二二 落耀①
なんとか続けられそうです。ふぅ···(ちょっと安堵)
※今回から三部は李鷹の回想となります。
はよ決戦いけや、て感じなのですけど、すいません。
それは、現実をより遡る、何千年も前の話──
蒼天のもと、さやさやと峻山の斜面一帯に金の裾が翻る。すべからく粟の穂で、高地のあちこちでわずか切り拓かれた土地に育まれたものが、黄土の天原をわたる風によって撫でられているのだった。
その光景がなんとはなしに好きだ。
形を得ていらい、李鷹はよくそうして、粟の風に吹かれている様を眺めたものだった。
「またここにいた」
じっとして座りこんでいると、きまって背後から、からかうような笑み混じりの声がかかる。
仰ぎみる。面白そうなものを見る目でこちらをみつめる視線とかち合った。
時節にしては柔らかな風をうける、夏煥鐸の美麗な姿がそこにある。
ながい衣をなびかせ、大地と呼吸をともにする。彼女をみるたびに、李鷹はいつも谷をわたる風を感じるのだ。
「夏煥鐸······」
「よく飽きないね」
「······飽きないさ」
李鷹は答えて、また視線を眼下の風景へと戻した。
「このために人々は飢えることがない。これは······偉大な業の結晶だ。そうは思わないか」
いささか飾りのすぎた賛辞にか、夏煥鐸は認めるかわりに肩をすくめた。また風が吹き抜け、彼女の裳裾を揺らして過ぎる。
夏煥鐸はそっとのぞき見るように、清々しい薄青におおわれた天を仰いだ。
「相変わらずだね、君は。私がこんなに憂いているのいうのに······感じないのかい? 空の気はすこしずつ変わりはじめている」
「空?」誘われて李鷹も天を仰いだ。
「いや。空······というか大気だね。わずかに冷え、乾いてきていると私は感じるのだが」
「············」
それはここ最近──仙人にとってという意味のであるけれど──李鷹も感じていたことだ。
少しずつ。なにかが動いていた。
十年、あるいは五十年か。人がそれと察せられぬ程にゆっくと。
痩せた土地でもこうして作物をえるまでに保たれていた大気の暖かみが、潤いが、失せつつあるのは彼も感じてはいた。
「さ」
夏煥鐸は柔和に笑むと手を差し伸べてくる。
李鷹はすなおにその手をとってたち上がった。ふたりはともに肩を並べ、山道を歩きだす。
「揺らがないものなんてない。だから仕方ないことなのだけど、自然は残酷だ。これが変われば生命も変化を余儀なくされる。それはわれらの碧陽とても、おなじなのだろう······」
彼女の言葉の底にひそむのは、城郭の未来への憂慮だったろう。
いや、間違いなくその筈だった。
ただ、それにしては奇妙に涼しげな声音が、いやに李鷹の耳の奥にひっかかって残った。
夏煥鐸の予見をなぞるように、大気は時とともに移り変わり、粟の畑もいつしか豆の畑へと変わっていった。
ふき抜ける群青に、透ける翡翠の翼が踊る。
晴天のもと広げられた市は活況を呈し、はるか上空にいても、その賑わいは手にとるように分かる。
やわらかく風を受けとめるでもない、およそ空を翔けるにはあるまじき硬さをもつその翼は、それでも悠然と、地に点となす影を落とし、幾度も幾度も、輪を描いて旋回した。
もしもこれに気づいた者があったとしても、まったく物好きな鷹が賑につられてやってきたのだろう、としか思わなかったろう。あるいは、市の盛況なるを祝いでいると思っただろうか。
碧陽の民にとっての瑞鳥。
天と地の間をつなぐ護り神。
人々は笑みをうかべて手をあわせ、その影を仰いだことだろう。
おおきなおおきな輪を描いて悠々と空を舞っていたその大鷹は、やがて翔ぶのにも飽いたのか、人知れぬうちに、山の陰に吸いこまれるようにして消えた。
地に降りたつと、日を透かし濡れたように光る両翼を軋ませ地に伏せる。
そうして二本の脚でたちあがった時には、たしかに大鷹であったものの姿は消え失せ、ひときわ目を惹く美麗な青年の姿があった。
李鷹はひとつ満足の息をつくと、上機嫌に鼻唄なんぞ歌いながら、道ともいえぬ山道をさらに登る、めったに人もよらぬ場所へと足を向けた。
