二一 影鬼語りき
これまでのあらすじ。
(いらなければ読みとばして下され)
姐分とともに碧陽の遺跡にやってきた盈秋は、そこで奇怪な影鬼の群れにおそわれた所を、仙人・李鷹によって助けられる。
彼の手助けをすると決めた盈秋は、ともに南を目指す途上で、英雄・馬超らのこもる潼関に居着くことになった。
そこで過ごすうちにも、李鷹と半目する鍼欄、布帛といった者らの攻勢にさらされる。
護衛に限界を感じた彼女の姐分・桃霞は、仲間を募るためにいちど天仙境へとかえる決断をし、盈秋を李鷹へと託す。
そんな最中。
李鷹の正統な従者であるとする羌族の少年・峨居が彼の下をおとずれ、盈秋を揺るがせる。
これに負けまいとする盈秋は、どういう訳か峨居から教わるという展開に服しながらも、剣の鍛錬にはげむのだった···
河岸で鍛錬するのは、夏に限っては都合がいい。なにしろ、こうして汗の染みた衣をすぐに洗える。
盈秋はいつもくる、浅めで人気のない岸へしゃがみこむと、脱いだ衣を河水に漬け、丁寧に洗って笊のうえにおいた。頴川にある実家よりはいくぶん蒸すが、それでも時を待たず乾くだろう。
「······ちょっと横着しちゃおう」
履物をぬぎ、ゆっくりと、うっかり足をとられて流されないように河水へはいる。下衣のまま、ゆるやかな流れに身を浸した。
つめたい、という程ではないにしろ、河の水が火照った身体の熱を汚れとともに洗い流していく。
なんとか様になってきたのではないか、と盈秋は峨居との鍛錬をふり返って思った。いまだに一方的に転がされているが、すくなくとも棒を持って動けるようにはなってきた。
ときおり小馬鹿にするような彼の表情には腹が立たないこともない。けれどこっちは格下で、教えてもらっている身だ。それを理解している盈秋は、けして焦ってはいなかった。
剣を倣うのは、いま足りていない部分を補うためのもの。
李鷹のいうように、ほんらい自分の得手は考えることにある······筈だ。すくなくとも、それは峨居にも出来ないことのようにみえた。
『あのー』
「はい? え?」
訊ねかけられ、反射的に返事を返してしまってから、盈秋はギョッとした。
そんな筈ない!
あわてて身を起こしてみると、岸に誰か立っている。
ちょうど長居めの太陽も、やっと西に傾きつつある時刻で、あたりは薄闇につつまれつつあった。
河岸にぽつねんとたつ人陰は上背もなく、みすぼらしい衣をきた痩身の男のようにみえた。
きっとちかくの農夫だろう、とそう思った。
「なんです?」
『ここから潼関とやらへはどう行けばいいのでしょう?』
男は妙な、喉にこもるくぐもったような声でそう訊ねてくる。
なによりもまず、場所が引っかかった。
盈秋は襟を抑えながら訊ねかえした。
「潼関へ? なにか御用でしょうか。いまあそこには軍兵が籠もっていて危険ですよ?」
『エエ、それは判っているんですけれども。どうしてもお会いしたい方があって······』
「······そう、ですか。ではちょっと」
いって盈秋はチャポリと水からたち上がった。
その時、気まぐれな夏風の具合でも変わったか、どういうはずみか空気が生温い塊になって顔にかかった。
鼻につく、覚えのある臭いがした。どことなく黴臭く、澱んだような臭い。
「っ!?」
反射的に後ずさった。
棒は······まずい、畳んだ衣の横。自分よりもずっと男にちかい!
──盈秋に話しかけてきたのは、なんと影鬼だったのだ!
