二三 落耀②
李鷹を祀る祭殿は屋根をもたない。
なにせ殿の主人が霊鷹である。大空を父とし、大樹を母とする存在。
ゆえにあえて柱だけで屋根は設けられず、好きな時に翔びたてるように、といつもあけすけに天がみえていた。
集いのできる円座の間をぬけると、正面にただ一本、おおきく太い立派な石柱が据わっている。それをおって見上げていくと、晴々とした、あるいは星々がひしめく天がみえる、という具合だ。
ある夕のこと。
李鷹はおのが殿の宿り柱の天辺にて、刻々と変わりゆく空を眺め過ごしていた。
ひえた風が、わずかのこった陽日の名残りをのこらず攫っていく。
とっくりと夜も更けた頃。
しずかにしずかに昇ってきた満ちかけの月が、山を、谷を、銀の光で照らした。
美しい。
太陽のように厳しく勇ましく、闇のすべてを暴き出してしまわぬところが月の良さだ。が、いまだけは。心にわだかまり続けた夜霧をはらす太陽の方こそが必要であるのかもしれない。
李鷹はずっと、いつか鍼欄が漏らした言葉を考えていた。
いやまさか、そんな筈はない。城郭の繁栄とは民がいてこそ。民が増えること。すなわちそれが繁栄しているということではないか。それを捧げる? まったくの倒錯だ。
鍼欄はこうもいっていた。人も増えた、と。
それは我らが碧陽が正当な道をあるいてきたが故であり、喜ばしいことだろうに······
答えのでない問いに迷い、李鷹はひとり風に吹かれていた。と。
「────」
ピン、と脳裏に響くものがあった。
自身の領域に誰かが──人が踏みいった証だ。
民は折々に窮すると、頼みとする護り神の祭殿へと出向き、託宣を乞うことはよくあった。
はて、かような時分になんの願いか。
元来、その取次ぎは巫によって管理される。しかしこの者はいま時分、彼らが明確に不在であるのをはかってやって来た。ということは、誰にも──護り神意外の誰にも知られたくない願いがあるということか?
とりあえず良かろう。この夜間、危険な山道をつたってまでの願いとあらば、こちらも身を入れて聴かねばなるまい。
夜闇のなか、それでもはばかるようにして祭殿に入ってきた男は、屋根のない祭殿の石床に跪く。
李鷹がそっと柱上から覗うと、男は馬と駆ける民の衣を着ていた。居住を許されたという一族のものに違いない。
男は跪くと、天に向かって礼拝し、霊鷹・李鷹の宿るという太柱を仰ぎみて、感情をどうにか抑えつけたという風な声を発した。
「護り神様。なにとぞ──何卒っ。どうかなにとぞっ······! 我が息子が生贄になることだけはお目溢し下さいっ······どうか······っっ!!」
「!!」
慄然とした。
生贄······生贄とは、あの生贄なのか? やはり密に行われていたのか? 鍼欄に聞かされた話は真実だったのか!?