そこには石造りの祭殿が建っている。
碧陽の五宝たる彼を祀るために城郭の民が建ててくれたもので、形をもって以来、永の間ずっと彼の拠り所だった。
「あっ、やっとお帰りになられた······!」
石門をくぐった途端、慨嘆とも安堵ともつかぬものの滲んだ声が横合いから飛んできた。
「やあ、衙彝。どうした?」
「どうしたではありませんよ」
衙彝と呼ばれた青年は応える。
彼はそも護り神・李鷹をなす玉飾りを彫った名匠の末孫であり、現在は代々を巫として、彼の世話をする立場にある男だった。
「さては、また市を覗きにいっておられたのですか?」
衙彝は鋭く見抜いていう。
「仕方なかろう? お前がふらふら出歩いてはならぬと言うから自重しているというのに」
「当たり前です。市にひょっこり護り神様が顔をだしてご覧なさい。天変地異の前触れかと、みな腰を抜かしてしまいますよ。
──いえ、今はそんなことはよいのでした! 皆様お待ちかねですよ!」
「待つ? 誰が待つというのだ?」
「皆様は皆様です!お揃いでお待ちになっておられるのです。お願いですからどうかお早くなさいませ!」
もはや悲痛ともとれる声音だ。
じつは見当がついていたけれど、李鷹は考えるふりをした。
まったく彼がこうなるのも仕方あるまい。李鷹を待つ、ということをする者らなどほかにあるはずもなかった。
「はて······なにかあるとの話は聞いていないが。何だというのだろうな?」
「私に解るはずがございません!」
泣き出しそうな声に押されるようにして、李鷹は祭殿の中へと入った。
語らいの場に設えられた座には、衙彝の報告どおり、全員が勢揃いで彼を待ちかまえていた。
碧陽を守護する五宝の柱。鍼欄、布帛、亜鋼。そして······夏煥鐸。
「遅い」
亜鋼がむっつりと短気にいう。
「まあ、いいじゃないか。報せをやらなかった此方も悪い」
夏煥鐸がとりなすように言った。
李鷹が座につくと、さっそく夏煥鐸が本題にはいった。
「今日は皆にはかりたいことがあってね。じつは、『馬と駆ける民』を城郭にうけ容れる入れるべきか? という託宣を持ちかけられて、すこし弱っている。皆の意見を参考にしたく思ってね」
これまで碧陽の民は代々この地を守り、血を守ってきた。
交易での交流こそあってこそすれ、他の民を一族としてうけ容れたことはなかった。
むろん、個人としては密やかに行われていたかも知れない。が、今回の件ではそれなりの人数をまるごとうけ容れるべきか、という話だ。
数日前、ながく交流のあった馬と駆ける民の一族から打診があったという。彼らが内紛で追いだされて城郭に身を寄せていたことは、李鷹も聞いて知っていた。
「話にならん。『馬と駆ける民』を容れるなど!」
案の定、強硬な亜鋼がまっさきに反対を主張した。
「でもさぁ。彼らのお陰で、この寒冷化をのり切る智慧を得られた訳じゃん? 俺も個人的には、彼らのお陰でこうしてココにいられるわけだし」
これに布帛がゆるりと抗弁をぶった。
その言はただしい。彼らが牧羊の知識を授けたからこそ、いっときは枯れゆくばかりだった碧陽も盛りを維持できている。布帛はその恩恵を誰よりも身に感じているはずだ。
「そんな物······何代も前の手柄にすがりおって。そもそもそれはお前の都合ではないか」
まあまあ、と猛る亜鋼を、夏煥鐸の柔和な声がなだめた。
「ただ『馬と駆ける民』だからって······ひと括りには出来ないよね。······でしょ? 夏煥鐸」
羊が増えれば、それを喰ろうた後の骨も増える。骨が増えれば、これを元とした骨細工も増え、いまや碧陽にとって欠かせぬ交易品となっている。
布帛とおなじく、かれらから恩恵をうける鍼欄が、おずおずと布帛の肩を持った。
「······そうだね。彼らにも様々な色があるし、共存できる人たちも必ずいるはずだよ」
「フン! 謀られていたと知れてからでは遅いのですぞ!」
つい、と夏煥鐸の澄んだ瞳がこちらに向けられた。
発言をうながされていることを覚って、李鷹もおもむろに口を開く。