ザリッ、と奴が一歩踏みだしてきた。
「きゃああッッ!!!」
後ろによろけて足をとられそうになるところを必死に踏ん張ったが、二歩目はもう駄目だった。派手な水音をたてて尻餅をついてしまった。
「どうした!!」
ふいにとび込んできた声にふり仰ぐ。すぐ上に峨居の驚いた顔があった。
「ぎゃあ!!」
「あれっ!?──いや違っ······そんな訳あるか!!」
謎の弁解をして無理に目を逸らした峨居が、あわててたち上がる。
「──だからどうしたっ!!」
「あれっ!! あれッ!!」
とっさに舌が回らず、定まらない指先で、異形の来訪者を必死に指ししめす。ようやく見定めた全身から陰の気を昇らせる異様に、峨居もおっと息を呑んだ。
「なんだコイツは······ひょっとして、これが李鷹様のおっしゃる影鬼という奴か!」
『あぁ、いや······すいません。どうも驚かせてしまったみたいで』
戦慄するこちらに対して、あまりにも落差のある佇まいで、影鬼は、まるで人が謝るときのように両手を組んだ。
まったく不甲斐ないことだが、いまこの場でもっとも落ち着いているのは、目の前の影鬼のようだ。
「というか······喋ってる?」
そう、喋っていた。盈秋にもわかる言葉で。しかもえらく流暢に。
「······喋るものなのか、これは」
峨居もどう判断したものか、といった変な表情でこれを捉えている。
「ううん、それはない······はず。今までは。ずっとそうだったし」
こたえる盈秋も混乱を禁じ得なかった。
これまで接触してきた影鬼たちには、会話はおろか、およそ理性の欠片のようなものも見られなかった。だから、ただ目前にあらわれた的を襲う、それだけの存在だととらえてきた。だがこの影鬼は、どうやらずいぶん違うようだ。
「〜〜〜〜っ」
思い出したように、ぶるりと震えがきた。さすがに浸かったままでは害だ。
「······いいから。まずあがれ」
ふたりに明日の方を向かせて──さきに行ってもらいたかったが峨居だけで影鬼と一対一になるのはまずかろう──河からあがった盈秋は、手早く麻の拭いであれこれ拭くと、ぎゅっと裾をねじって下衣の最後の水を切り、単衣を羽織った。
褲をはき、布帯で手早くゆわえる。
しかと棒の握りを確かめてから、やっと了承の合図をだした。
その間に、峨居はいつも携えてある荷袋から、縄のよったやつをひっぱり出す。それで影鬼の手首から腕周りをしっかり括ってしまった。
横目でちらちら見ながら、はじめはそんな事できるのかと危ぶんだが、どうも彼も『例の御守り』をもっているらしかった。
問われた峨居は、古碧玉のさがった飾り紐をちらと示してみせた。
「先祖がずっと受け継いだものだ。というか、護り神様にお仕えするんだ。これくらい当たり前だろ」
影鬼をさきに歩ませ、手綱をにぎったふたりがすこし離れて後につづく。
「ねえ」
なんとも奇妙な行進をつづけながら、盈秋は不安げな声で前をいく峨居に訊ねた。
「何だよ」
「このまま連れて帰っていいのかしら」
「そりゃ······だって捕虜だからな。文句あるなら自分でカタをつけろよ。お前だって付けてるんだろ、護り飾り。さっきみたぞ」
たしかに。出来ないことではなかった。
影鬼をとり囲んでいる青黒の瘴気。これにちょっと傷をいれてやれば、あとは止めを刺さずとも、彼は自然に刻の流れへ還っていく。
気流じたいをやればいいのだから、手持ちの棒でさえ何とかなるのはすでに学習ずみだ。ましてこの影鬼は抵抗する素振りもみせてはいないのだ。
盈秋は、首元にさげた自作の護りを弄りながらいう。
「そりゃ御守は肌見放さずつけてるけど······この状況で、おあつらえ向きねプスッ、とはいけないわ」
「なにを言ってるんだ。こんな時のために剣を倣ってるんだろ」
「そうだけど······じゃあ貴方は出来るの?」
「うぐ······」
さすがにこれには、峨居も言葉に詰まるらしかった。
「······いいんだよ、これで。自分から来たいって言ってるんだ。貴重な情報をもってるかもしれないし、勝手に始末するのはかえって不忠だ」
「······けど、李鷹は怒るとおもう」
「ふざけるな。なぜその場で消滅させてこなかった」
案の定だった。
天幕にかえってきた李鷹は、この様をみて眉を吊りあげた。問答無用で、いまにも滅さんとばかりの剣幕だ。
「お前がいながらなんて様だ、峨居」
「ははっ······!申し訳ござませんッ!」
きつい叱責に、峨居はおおげさなまでにひれ伏して詫びる。
「君も君だ、盈秋。むざむざ敵を隠れ家まで案内してくるとは······正気の沙汰とは思えん!」
いきおい勝ってすでに獲物にたいし身体を傾けている李鷹の袖に、盈秋はおもわずとりすがった。
「待って。ねえ、まってよ、李鷹。短気をおこしては損をするわ。まずは彼の話をきいてからでも遅くない。でしょう?」
「······君はいつもそれだな。
··················いいだろう。盈秋に免じて、話だけは訊いてやる。その後現世にのこれる保証はないがな」
『はい······それでも充分でございます』
影鬼は、それこそ生前の人がやるように、地面にかしこまって身をもじもじとさせた。相変わらず縄で縛られているので、ながい話にそなえて具合を確かめているようでもあった。
『まず知っていて頂きたいのは、私はけして、皆様に害を与えるものではないということです』