ざわつく心情を必死に抑え、李鷹は男の声に耳を傾けつづけた。その間にも頭のなかでは疑念が渦を巻く。
我らだけが預かり知らぬ事だった? いや、そんな筈はない!なおそれがいけ好かぬのは、その事実が市井の民によって届いたことだ。
衙彝は──神官たちは何をしていたのだ。
なぜ、誰も報せてはくれなかったのだ。
「············」
やがて男の訴えは終わったとみえ、しずかに面を伏せている。
すぐにでも問い返したい所を、李鷹はぐっと黙ってこらえた。決まり事で、余程のことでない限り、護り神から民への直の接触はならぬ──間違いのもとであるから──ということになっているからだ。
ただできるのは、その切なる願いを聞いたことの証を届けることだけ······
李鷹は、いま自分が腰をおろす祭殿の石柱に下げられた古鐘を、風によって静かに鳴らしてやった。それが訴えを天が聴いたという証だ。
男はおもわずあげた、安堵と畏れによって強張らせた顔を、へへーっという声とともに石床へとふたたび擦りつけ、あとはもう急きたてられるように祭殿を忍びでていった。
呆然と見送る。それしか李鷹に出来ることはなかった。
「どういうことだ! 生贄が用いられていると聞いたぞ!それも······それも!!」
はじめは勢いこんだ声も、半分ほどで尻すぼみとなる。つづきは悍ましくて、とてものことに言葉にすることなぞ出来なかった。
日が昇り、毎朝の世話に登ってきた衙彝へと李鷹がまずやったことは、この疑問をぶつけることだった。
珍しく怒りをあらわにする護り神にも、衙彝は慌てる風をみせなかった。じっと傾聴する姿勢で身を正し、李鷹がはたせず息を吐くまでをまった。
「······誰が貴方にそのようなことを。そんな筈ある訳がありません。そのような愚かな······蛮族めいた真似、われら碧陽の民がするはずがないではありませぬか」
はっきりとした否定の言葉。口調もけして強くはない。
だがあの男の訴えを聴いたいまでは、あまりに平板に過ぎるようにも感じられた。
彼が時としてみせる、薄い氷一枚を隔てているかのような笑顔。それは今のいままで、信頼のおけるものであった。その筈だった。
「······そうか。そう、だな。しかし············」
素直にはうなずけないことに、李鷹は落胆と、わずかな苛立ちを覚えていた。
まず初めに耳に挟んでくれた者が一介の民であったなら、李鷹も衙彝の弁を容易に信じたろう。
だがそれを届けてくれたのは、他ならぬ鍼欄なのだ。そして、昨夜の参拝者という実証。彼女やあの男が欺きをいう筈などそれこそなく、またその理由などあろう筈もない。
それでも。これ以上を踏みこんで訊くことは躊躇われた。
いや、怖かった。
李鷹は恐れたのだ。自分たちをこんなにも慕ってくれている民が、笑顔の裏でそんなマネをしているのでは、と疑うことを。この忠実なる衙彝が、伏せた頭の下で、欺きの貌を浮かべているのではないかという想像そのものを。
けっきょく李鷹にできたことは、消極的な解決にすがることだった。
すなわち、みずからの目で調べる事だ。
真夜中。すべての人が眠りについた頃。
民らが食した羊の骨やら器の欠片などを葬る場所となっている、ふるい城郭の、とある丘の下に、松明をもった李鷹の姿があった。
供物となったものを埋めるとすれば、ここより他には思いつかない。
ここになければ。そう思う気持ちはなおも強くある。ざっとみてとる限り、嫌な気はたっていないことが救いに思えた。
李鷹は木鍬をもって土を掘り返しはじめた。今宵も雲は薄く、星月夜がうすい夜光をたもって、松明が必要でないほどだ。しばらくは暗がりに、ただ土を掘る音だけがしずかに聞こえていた。
しかし、ああ。
嘆息とともに、李鷹は鍬を手放した。
石などとは明らかに違う手応えが、鍬の先を止めていた。地面に刺してあった松明を持ちあげ、祈るような気持ちで炎をかざして──みたのだ。
どうにもならない憤怒と落胆をおし殺すように、李鷹は身体を震わせ、身を縮めた。
「······う······ああ······ぁ············っ······!」
慟哭が喉をつく。
掘り返された土の下には、夥しい数の丸味をおびたものが積まれていた。
石などではない。かといって、わざわざ形を揃えたにしてはあまりにも似通ってみえる、それらの塊──
··················まさか、こんな············
話は真実のものだった。
襲われた衝撃に、李鷹はたち眩みすらおぼえて、廃れた城壁に手をついた。堰を切ったように、悍ましい考えが溢れでる。
まさか·····まさか新たに民を受け容れたのは、このためではあるまいか······?