「亜鋼よ。そりゃあ、これまで彼らの侵犯とずっと相対してきた君の目からみれば、危うい事のように見えるのかもしれないな。けれど、民がみずからそうしたいと選んだことなのだろう? もっと安楽に考えよう。彼らが共存できる、と思えたのなら支持してやるのも良いのではないか? 俺は賛成だぞ?」
どん、と亜鋼は甲冑に包まれたおのが膝を叩いた。
「知らぬからだ! 李鷹! おおくの民は奴らの狡猾さをしらん! お前もだ! わかった風なことを言っている自覚もない!」
【受け入れを歓迎する】
そんな託宣をうけた碧陽の王は、一族を追われたその者らのうけ容れを決めた。
『馬と駆ける民』が碧陽に容れられたことを知ると、これをたよって次々と縁者が身を寄せてくることになる。が、だからといって、亜鋼の危惧したような事態にはならなかった。
碧陽は彼らに安住の地を与える代わりに、彼らは馬の扱い方、よりすすんだ羊の養い方をつたえ、両の民は共存の道を順調に踏みだしていたのだ。
だが。
そんな間にも、明るい碧陽の未来へまさに影を落とすように。ゆっくりと天の気は損なわれ始めていたのだった。
「············」
風景が移ろうても、想いとはなかなか変わることが出来ないものなのか。
ひさしぶりに長く眠りについた。数十年ぶりに目を覚ました李鷹は、いつかそうしたようにぶらりと高台へたち、風に吹かれるまま、無言で眼下を眺め下ろしていた。
ここもほんの少し前までは粟畑だった気がする。だがいまは、すげ変わった豆類が痩せた房を揺らしている。
「また見てるの?」
いつかのように背後より声がかかった。
だが夏煥鐸の柔らかな声ではない。やや息の細く高い声が、別人であることを告げている。
「鍼欄、か。いやなに······ずいぶん粟が減ったと思ってね」
鍼欄は彼の横までくると、倣うように寂しげな景色を見下ろした。
「······人も増えたよ。それなのにすこしずつ寒くなって、もう充分に嵩が賄えない。仕方のないことよ」
粟作をやめる。つまりは糊口をしのぐための、農作から牧羊への転換。豆の作付けを増やすのは羊や牛の餌にするためであり、すなわち食いつないでいくための人々の工夫だった。
たがら言っても詮無きことだ。我が身独りの我儘にすぎないということは解っている。
「馬と駆ける民を見倣ってのことだろう? それは善いことだと私も思っているさ」
でも、と続ける李鷹の顔には、わずかな憂いが見てとれる。
「何故だろうな。それでもまだ、少しずつ。いろんな物が変わり続けている。とめどなく。まるで山道を転がる岩のように。みずから止まる術を知らぬままに流されていく······そんな憂いが消えてくれないんだ」
これで正しいのだと、そう思えれば。この薄ら寒い不安や揺らぎは止まるものではないのか。
変わっていくように感じているのは、なにも城郭周辺をつつむ大らかな意味での「気」の話だけではない。人々がよりあって紡ぎだす、「気」もまた同様だ。
「······心配?」
鍼欄が口癖のようになった言葉を口にする。
「ああ、そう。心配だね······」
おのが祀られる祭殿までの山道を歩きながら、李鷹はひとつ、ぽつりと朋輩に問うた。
「じつは、もうひとつ心配事がある」
「何?」
「最近なのだが。きみは夏煥鐸の顔を見たか······?」
「······李鷹も? じつは私も。もうずいぶん会えていないんだ」
君もか、と李鷹は足を止めて腕をくんだ。
「祭殿に籠もっているのか。何をしているんだ、アイツは」
鍼欄は憂いげにうつむいた。
「わからない。けど」
言い淀んだ。
「なんだ」
「······近頃、漏れ聞くあの方の様子が、すこしおかしいんだ」
「おかしい?」
「ああ、いや。べつに病とかそんなのではないのだけど」
おぞましいものを口にするように、鍼欄はボソリと小声をもらした。
「生贄を······ささげられているんじゃないかって」
ぞくり、と訳もしらず背を冷たいものが撫でたような気がした。
「それは······羊か何かの?」
答えはなかった。
明日も更新予定です。




