって躍りかかった。ある者があろうことか李鷹の背を土足で踏んまえると、ひどく痛めた左の玉翼をつかむ。
夏煥鐸の巫が、ゆっくりと手にした鎚を振りかぶった。
いよいよ仮初めの夜と化した野に、硬い物同士が激しくぶつかる音と、苦痛をしめす叫びだけが響いて、そして、ついに──
「ぐおぉああああぁぁぁ──────ッッッ!!!」
呆気ないほど鈍い音とともに、翠の片翼は折れ砕けた。
(意識が遠ざかる。自我が······心が境界にむかって埋没していく······)
淡い光と散って、李鷹としての姿は消え失せた。
枯れ草のうえにはただひとつ。
神業ともいえる見事な腕で、精緻に滑らかに彫り抜かれた玉飾りだけ。
巫のひとりが複雑な表情でこれを拾いあげようとした、その時。
雄叫びをあげて猛然と踊りこんできた者がある。
李鷹の巫、衙彝だ。
有無をいわさず玉飾りを奪いとると、まわりの者を突き倒して、そのまま暗がりの中を何処へかと消えていった。
護り神・李鷹は地へと堕ちた。
夏煥鐸の言葉どおり、ふたたび太陽が姿をみせたことで、人々は一層彼女を信じた。そして、これに逆らった李鷹をはげしく恨んだ。
その日のうちに彼の祭殿は打ち崩され、彼の姿を慕って模られた祈具、陶器の数々も叩き割られて、あの葬りの城壁の下へと投げ捨てられた。
いまやこの城郭に、彼の名を讃えるものは誰もいなかった。
ただひとりを除いては。
夜。
夏煥鐸のみせた仮初めの夜ではなく、真の夜。
みなが寝静まったなかをただの独り、忍んで行くものがある。
その者は音を殺して大門まで至ると、その壁をしずかに掘りはじめた。
幾度も幾度も剣でもって抉り、ついに嵌めてあった石を崩すと、剥き出しになった土壁をまたさらに掘った。
そうしてこしらえた穴蔵の中へ、麻布につつんだあの玉飾りと、そしてもうひとつ。おなじく麻に包んだ玉器を脇へと添えおき、そっと合掌する。
「もういけません。そう遠くないうちに、我が一族もこの地を追われるでしょう。不肖、この衙彝は、貴方様に全霊でお仕えしました。そして永久に貴方様にお仕えし、御名をお護りいたします。
ここに供えましたものは、一族に最後に遺されし玉鉞でございます。どうかこの鉞が、貴方様の怒りを、嘆きをやわらげませんことを······」
無念も悔しさもこみ上げてくる。それでも、いつまでも祈ってはいられない。
夜番の目を恐れ、携えてきた粘土でふたつを穴のなかへと塗りこめると、また元と同じようにして石を嵌めこんで直した。
こうして、最後の務めをはたした彼とその一族は、碧陽を去っていったのだった。
五宝のうちの一角が欠けたことで、碧陽の護りは失われた。それはなにも厳密な意味において、物質的になにかが失われた、というだけの話ではない。
人々の心を支えていた柱が一本、ポッキリと折れてしまったのだ。影響は、けして軽んじられるものではなかった。
ただ哀しいかな。のこされた城郭に、それに思い至った者が何人いたことだろう。
天の忘却はいよいよ酷く、恵みは枯れ、民心は乱れ荒み、諦めと怒りが蔓延した。
厳密な意味において、この瞬間碧陽は滅びたのだ。
お読みくださり、ありがとうございました。
玉鉞···玉でできた平べったい板状の飾り。鉞と
は斧の意味、だそうです。
一部微修正いたしました。