よくも今まで隠し仰してくれたものだ。いかに城郭の営みを守るためとはいえ。
愚かだ。まったく愚かだ。こんな手段が何になるというのか。自分は求めていないし、他の四人とてもそれは同じだろう。
そも護り神とは、そこに生き、想いを捧げてくれる民があってこその存在なのだ。それでこその権能であり、存在意義なのだ。
それが、もしも永きにわたり犠牲を焚べられようものなら、もはや護り神とすらいえぬ、まったくべつの何かに変容してしまうことだとて······
ゆえにこの犠牲によって、民の得られる恩恵に何がしかの差が生まれる事なぞありはしないのだ。そう、絶対に。残酷なまでに。
こうまで極まった民の窮状、苦難はたしかに察してあまりある。かくいう自分にも、実りや糧にかんしてなにか権能を備えている訳でもない。
おのが役目は、この天翔ける翼をもって地の祈りを天へと仲介することのみ。今にして己の無力が恨めしくも思う。
だがこれは。
「これは──駄目だ」
止めさせねば。ハッキリと判るように!
もっとも天に開けるがゆえに祀りに使われる神聖なる護り神の庭先も、一見すると山頂にあるただの草原に過ぎない。
城郭でいちばんの高台にひらけた原野に祭壇が組まれ、大祭ということもあって、病人以外のほぼすべての民が集っていた。
「······ねえ、あの人はどうなるの?」
群衆にまじって、父とともに地に跪くごく幼い童が素直に問う。父は我が子を苦渋の面持ちでみると、たどたどしく、ただこうとだけ告げた。
「あの人は······これから天へと昇るのだ。そうして護り神様に、我らの苦しい想いを伝えてくれるのだ。我々が腹を空かせて倒れないように······」
「······」
幼子は、父の悲壮な、それでいて決然とした貌になにやら厳しいものを感じて、無言のままうなだれる。
いや、この場にいる誰もが、それは正当な行為だと疑わない。そう信じていた。
「すまん······すまんな······っ!」
なき涙にくれてうずくまる父に対し、栄えある御役をさずかった若者は、達観とも諦めともつかぬ顔で、その両手をとる。
「泣かないで下さい、父上。私は護り神様の下へお仕えしに行くのですから······。かならず、かならず護り神様に、我が一族と碧陽の平穏をお願いして参りますから······」
ひき立てられるように、悲壮なその青年はたち上がると、好むと好まざるとによらず、みすからがさだめた祭壇という名の墓所へと連れだされていく。
「──おい、あれっ······!」
誰かが空を見上げ、声をたてた。これに従った人々が口々に喚いた。
さもあろう。いままさに、生贄の屠られる広場の上空へ、忽然として一羽の大鷹が現れたのだ。
鷹は曇天の空を背に悠々と円を描きながら、地上の様子を見守っているようにみえた。
「これぞ吉兆なり! 神へと贄を奉じよ!!」
王が高らかに宣言し、供物壇のしたへ控える青年の前に、青銅の宝剣を手にした神官が進みでる。
そうして今しもその剣を、哀れな者の胸に突き立てんとした、その刹那。
「!!!」
突如轟音とともに風が凄まじい勢いで巻き起こり、人々がおもわずあっとなって顔を伏せた。
直後、剣が音を響かせて折れ飛んだ。
あッ、とか、ヒエッ、とか、その場にいた者が慄くなか、切っ先を掴んだ鷹は空へ舞いあがると、握りこんでいたそれを放す。刃はわずかに煌めき煌めきしながら、ふかい谷底へと消えていった。
「······どうして?? なぜに霊鷹がこのような事を······?」
『ならば教えよう』
突如、山野に聞いたこともない声が響きわたった。霹靂のごとく天から降るかのような声に、民は思わず震えてまた顔を伏せる。
ドサリ、と音がした。
おそるおそる面をあげる。祭壇のうえにこれを踏んまえるようにしてひとりの男が立っていた。
不可思議な、鋳たての青銅をおもわせる長髪に、褐色の丈長の衣を風にはためかせた男。これまでに誰も目にしたことのない男だった。
李鷹は高らかに声をあげていった。
「我はかような儀は好かぬ!!」
明日も更新の予定であります。




