二◯ 汝、偽りの巫子としれ②
「あ〜っ、もう何なの、あの峨居って人!」
声を荒げた盈秋は小石を蹴っとばした。
暑さにあわせて彼女の衣はとっくに単衣になっていて、そこに雑役をするものだから褲など履いて、なりはすっかり男児のようだ。
いや、それよりも問題はあの峨居だ。
ことあるごとに何かとはり合っては、こちらの先回りばかりしてくる。
馬所ではすっかり馴染みとなっていて、世話や馴らしを率先してこなす。賄い方の手伝いにしてもそうだ。
それがまた口惜しいことに、どれも自分より一枚上手なのだ。
相手が歳上だから仕方ないといえばそれまでだが、その他種々の用事などもソツなくこなすし、すっかり彼女のでる幕が奪われてしまっている。
「なにをそう怒ることがある? 楽になって良かったじゃないか」
盈秋がこうも感情を、それも他人への悪感情を露わにすることは珍しいことだ。すくなくとも自分が出会ってからは初めての事である。
李鷹はなぜか、笑みが漏れるのを抑えきれなかった。
「なに笑ってるのっ」
とばっちりながら、咎める眼差しがとんでくる。
「いや、何。めずらしい顔をみられたと思っただけさ」
その揶揄するような声音に、盈秋はまたぷくっと頬を膨らませる。
「いずれにしても好ましいよ、私には。君はそうやって思いを吐き出している方がいい。その方がずっと可愛い」
「······愉しんでるでしょ」
軽薄なおだてに乗ることなく、盈秋は李鷹を睨めつけた。
それにしても何故にこうまで付きまとわれるのか。
それはやはり、自分が本来彼のなす筈だった御役目を横から攫ってしまったから、ということらしい。
むろん、こちらにはそんな意図があった訳ではないけれど、彼がそう思い込んでしまっているのだから手に負えない。(つまり、厳密にはつきまとわれているのは李鷹、ということになるが)
しかし、こちらにだって言い分はある。
そもそもの始まりは、盤の大旦那からの頼まれ事なのだから、いまさらこっちに責任を問われても困るのだ。
······いつまでも怒っていてもしょうがない。
李鷹の茶々のおかげですこしだけ気持ちが切り替わった。盈秋は冷静さをとり戻すべく、考えに没頭することにする。
峨居は羌族の出。そして、代々が碧陽の護り神の巫といった。ということは、碧陽にかつて暮らしていたのは、羌族、ということになる。
羌族。それがかつて李鷹が守ろうとした民の正体なのだ。
しかし現在の羌族といえば、西涼その他、漢にひろく散らばり暮らすと聞いている。何処かまとまった地域に都というものは持たず、羊とともに流れる、匈奴ともつうじる遊牧の民だ。
そんな彼らが、かつて一時代を築いた碧陽城郭の主人だったとは······説いた所で、どれだけの漢人が信じるだろうか。
こうして秘密をひとつ紐解けたことはよかった。が、今のところそれもささいな慰めにしかならない。
はぁ、と口から溜め息がもれた。
本当に。
峨居が自分の立ち位置にほんらい収まるべき人間で、李鷹もそれを望むなら。
自分がここにいるべき理由はなくなる。
帰った方がいいのかな······
容赦のない夏空を見上げ、そんな思いがふと過ぎった。
だが。日陰からぼーっと、痛いほどに明るい蒼穹をみあげて李鷹の面白がる顔を思いだすうち、盈秋はなんだか段々腹がたってきた。
「······アイツもアイツよ。なんのかんの、満更でもなさそうにヘラヘラしちゃって。李鷹なんてあんなの、忠実に仕えてやる程の奴じゃないんだからっ!」
そうなのだ。普段はいい加減だし、口達者ですぐに出任せをいうし、ほんらい碌でもない輩なのだ。
そうよね。桃霞姐様だって頑張ってくれてるのに、いま全部放り出してどうするの? いや、李鷹がもういいというまで、絶対に放り出してなんかやらない! そう決めた!