こういって、影鬼はとつとつと語り始めた。
『いちばんはじめに感じたのは、なぜ私はこんな所にいるのだろう、という戸惑いでした──』
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たしかに私は神殿で記録をとっていたはずだったのに、気づいた時には身も知らぬ荒野になげ出されておりました。
しばらくは物も考えられず呆気にとられておりましたが、こうしていてもどうにもなりません。やむを得ず、私はあるき出しました。
といって、何処へ行ったらよいやら。皆目検討もつきませんでした。ゆいいつ助かったのは、腹も減らず、喉も渇きを覚えることがなかったことくらいです。
途中、たまたま行きあう人々はおかしな恰好をして訳のわからぬ言葉をはなす者ばかり。意を決して話しかけてみても、まるで私のことには気づかぬようでした。
数日は彷徨ううち、同類はひき合うと申しますか、おなじような目に遭った仲間を見つけた時の私の喜びといったら······貴方がたにも到底ご想像にはなれないでしょう。私たちはそれこそ、時を忘れて語り合いました。
ふたりいたのだから、同じ境遇の仲間が、きっともっといるに違いない。我々は彼らを捜すことを決意し、予想どおり、徐々に仲間の数は増えていきました。
それでも、なにか目処が立ったということではありません。皆で角つき合わせて思案した結果、これはもう、護り神様にお縋りするより他にない、ということになりました。
幸い、私には前職の関係からか、護り神様······李鷹様。貴方様の気配が分かります。我々のあと、貴方様もお目覚めになられ、南へと向かったことは分かっておりました。
私は皆を導きつつこの地までやって来たのです。
しかし······私共がみたのは、我々の仲間を消し飛ばす、荒ぶる貴方様でございました。
ああ、いまだ護り神様はお怒りになっておられるのか······
そのお怒りに怖れ慄きつつも、ここまできては他に術はありません。そこで、神官でもあり、また、皆を導いてきた私が皆を代表して、こうして貴方様のもとへ参った次第なのです。
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影鬼がしずかに語りをおえた。それでも座はシン、と不穏な沈黙に閉ざされていた。
聴衆である三人が三人とも、なんと判断して良いのかこまるこの話を理解しようと必死だった。
しかし、やはりもっとも過敏に。そして過剰に反応を示したのは李鷹だった。
「おのれ······まだ野放しになっている奴がいるだと? 居場所を吐け、いますぐ消し飛ばしてくれる······!」
「待って! まってよ李鷹っ」
盈秋はあわてて彼を抑える。またかと李鷹は瞬時、彼女を睨んだが、ふっとこらえて息をつくと、峨居へと申しわたす。
「峨居よ。この者を伴ってしばらく座を外してくれ。くれぐれも逃がすんじゃないぞ」
「······はっ」
峨居は俺だけ外されるのか、と悔しげな様子をみせた。が、解ってはいるらしく、逆らう事なく、影鬼ともどもに天幕をでていった。
盈秋は座に胡座をかき、目を合わそうともしない李鷹へとしずかに言った。
「······どう思う? 私は······信じてもいいと思うの」
「··················」
無言をつらぬく李鷹に、盈秋は控えめに、丁寧に言葉を選ぶ。
「思い出して、李鷹。貴方の元々の目的は、あの影鬼たちをただしい時の流れへと還してあげることだった。それがいつの間にか、鍼欄たちに巻きこまれて彼らと相対するうちに、歪んでしまった······そんな風に私には思えるの」
「······しかし、奴らが危険なことには変わりない。君とて何度危ない目にあったか。忘れたか」
視線をあげた李鷹は、しかと目を据えていった。
「いまはああして従順な振りをしているが、そもそもそういう風に操られているのかも知れんのだぞ?······君は、鍼欄を知らない。彼女は──けして甘くはない」
けして甘くはない。そう口にした彼の表情は、苦々しさに満ちている。
「······李鷹」
「······。────いいだろう。そこまで言うならやつは君が面倒をみろ。なにがあっても君の責任だ」
言うがはやいか、苛々と揺すっていた胡座をとくと、サッと席をたって天幕を出ていった。
「············」
外はすっかり夜の帳が降りかけていた。
わずか日の名残りたる光明が、宵に沈まんとする天蓋を幻夢めいた薄紫に染めあげている。
宵闇のむこうから足早に傍まで寄ってきた李鷹の様子に、峨居は緊張してたち上がった。
「······縄目を解いてやれ」
「はっ? でも······」
「その気になればそんな縛め、効果はない。外してやれ」
「はい」
峨居が指示にしたがうなか、李鷹は指を影鬼へ突きつけて宣言した。
「以後、お前は盈秋が監視下におく。指示に従っておとなしくしていることだ。
だが──いいか? もしおかしな真似をしてみろ? 必ずや仲間の居場所を吐かせて、虚無の彼方へと消し飛ばしてやるからな」
コクリ、と影鬼がうなずいたのを見てとると、李鷹はまた、足早に薄闇のなかへと去っていったのだった。
ある部分で詰まっておりまして···
まだ見て下さる方がおられるなら、申し訳ないですけれども、また更新遅れますです。
ごめんなさい。
かぶってた台詞を微修正しました。