「こうなったらどうあっても武芸を教えてもらうから!」
翌日の午後のこと。李鷹を捕まえた盈秋は、鼻息荒くいった。
情熱的な瞳にぎらぎらと真剣な光が差しているが、李鷹のほうにはわずかの乗り気もみられなかった。こうなって、こうなって、こうなる、と起こり得る具体的な例まで挙げて反対した。とうとう終いには。
「しかしねぇ。私がそこそこ出来るのはむしろ生まれ持ったものだから。はやい話教えられるものじゃないんだ」
強いのは妖だから。仙人だから。また、それらを学んだところで、人の身に再現できるとも限らない。そういうしかない、という事までいった。
だが今日の盈秋は妙にしつこかった。
「だめ! どんな事を言っても駄目よ。武芸を教えて!」
「やれやれ、困ったな」
まるで聞かぬ童女のとり扱いに苦慮していると、李鷹への供え物にと、みずから苦心した馬乳酒をもって峨居が訪ねてきた。
食い下がる盈秋の声に、峨居は眉根をよせて、酒のはいった器を李鷹のまえに奉納する。
「そんな事も分からないのか。さすがは偽物だな。これ以上李鷹様のお手を煩わせると承知しないぞ」
予期せぬ仇敵の到来に、盈秋も不機嫌さを隠そうともせず頬を膨らませた。もうこの際だ、はっきりさせてしまおうではないか。
「······そもそも、なんで私にこだわるの!?」
「はぁ? 誰がお前なんか······俺がこだわってるのは、お前が盗んだ李鷹様のお世話役の座だ!」
「そんなの! 私に言われたって困るもん!」
「ぶさけるな! こっちは何年もかかって碧陽まで行ったんだ! それが······着いてみたらとっくに護り神様たちは目覚められた後だった! お婆の卜占でやっとここまで探し当ててやってきたんだぞ!」
「う〜っ!!」
······うーむ。
困惑顔で童子ふたりの口喧嘩をみていた李鷹だったが、ふいにぱっと愁眉を晴らして峨居にこう訊ねる。
「峨居よ。お前、戦陣にまで来るくらいだ。とうぜん武芸についても手ほどきを受けているのだろう?」
「勿論です」
峨居は顔を輝かせてふり返ると、誇らしげに胸をうって答える。
「まだまだ未熟ではありますが」
満足のいく答えだ。
李鷹は笑みをうかべてウンウンと頷いき、そしてこう提示した。
「なら盈秋は、峨居から武芸を教わるといい」
「はあッ!?」
「何でッ!!」
ピタリと声が揃うのを、李鷹は面白そうに笑う。
「そうだそうだ、それが良い。我ながら妙案だ」
納得しながらひとりで手を打ち、馬乳酒の器をひょいととりあげると、後はもう聞かぬとばかり、わざとらしく嘘笑いの声をたてながら去っていった。
「······」
「······」
思ってもみなかった展開に、のこされたふたりは気まずい沈黙に沈むしかない。
逃げたな李鷹、と盈秋はうらめしく思ったが、ああまでされたのだ。教えてもらえるならどんな相手からも学ぶ決心は出来ていたし、ならばここは意地を捨てねばなるまい。
真意をさぐるように、去った李鷹の背をおっていた峨居へ、盈秋はかたい口振りで訊ねかけた。
「······どう、なの? 嫌なら······他を当たるけど」
すぐに挑む視線がこちらを捉えた。
「嫌に決まってるだろう。なんで俺がお前なんかの面倒を······。けど、李鷹様のお言いつけに背くなんて出来るかよ」
しぶしぶ。そんな了承の表現だった。
翌日から稽古が始まった。
時刻は暇ができ、日も勢いをおさめる、午後のほんの数刻の間だけということした。
ふたりは黄河の畔で向きあってたつ。
薪の木っ端を得物代わりに手に持った。まるでお遊びのようだが、初心の稽古にまさか本物をもつ訳にもいかない。
「どこからでもかかってきな」
峨居は鼻からいかにも気乗りしないと息をはきながら、余裕を見せてたつ。
態度は気に入らなかったけれど、こちらは教えてもらう身だ。盈秋は、
「おねがいします」
と礼をとって、棒切れを構えた。
「行きます!」
ダッとばかり砂を蹴り、待ちうける峨居へむかう。
いかんせん、まだ始めたばかりの剣だ。見様見真似すらできず、ただ棒切れを振りまわすに過ぎない。
「腕だけで振るんじゃないッ!」
「はい!」
「もっと腰をいれろ! 身体の重みをのせるッ!」
「はいッ!」
どこかに気を使えばどこかが疎かになる。その度に足をとられ、盈秋は転び、泥に汚れた。
それでもめげずに立ちあがり、直ぐ様向かってくる。女子ながらいい根性をしているとは、峨居も認めずにはおれなかった。
峨居は鍛錬に先立ち、李鷹から、
『くれぐれもあの娘に酷い傷を与えるなよ。とくに顔、身体にだ。もしそんなことをすれば、将来ひどく後悔することになるぞ』
と言い含められている。だがそれを差し引いても、盈秋の動きはけして悪くなかった。
そもそもの地が良いのだろう。理解の早さは言わずもがな。力は一朝一夕とはいかないが、筋だけは日毎に成長してみせた。
その上達ぶりには、峨居も心中ひそかに舌を巻いた。
コイツ······。
「さてと」
体よくふたりの追跡を脱した李鷹は、人目を気にしながら、空へと優雅に舞いあがる。
できれば敵の根城を突き止めたい。その手蔓でもありはしないかと、ずっと探っている。だが鍼欄らに落ち度はみられず、今のところ成果は挙げられていなかった。
なんとしても、戦が本格化する前に見出さねば······
曹陣、曹洪の居営。
ただ待つだけの日々に、曹洪は荒れていた。紛らわしに呑んでいた酒も、ちっとも美味くない。憤懣とともに酒坏を地面に叩きつけた。
「ええい!! 兄者に豪語しておきながら不覚をとるわ! おまけに丞相からのお指図で出陣はならぬわ! これでは挽回の機会さえ得られぬではないか!!」
荒ぶる曹洪に、配下の将も近づき難そうに沈黙するなか、傍で侍立していた侍者がしずかに語りかけた。
頭巾にさがり気味の眉、すらりとした上衣。鍼欄だ。
彼女は子を宥めすかすようにいった。
「将軍。どうかお気をお静めくださいませ」
「これが落ち着いていられるか!あんな若僧に遅れをとったままなのたぞ!」
「······では、こうなさってはいかがでしょう。そのお志、我らにお預け下さりませんか。きっと憂いを晴らしてご覧に入れましょう」
「なにぃ?」
曹洪は胡散臭そうに彼女をみた。
「お主らが潼関を奪還してみせるというのか?······いや駄目だ駄目だ。それでは丞相のお言いつけに背くことになる!」
「ご心配には及びませんかと。なぜなら、丞相様は自軍の兵が傷つくことを憂いておられるのです。我々はその限りではありませぬゆえ。うまく行けば将軍のお手柄。しくじっても傷つくのは我々だけでございます」
「······ふん、ずいぶん美味い話だな? とうぜん裏があるのであろう」
「勿論でございます。首尾よく将軍が勲功に与った際には、なにとぞ我らのことも好いようにお計らい下りませ」
「──よかろう。もしやり遂げたならばな。お主らの臣従の志、しかと丞相に上奏申し上げようではないか」
感謝いたします、と挙げた袖陰に、彼女特有の細心げな眼差しがかくれた。
「お任せあれ。すでに細工は進めてございます」
そう、とても心配だから······
お立ち寄り、まことにありがとうございました。
微修正いたしました。




